この記事では、以下の『源氏物語』現代語訳を
一部引用して、読み比べをしていきます。
- 角田光代
- 瀬戸内寂聴
- 林望
- 大塚ひかり
- 荻原規子
- 円地文子
- 谷崎潤一郎
- 与謝野晶子
「紅葉賀」の巻の一節
光源氏と高齢の好色女・源典侍との
掛け合いの部分を読み比べてみたいと思います。
この部分を読み比べの対象として選んだ理由は、
古歌(『源氏物語』以前に詠まれた和歌)
の引用を多く含み、読解が難しい部分なので
訳者のセンスが問われると判断したからです。
また、会話文と長文の人物描写も含むので、
訳者の個性も汲み取ることができます。
↓こちらが、原文です↓
【原文】
『源氏物語』<紅葉賀>の巻より一部引用
主上
の御梳櫛
にさぶらひけるを、果
てにければ、主上
は御袿
の人召
して出
でさせたまひぬるほどに、また人
もなくて、この内侍常
よりもきよげに、様体
、頭
つきなまめきて、装束
、ありさま、いとはなやかに好
ましげに見
ゆるを、「さも古
りがたうも」と、心
づきなく見
たまふものから、「いかが思
ふらむ」と、さすがに過
ぐしがたくて、裳
の裾
を引
きおどろかしたまへれば、かはぼりのえならず画
きたるを、さし隠
して見返
りたるまみ、いたう見延
べたれど、目皮
らいたく黒
み落
ち入
りて、いみじうはつれそそけたり。
「似つかはしからぬ扇のさまかな」と見たまひて、わが持たまへるに、さしかへて見たまへば、赤き紙の、うつるばかり色深きに、木高き森の画を塗り隠したり。
片つ方に、手はいとさだ過ぎたれど、よしなからず、「森の下草老いぬれば」など書きすさびたるを、「ことしもあれ、うたての心ばへや」と笑まれながら、
「森
こそ夏
の、と見
ゆめる」
とて、何
くれとのたまふも、似
げなく、人
や見
つけむと苦
しきを、女
はさも思
ひたらず、
「君し来ば手なれの駒に刈り飼はむ
盛り過ぎたる下葉なりとも」
と言
ふさま、こよなく色
めきたり。
「笹分けば人やとがめむいつとなく
駒なつくめる森の木隠れ
わづらはしさに」
とて、立
ちたまふを、ひかへて、
「まだかかるものをこそ思ひはべらね。
今さらなる、身の恥になむ」
とて泣
くさま、いといみじ。
「いま、聞きこえむ。
思おもひながらぞや」
とて、引
き放
ちて出
でたまふを、せめておよびて、「橋柱
」と怨
みかくるを、主上
は御袿果
てて、御障子
より覗
かせたまひけり。
※青字部分は古歌の引用
※赤字部分は物語中の和歌
この原文に対する
それぞれの現代語訳を読み比べていきます!
角田光代訳『源氏物語』
現代語訳
ある日、この典侍は帝の御整髪に奉仕していた。それが終わると帝は装束係を呼んで、着替えるために部屋から出た。部屋にはほかに人もいない。典侍はいつもよりこざっぱりとしていて、姿も髪かたちも色っぽく、着ているものも着こなしもはなやかで垢抜けて見える。なんて若作りをしているのかと光君は苦々しく思うものの、この女はいったいどう思っているのだろうと、無視することもできなくて、裳の裾を引っ張ってみた。すると典侍は派手な絵の描かれた扇で顔を隠すようにして振り向いた。流し目でじっと見つめてくるが、近くで見るとまぶたが黒ずんでげっそり落ちくぼみ、髪もぼさぼさである。年に似合わない派手な扇だと、光君は自分の扇と取り替え、よく見てみると、顔に照り映えるくらい色の濃い赤に、木高い森の絵を金泥で塗りつぶしてある。その端に、じつに古めかしい筆跡ではあるが、「森の下草老いぬれば」などとなかなか上手に書いてある。「大荒木の森の下草老いぬれば駒もすさめず刈る人もなし(古今集/大荒木の森の下草は老いてしまったから、馬も好まず、刈る人もいない)」という古歌の一節で、書くにこと欠いて悪趣味だなと苦笑しながら、
角田光代訳『源氏物語』より引用
「『森こそ夏の』といったふうだね」と言う。
「ひまもなくしげりにけりな大荒木の森こそ夏のかげはしるけれ(隙間もなく生い茂って、大荒木の森は夏こそ涼しい日陰である)」をわざとあてつけたのであるが、こんなことを言い交わすのも不釣り合いな相手ではあり、だれかに見られたりしませんようにと光君は気にするが、女はまったく気にも留めていない。
