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撫子
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30代後半の主婦。
高校生の頃から源氏物語に興味を持ち始めました。大学では源氏物語を研究し、日本語日本文学科を首席卒業しました。
30代になり、源氏物語を改めて学びなおしています。
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【源氏物語・補作】雲隠六帖のあらすじ・内容を紹介!

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【源氏物語・補作】雲隠六帖のあらすじ・内容を紹介!

源氏物語 初心者
『源氏物語』の「雲隠」の巻ってどんな内容だったの?


『源氏物語』の「雲隠」は現在では
本文が残されておらず
巻名だけしか伝わっていません。

しかし、室町時代に書かれたと思われる
『雲隠六帖』という『源氏物語』の補作
(模倣小説・擬古物語)が現存しています。

この『雲隠六帖』には、
光源氏の死や浮舟の還俗、匂宮の即位
といった『源氏物語』の本文には書かれていない
後日談がおさめられているのです。

筆者
室町時代に生きた人物が書いた「源氏物語の続き」です。

この記事の内容

・「雲隠」の巻が存在しない理由
・補作『雲隠六帖』のあらすじ

目次

源氏物語の雲隠の巻は存在しない

「雲隠」は、
光源氏の死が暗示されている巻であり、
内容の存在しない、タイトルだけの巻です。


「雲隠」の内容は、
最初から存在しなかったという説と、
最初は内容が存在したが、途中で散逸した
という説とがあります。

「途中で散逸した」説について

『源氏物語』は
平安時代の原本が存在しない上に、
当時の読者の反応も多くは残されていません。
紫式部が『源氏物語』を執筆した当時に
「雲隠」巻がどうなっていたかは、正確なところは分かりません。

ただ、平安時代末期以降になると、
光源氏の死を語った「雲隠」という
巻の存在が話題に上るようになりました。

「雲隠」巻についての伝承が残されている

南北朝時代に書かれた
『源氏物語』の注釈書『原中最秘抄』には、
光源氏の死を語る雲隠の巻を読んだ人が
みな出家を願うようになったので、
時の帝がそれを危険視して、
「雲隠」の巻を焼いてしまったという伝承

記載されています。

『源氏物語』は全60巻だった!?

「雲隠」実在説を裏付けるように、
『源氏物語』は平安時代当時には54巻ではなく
60巻であったという説も存在します。


根拠となる資料は南北朝時代から遡り
院政期(平安末期)に書かれた
歴史物語『今鏡』です。
『今鏡』に「六十帖などまで作り給へること」
という文言が見られるのです。

現在の巻数54より、
平安時代の『源氏物語』は
6巻多かった可能性があります。
この中に「雲隠」も含まれていた
可能性があります。

源氏物語 初心者
「雲隠」の巻にかつて内容が存在した説には、ちゃんと根拠があるんだね!


筆者
しかし、「雲隠」巻の中身あったという確実な証拠は今にいたるまで発見されていません。

『源氏物語』補作の成立

室町時代になってから、『雲隠六帖』と称される
『源氏物語』の補作が書かれました。

この頃には「雲隠」の巻は
完全に失われていたため
(もしくは最初から存在しなかった)
存在しない「雲隠」の巻を補うための作品です。

現存する54巻に6巻を書き加えて、
先述した『今鏡』の記述通り
60という数字を満たしたわけです。

室町時代にも現代の我々と同じように
『源氏物語』の魅力にとりつかれた人々がいて、
物語の空白部分に想像力をかきたてられた結果
『雲隠六帖』という補作が完成したのでしょう。

『雲隠六帖』には、

  • 光源氏の死
  • 浮舟の還俗
  • 匂宮の即位
  • 中君の死

などが書かれています。

以下、『雲隠六帖』のあらすじをまとめました。

【源氏物語・補作】雲隠六帖のあらすじ・内容を紹介

『雲隠六帖』は、

  • 雲隠くもがくれ
  • 巣守すもり
  • 桜人さくらびと
  • のり
  • 雲雀子ひばりこ
  • 八橋やつはし

の6つの巻から構成されています。
1つずつあらすじを紹介します。

雲隠

この巻では、光源氏の死が語られています。

紫の上が亡くなった翌々年の正月一日に、
源氏は突如、昔の腹心である
惟光これみつの子・惟秀これひでと随身のみを伴って、
西山に住む兄・朱雀院のもとに赴きます。
朱雀院は、先に出家して隠棲生活を送っていました。

