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撫子
このサイトの管理人
30代後半の主婦。
高校生の頃から源氏物語に興味を持ち始めました。大学では源氏物語を研究し、日本語日本文学科を首席卒業しました。
30代になり、源氏物語を改めて学びなおしています。
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源氏物語の和歌で有名なものを13首紹介!恋・花・月・春夏秋冬の和歌も分類しました。

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源氏物語の和歌で有名なものを紹介!恋・花・月・春夏秋冬の和歌も

源氏物語 初心者
『源氏物語』の和歌ってどれが有名なの?


この記事では、『源氏物語』の和歌の中で
有名なものを13首紹介しています。


筆者
『源氏物語』は全部で795首あります。非常に膨大な中から、13首に絞りました。


また、

  • 花を詠んだ和歌
  • 月を詠んだ和歌
  • 春夏秋冬を表す和歌

についても数首ずつ選んで紹介しています。

ぜひお気に入りの和歌を見つけてくださいね😊

目次

源氏物語の和歌 有名な13首

『源氏物語』の和歌全795首の中から、
有名なものを13首に厳選して紹介します。

空蝉の 身をかへてける 木のもとに なほ人がらの なつかしきかな

【現代語訳】
蝉が抜け殻となるように
衣を脱いで逃げていったあなたですが
やはり人柄が恋しく感じられます

巻名空蝉
種類贈歌
詠んだ人光源氏
受け取った人空蝉
空蝉の 身をかへてける 木のもとに なほ人がらの なつかしきかな

空蝉」という巻名の由来にもなっており
印象深い和歌です。

伊予介の後妻が読者から「空蝉」と
呼ばれるようになったのは、
この和歌、および巻名が由来となっています。

空蝉は、寝所に忍び寄ってきた光源氏に気づいて
衣を脱ぎ捨てて逃げ去った女性です。

筆者
この和歌では、脱ぎ捨てられた衣を、セミの抜け殻(空蝉)に喩えています。


空蝉の詳しい人物像は、以下の記事で解説しています。

心あてに それかとぞ見る 白露の 光そへたる 夕顔の花

【現代語訳】
当て推量にあなたではないかと思います
白露の光を添えて美しい夕顔の花は

巻名夕顔
種類贈歌
詠んだ人夕顔
受け取った人光源氏
心あてに それかとぞ見る 白露の 光そへたる 夕顔の花

病気になった乳母の見舞いのため
光源氏が五条を訪れたところ、
隣家から贈られた扇にこの和歌が書かれていました。

この和歌には様々な解釈があり、
相手は元恋人・頭中将だと勘違いして
詠んだという説もあります。

しかし、一般的には「白露の光そへたる」は
光源氏を暗示しており、
「美しいあなたは、光源氏様ではないですか?」
のような意味合いと言われています。

筆者
夕顔が、有名な貴公子・光源氏に宛てたラブレターです。



\夕顔の解説記事はこちら/

ちなみに、
この和歌に対して光源氏が詠んだ返歌は
大河ドラマ「光る君へ」の第1話で、
主人公のまひろが詠んでいます。

寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 花の夕顔

【現代語訳】
もっと近寄って
誰なのかはっきり見てはいかがでしょう
黄昏時にぼんやりと見えた花の夕顔を

手に摘みて いつしかも見む 紫の 根にかよひける 野辺の若草

【現代語訳】
手で摘んで早く見たいものだ
紫草に縁のある野辺の若草を

巻名若紫
種類独詠歌
詠んだ人光源氏
受け取った人なし
手に摘みて いつしかも見む 紫の 根にかよひける 野辺の若草

光源氏は、北山で見つけた
幼い女の子・若紫を気に入り、
自邸に引き取りたいと希望していました。

若紫は、光源氏の理想の女性・藤壺の宮の
なので、顔がよく似ていたのです。


\若紫(紫の上)の解説記事/

この和歌の「紫」とは「紫草」のこと
藤壺の宮の比喩表現です。
「根にかよふ」は若紫が藤壺の宮の
姪であることを言っています。
「若草」は若紫を指します。

藤壺の宮の血縁である若紫を
早く自邸に引き取って近くで見たい

という意味の和歌です。

筆者
若紫が、後に「紫の上」と呼ばれる由来となる重要な歌です。


この和歌は、
古今和歌集に載っている以下の和歌が
ベースになっていると言われています。

「紫の ひともとゆゑに 武蔵野の 草は見ながら あはれとぞ見る」
【現代語訳】
一本の紫草のために、
武蔵野の草はすべて愛しく思われるように、
愛するあなたに関係のあるものは
全て愛しく感じる。

源氏物語 初心者
古今和歌集の歌の「紫」(紫草)を藤壺に見立てて、藤壺に縁のあるもの(若紫)が愛しいという気持ちを詠んだわけだね!