君し来ば手なれの駒に刈り飼はむさかり過ぎたる下葉なりとも
(あなたがおいでくださったら、ご愛馬に刈って食べさせましょう、盛りの過ぎた下草ですが)
などと言ってくる様子は、じつに色っぽい。
「笹分けば人やとがめむいつとなく駒なつくめる森の木がくれ
(私の馬が笹を分けていったら、人が咎めるでしょう。いつなんどきも、森の木陰にはほかの馬が馴れ近づいているらしいですから)
それも面倒だからね」
と言って立ち上がる光君の袖をつかみ、
「こんなつらい思いをしたことはありません。この年になっていい恥さらしです」と典侍は大げさに泣き出す。
「そのうち伺います。そうしたいと思いながら、なかなかできないのです」
と振り切っていこうとする光君に典侍は懸命に取りすがり、
「そんなことをおっしゃって、このまま終わりにするおつもりなのでしょう」などと恨み言を言っている。着替えを終えた帝はその様子を襖の隙間から見てしまった。
角田光代訳の特徴
文体:
地の文に敬語を使用しておらず、
文尾は「だ・である調」で、簡潔で歯切れのよい文体。
特徴(良いところ):
主語は適切に補い、
長い文章は短く区切ってあるので読みやすいです。
難解な言葉には文中に補足が埋め込まれています。
古歌は引用してある箇所も、
してない箇所もあります。
古歌を引用してある場合は、
その歌の全文を記載し、意味も添えてあります。
わかりやすさ・読みやすさを重視した訳文
でありながら、創作や過剰な補足はなく
原文にもできるだけ忠実であろうとする姿勢が見られます。
特徴(悪いところ):
悪いところをあげるとするならば、
心の声がカギ括弧で囲われていなかったり、
改行が少ない部分があったりするため、
文字がぎっしり詰まっているように見えるページが
存在するというところです。
わかりやすさを優先して割愛している部分章も見受けられます。
※河出文庫は全8巻です。
瀬戸内寂聴訳『源氏物語』
現代語訳
この源の典侍がある日、帝の御髪上げに伺候していましたが、それが終わったので、帝は御装束の係の女房を召して、お召替えにその場から出ていらっしゃいました。その後には、ほかに人も居なくて、この典侍だけが残っていました。この日、典侍はいつもよりさっぱりとして、姿つきや髪かたちもなまめかしくて、衣裳や着こなしもたいそう華やかにしゃれて見えるのでした。
瀬戸内寂聴訳『源氏物語』より引用
源氏の君はそんな典侍を御覧になって、何と若作りなと、苦々しく思われながらも、いったいどんな気でいるのかと、やはり素通りもなさりにくくて、典侍の裳の裾をちょっとひっぱって注意を引いてごらんになりました。たいそう鮮やかに絵を描いた扇をかざして、見返った典侍の眼ざしは、思い入れたっぷりの流し目ですが、瞼がひどく黒ずみ落ち窪んで、扇で隠しきれない髪の毛なども、すっかりそそけているのでした。年に似合わぬ派手な扇を持っていることよとお思いになって、御自分の扇と取りかえて御覧になりますと、赤い紙が顔に映るくらい濃艶なのに、木高い森の絵を金泥で塗りつぶしてあります。その端に、筆跡はたいそう古風ですが、なかなかの達筆で、<森の下草老いぬれば>など書き流してあります。書くにこと欠いて、年寄りに男が寄りつかないなど、何とまあ、いやらしい歌を選んだものだと、苦笑なさりながら、
「<森こそ夏の宿りなるらめ>という歌のようにあなたのところには宿る人が多いというわけですね」
と、何かとお戯れに話されるのも、相手が不似合いで体裁が悪く、人に見られはしないかと、気になさるけれど、女はいっこうに頓着せず、
君し来ば手馴れの駒に刈り飼はむ
さかり過ぎたる下葉なりとも
あなたがおいでになれば
お召し馴れの馬のために
草を刈り御馳走します
盛りを過ぎた下草ですが
若くはないわたしもともに
と言う様子が、この上もなく色っぽいのです。
笹分けば人やとがめむいつとなく
駒なつくめる森の木がくれ