光源氏(左上)は亡き紫の上の手紙を全て女房に破らせ燃やしてしまう。
その後、光源氏が出家の準備をするところで「幻」巻は終わっている。
『源氏物語画帖 幻』(部分)土佐光吉筆 桃山時代 京都国立博物館
光源氏(左上)は亡き紫の上の手紙を全て女房に破らせ燃やしてしまう。
その後、光源氏が出家の準備をするところで「幻」巻は終わっている。「雲隠」は「幻」の次に位置する巻である。
『源氏物語画帖 幻』(部分)土佐光吉筆 桃山時代

源氏は西山への道すがら
「私は出家してこの世を去ろうと思う。
仏道修行のために深山に籠りたい」
と語り、惟秀と随身を京に帰しました。
仏道修行をする身になると、従者は必要ないからです。

西山に到着し、朱雀院に対面した源氏は、
出家の決意を語ります。
朱雀院は源氏の心中を思いやり、
可哀想にも勿体なくも感じるのでした。

六条院では、源氏がいないことに気づいて
人々が大騒ぎになっていました。
薫、明石の中宮も深く悲しみます。

冷泉院も源氏が姿を消したことを知り、
実父である源氏に帝位を譲れなかったことを
残念に思い、後を追って出家したいと望みます。

冷泉院の父親は光源氏。母は藤壺の宮。
「藤裏葉」巻では六条院に行幸している。
この絵では、後ろ姿の光源氏・冷泉帝・朱雀院が池の鵜飼を眺めている様子が描かれている。
『源氏物語絵巻 藤裏葉』住吉具慶筆 江戸時代
冷泉院の父親は光源氏。母は藤壺の宮。
「藤裏葉」巻では六条院に行幸している。
この絵では、後ろ姿の光源氏・冷泉帝・朱雀院が池の鵜飼を眺めている様子が描かれている。
『源氏物語絵巻 藤裏葉』住吉具慶筆 江戸時代

冷泉院は、夢の中で、
涙を流しながら勤行をする源氏の傍らに
美しい紫の上がひざまずいている様子を見て、
いよいよ悲しみに心を乱します。

光源氏は、西山にて朱雀院とともに、
仏道修行を行いますが、3年がたったころ、
朱雀院が病気になり逝去します。
源氏はますます仏道修行に専念するようになります。

蛍兵部卿宮、髭黒の大臣、明石の君も
亡くなったと人づてに聞こえてきます。

5年がたち、
紫の上の7回忌を機に、源氏は剃髪をします。
紫の上の死後13年目には源氏は正式に出家し、
嵯峨の柴生しばふが谷で生涯を終えました。


居合わせた惟秀と随身は源氏の死を悲しみ、
冷泉院に報告します。
冷泉院は惟秀から、源氏の辞世の和歌を聞きます。

吹く風の あともたまらぬ あまつ空に
しばしは雲の たたずまひして


意味:
私の生涯は、吹く風が跡を残さない天空に
しばらくの間あらわれた雲のように
儚いものであった

巣守

冷泉院は、実父である光源氏の死を悲しみ、
勤行を怠ることなく、
出家を願う日々を送っていました。

しかし、いまだ結婚していない
女一の宮(弘徽殿女御腹の娘)や
若君、女二の宮(玉鬘の娘・大君腹)のことが
心配で俗世を離れられません。

延暦寺の天台座主てんだいざすと話して、
道心を強くした冷泉院は、
頭頂の髪を少し削ぎ、かいを受け、
菩提ぼだいを求める道に専念していくのでした。

その頃、薫は内大臣になっており、
小野で出家生活を送っていた浮舟を
都に迎えて、
還俗げんぞくさせていました。
浮舟の身の上は、薫の正室・女二の宮に預けられています。

同じ頃に、今上帝は譲位の気持ちが
強くなっていました。
今上帝は東宮に譲位しようとしますが、
東宮には即位する気はなく
「自分は学問に疎い」ことを理由に辞退し、
弟の三の宮(匂宮)に帝の位を譲ります。