なつかしき 色ともなしに 何にこの すゑつむ花を 袖に触れけむ

【現代語訳】
親しみを感じる花でもないのに
どうしてこの末摘花と結ばれてしまったのだろう

巻名末摘花
種類独詠歌
詠んだ人光源氏
受け取った人なし
なつかしき 色ともなしに 何にこの すゑつむ花を 袖に触れけむ

光源氏は故常陸宮の一人娘である
女性(末摘花)と男女の関係を結びますが、
ある朝、その醜い容姿をハッキリと見てしまい
後悔の念に襲われます。


\末摘花の解説記事/

この和歌は、その年の歳末に
末摘花から趣味の悪い衣装が届いた時に
光源氏がつい本音を漏らしてしまった独泳歌です。

「すゑつむ花」は紅花のことを指します。
「花」に「鼻」をかけて、鼻の赤い姫君である
故常陸宮の娘を指しています。

この和歌が由来となり、
故常陸宮の娘は末摘花と呼ばれるようになりました。
巻名の由来ともなっています。

袖濡るる 露のゆかりと 思ふにも なほ疎まれぬ 大和撫子

【現代語訳】
袖を濡らしている方(源氏)の子と思うにつけても
やはり疎ましく感じられる大和撫子です
(疎ましいとは思えない大和撫子です)

巻名紅葉賀
種類返歌
詠んだ人藤壺の宮
受け取った人光源氏
袖濡るる 露のゆかりと 思ふにも なほ疎まれぬ 大和撫子

藤壺の宮は光源氏との密通の末に、
男の子を出産します。


しかし、その子は表向きには
桐壺帝と藤壺の宮との皇子ということに
なっているのです。


筆者
この和歌は、男皇子の誕生後に、藤壺が詠んだ和歌です。


「疎まれぬ」の「ぬ」を完了の助動詞ととるか
打消の助動詞ととるかで意味が違います。

完了の「ぬ」疎ましく感じられる大和撫子
打消しの「ぬ」疎ましいとは思えない大和撫子

この子が光源氏との
不倫の子どもだと思うと、
疎ましく思ってしまうけれども、
やはり愛おしい我が子だ。

というような藤壺の宮の
複雑な心境を表しているのでしょう。
「大和撫子」は生まれた皇子のことを指します。

嘆きわび 空に乱るる わが魂を 結びとどめよ したがへのつま

【現代語訳】
悲しみに耐えられず宙に抜け出した私の魂を
結び留めてください、着物の下前の褄(つま)を結んで

巻名
種類贈歌
詠んだ人六条御息所の生霊
受け取った人光源氏
嘆きわび 空に乱るる わが魂を 結びとどめよ したがへのつま

六条御息所の生霊が、
葵の上の口を借りて光源氏に詠んだ歌です。

六条御息所は「車争い」という
トラブルをきっかけに、
光源氏の正妻・葵の上に強い恨みを
抱くようになりました。

\六条御息所の解説記事/

嫉妬と恨みに燃えた六条御息所の魂は
体から抜け出て生霊となり、
産気づき苦しむ葵の上にとりついたのです。

葵の上の体を心配する光源氏に、
生霊となった六条御息所が不気味に語り掛け、
この和歌を詠みました。

筆者
生霊となった六条御息所の悲しみや源氏への愛執を表しており、深く印象に残る歌ですね。


源氏物語 初心者
生霊が詠んでるっていう意味で、異質な和歌だね。


ちなみに、「褄(つま)」とは着物の裾の端のことを指します。

橘の 香をなつかしみ ほととぎす 花散る里を たづねてぞとふ

【現代語訳】
橘の香りを懐かしく思って
ほととぎすが花の散ったこのお邸にやって参りました

巻名花散里
種類贈歌
詠んだ人光源氏
受け取った人麗景殿女御
橘の 香をなつかしみ ほととぎす 花散る里を たづねてぞとふ

光源氏は、恋人の一人である花散里の
邸をひさびさに訪れます。

\花散里の解説記事/

この和歌は、花散里の姉・麗景殿女御に
贈った挨拶の和歌です。

邸の庭では、橘の花がやさしく匂い、
ほととぎすが鳴いていました。

「花散る里」という言葉をきっかけとして、
後に麗景殿女御の妹は、
「花散里」と呼ばれるようになったのです。
巻名の由来にもなっています。

この和歌は、以下2首の古歌を踏まえています。

五月待つ 花橘の香をかげば 昔の人の袖の香ぞする
(古今和歌集 夏、一三九、読人知らず)
橘の 花散里の 郭公 片恋しつつ 鳴く日しぞ多き
(万葉集八、一四七七、大伴旅人)

