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撫子
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30代後半の主婦。
高校生の頃から源氏物語に興味を持ち始めました。大学では源氏物語を研究し、日本語日本文学科を首席卒業しました。
30代になり、源氏物語を改めて学びなおしています。
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本居宣長の「もののあはれ」論をわかりやすく解説。源氏物語における具体例も紹介。

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本居宣長の「もののあはれ」論をわかりやすく解説!源氏物語にける具体例も紹介。

源氏物語 初心者
本居宣長の「もののあはれ」論って一体どんなものなの?そもそも「もののあはれ」って何!?


この記事では、江戸時代の国学者・本居宣長の
「もののあはれ」論について、わかりやすく解説します。

「もののあはれ」という言葉の意味も
詳しく説明しています。

この記事でわかること

「もののあはれ」の意味
「もののあはれ」論の成立事情と内容
『源氏物語』における「もののあはれ」の具体例
現代における「もののあはれ」の具体例

筆者
この記事を読むことで、「もののあはれ」についてバッチリわかるようになります!


ぜひ最後までお読みください😊

目次

「もののあはれ」の意味をわかりやすく解説!

源氏物語 初心者
「もののあはれ」ってどういう意味?


現代人にとって「もののあはれ」というと、
「なんとなく情緒深い」のようなイメージですよね?

ところが、古代の「もののあはれ」は、もっと広い意味を持つ言葉でした。

「もののあはれ」の意味

「もののあはれ」とは、ざっくり言うと
「心を動かすはずの人や物、事柄に対して心が揺さぶられる」ことです。

「もののあはれ」の語源

「もの」と「あはれ」に分解して
説明します。

「あはれ」は、「ああ」「はれ」という
感動詞が語源となっており、
思わず「ああ」と溜め息が出るような
心の動きのことを意味します。

※古代には「ああ」だけでなく、
「はれ」という感動詞も存在しました。

「もの」は、心を動かす要素をもった
対象のことを指します。
具体的なものを指すのではなく、
抽象的・普遍的な対象としての「もの」です。

源氏物語 初心者
「もののあはれ」とは「心が動く」ということなんだね。どのような心の動きが「もののあはれ」なの?


花や紅葉を美しいと思う心も、
親が子を愛しく思う心も、
男女が慕い合う心も、
時勢が移ろい世の無常を感じるのも、

すべて「もののあはれ」です。

自然の美しさを見て感動する心も「もののあはれ」である
自然の美しさを見て感動する心も「もののあはれ」である

現代では「あわれ」に「哀れ」という
漢字をあてて、「可哀想」という意味にのみ
使いますが、

古代日本では「あはれ」というと
感動・憐憫・愛情・愛執・悲しみ・情緒・懐旧
など広い意味で「心の動き」を表す言葉でした。

筆者
「もののあはれ」も「あはれ」と同じく広い意味で「心の動き」を表現する言葉なのです。


源氏物語 初心者
なるほど!「もののあはれ」は色々な感情を表せる便利な言葉なんだね。

「もののあはれ」の意味まとめ

「もののあはれ」
心を動かすべき対象(もの)に対して
心が大きく揺さぶられる(あはれ)
という意味。

「あはれ」
感動・憐憫・悲しみ・愛情・
愛執・情緒・懐旧
など様々な心の動きを表現する言葉である。
※感動詞として「ああ」という意味でも用いられる。

「あはれ」と「もののあはれ」の違い

「あはれ」は具体的な対象に対する
感情なのにたいし、
「もののあはれ」は抽象的存在
としての「もの」に対して抱く感情を指します。

源氏物語 初心者
え?抽象的存在の「もの」ってどういうこと?


現代語でも「物を言う」とか「物書き」という
言葉がありますよね。
この場合の「物」は何か具体的なものを
指すのではなく、一般的な「物」を指しています。
「もののあはれ」の「物」も具体的なものを指していません。

筆者
「もののあはれ」というのは、何か特定の対象に対する感情というわけではなく、一般的な「感動する心」のことを指すということです。

「もののあはれ」は「エモい」に似ている?

源氏物語 初心者
「もののあはれ」って、「エモい」に似てない?