匂宮は帝として即位します。
匂宮の妻・中君は、藤壺の女御となり、

やがて立后します。
匂宮のもう一人の妻・六の君(夕霧の娘)は、
承香殿の女御となりました。

故・蜻蛉式部卿(源氏の異母弟)の娘
宮の君は、かつて匂宮が
思いをかけていた女房でしたが、
薫と深い仲になり、若君を一人もうけていました。
薫は宮の君に深い愛情をかけているわけでは
なかったので、宮の君を宣旨せんじの女房として
即位した匂宮に仕えさせました。

薫は、女二の宮と浮舟を同じような格式で扱って
理想的な夫婦関係を築いていました。

薫は、皇后になった中君の後見も務めていました。
中君と薫は対面して、和歌を詠み合います。
2人は自分たちがどれだけ栄達しても
何事につけても亡くなった大君のことが思い出されるのでした。

桜人

匂宮は、帝となってからも、
自分のことをこの上なく可愛がってくれた
亡き紫の上のことが忘れられません。

幼い頃の匂宮。
紫の上は死の直前まで匂宮を可愛がっていた。
紫の上を亡くし、悲しむ光源氏(右)を慰めるのは、匂宮(中央)だけだった。
『源氏物語画帖 幻』(部分)土佐光則筆 江戸時代 徳川美術館
幼い頃の匂宮。
紫の上は死の直前まで匂宮を可愛がっていた。
紫の上を亡くし、悲しむ光源氏(右)を慰めるのは、匂宮(中央)だけだった。
『源氏物語画帖 幻』(部分)土佐光則筆 江戸時代

ある夜、匂宮の夢に
紫の上が生前の美しい姿のまま現れて、
「死後もお守りした甲斐があって、
私の願い通り即位なさって嬉しい」
と語ります。

匂宮は紫の上の袖を捉えようとしますが、
夢から覚めてしまいました。

感慨に耽った匂宮は、
中君の容貌が紫の上に似ていることを思い
中君のもとを訪問します。
匂宮が美しい中君を見つめていると、
薫内大臣が邸を訪問します。

匂宮はかつての浮舟との密通を薫に詫び、
薫は匂宮を許しました。
薫は、浮舟との仲のもつれは、
実父・柏木が女三の宮との密通により
源氏を悩ませた報いなのではないかと感じます。


薫は昔のことを忘れず、
8月には宇治の八の宮、
11月には宇治の大君のために
法事を行っていました。
さらに、薫は浮舟の縁者を厚遇しており、
浮舟の義理の父・常陸介ひたちのすけ大和守やまとのかみに昇進し、
浮舟の異母弟・小君は宰相中将になり、
浮舟の母は豪華な邸に住んでいました。

「夢浮橋」巻で小君は、薫の使いとして浮舟に文を届けている。
小君(右)と浮舟(左)と文を読む尼君(中央)が描かれている。
『源氏物語手鑑 夢浮橋』土佐光吉筆 桃山時代 和泉市久保惣記念美術館
「夢浮橋」巻で小君は、
薫の使いとして浮舟に文を届けている。
小君(右)・浮舟(左)・文を読む尼君(中央)
『源氏物語手鑑 夢浮橋』土佐光吉筆 桃山時代

2月、紫の上の形見の桜が満開になったので
匂宮は二条院に行幸しました。
紫の上の姿が花の陰から一瞬見えて、
匂宮に語り掛けます。

あだし世の 思ひな果てそ 桜人さくらびと 
花の散るてふ ことのならひを


意味:
かりそめの世と諦めないでください
桜を見る君よ
花が散るのはこの世の常のことなのです

もとよりも 生まれざりせば 今もまた
尋ねて帰る 故郷ふるさともなし


意味:
もともとこの世に生まれてこなかったら
この期に及んで探し求めて帰ってくる
ところもなかったのだ

法の師

内大臣薫は
この世をいとう気持ちが募っていますが、
還俗した浮舟との間に若君と姫君がいて、
女二の宮、宮の君との間にも
それぞれ男子が生まれていたので、
容易には出家できないでいました。

宮の君は、
今では四位の侍従(女房)として
今上帝(匂宮)のお気に入りとなっていました。

匂宮と中君との間には、皇子が3人いました。
一の宮は東宮、二の宮は兵部卿宮の位についていました。
三の宮は「花中書王はなのちゅうしょおう」(花の中務卿)と称され、
とりわけ両親から愛されていましたが、
内裏で催された桜の宴の翌日に