橘の香=懐かしい人の袖の香

という古今和歌集を踏まえた発想は、
平安貴族の間での常識だったのか
『源氏物語』の和歌で3例も使われています。

二本の 杉のたちどを 尋ねずは 古川野辺に 君を見ましや

【現代語訳】
二本の杉の立っているこの長谷寺に参詣しなかったら
古い川の近くで姫君に再会できたでしょうか

巻名玉鬘
種類贈歌
詠んだ人右近
受け取った人玉鬘
二本の 杉のたちどを 尋ねずは 古川野辺に 君を見ましや

玉鬘は夕顔と頭中将の娘ですが、
母・夕顔が亡くなってからは
乳母と一緒に筑紫に住んでいました。

上京した玉鬘は、長谷寺の近くにある椿市で、
昔、夕顔の女房を務めていた右近と再会します。

この歌は、長谷寺の僧坊で
右近が玉鬘に詠んだ和歌です。

長谷寺には現在でも二本の杉が立っており、
この和歌が立て札で紹介されています。

長谷寺の二本の杉は、
『源氏物語』の世界と現代とをつなげる
不思議な空間となっています。

唐衣 また唐衣 唐衣 かへすがへすも 唐衣なる

【現代語訳】
唐衣、また唐衣、唐衣
あなたはいつもいつも唐衣とおっしゃいますね

巻名行幸
種類返歌
詠んだ人光源氏
受け取った人末摘花
唐衣 また唐衣 唐衣 かへすがへすも 唐衣なる

「唐衣」は「着る」などの枕詞であり、
和歌に「唐衣」を詠みこむことが多い
末摘花を批判する内容となっています。

「唐衣」は紫式部が生きた時代より
少し前の時代
(古今和歌集や後撰集が編纂された時代)
に流行った言葉であり、
この頃にはもう古臭い印象となっていました。

筆者
「唐衣」という言葉が4つも使われていて、現代人にも意味がわかりやすいですね。ユーモアたっぷりの歌で末摘花をからかいました。


源氏物語 初心者
平安時代の和歌なのに、現代語訳なしでも何となく意味がわかるって、なんか嬉しい。

おくと見る ほどぞはかなき ともすれば 風に乱るる 萩のうは露

【現代語訳】
起きていると見えるのも少しの時間であり
ややもすれば風に吹き乱れる萩の上露のような
はかない私の命です

巻名御法
種類唱和歌
詠んだ人紫の上
受け取った人光源氏・明石中宮
おくと見る ほどぞはかなき ともすれば 風に乱るる 萩のうは露

秋の日の夕暮れに、
二条院の庭を眺めながら
紫の上、光源氏、明石中宮の3人は
和歌を詠み合いました。

翌朝、紫の上は息をひきとったのです。

『源氏物語』で最も有名な女君・紫の上が
人生の最期に詠んだ辞世の和歌です。

もの思ふと 過ぐる月日も 知らぬまに 年もわが世も 今日や尽きぬる

【現代語訳】
物思いしながら過ごし月日がたつのも知らない間に
今年も私の寿命も今日が最後になったか

巻名
種類独泳歌
詠んだ人光源氏
受け取った人なし
もの思ふと 過ぐる月日も 知らぬまに 年もわが世も 今日や尽きぬる

最愛の妻・紫の上を亡くした光源氏は、
追悼の日々を送りますが、
一周忌が過ぎて冬が訪れた頃に
出家の準備を始めます。

この和歌は、光源氏が最後に詠んだ辞世の和歌です。
「幻」の巻の次は「雲隠」という本文のない巻が存在し、
光源氏の死を暗示しています。

橘の 小島の色は 変はらじを この浮舟ぞ 行方知られぬ

【現代語訳】
橘の小島の色は変わらなくても
この浮舟のような私はどこへ流れて行くのでしょう

巻名浮舟
種類返歌
詠んだ人浮舟
受け取った人匂宮
橘の 小島の色は 変はらじを この浮舟ぞ 行方知られぬ

浮舟は、薫と匂宮という
2人の貴公子から愛され、
板挟みの状態となっていました。

筆者
浮舟の気持ちは、情熱的な匂宮に傾いていきます。


この和歌は、
匂宮が浮舟を小舟に乗せて
宇治川対岸の別荘に連れて行く時に詠んだものです。

匂宮が
「私の気持ちは変わらないと橘の小島の崎で約束します」
という意味の和歌を詠んだのに対し、浮舟は
自分の将来に強い不安を感じています。

巻名「浮舟」の由来ともなっており、
この女君が「浮舟」と呼ばれるようになった
由来にもなっています。

鐘の音の 絶ゆる響きに 音を添へて わが世尽きぬと 君に伝へよ

【現代語訳】
鐘の音が絶えていく響きに、泣き声を添えて
私の命は終わったと母に伝えてください

巻名浮舟
種類独詠歌
詠んだ人浮舟
受け取った人なし
鐘の音の 絶ゆる響きに 音を添へて わが世尽きぬと 君に伝へよ

浮舟は薫と匂宮との三角関係に悩み、
ついに宇治川に身を投げることを決意します。

この和歌は、浮舟が
辞世の和歌のつもりで詠んだものです。


筆者
川に飛び込んだ浮舟は、横川の僧都に助けられ、これ以降も生き続けます。


この和歌は、
「宇治源氏物語ミュージアム」で上映している
映画「浮舟」のラストにも用いられています。

浮舟の強い決意が伝わってくる
寂寥感ただよう印象深い和歌です。

源氏物語 恋の和歌

源氏物語 初心者
『源氏物語』の恋の和歌を教えて!