「もののあはれ」の意味は
現代語の「エモい」にとてもよく似ています。


「エモい」は、「懐かしい」「感動的」
「ノスタルジック」「情緒がある」などの意味で
使われることが多いです。
哀愁を含んだものに対して「切ない」の意味で
「エモい」と表現することもあるようです。

筆者
「エモい」を「あはれ」に置き換えると、正しい使い方として成立するケースが多いです。


「エモい」という言葉は一語で様々な心の動きを
表現しています。
「あはれ」も、この一言で愛情や情緒、悲哀や
懐旧などをまとめて表現できてしまうのです。

古語の「あはれ」と現代の若者言葉「エモい」は似た性質を持つ言葉です。

「もののあはれ」は「あはれ」とほぼ同じ意味を
持つ言葉ですから、「もののあはれ」も「エモい」
と似ているということになります。

源氏物語 初心者
「エモい」と「もののあはれ」は違うところはあるの?


「もののあはれ」は名詞、
「あはれ」は感動詞あるいは名詞・形容動詞
であり、「エモい」は形容詞であるから、
文章の中における用例は必然的に異なってきます。

また、「あはれ」が愛情、憐憫(可哀想)
などの意味で使われることがあるのに対して、
「エモい」はこれらの意味では使わないので、
厳密に言うと意味の違いがあります。

「もののあはれ」と「エモい」は意味が似ている。
しかし品詞や意味など違いはある。
ニアリーイコールの関係である。

源氏物語 初心者
「もののあはれ」の意味については、なんとなくわかったよ!それで、本居宣長の「もののあはれ」論は、どんな内容だったの?詳しく教えて!


次の項では、宣長の「もののあはれ」論
についてさらに詳しく解説します。

本居宣長「もののあはれ」論の内容
(『源氏物語玉の小櫛』『紫文要領』)

「もののあはれ」論の成立と内容

「もののあはれ」論が成立したのは、江戸時代中期です。

近世における国文学研究の大成者とされる
本居宣長もとおりのりながが、長年に及んだ源氏物語研究の
総決算としてまとめたのが、
『源氏物語玉の小櫛おぐしでした。
※寛政11年(西暦1799年)に世に出されました。

本居宣長四十四歳自画自賛像 安永2年(1773年)
本居宣長四十四歳自画自賛像 安永2年(1773年)


『源氏物語玉の小櫛』一の巻、二の巻は
宝暦13年(1763年)に完成した『紫文要領しぶんようりょう』を
改稿した内容となっており、
「大意の事」という項目に「もののあはれ」論が論じられています。

源氏物語 初心者
「もののあはれ」論は、簡単に言うと、どういうものなの?

「もののあはれ」論の内容を
一言でいうと、
『源氏物語』の本質が「もののあはれ」
であることを論じたものです。

筆者
これから、詳しく解説しますね!

「もののあはれ」論は文学の自律性を唱えた

江戸時代において、『源氏物語』は
朱子学という新しい儒学思想に基づいて
淫乱いんらんの書と批判されたり、勧善懲悪かんぜんちょうあく
書だと肯定されたりしていました。

筆者
『源氏物語』は儒教倫理によって論議されていたのです。

朱子学に傾倒した後光明天皇も、『源氏物語』を儒教倫理よって批判した一人である。
朱子学に傾倒した後光明天皇も、『源氏物語』を儒教倫理よって批判した一人である。

そのような状況を打ち破るのが、
本居宣長の「もののあはれ」論でした。

宣長は、『源氏物語』は決して
勧善懲悪のためでも、好色のいましめのため
でもなく、そして仏教の方便ほうべんでもなく、

ただ人情のありのままをかきしるして、みる人に、人の情はかくのごとき物ぞといふ事をしらする

ものであったことを論じました。

すなわち、「ものあはれを読み手に伝える」ところ
にこそ『源氏物語』の本質があるという結論を
導き出したのです。

宣長は『源氏物語』を儒教・仏教の教えや
道徳から切り離し、文学の自律性を唱えました。

宣長は、
光源氏と藤壺の宮の密通についても

ものあはれをいみじういはんとては、かならず淫事いんじ其中そのなかにおほくまじるべきことはり也。色欲しきよくはことになさけの深くかかるゆえ也。好色こうしょくの事にあらざれば、いたりて深き物の哀はあらはししめしがたき故に、ことに好色の事はおほくかける也。

と言っています。

要するに、
もののあはれを表現しようとすると、
男と女の性愛は必要な要素なのだ
と主張しているのです。

「もののあはれ」論の説く道徳観

「もののあはれ」論は文学の価値を
倫理的価値観から自立させた文学論として
評価されることが多いです。

しかし、宣長の説く「もののあはれ」論は、
朱子学の勧善懲悪説の道徳観とは異なる、
もう一つの道徳なのです。

宣長は『源氏物語』を読むことで
「もののあはれ」を知り
立場の異なる他人の心を推察できれば、
やがて「よき人」になれると論じています。

はじめに善悪があるのではなく、
他人の心を知りその心に共感し、
やさしく同情するという徳が
『源氏物語』によって得られると説くのです。

「もののあはれ」の習得方法

本居宣長は「もののあはれ」は、
恋をすることによって
より深く養うことができると言っています。


筆者
喜怒哀楽さまざまな心の動き(あはれ)は、恋に関わってこそ、ひときわ切実に感じられるからです。


源氏物語 初心者
確かに、恋をすることで、楽しいことも悲しいことも知り、心が成長できるね。これが「もののあはれを知る」ということなのか!?