森の木がくれの笹を
踏み分けて訪ねたら
咎められはしないか
いつでも大勢の男があなたを
慕い集まっているのに
「厄介なことになりそうで」
と、お立ちになるお袖をとらえて、
「まだこんなつらい物思いをしたことはございません。今更になってあなたさまに捨てられてはいい恥さらしでございます」
と言って泣く様子がとても大げさなのでした。
源氏の君は、
「そのうち便りをしますよ。いつもあなたを思っているのだけれど」
と、袖をふり払って出ようとなさいますのを、典侍は懸命にとりすがって、
「橋柱」
と怨めしそうに言い浴びせますのは、<津の国の長柄の橋の橋柱古りぬる身こそ悲しかりけれ>の、橋柱の五文字なのでしょう。
帝はお召替えをすませてお障子の隙間からすべてを覗いておしまいになりました。
瀬戸内寂聴訳の特徴
文体:
地の文に敬語を残しており、
文尾には「です・ます」調を採用しているため、
優しく雅やかな文体となっています。
特徴(良いところ):
主語を適切に補い、場合によっては
原文にない補足を入れて
大変わかりやすい訳文となっています。
一文は短く区切られており、
改行も比較的多いです。
心の声は「」で括ってある箇所が多く
読みやすいです。
古歌に関しては全文を引用しないパターンが多く、
文中に説明を入れるにとどめています。
古歌の引用をしても現代語訳はつけていません。
古歌の解説にとらわれるよりも、
『源氏物語』の本文をわかりやすく
読んでもらいたい
という訳者の意図が見えます。
わかりやすさと文章の美しさで言えば、
瀬戸内寂聴訳は抜きんでています。
特徴(悪いところ):
悪いところをあげるならば、先述したように
古歌の解説が物足りないというところでしょうか。
「です・ます」調で敬語ありなので、
角田光代訳の文体と比べて歯切れの悪さを感じる人もいるかも知れません。
※講談社文庫は全10巻です。
林望訳『源氏物語』
現代語訳
この典侍は帝の調髪に奉仕していたが、それが終わって、次に装束係が召され、帝は、お召し替えの部屋に出ていかれた。そこに源氏も侍っていたのだが、人々が帝に従って出ていってしまったので、部屋には源氏と典侍とが二人だけ残った。
林望『謹訳 源氏物語』より引用
この時の典侍の出で立ちを見ると、いつもよりこざっぱりとして、姿といい、髪つきといい、変に艶めかしく、また装束もその着こなしも、たいそう華やかにしてお洒落に見える。
<なにも、そこまで若作りせずともなあ…>と源氏は、苦々しく思うのではあったが、<いったいどういう積もりでいるんだろうか>と、そのまま見過ごしにもできず、腰に纏った裳(長袴)の裾を、ちらりと引っ張って気を引いてみた。すると、またえらく凝った絵を描いた扇で顔を隠しながら、見返ったその目つきたるや、まあせいぜい力いっぱい流し目をして見せても、なにせまぶたからしてひどく黒ずんでしょぼついているし、頬のあたりはげっそりとこけて皺だらけときている。
<なんともはや、あの扇は、いかにも不似合いな>と源氏は思って、代わりに自分の持っていた扇を与え、取り上げて見てみた。すると、この扇が赤い紙で、それがまた顔に映発するくらいに濃厚な赤の地、その上にこんもりとした森を描き、さらに金泥で雲を描き込めてある、そしてその片方に、ひどく古めかしい書体で、しかし結構上手に歌が書き流してある。
大荒木の森の下草老いぬれば
駒もすさめず刈る人もなし
大荒木の森の下草もすっかり老いてしまったので、
馬だって食みはせぬし、といって刈る人もない
<……これはまた、よりにもよって、なんという歌を書いたもんだろうか。うっとうしい趣向だな、これは>と、源氏はニヤリと笑い、
「こいつは、『森こそ夏の』って趣向かとみえるね」
と混ぜっ返す。これは「ほととぎす来鳴くを聞けば大荒木の森こそ夏の宿りなるらめ(ほととぎすがああやって来て鳴いているのを聞けば、さてはあの大荒木の森こそはほととぎすどもの夏の宿りなのだな)」という歌を引いて、お前のところは、よほど男どもが宿るのであろうなあと揶揄したのであった。