『源氏物語』は恋を主題にしたストーリーのため、
恋の和歌がたくさん詠まれています。

ここでは、厳選して6首紹介しますね。

いにしへも かくやは人の 惑ひけむ 我がまだ知らぬ しののめの道

【現代語訳】
昔の人もこのように恋の道に迷いこんだだろうか
私が今まで経験したことのない明け方の道だ

巻名夕顔
種類贈歌
詠んだ人光源氏
受け取った人夕顔
いにしへも かくやは人の 惑ひけむ 我がまだ知らぬ しののめの道

光源氏は、はかなく可愛らしい
夕顔にぞっこんとなってしまいます。

8月16日の未明、「なにがしの院」という
荒れ果てた邸に夕顔を連れて行き、
2人で和歌を詠み合い、愛を語り合いました。

もの思ふに 立ち舞ふべくも あらぬ身の 袖うち振りし 心知りきや

【現代語訳】
つらい気持ちのまま立派に舞うことなどはできそうもない私が
袖を振って舞った気持ちを分かっていただけましたか

巻名紅葉賀
種類贈歌
詠んだ人光源氏
受け取った人藤壺の宮
もの思ふに 立ち舞ふべくも あらぬ身の 袖うち振りし 心知りきや

光源氏は、藤壺の宮の御前で青海波を舞いました。

この頃、藤壺の宮は光源氏との密通の末に
懐妊しており(表向きには帝の子としてある)
2人は罪の気持ちを背負っていたのです。

愛する人は、父帝の后。
光源氏は辛い恋心を秘めて舞いを披露しました。

この和歌は、光源氏が舞いの翌日に、
藤壺の宮に贈ったものです。

「袖うち振り」は袖を振って舞う意と
袖を振って相手の魂を招くという古代信仰
に基づく愛情表現をかけています。

梓弓 いるさの山に 惑ふかな ほの見し月の 影や見ゆると

【現代語訳】
月が沈むいるさの山の周辺で迷っています
ほのかに見た月をまた見ることができるかと

巻名花宴
種類贈歌
詠んだ人光源氏
受け取った人朧月夜
梓弓 いるさの山に 惑ふかな ほの見し月の 影や見ゆると

光源氏と朧月夜は、
桜花の宴の夜に出会い、恋に落ちます。

一か月後、光源氏は右大臣家の
藤の宴に呼ばれて
朧月夜と再会したのです。

御簾の向こう側で溜め息をついている朧月夜に
光源氏はこの和歌を詠みかけました。
返歌をする声は、朧月夜その人であり、
光源氏は恋人との再会を喜びました。

「ほの見し月」は朧月夜の喩えとなっています。
この日は、「弓の結(競射)」があったため、
「弓」を詠みこんでいます。

日影にも しるかりけめや 少女子が 天の羽袖に かけし心は

【現代語訳】
日の光に照らされてはっきりおわかりになったでしょう
あなたが天の羽衣を着て舞う姿に恋をした私のことが

巻名少女
種類贈歌
詠んだ人夕霧
受け取った人五節舞姫(藤典侍)
日影にも しるかりけめや 少女子が 天の羽袖に かけし心は

光源氏の息子・夕顔は、
惟光の娘(五節舞姫)の美貌を見て
恋に落ちてしまいます。

しかし、舞姫は女房たちが
警戒していてそばから離れず
近づけません。
夕霧は、五節舞姫の弟に文を託し、
この和歌を相手に贈りました。

思ふとも 君は知らじな わきかへり 岩漏る水に 色し見えねば

【現代語訳】
こんなに恋い慕っていてもあなたはご存知ないのでしょうね
岩間から湧き上がる水には色がありませんから

巻名胡蝶
種類贈歌
詠んだ人柏木
受け取った人玉鬘
思ふとも 君は知らじな わきかへり 岩漏る水に 色し見えねば

光源氏の養女となった玉鬘には、
多くの求婚者から文が届きます。
頭中将の息子・柏木もその一人でした。

柏木は本当は玉鬘とは異母姉弟なのですが、
この時はまだ真実を知らず、
血縁関係ではないと思っているので
情熱的な恋の和歌で求婚しています。

よそに見て 折らぬ嘆きは しげれども なごり恋しき 花の夕かげ

【現代語訳】
遠くから見るばかりで
手折ることのできない悲しみは深いですが
あの日の夕方に見た花の美しさは今でも恋しく思われます

巻名若菜上
種類贈歌
詠んだ人柏木
受け取った人女三の宮
よそに見て 折らぬ嘆きは しげれども なごり恋しき 花の夕かげ

柏木は、光源氏の正妻として降嫁した
女三の宮の姿を偶然見てしまい、
深い恋の沼に落ちてしまいます。

柏木は抑えきれない恋心を和歌にこめて
文を女房に託して女三の宮に贈りました。


源氏物語 初心者
玉鬘のときもそうだったけど、柏木は情熱的な恋の和歌を作るのが得意だね。


ちなみに「花を折る」という表現は、
男女の関係になることを意味しています。

源氏物語 花の和歌

『源氏物語』には花を詠みこんだ和歌が
たくさん登場します。

花は人物の比喩表現となっていることが多く、
たとえば以下のように用いられています。

スクロールできます
撫子幼い子供
夕顔光源氏もしくは夕顔
まだ見ぬ花の顔光源氏
花の色若紫
山桜若紫
末摘花紅鼻⇒鼻の赤い末摘花
花の姿美しい源氏の姿
春の都の花東宮が即位する未来
朝顔女の寝起きの顔、中将の君、宇治の大君、中君
花の蔭帝の御代
花のねぐら六条院春の御殿
女郎花玉鬘
藤袴喪服・紫のゆかり
花の枝後宮の妃たち