急死してしまいます。
両親は深く悲しみます。


亡くなった三の宮は、薫が小宰相の君に
生ませた娘と恋仲だったので、
三の宮を失って薫も悲しんでいました。

中君は我が子を失った悲しみで、
三の宮の後を追うようにして5日後に死去します。

今上帝(匂宮)の嘆きはこの上なく、
中君追善供養の勤行を
絶え間なく続けていました。

中君の死を知った薫も
さらなる悲しみに打ちひしがれます。
薫は、世の無常を目の当たりにした今、
少しでも早く出家すべきであると考えるようになります。

薫は、横川僧都を招き、
浮舟を再び出家させます。
浮舟はすべての髪を自分で削いでしまいました。
薫その後、比叡山の横川に赴き、自らも出家し、
やがて姿を消しました。

雲雀子

薫は姿を消してしまいましたが、人々は
どうか生きていてほしいと願っていました。
女二の宮腹の薫の子・少将は、
嵯峨の院に詣で、昔、嵯峨野で父(薫)が
小鷹狩りをした日に詠んだ和歌を思い出します。

おしなべて 積もるみ雪を などされば
我が身ひとつと 聞き侘びぬらん


意味:
すべての人の上に積もる雪なのに
(老いは誰にでも訪れるのに)
どうして自分一人のこととして
思い悩んだりしたのだろうか

少将は、父(薫)のことを思い出すと
涙がとまりません。
嵯峨から邸に帰った少将が
形見の硯箱を枕にして眠ると、
夢の中に僧侶姿の薫が登場し和歌を詠みます。

おしなべて かりとし聞かば 捨てし世に
心涼しき 道求めせよ


意味:
すべてこの世がかりそめのものだと
知ったなら
俗世を捨て去って
煩悩にわずらわされない悟りの境地を
求めて仏道修行をせよ

少将が返歌をしようとすると
夢から覚めてしまいます。
少将は、薫が高野山で亡くなったと
聞いていましたが、
あの世からこの世を見ていて下さっている
と思うとありがたく感じました。

少将は、父(薫)の忠告通り
出家をしたいと思いますが、
薫の邸宅・三条院を荒廃させてしまうと思うと
出家も容易ではなく
俗世の束縛が多いと感じるのでした。

八橋

心細い日々を送る匂宮は、けいきん上人を呼び
「仏の説かれた教えはたくさんあるが、
その中でもどの道を頼れば
すみやかに悟りに達することができるだろうか」
と仏道の悟りについて尋ねます。

けいきん上人は、
人々が探し求める場所や思いは
人の数だけそれぞれに違っているから
仏はさまざまな方便を使って
教えを示されたのだと説明します。そして、
極楽浄土への道に身分の高下は関係なく、
ただ心の働きの根本を見つけることであると説きます。

出家して俗世の外に悟りを求める必要はなく、
匂宮は帝位にあるままで仏道を求めるべきであると勧めます。


雲隠六帖の特徴

『雲隠六帖』は、以下のような特徴を持った文学作品です。

  • 仏教の唱導性が強い
  • 祝儀性が強い
  • 梗概書の影響が見られる

『雲隠六帖』では最終的に
薫も匂宮も仏道修行の道を選びます。
仏教の唱導性が強い文芸作品である
というのが大きな特徴です。

それでいて、匂宮の即位や中君の立后など、
「めでたしめでたし」の祝儀性も強く出ています。

この唱導性と祝儀性は、
室町時代の文学によく見られる特性です。

また、話のストーリーは
非常に簡潔かつ杜撰であり、
まるで物語のあらすじを読んでいるかのようです。
紫式部が書いたと伝えられる
『源氏物語』に見られるような、
緻密な心理描写などは見られません。

筆者
浮舟の還俗も、再度の出家も、中君の死もあまりもあっけない描写で書かれています。


これは、中世に流行した
『源氏物語』の
梗概書こうがいしょ(ダイジェスト版)
の影響であろうと考えられます。


この記事では、『源氏物語』の補作
『雲隠六帖』について
詳しく紹介してきました。

当ブログでは、『源氏物語』について
様々な観点から解説する記事を作成しています。

もし興味があれば、他の記事も
読んでみてください😊

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