そのほか、なにくれとなくおしゃべりをしていると、源氏は、<こんなところを人に見られては疎ましいなあ>と思うのだが、女のほうは、ちょっともそんなことは思わないと見えて、なおまた歌など詠みかけてくる。
君し来ば手なれの駒に刈り飼はむ
さかり過ぎたる下葉なりとも
あなたが来てくれたら、そのお手飼いの馬に、刈り草を秣として食べさせましょう。
もう盛りも過ぎた老い葉であろうとも
などと歌いかける様子は、いかにも色気満々である。
さすがに呆れて、源氏も、
「笹分けば人やとがめむいつとなく
駒なつくめる森の木がくれ
この私が笹を分けて入っていったら、おそらくは誰か他の男が見とがめましょうなあ、
なにしろたくさんの馬どもが懐いているらしい森の木陰であろうほどに
いや、厄介はご免です」
と言いながら、さっと立って行こうとするのを、典侍は袖を控えて、
「いまだかつて、これほどの物思いに苦しんだことはございません。こんな年になって、今さらながら、たいそう身の恥に存じます」
と泣く様子は、いかになんでもやりすぎというものである。
「まあ、そのうちまた逢うこともあろうさ。なにしろ思いは募っても思うに任せぬ身ゆえ、な」
と言いざま、無理に振り払って出て行こうとする。
典侍は、必死に追いすがって、
「そ、それでは『橋柱』というおつもりでございますか」
と恨めしく叫ぶ。源氏はこれを聞くや、「限りなく思ひながらの橋柱思ひながらに仲や絶えなむ(限りなく思いはかけていながら、あの古い古い長柄の橋の橋柱のように、すっかり朽ちてしまう、私たちの仲なのでしょうか)」という古歌を思い合わせて、ますますうんざりとした思いに駆られるのであった。
このやりとりを、帝はお召し替えが済んで、障子の陰から覗いてご覧になっていた。
林望訳の特徴
文体:
地の文から敬語が排除されており、
文尾は「だ・である」調で歯切れがよい文体です。
特徴(良い点):
敬語がなく、「だ・である」調という点では
角田光代訳と同じですが、
文中の補足の量は林望訳のほうが多いため、
論理的に意味が通りやすくわかりやすいです。
古歌については全文を引用し、
しっかりと現代語訳をつけているのが親切です。
心の声は<>で囲ってあるため、視覚的にもわかりやすいです。
会話文も自然な日本語で訳されているため、
まるで現代小説を読んでいるかのような親しみやすさを感じます。
特徴(悪いところ):
悪いところをあげるとすれば、
少し難しい言葉が混じっているところです。
「押っとり刀(慌ててでかける様子)」や
「探韻の趣向」「精励恪勤」など
辞書をひかなければ分からない言葉が、
多くはありませんが見られます。
また、補足が多いので原作への忠実度という意味ではマイナスです。
※祥伝社文庫は全10巻です。
大塚ひかり訳『源氏物語』
現代語訳
ミカドの御整髪に典侍はお仕えしていましたが、終わったので、ミカドはお衣装の係をお呼びになって、お部屋を出て行かれました。その時、ほかに人もなく、この典侍がふだんよりも小綺麗で、体の線や頭の形もみずみずしく、着物といい着こなしといい、とても華やかに色っぽく見えるので、君は、
大塚ひかり全訳『源氏物語』より引用
「いつまでも年がいもなく」と嫌な気持ちになるものの、「どう思っているんだろう」と、さすがに素通りできなくて、裳の裾を引いてみます。すると、なんとも言えないほど派手な絵を描いた扇で顔を少し隠して、振り返った目元は、凄い流し目ですが、まぶたはすっかり黒く落ちくぼみ、扇で隠しきれずに端から見える髪はぱさぱさに傷んでいます。
「似合わない扇だな」と君は思って、自分の持っていた扇と取り替えて、見ると、赤い紙の、ものが映るほど濃い色の上に、木高い森の絵を金泥で塗りつぶしてあります。片面には、字はずいぶん古風なものの、趣がないわけでもなく、
「森の下草老いぬれば駒もすさめず刈る人もなし
森の下草が老いちゃったので馬も遊んでくれない、草を刈る人もいない。
誰も相手にしてくれないの」
などと書き散らしてあるのを、