全体的に花は、女性の比喩となることが
多いですが、光源氏や天皇を表す表現にも用いられています。

特に「撫子」は必ず「幼い子供」の
比喩表現となっています。

また、「花を折る」という表現は
男女の関係になることを暗示する慣用句です。

筆者
花そのものを詠むというより、対人関係における気持ちを、花にたくして詠まれる傾向があります。


実際の和歌をいくつか紹介します。

優曇華の 花待ち得たる 心地して 深山桜に 目こそ移らね

【現代語訳】
三千年に一度咲くという優曇華の花が咲く瞬間に
立ち会ったような気がして深山桜には目も移りません

巻名若紫
種類唱和歌
詠んだ人僧都
受け取った人光源氏、聖
優曇華の 花待ち得たる 心地して 深山桜に 目こそ移らね

光源氏は、山桜ではなく
三千年に一度しか咲かない優曇華の花のように
珍しく美しいです
という意味の挨拶の和歌です。

北山から京へ帰る光源氏に対して、
北山の僧都が別れの言葉として贈りました。

面影は 身をも離れず 山桜 心の限り とめて来しかど

【現代語訳】
山桜のように美しいあなたの面影が私の身から離れません
心のすべてをそちらに留め置いて来たのです

巻名若紫
種類贈歌
詠んだ人光源氏
受け取った人若紫
面影は 身をも離れず 山桜 心の限り とめて来しかど

京に戻った光源氏から
北山の若紫にあてた恋の和歌です。

紫の上は大人になってからも桜(樺桜)
に喩えられています。

それもがと 今朝開けたる 初花に 劣らぬ君が 匂ひをぞ見る

【現代語訳】
それが見たいと思っていた今朝咲いた花に
負けないくらいのお美しさの我が君を見ています

巻名賢木
種類贈歌
詠んだ人三位中将(頭中将)
受け取った人光源氏
それもがと 今朝開けたる 初花に 劣らぬ君が 匂ひをぞ見る

ある夏の日の朝、
階段の下で薔薇が咲きかけていました。

三位中将(頭中将)は、
光源氏の美しさは薔薇にも劣らない
称賛したのです。

人目なく 荒れたる宿は 橘の 花こそ軒の つまとなりけれ

【現代語訳】
訪ねる人もおらず荒れてしまった邸には
軒端に咲く橘だけがあなたをお誘いするきっかけになったのでした

巻名花散里
種類返歌
詠んだ人麗景殿女御
受け取った人光源氏
人目なく 荒れたる宿は 橘の 花こそ軒の つまとなりけれ

久々に恋人・花散里の邸を訪れた光源氏は、
花散里の姉・麗景殿女御と和歌を贈答します。

桐壺院が亡くなり、
院の妃であった麗景殿女御の邸は
訪れる人もおらず寂しい日々を送っていたのです。

「つま」は「端」の意と「きっかけ」の意をかけています。

見し折の つゆ忘られぬ 朝顔の 花の盛りは 過ぎやしぬらむ

【現代語訳】
昔拝見したあなたの姿がどうしても忘れられません
朝顔の花のようなあなたの容姿は
盛りを過ぎてしまいましたか

巻名朝顔
種類贈歌
詠んだ人光源氏
受け取った人朝顔の君
見し折の つゆ忘られぬ 朝顔の 花の盛りは 過ぎやしぬらむ

若い頃から、光源氏は朝顔の姫君に
アプローチをしていましたが、
姫はかたくなに光源氏になびきませんでした。

32歳の秋、光源氏は
斎院を辞した朝顔に再度、
熱をあげますが、良い返事はもらえません。


筆者
この和歌は、なびかない朝顔の姫君への悔しい気持ちをこめたものです。


「見し」はかつて逢ったことがあるという意味です。
実際は、光源氏と朝顔は逢瀬を遂げたことは
ありませんが、「かつて見た容貌が衰えたのでは?」
とからかって相手の反応を待っているのです。