『源氏物語』を例にひくと、
光源氏は、多くの女性と恋愛関係を結んでいます。
その中には、不美人な女性(末摘花と花散里)
もいましたが、妻の一人として世話し続けています。

光源氏は、好き嫌いなどの自分の気持ちは
全く顧みず、相手の思いを察し、同情し、
その思いを叶えようとしたのです。

光源氏は、多くの恋をすることによって
人間のさまざまな感情、

つまり「もののあはれ」を深く知る人物
となりました。
その結果、思いやりのある人物となり、
不美人な女性を見捨てなかったのです。

筆者
多くの恋をし、恋多き身になってこそ「もののあはれ」を知ることができて、人への博愛の心が養われるのです。


源氏物語 初心者
ようするに、恋愛経験が豊富で、他人の気持ちがわかって優しい人が、宣長の言う「もののあはれ」があるってことだね!でも、私、たいしてモテないから「もののあはれ」は習得できないかもね。


普通の人には
光源氏のように数多くの恋を経験することは不可能ですね。
凡人でもできる「もののあはれ」の体得は、
数多くの恋ではなく、学問しかありません。
和歌や物語を読むことで、他人の心の動きを知るのです。

私たちは、物語や和歌を読むことで
「もののあはれ」を知ることができる。
私たちは、物語や和歌を読むことで
「もののあはれ」を知ることができる。

子を思う親の心を詠う歌を読むことで
子のない人も親の心を知ることができます。

貧しい人の詠う歌を読むことで
お金持ちの人は、貧しい人の心を知ることができます。

同様に、若い人は老人の心を、
男は女の心を和歌によって知ることができるのです。

筆者
恋をしなくても、和歌や物語によって、「もののあはれ」(さまざまな感情)を体得することができます。

どのような場合にどのように人が
喜怒哀楽をするか、
人の心の働きや感動(もののあはれ)を、
歌や物語によって知り、
その心の動きに共感・同情しよう
というのが本居宣長の言う「もののあはれ」です。

人情のこまごまを描き出す『源氏物語』は、
「もののあはれ」の教科書のようなものです。
光源氏ように自ら多くの恋を経験せずとも、
読者は『源氏物語』を読むことで
「もののあはれ」を体得することができます。

「もののあはれ」と「恋」の関係

本居宣長は、
「歌によって人の心を知れば、
世のため人のために悪いことはしなくなる。
それが歌の効能であり、
歌の中でも最も人の心の『あはれ』が
深いものが恋の歌
だ」

と言っています。

筆者
「恋」と「もののあはれ」とは関係性が深いのです。


さらに物語の中でも、恋物語、
特に道ならぬ恋の物語にこそ
「もののあはれ」は深いものであり、
人の心も濃やかに描きつくされるのだと宣長は論じています。

筆者
光源氏と藤壺の宮の不義密通が描かれている『源氏物語』は、非常に「もののあはれ」の深い文学だということです。


源氏物語 初心者
道ならぬ恋は、楽しい時と悲しい時の感情の落差が激しそうだよね。「もののあはれ」は不倫の恋の方が深いのか…。


平安時代後期の歌人・藤原俊成が詠んだ和歌は、
「もののあはれ」と恋の深い関係を簡潔に言い表しています。

恋せずは 人は心もなからまし 物のあはれもこれよりぞしる

【現代語訳】
恋をしなければ、人間は心がないのと同じことだ
もののあはれは、恋からこそ知ることができるのだから

人間は恋をすることによって「もののあはれ」
を知り、人間らしい心を持つことができる
という意味の和歌です。

私たちは、『源氏物語』の恋の諸相を
見ることによって、「もののあはれ」を広く深く
味わうことができるのです。

「もののあはれ」論まとめ

本居宣長の「もののあはれ」論は、
『源氏物語』の本質を「もののあはれ」であると
論じ、当時若い者たちの間で流行っていた朱子学的な倫理観を打ち破りました。

物語を倫理観から自立したものと論じた点で
「もののあはれ」論は高く評価されていますが、
「物語」としての性質を述べているにすぎず、
『源氏物語』そのものの個性的な創造性に
迫りきれていないという批判もあるということには注意が必要です。

実際に「もののあはれ」論を読んでみたいという
方には、以下の本がおすすめです!