「ほかに言葉もあるだろうに、よりによってろくでもない趣味だな」と、苦笑しながら、
「むしろ“森こそ夏のやどり”に見えるけど。あなたの所にはたくさんの男が泊まるだろうに」と言って、あれこれ言葉をかけているのも不釣り合いで、君は「人が見つけたら」と気が気でないのに、女はそうも思ってはいません。
「君し来ば手なれの駒に刈り飼はむ さかり過ぎたる下葉なりとも
あなたが来たら、手馴れの馬に飼い葉を食べさせてあげる。盛りの過ぎた下葉だけれど」
と言う姿は、この上もなくイヤらしいのです。
「笹分けば人や咎めむいつとなく 駒なつくめる森の木がくれ
下葉を食べようとして笹に分け入れば、人に文句を言われるだろう。年中、馬が慕い寄っているらしい森の木陰だから
それが面倒でさ」と言って君が立つのを、つかまえて、
「まだこんなに人を好きになったことはありません。今さら私に恥をかかせるなんて」と言って泣く様は尋常ではありません。
「また今度ね。“長柄”の橋じゃないけれど、あなたのことを思い“ながら”なんだよ」
と言って、振りほどいて出て行くのを、無理に追いすがって、「“橋柱”…老いた我が身が悲しい…」と恨んでいます。その様子を、ミカドはお着替えが済んで、奥障子の隙間から覗いておられました。
大塚ひかり訳の特徴
文体:
「です・ます」調を採用しています。
地の文の敬語は帝や院・妃など皇族に対しては使用していますが、
源氏に対しては敬語を使用していません。
特徴(良いところ):
「リクエスト」「チャンス」「ムード」
「ラッキー」などのカタカナ語を採用しているので、
現代小説のように親しみやすいです。
「ミカド」はカタカナ表記を貫いているのも特徴的です。
それでいて、「原文重視」の姿勢を見せており、
大塚ひかり氏が「要注目」と判断した原文は
ダブルクォーテーション“”で囲って本文中にとりこんでいます。
主語など適切に補い、過剰な補足はありません。
随所には「ひかりナビ」という
親切な解説がついており、
古歌の説明はこのナビの中でしっかりとされています。
特徴(悪いところ):
悪いところをあえて挙げるならば、
人によっては古典文学の現代語訳に
カタカナ語が含まれるのは抵抗感があるかも知れません。
※全6巻
荻原規子訳『源氏物語』
現代語訳
ある日、源典侍が帝の髪を整えたところへ、源氏の君が来合わせました。帝は袿に着替えるために別室に移り、近くに人がいません。
荻原規子『源氏物語 紫の結び(一)』より引用
源典侍は、いつも以上に髪や姿勢をつくろって色っぽくしています。装束や装身具は色鮮やかで、華やかに目を引きました。
(とはいえ、ここまで若づくりにしなくても)
源氏の君は感心せずに見やりましたが、さすがにこのまま素通りはできず、源典侍の裳裾を引っぱり、注意を引きました。
派手な絵柄の扇を顔にかざし、気取ってふり向いた源典侍は、思い入れたっぷりな流し目を送ります。けれども、そのまぶたは黒ずんで落ちくぼみ、髪もそそけ立っているのでした。
源氏の君は変わった扇に注目し、自分の扇と取り替えてよく眺めて見ました。顔に照り返すほど赤い紙を張り、塗りつぶすように深い森が描いてあります。片側には、古めかしい筆跡で由緒ありげに”森の下草老いぬれば”と書きつけてありました。老いた下草は、馬も食べに来ない―言い寄る男もやって来ないという古歌です。
(よりにもよって、この歌を書くことはないだろうに)
苦笑した源氏の君は、古歌で返します。
「“森こそ夏の”と見えますよ」
夏鳥のホトトギスが来る森のように、やってくる恋人が引きも切らないだろうという歌です。
たわむれを言いかけるにも不似合いで、人目が気になる源氏の君ですが、源典侍はおかまいなしでした。
「“あなたが来るなら、乗馬に草を刈って食べさせよう。盛りをすぎた下葉であろうと”」
ここぞと色気を匂わすので、源氏の君はあわてて立ち上がります。
「“笹分けて踏みこめば、どこかの男がとがめるだろう。馬がなつく森のようだから”
争いは避けたいので」
源典侍は、君の衣をつかんで行かせません。泣きながら言うのでした。
