この記事では、『源氏物語』が
書かれた当時(平安時代)において、
読者からどのような評価を受けていたかを解説します。
・『源氏物語』平安時代当時の評価
・『源氏物語』当時の読者層
・『源氏物語』は庶民も読んでいたのか
この記事を読むことで、
『源氏物語』が平安時代にどのような読者層の
人々に読まれ、どんな評価を受けていたのかが分かります。
『源氏物語』当時の評価と人気
『源氏物語』が当時の人たちにどのように
読まれていったのかは、確実なことは分かっていません。
しかし、『紫式部日記』『更級日記』には、
『源氏物語』の初期の読者たちの様子と
その評価の片鱗が語られています。
まず、『紫式部日記』から垣間見える
当時の評判を見てみましょう。
『紫式部日記』に見られる当時の評判
『紫式部日記』を読むと、
『源氏物語』が天皇・中宮をはじめとして、
宮中の男女に読まれていて、
高い評価を受けていたことがわかります。
一条天皇・中宮彰子から高評価だった
中宮彰子は、第一皇子を出産後に、
『源氏物語』を清書させ、豪華本を作成しました。
豪華本は、
一条天皇に献上されたと考えられています。
藤原道長も上等の紙・筆・墨を、自ら運び込む
熱意を見せています。
当時の権力者である道長が、これほど
肩入れをして、豪華本を作ったということは、
娘の中宮彰子がよほど『源氏物語』の
ファンだったのだろうと推測されます。
そして、一条天皇も『源氏物語』を読んでおり、
「この人は、日本紀をこそ読みたるべけれ」
という感想を述べています。
中宮彰子の熱意が、一条天皇にも伝わり、
夫婦で継続的に読んでいたのでしょう。
中宮のみならず、天皇にも高評価を受けたことで
『源氏物語』は権威付けられ、読者がどんどん広がっていきます。
女性にも男性にも人気だった
『源氏物語』の「蛍」の巻の記述などから
分かるように平安時代の当時、
物語は女性が好んで読むものであり、
あまり男性が読むものではありませんでした。
しかし、『源氏物語』に関しては違ったと考えられます。
時の帝、一条天皇が『源氏物語』に
関心を寄せたということになると、
その影響は大きかったはずであり、
当時から女性のみの読み物ではなかったはずです。
実際に『紫式部日記』では、公卿・藤原公任が
「このわたりに、わかむらさきやさぶらふ」と
発言しており、公任が『源氏物語』を読んでいたことがわかります。
※「若紫」は『源氏物語』の登場人物
『源氏物語』は宮中の女性のみならず、
男性にも読まれていた。
道長は、当時、尚侍に任官されていた娘の
妍子に『源氏物語』の草稿本を奉っています。
妍子自身が読みたがったからであろうと
思われますが、道長も『源氏物語』を読んでいて、
関心を持っていたのでしょう。
以上のように
『源氏物語』は書かれた当時、
瞬く間に宮中の男女(上流貴族や皇族)に
人気を博し、話題となっていったのです。
『源氏物語』は当時、草稿本・中書本・清書本と
3種類の原本が存在していましたが、
書き写され、また読み回しされ、
貴族・皇族間で広まっていきました。
『更級日記』に見られる当時の評判
菅原孝標女の日記『更級日記』からも、
平安時代における『源氏物語』の評判を見ることができます。
菅原孝標女が『源氏物語』を手に入れたのは、
1021年(寛仁5年)です。
『源氏物語』が清書された1008年(寛弘5年)から
13年の月日がたった頃でした。
この頃には、『源氏物語』が受領層にまで
読者層を拡大していたことがわかります。
13年の間に、『源氏物語』は書写が繰り返され、
上流貴族や皇族から中流貴族に伝わり、
ついには地方の下流貴族にまで評判になっていたのです。
当時の女性は『源氏物語』の姫君に憧れていた
菅原孝標女は、『源氏物語』の中でも
特に夕顔と浮舟に憧れていたようです。
【原文】
『更級日記』より引用
物語のことをのみ心にしめて、われはこのごろわろきぞかし、盛りにならば、かたちも限りなくよく、髪もいみじく長くなりなむ、光の源氏の夕顔、宇治の大将の浮舟(うきふね)
の女君のやうにこそあらめと思ひける心、まづいとはかなく、あさまし。
【現代語訳】
源氏物語のことで頭がいっぱいで、私は今はまだ器量はよくないが、年ごろになったら容貌もこの上なく美しくなり、髪もすばらしく長く伸びるに違いなく、光源氏に愛された夕顔や、宇治の大将(薫)に愛された浮舟のようになるはずだわ、と思っていた心は、今思えば何ともむなしく、あきれ果てたものだった。
当時の『源氏物語』の女性の読者たちは、
菅原孝標女のように物語中に出てくる姫君に
憧れの気持ちを抱きながら読んでいたのでしょう。
現代の少女たちが、アニメやドラマを見て
登場人物に憧れるように
平安時代の少女たちは、『源氏物語』の
女君たちに憧れていたのです。
平安時代において、『源氏物語』の熱烈な読者が、
女性のほうが多かったのか、
男性のほうが多かったのかはわかりませんが、
『更級日記』を読んでわかるように
女性から共感され、憧れの対象となり、
大きな支持を得ていたことは間違いなさそうです。
以上、『源氏物語』の平安時代の評価について
解説しました。
『源氏物語』当時の読者層は?
『源氏物語』の当時(平安時代)の
読者は貴族・皇族です。
当初は上流貴族と皇族を読者としていましたが、
やがて地方の受領のような中流~下流貴族にも
『源氏物語』は伝わり、読まれるようになっていきました。
以降、中世(鎌倉時代~室町時代)においては
貴族や皇族などに加え、戦国武将や
連歌師、絵師などに読者層を広げていきます。
平安時代の庶民は『源氏物語』を読んでいたか?
上記で述べた通り、
平安時代当時の読者は貴族・皇族のみであり、
庶民は『源氏物語』を読んでいなかったと考えられます。
庶民と貴族の間には、
物理的・心理的・経済的な大きい壁があり
『源氏物語』の写本が渡ることはなかったでしょう。
平安時代の庶民の識字率については
資料が存在せず不明ですが、庶民の多くは
字が読めなかったと推測されますので、
仮に『源氏物語』を入手できても
庶民は読むことができなかったと思われます。
庶民が『源氏物語』を読むようになった時代
『源氏物語』は長らく庶民とは
無縁のものでしたが、江戸時代になると
版本による出版が始まり、『源氏物語』は
裕福な庶民にまで読者層を拡大しました。
江戸時代には
『風流源氏物語』(1703年)
『若草源氏物語』(1707年)
『紫文蜜の鴫』(1723年)
といった俗語訳(今でいう現代語訳)が
刊行され、『源氏物語』の普及に貢献しました。
明治時代末期~大正時代になると
与謝野晶子の現代語訳が
「初めて行われた源氏物語の現代語訳」
として出版され、
『源氏物語』はさらに庶民の間に広まっていきました。
明治期になると、『源氏物語』は海外で
翻訳されるようになり、読者層を外国人にまで広げていきました。
この記事では、『源氏物語』の平安時代当時の
評判と読者層について解説しました。
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