『源氏物語玉の小櫛』の中から、
「もののあはれ」論が書かれている部分のみが、
現代語訳つきで掲載されています。

「もののあはれ」源氏物語における具体例

源氏物語 初心者
『源氏物語』の原文で、「もののあはれ」という言葉は使われているの?


『源氏物語』の中で、「もののあはれ」という
表現は17例登場します。いくつか紹介します。

【原文】

こと

なか
に、なのめなるまじき
ひと
後見
うしろみ

かた
は、もののあはれ

ぐし、はかなきついでの
なさ
けあり、をかしきに
すす
める
かた
なくてもよかるべしと
えたるに、また、まめまめしき
すぢ

てて
みみ
はさみがちに
さうなき家刀自
いへとうじ
の、ひとへにうちとけたる後見
うしろみ
ばかりをして。

【現代語訳】
妻が行う家事の中で、疎かにできない夫の世話という点では、物の情趣が度を過ぎていて、ちょっとした折の風情があり、趣味性が過剰になるのは、なくてもよいことだろうと思われますが、また一方で、家事ばかりしていて、額の髪を耳に挟んで飾り気のない主婦で、ひたすら所帯じみた世話だけをしてくれる、そんなのではつまらない。

「帚木」の巻より引用

【原文】
おほかたの、
そら
もをかしきほどに、


おと
なひにつけても、
ぎにしもののあはれとり
かへ
しつつ、その折々
をりをり
、をかしくもあはれにも、
ふか

えたまひし御心
みこころ
ばへなども、
おも

できこえさす。

【現代語訳】
ただでさえも、空は風情がある季節なので、木の葉の散る音を聞くにつけても、過ぎ去った過去のしみじみとした情感が蘇ってきて、その当時の、嬉しかったり悲しかったりにつけ、深くお見えになったお気持ちのほどを、お思い出し申し上げなさる。

「朝顔」の巻より引用

【原文】
もののあはれにおぼえけるままに、
さう

こと

きまさぐりつつ、端近
はしちか
うゐたまへるに、御前駆追
おほんさきお

こゑ
のしければ、うちとけ
えばめる姿
すがた
に、小袿
こうちき
ひき
として、けぢめ
せたる、いといたし。

【現代語訳】
(明石の君は)何とも言えず悲しい気分で、箏の琴をかき鳴らしながら、縁側に近いところに座っていらっしゃるところに、御前駆の声がしたので、くつろいだ糊気のない普段着姿の上に、小袿を衣桁から引き下ろしてはおって、きちんとして見せたのは、たいそう立派なものである。

「野分」の巻より引用

【原文】
親王みこも、きえとどめたまはず。
けしきとりたまひて、きん御前おまへゆづりきこえさせたまふ。
もののあはれにえぐしたまはで、めづらしきものひとつばかりきたまふに、ことことしからねど、かぎりなくおもしろき御遊おほんあそびなり。

【現代語訳】
親王(兵部卿の宮)も、酔い泣きを抑えることがおできになれない。
ご心中をお察しになって、琴は源氏の御前にお譲り申し上げあそばす。
(源氏は)感興にじっとしていらっしゃれずに、珍しい曲目を一曲だけお弾きなさると、儀式ばった大げさな感じはないけれども、この上なく素晴らしい夜のお遊びである。

「若菜上」より引用

【原文】
(女三宮)「かかるさまの
ひと
は、もののあはれ
らぬものと
きしを、ましてもとより
らぬことにて、いかがは
こゆべからむ」

(女三宮)「このような出家した身には、人を愛したりすることはできないと聞いておりましたが、ましてもともと(愛を)知りませんので、どのようにお答え申し上げたらよいでしょうか」

「柏木」の巻より引用

【原文】
かくさへひたぶるなるを、あさましと
みや

おぼ
いて、いよいよ
うと

けしきのまさるを、をこがましき御心
みこころ
かなと、かつは、つらきもののあはれなり。

【現代語訳】
こんなにまで一途なのを、あきれたことと落葉の宮はお思いになって、ますます冷淡な態度が増してくるのを、(夕霧は)愚かしい意地の張りようだと思う一方で、情けなくもおいたわしい