「これほど思い焦がれた人はいなかったのに。この年で捨てられるのは身の恥です」
「この次は連絡しますから。私も、気にかけてはいるんです」
振りほどいて出て行こうとしますが、源典侍は追いすがって「“橋柱”」と恨みます。“思いながらに仲や絶えなむ”の歌を引いたのです。
そんなところへ、袿に着替えた帝が戻ってきました。障子の向こうからこの愁嘆場を目撃してしまいます。
荻原規子訳の特徴
文体:
地の文の敬語を排除し、
「です・ます調」を採用していて、
シンプルでやさしい印象を受ける文体です。
構成:
巻の順番は原文通りではなく、
中流階級の女性との恋物語は「つる花の結び」に分割してあります。
『源氏物語』の骨格となる物語は「紫の結び」にまとめられています。
第三部は「宇治の結び」に収録されています。
特徴(良いところ):
中学生でも読めるような
平易な日本語で訳してあり、
親切な補足が加えられているのが大きな特徴です。
改行が多く非常に読みやすいです。
物語中の和歌は原文が掲載されておらず、訳文のみが書かれています。
荻原規子氏は児童文学の小説家なので、
10代向けのわかりやすい文章を書くのが得意なのでしょう。
荻原規子訳『源氏物語』は図書館によっては
ティーンズコーナーに並んでいることもあります。
特徴(悪いところ):
和歌を原文付きで味わいたい人にとっては、
物足りないと思います。
わかりやすくかみ砕いた訳文なので、
原文の忠実度という点では角田光代訳や
瀬戸内寂聴訳よりは低めになります。
「紫の結び」全3巻
「つる花の結び」全2巻
「宇治の結び」全2巻
円地文子訳『源氏物語』
現代語訳
典侍は帝の御髪上げに伺候していたが、終ったので、帝は御袿の係を召してお召し替えにお出ましになったので、ほかには人もいなかった。源氏の君は、この典侍が常よりも爽やかに姿や髪かたちもなまめかしく、衣裳、着こなしも大そうはなやかに色めかしく見えるのを、さても若づくりなと厭気がさして御覧になりながらも、どう思っているかとさすが素通りもなさりにくくて、裳の裾をちょっと引き動かしてごらんになると、思いきって派手に彩色した扇をさしかざして見返った目つきは、ひどく瞼がたるみ、すっかり黒ずみ窪んで、扇をはずれて見える髪の毛は大そうそそけている。ふさわしくない扇を持つものとお思いになって、御自分のと取り換えてごらんになると、赤い紙の、顔に映るほど色濃いのに木高い森の絵を金泥で塗りつぶして描いてある。その片隅に、手蹟は古めかしいがなかなかの達筆で、「大あらきの森の下草老いぬれば」などと書き散らしてあるのを御覧になって、書くこともあろうに、男が寄りつかぬという心を詠んだ歌を書きつけるとは、あまり露すぎて困りものだと苦笑いなさる。
円地文子訳『源氏物語』より引用
「『ほととぎす来鳴くを聞けば大あらきの森こそ夏の宿りなりけれ』という歌のように、あなたのところにも宿を求める人が多いというわけですね」
と君は何やかやお戯れにおっしゃりながらも、不似合いなと誰か目をつけはせぬかと気になさるが、女のほうはいっこう平気で、
君し来ば手なれの駒に刈り飼はむ
盛りすぎたる下葉なりとも
という様子が申し分なくなまめかしい。
「笹分けば人や咎めむいつとなく
駒なつくめる森の木がくれ
面倒なことが起こりそうで」
とお立ちになろうとする袖を控えて、
「まだこんな物思いを味わったことはございません。今更となって、身の恥を何といたしましょう」
とひどく泣きしずむ。
「おっつけ便りをしますよ、いつも思ってはいながらのことなのです」
と振り放してお立ちになるのを、強いて追いすがって、
「橋柱」
と恨みかけて申上げるのは、「津の国の長柄の橋の橋柱古りぬる身こそ悲しかりけれ」の五文字であろう。帝は御袿をお召終えになって、御障子の隙からお覗き遊ばされていた。
※盛りすぎた私でも、お出で下されば喜んでお迎えいたしましょう。
※来る人の多いあなたのところへ行っては、見つけられるでしょう。
円地文子訳の特徴
文体:
地の文に敬語を残しており、「だ・である」調です。