「つゆ」は「露」と
「つゆ」(副詞:少しも)の掛詞。
「朝顔」は朝に咲く花であることから、
女の寝起きの顔を暗示しています。

吹き乱る 風のけしきに 女郎花 しをれしぬべき 心地こそすれ

【現代語訳】
吹き乱れる風のせいで女郎花は
しおれてしまいそうな気持ちがいたします

巻名野分
種類贈歌
詠んだ人玉鬘
受け取った人光源氏
吹き乱る 風のけしきに 女郎花 しをれしぬべき 心地こそすれ

野分(台風)が襲来した翌朝、
光源氏は玉鬘の住む部屋を様子を見に訪れます。

玉鬘は、野分の風が吹き乱れる様子に
光源氏の自分への愛着を重ね合わせて、

「女郎花(私)はしおれてしまいそうだわ」
とこの和歌を詠みました。

「女郎花」は秋の七草として知られている植物で
玉鬘自身の比喩として使われています。

今朝の間の 色にや賞でむ 置く露の 消えぬにかかる 花と見る見る

【現代語訳】
今朝の朝顔の美しさを愛でようか
置いた露が消えずに残っている
わずかの間のみ咲く花と思いながら

巻名宿木
種類独詠歌
詠んだ人
受け取った人なし
今朝の間の 色にや賞でむ 置く露の 消えぬにかかる 花と見る見る

薫は、宇治姉妹の大君に恋をしていましたが、
大君は病気で亡くなってしまいます。

筆者
この和歌は、大君を追慕する薫が詠みました。


朝顔は一度咲いたら
一日で閉じてしおれてしまいます。

はかない露より、
よりいっそうはかない朝顔の開花時間に
若くして亡くなった大君を重ねています。

源氏物語 月の和歌

『源氏物語』では、花と同様に
月も好んで和歌のテーマとして用いられています。

月そのものが歌に詠まれることもありますが、
花と同様に人物の比喩表現と
なっていることが多いです。

「月」が喩えられている人物:
夕顔、光源氏、朧月夜、宮中、藤壺の宮、故桐壺院、冷泉院、薫、浮舟 など

山の端の 心も知らで 行く月は うはの空にて 影や絶えなむ

【現代語訳】
山の端の心も知らないで付き従っていく月は
光が消えてしまうのではないでしょうか

巻名夕顔
種類返歌
詠んだ人夕顔
受け取った人光源氏
山の端の 心も知らで 行く月は うはの空にて 影や絶えなむ

荒れ果てた「なにがしの院」に
連れてこられた夕顔が、
光源氏についていく自分の身の上が
今度どうなっているか不安に思って詠んだ和歌です。

「山の端の心」は光源氏、
「月」は夕顔
を喩えています。

晴れぬ夜の 月待つ里を 思ひやれ 同じ心に 眺めせずとも

【現代語訳】
雲の晴れない夜の月を
待っている私を思いやってください
あなたが私と同じ気持ちで眺めているのでなくとも

巻名末摘花
種類返歌
詠んだ人末摘花(侍従代作)
受け取った人光源氏
晴れぬ夜の 月待つ里を 思ひやれ 同じ心に 眺めせずとも

光源氏と末摘花は暗闇の中で逢瀬を遂げ、
翌日光源氏からは後朝の文が届きました。

この和歌は末摘花が
返歌を詠もうとしないため、
女房である侍従が代作したものです。

「月」は源氏を、
「里」は末摘花を喩えています。

「曇った夜に、あなたを待っている私を思いやってください」

というような意味の歌です。

「ながめ」は
「眺め」と「長雨」の掛詞です。

世に知らぬ 心地こそすれ 有明の 月のゆくへを 空にまがへて

【現代語訳】
これまで経験したことのない気持ちだ
有明の月の行方を見失ってしまって

巻名花宴
種類独詠歌
詠んだ人光源氏
受け取った人なし
世に知らぬ 心地こそすれ 有明の 月のゆくへを 空にまがへて

桜花の宴で男女の契りを交わした
光源氏と朧月夜。

光源氏は、朧月夜が右大臣家の
何番目の娘であるか確かめたいと望み、
この和歌をつぶやきました。

「有明の月」は朧月夜を指します。

月のすむ 雲居をかけて 慕ふとも この世の闇に なほや惑はむ

【現代語訳】
月のように心のすんだ
出家後の有様をお慕い申しあげても
なおも子どもを思うこの世の苦しみに
迷い続けるのだろうか

巻名賢木
種類贈歌
詠んだ人光源氏
受け取った人藤壺の宮
月のすむ 雲居をかけて 慕ふとも この世の闇に なほや惑はむ

桐壺院が崩御した後、
藤壺の宮は光源氏からの愛執を
うち払うために出家をします。

光源氏は、
藤壺の宮の出家にショックを受け、
悲しみの中でこの和歌を詠みました。


「月のすむ雲居」は藤壺の宮の比喩表現であり、
「すむ」には「住む」と「澄む」を
かけて清らかな出家の境地を表現しています。

「あなたの後を追って
私も出家したいけれど、
2人の間の子(東宮)を思う煩悩ゆえに
出家できません」


という意味の歌です。

あはと見る 淡路の島の あはれさへ 残るくまなく 澄める夜の月

【現代語訳】
ああと、しみじみ眺める淡路島の情趣まで
すっかり照らしだす今夜の月であることよ

巻名明石
種類独詠歌
詠んだ人光源氏
受け取った人なし
あはと見る 淡路の島の あはれさへ 残るくまなく 澄める夜の月

この和歌は、
光源氏が明石に流浪中に詠みました。

旅愁を詠んだ歌であり、
月は人物の比喩になっておらず、
月そのものとして詠まれています。


明石の浦から眺める
月に照らされた淡路島の光景が
目に浮かぶようですね。

おくれじと 空ゆく月を 慕ふかな つひに住むべき この世ならねば