特徴(良いところ):
古歌に関しては全文もしくは一部を引用し、
意味も簡潔に補足してあります。
平易な言葉を使用しているので、
決してわかりづらい現代語訳ではありません。
光源氏への恋に悩む空蝉の心理や
車争い後に煩悶する六条御息所の心理、
光源氏と藤壺の宮の密通の場面では、
原文にはない創作的な加筆が見られ、読者の理解を助けています。
特徴(悪いところ):
一文が長い箇所が散見され、
角田光代訳や瀬戸内寂聴訳などに比べると
読解の難易度が高めです。
初めて『源氏物語』の現代語訳に挑戦する人には
あまりおすすめできません。
加筆されている箇所に関しては、原文への忠実度が下がります。
※新潮文庫 全6巻
谷崎潤一郎訳『源氏物語』
現代語訳
或る日お上の御梳櫛に伺候しました折、それが終って、お上がおん装束の係の者をお呼び遊ばされ、お召替えにお出ましになりましたあとに、ほかには誰も人がいないので、この内侍が常よりも小ざっぱりと、姿や髪の恰好もなまめかしく、衣裳の着こなしも大層花やかに、色気たっぷりにしていますのを、いつまでも若い気でいることよと、君は嫌らしく御覧なさりながら、でもどう思っているであろうかと、さすがに知らぬふりもしにくくて、裳の裾を引っぱってごらんになりますと、扇のえならぬ絵を画いたのをかざして、顔を隠して見返った眼差の、じいっとこちらを流眄に見ていますのが、瞼がひどく黒ずんで、落ち凹んでいまして、髪の毛の先なども非常にそそけているのでした。似合わしからぬ扇であるよとお思いになって、御自分が持っていらっしゃるのと取り換えて見られますと、赤い紙の、顔に映るほど濃い色をしましたのに、木高い森の絵が金泥で塗りつぶしてあります。片面には、えらく古風ではありますが、雅味を帯びた筆蹟で、「森の下草老いぬれば」などと書き散らしてありますので、こともあろうにとんだ文句を選んだものよと微笑まれながら、「『森こそ夏の』というわけですね」と仰せになって、あまり何くれと話をするのも形が悪く、人に見られても迷惑であるとお思いになっていらっしゃいますと、女はそんなことに頓着せず、
谷崎潤一郎『新々訳 源氏物語』より引用
君し来ば手馴の駒に刈り飼はん
さかりすぎたる下葉なりとも
と言う様子が、この上もなく色っぽいのです。
「笹分けば人やとがめんいつとなく
駒なつくめる森の木がくれ
うるさいことを言われそうですから」と言ってお立ちになりますのを引き止めて、「まだこんな目に遭ったことはございません。この年になって身の恥でございます」と、えらい泣きようなのです。「じきに便りをしますよ、いつも気にかけていたのですから」と、袖を振り払って出ようとなさいますと、無理に追いすがって、「どうせ橋柱でございましょう」と怨みかかりますのを、お上はお召替えを済ませてお障子の隙からお覗きになりました。
<頭注>
イ、大荒木の森の下草老いぬれば駒もすさめず刈る人もなし[古今集]
ロ、ほととぎす来鳴くを聞けば大荒木の森こそ夏の宿りなるらし[信明集]
ハ、「わが門の一むらすすき刈り飼はん君が手馴の駒も来ぬかな」[後撰集]を踏まえた歌。あなたがおいでになりましたならば、お召しに馬のかいばに刈って上げて歓迎申しましょう、盛りを過ぎた下葉ではございますが。「下葉」は森の下葉で、自分にたとえた
ニ、いつでも大勢の駒どもが慕い寄ってくる森の木がくれに、私が笹を踏み分けてはいって行ったら咎められはしないでしょうか。駒をほかの男たちに、森の木を源内侍に喩えた
ホ、津の国の長柄の橋の橋柱ふりぬる身こそ悲しかりけれ[伊行釈所引]
谷崎潤一郎訳の特徴
文体:
敬語を残し「です・ます」調でたいへん美しい文体です。
特徴(良いところ):
原文にたいへん忠実であり、
語彙自体はそれほど難しくはありません。
難解な言葉には頭注が付されていますし、
古歌や漢詩の引用についても頭注に典拠が掲載されています。
作中和歌の現代語訳も頭注に書かれています。
特徴(悪いところ):
原文に忠実であるがゆえに一文が長く、
主語がじゅうぶんに補われていないので
初心者にはかなりハードルの高い現代語訳です。
※中公文庫 全5巻
与謝野晶子訳『源氏物語』
現代語訳
典侍は帝のお髪上
与謝野晶子訳『全訳 源氏物語』より引用
げの役を勤めて、それが終わったので、帝はお召
かえを奉仕する人をお呼びになって出てお行きになった部屋には、ほかの者がいないで、典侍が常よりも美しい感じの受け取れるふうで、頭の形などに艶
な所も見え、服装も派手
にきれいな物を着ているのを見て、いつまでも若作りをするものだと源氏は思いながらも、どう思っているだろうと知りたい心も動いて、後ろから裳
の裾
を引いてみた。はなやかな絵をかいた紙の扇で顔を隠すようにしながら見返った典侍の目は、瞼
を張り切らせようと故意に引き伸ばしているが、黒くなって、深い筋のはいったものであった。妙に似合わない扇だと思って、自身のに替えて源典侍
のを見ると、それは真赤
な地に、青で厚く森の色が塗られたものである。横のほうに若々しくない字であるが上手
に「森の下草老いぬれば駒
もすさめず刈る人もなし」という歌が書かれてある。厭味
な恋歌などは書かずともよいのにと源氏は苦笑しながらも、
「そうじゃありませんよ、『大荒木の森こそ夏のかげはしるけれ』で盛んな夏ですよ」
こんなことを言う恋の遊戯にも不似合いな相手だと思うと、源氏は人が見ねばよいがとばかり願われた。女はそんなことを思っていない。
君し来ば手馴れの駒に刈り飼はん盛り過ぎたる下葉なりとも
とても色気たっぷりな表情をして言う。
「笹分けば人や咎めんいつとなく駒馴らすめる森の木隠れ
あなたの所はさしさわりが多いからうっかり行けない」
こう言って、立って行こうとする源氏を、典侍は手で留めて、
「私はこんなにまで煩悶
をしたことはありませんよ。すぐ捨てられてしまうような恋をして一生の恥をここでかくのです」
非常に悲しそうに泣く。
「近いうちに必ず行きます。いつもそう思いながら実行ができないだけですよ」
袖
を放させて出ようとするのを、典侍はまたもう一度追って来て「橋柱」(思ひながらに中や絶えなん)と言いかける所作
までも、お召
かえが済んだ帝が襖子
からのぞいておしまいになった。
与謝野晶子訳の特徴
文体:
地の文の敬語を排除し、「だ・である」調で書かれています。
特徴(良いところ):
語彙的にはそんなに難しくはありません。
『源氏物語』の普及に大きな影響を与えた
文学史的に意義のある訳文となっています。
特徴(悪いところ):
じゅうぶんな補足がされていないので、
初心者には文意がわかりづらい箇所があります。
一文が長いまま訳されている箇所、
誤訳と思われる箇所も散見されます。
和歌の現代語訳はついていません。
わかりやすく訳すという意図は感じられず、
非常に淡々とした訳文といった印象を受けました。
初心者にはハードルの高い現代語訳です。
与謝野晶子以降、
わかりやすい訳文がいくつも出てきたので
今となっては初心者が選ぶ訳文ではないと思います。
※角川文庫 全5巻
どの現代語訳を選ぶべきか
筆者が最もおすすめするのは、
瀬戸内寂聴訳『源氏物語』です。
初心者で、どれを選べばいいかわからない
という人は、ぜひ瀬戸内寂聴訳を読んでみてください。
以前こちらの記事でも、瀬戸内寂聴訳を推薦しました。
それ以外の現代語訳だと
- 角田光代訳
- 林望訳
- 大塚ひかり訳
- 荻原規子訳
あたりであれば、すべて初心者向けで
読みやすいです。
この記事の読み比べで、
「この人の文章好きだな」と感じた人の
『源氏物語』を買って、諦めずに最後まで読んでみましょう。
『源氏物語』は長い物語ですので、
誰の現代語訳を読んだとしても、
途中で挫折しそうになる瞬間が訪れると思います。
時間がかかってもよいのですので、
じっくり読んでみてください。
このような副読本があると、
あらすじの確認に便利です!
相関図と人物紹介は、
当ブログの記事もぜび参考にしてください😊
\『源氏物語』のあらすじを紹介/
\光源氏の人生年表/
\『源氏物語』の巻名一覧/