【現代語訳】
大君に後れまいと、空を流れていく月が恋しい
いつまでも住んでいられないこの世なので

巻名総角
種類独詠歌
詠んだ人
受け取った人なし
おくれじと 空ゆく月を 慕ふかな つひに住むべき この世ならねば

宇治の大君が亡くなり、
七日ごとの法事も終わった後、
薫は雪の降る日に大君を追慕し、
この和歌を詠みました。

冷たい夜空を流れていく月が
亡くなった大君を追いかけていくと見立てて、
自分もあの月と同じように
大君の後を追いたいと願います。

「澄む」に「住む」は掛詞となっています。

源氏物語 春夏秋冬の和歌

『源氏物語』は四季の描写が
細やかに描かれているのが特徴的です。

和歌には「季語」を入れる必要はないので
『源氏物語』の和歌も季節感のない歌は存在しますが、
桜や紅葉など季節を表現する言葉を
盛りこんだ和歌も数多く詠まれています。


ここでは、春夏秋冬
それぞれを感じさせる和歌を
3首ずつピックアップしてみました。

春の和歌

春の和歌は「春」という言葉そのものが
使われているケースの他、
「桜」「梅」「藤」「山吹」などの花の名前が
詠みこまれている歌が見られます。

春の日の うららにさして ゆく舟は 棹のしづくも 花ぞ散りける

【現代語訳】
春の日のうららかな光の中を漕いで行く舟は
棹から落ちるしずくも花となって散ります

巻名胡蝶
種類唱和歌
詠んだ人女房
受け取った人他の女房
の日の うららにさして ゆく舟は 棹のしづくも 花ぞ散りける

六条院 春の町の船楽にて
女房の一人が詠んだ叙景歌。

3月20日頃、
春の町の庭では、桜、藤、山吹など
多くの花が咲き、小鳥がさえずり、
青々とした苔も非常に風情がありました。

光源氏は池に船を浮かべ、
女房たちを乗せて楽しませたのです。

「さし」は「日が射し」と
「棹をさし」の掛詞となっています。

わが宿は 花もてはやす 人もなし 何にか春の たづね来つらむ

【現代語訳】
私の家には花を喜ぶ人もいませんのに
どうして春が訪ねて来たのでしょうか

巻名
種類贈歌
詠んだ人光源氏
受け取った人蛍兵部卿宮
わが宿は 花もてはやす 人もなし 何にかの たづね来つらむ

紫の上のいない春を迎えた光源氏が、
新年の挨拶に訪問した蛍兵部卿宮に
対して詠んだ和歌。

「花もてはやす人」は紫の上のことを指します。

筆者
「花」は梅の花のこと。紫の上は梅の花を愛していました。


「春」は兵部卿宮の喩えになっています。

つてに見し 宿の桜を この春は 霞隔てず 折りてかざさむ

【現代語訳】
あの時は事のついでに眺めたあなたの家の桜を
今年の春は霞を隔てず手で折ってかざしたいものです

巻名椎本
種類贈歌
詠んだ人匂宮
受け取った人中君
つてに見し 宿のを このは 隔てず 折りてかざさむ

匂宮が中君に贈ったラブレター。

「花を折る」という表現は
男女の関係になることを意味しています。

心のままに詠んだ積極的な歌を受け取り、
中君は驚きました。

夏の和歌

夏の和歌は、「蛍」「菖蒲」「橘」などが
詠みこまれる傾向があります。

時ならで 今朝咲く花は 夏の雨に しをれにけらし 匂ふほどなく

【現代語訳】
時季に合わず今朝咲いた花は夏の雨に
しおれてしまったらしい、美しさを見せる間もなく

巻名賢木
種類贈歌
詠んだ人光源氏
受け取った人三位中将(頭中将)
時ならで 今朝咲く花は の雨に しをれにけらし 匂ふほどなく

この和歌で言う花は「薔薇」です。
頭中将が贈歌で光源氏の容姿の美しさを
薔薇に喩えたのに対し、

源氏は

「薔薇は夏の雨でしおれてしまったよ」

と戯れて返しています。

今日さへや 引く人もなき 水隠れに 生ふる菖蒲の 根のみ泣かれむ

【現代語訳】
今日でさえ引く人もない水中に
隠れて生えている菖蒲の根のように
あなたに相手にされない私は
声を上げて泣くだけでしょうか

巻名
種類贈歌
詠んだ人蛍兵部卿宮
受け取った人玉鬘
今日さへや 引く人もなき 水隠れに 生ふる菖蒲の 根のみ泣かれむ

五月五日の端午の節句に、
蛍兵部卿宮は玉鬘に恋文を贈りました。

筆者
端午の節句にちなんで菖蒲を詠みこんでいます。

平安時代、端午の節句には、
根合わせといって菖蒲の根の長さを
競う遊びが催されていました。

「根」と「音」、「流れ」と「泣かれ」は掛詞となっています。

つれづれと わが泣き暮らす 夏の日を かことがましき 虫の声かな

【現代語訳】
することもなく泣き暮らしている夏の日に
私のせいで蜩(ひぐらし)も泣いているのだろうか

巻名
種類独詠歌
詠んだ人光源氏
受け取った人なし
つれづれと わが泣き暮らす の日を かことがましき 虫の声かな

紫の上が亡くなって、半年以上がたち
翌年の夏になっても、
光源氏はただ最愛の妻の死を悲しむ日々を
送っていました。

蜩が鳴いているのを聞くにつけても、
自分がこんなに泣いているせいで、
蜩もよく鳴くのだろうかと思い、
この独詠歌をつぶやきます。

秋の和歌

秋の和歌は、「秋」という言葉そのものの他、
「鈴虫」「松虫」といった虫の声、
「女郎花」「藤袴」「萩」「荻」「菊」「紅葉」などの植物、
「鹿の鳴く音」などが詠みこまれています。

おほかたの 秋の別れも 悲しきに 鳴く音な添へそ 野辺の松虫


【現代語訳】
ただでさえ秋の別れは悲しいものなのに
さらに鳴いて悲しませないで野辺の松虫よ

巻名賢木
種類返歌
詠んだ人六条御息所
受け取った人光源氏
おほかたの の別れも 悲しきに 鳴く音な添へそ 野辺の松虫

六条御息所は、斎宮となった娘について
伊勢に下向することを決意しました。

光源氏は潔斎所である野の宮を訪問し、
六条御息所との別れを惜しみます。


秋の風が冷たく吹き、
松虫が鳴いて風情がある中、
2人は和歌を詠み交わしました。

松虫は人を「待つ」
恋の情緒の漂う秋の虫であり
光源氏への愛執を断ちがたい六条御息所の
心理状態を表しています。

心から 春まつ園は わが宿の 紅葉を風の つてにだに見よ

【現代語訳】
あなた様の大好きな春をお待ちのお庭では、
せめて私の庭の
紅葉を風のたよりにでも御覧ください

巻名少女
種類贈歌
詠んだ人秋好中宮
受け取った人紫の上
心から 春まつ園は わが宿の 紅葉を風の つてにだに見よ

春を好む紫の上に対して、
秋好中宮は秋が好きでした。

秋好中宮は、
紅葉や秋の花を詰めた箱と一緒に
秋の素晴らしさを詠んだ
この和歌を紫の上に贈りました。

もろともに おきゐし菊の 白露も 一人袂に かかる秋かな

【現代語訳】
一緒に起きて置いた菊のきせ綿の朝露も
今年の秋は私ひとりの袂にかかることだ

巻名
種類独詠歌
詠んだ人光源氏
受け取った人なし
もろともに おきゐしの 白露も 一人袂に かかるかな

紫の上が亡くなって1年、
また秋がやってきました。

光源氏は、紫の上が生きていた頃の
思い出を和歌としてつぶやき、
感傷にひたったのです。

平安時代には9月8日に
菊の花を真綿でおおって香を移し、
翌日の朝に露に湿った真綿を顔にあてて、
健康を保とうとする風習があったのです。

「置き」と「起き」は掛詞です。

冬の和歌

冬の和歌は、「冬の夜」という言葉を詠みこんだ
歌が2例見られる他、
氷や雪などが詠まれています。

朝日さす 軒の垂氷は 解けながら などかつららの 結ぼほるらむ

【現代語訳】
朝日がさしている軒のつららは解けたのにに
どうしてあなたの心の氷は固まったままなのでしょう

巻名末摘花
種類贈歌
詠んだ人光源氏
受け取った人末摘花
朝日さす 軒の垂氷は 解けながら などかつららの 結ぼほるらむ

初めて光源氏が末摘花の容貌を見た
冬の朝に詠んだ和歌です。

つららが解ける様子を、
心が打ちとける様子にたとえています。

氷閉ぢ 石間の水は 行きなやみ 空澄む月の 影ぞ流るる

【現代語訳】
氷に閉じこめられた石間の遣水は流れが滞っているが
空に澄む月の光は滞りなく西へ流れて行く

巻名朝顔
種類独詠歌
詠んだ人紫の上
受け取った人なし
閉ぢ 石間の水は 行きなやみ 空澄む月の 影ぞ流るる

冬の庭を眺めての叙景歌ですが、
紫の上自身を石間の水、
源氏を月影に喩えて、
源氏の浮気心に悩む気持を表現している
という説もあります。

「行き」「生き」、「澄む」「住む」、
「流るる」「泣かるる」、「空」「嘘」が
掛詞になっていると解すると、

「私は閉じこめられて、
どう生きていけばよいのか悩んでいます。
嘘ばかりつくあなたのお顔を見ると
涙が流れます」


という解釈もできます。

春までの 命も知らず 雪のうちに 色づく梅を 今日かざしてむ

【現代語訳】
春まで命があるかどうか分からないから
雪の中に色づいた紅梅を今日は頭に飾ろう

巻名
種類贈歌
詠んだ人光源氏
受け取った人導師
春までの 命も知らず のうちに 色づく梅を 今日かざしてむ

紫の上が亡くなった翌年の冬、
光源氏は出家の準備を始めていました。

雪がたくさん降り、
梅の花がわずかにほころび始めているのを
見て、光源氏はこの和歌を詠んだのです。


最愛の妻・紫の上を失い、
自らの人生の終焉を意識し出した
無気力な光源氏の心境が表現されています。

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