「夕霧」の巻より引用

【原文】
みづからこころざしにも、もののあはれはよらぬわざなり。
年経としへぬるひとおくれて、心収こころをさめむかたなくわすれがたきも、ただかかるなかかなしさのみにはあらず。

【現代語訳】
自分が特別に愛情をもったための、悲しみとは限らないものです。
長年連れ添った人(紫の上)に先立たれて、諦めようもなく忘れられないのも、ただこのような夫婦仲の悲しさだけではありません。

「幻」の巻より引用


「もののあはれ」は『源氏物語』の中で、
情緒、愛情、憐憫、悲しみなどの意味で用いられていることがわかりますね。

「あはれ」は、「もののあはれ」よりはるかに多く
944 回も登場します。

『源氏物語』における「あはれ」の用例も
いくつか紹介しましょう。

【原文】
いとにほひやかにうつくしげなる
ひと
の、いたう面痩
おもや
せて、いとあはれとものを
おも
ひしみながら、
こと

でても
こえやらず、あるかなきかに

りつつものしたまふ

【現代語訳】
たいそう照り映えるように美しく可愛い人が、ひどく顔が痩せて、まことにしみじみと物思うことがありながらも、言葉には出して申し上げることもできずに、生き死にもわからないほど息も絶えだえでいらっしゃる

「桐壺」の巻より引用

【原文】
母御息所
ははみやすんどころ
も、
かげ
だにおぼえたまはぬを、「いとよう
たまへり」と、典侍
ないしのすけ

こえけるを、
わか
御心地
みここち
にいとあはれ
おも
ひきこえたまひて

(光る君は)母御息所の、顔かたちすらご覚えていらっしゃらないが、「大変によく似ていらっしゃる」と、典侍が申し上げたのを、幼心にとても慕わしいとお思い申し上げなさって、

「桐壺」の巻より引用

【原文】
あはれなる
ひと

つるかな。

【現代語訳】
(若紫を見かけた光源氏)しみじみと心惹かれる人を見たなあ。

若紫

【原文】
よろづ
いま
はかひなきことと
おも
うたまへ
かへ
せど、いかばかりしみはべりにけるにか、年月
としつき

へて、口惜
くちを
しくも、つらくも、むくつけくも、あはれにも、いろいろに
ふか

おも
うたまへまさるに、せきかねて、かくおほけなきさまを御覧
ごらん
ぜられぬる

【現代語訳】
(柏木⇒女三の宮)すべて今では取り返しのつかないことと思い返しはいたしますが、(失恋の悲しみは)どれほど深く取りついてしまったことなのか、年月と共に、残念にも、辛いとも、気味悪くも、悲しくも、いろいろと深く思いがつのることに、我慢ができなくて、このように大それた振る舞いをお目にかけてしまいました

「若菜下」より引用

『源氏物語』の中で、「あはれ」という言葉は、

憐憫 悲哀 寂しさ 感動 人の心 恋慕 愛情 興味 優しさ 懐旧 情緒

など多様な意味で使用されています。

「もののあはれ」「あはれ」は
広く感情を表す言葉として用いられていますが、
怒りや嫉妬、恐れなどの感情の意味は持たないようです。

怒りや恐れなどの感情は、「あはれ」という言葉の
美的理念には当てはまらないのです。

「もののあはれ」現代における具体例と使い方

「もののあはれ」の具体例

源氏物語 初心者
宿題で「もののあはれ」の具体例を提出しないといけないんだけど、どういうのがいいかな?


「もののあはれ」は、上記で説明したように
しみじみとした情緒や人への愛情、悲哀や寂しさ
といった意味で使われる言葉です。

現代における具体例としては、

①花や紅葉など自然の美しさに対して感動する心
②大晦日に除夜の鐘を聞き、今年も終わっていくと物悲しく思う心
③幼い子どもやペットに対して愛しいと思う心
④大切に思う存在を亡くして深い悲しみに沈む心

などを「もののあはれ」と言うことができます。

現代において、「もののあはれ」というと
一般的には「しみじみとした情緒がある」という
意味でとらえる人が多いですので、
学校の課題で例文を出すとしたら、
①のように自然の美しさや物悲しさを具体例とするのが無難でしょう。

「もののあはれ」の使い方

「もののあはれ」という言葉の使い方ですが、
現代では「もののあはれを感じた」という表現をすることが多いです。

【用例】
夜、寝床に横になると秋の虫の声が
かすかに聞こえてきて、
もののあはれを感じた。

仲良く2匹寄り添っているカエルを見て、
もののあはれを感じた。

『源氏物語』などの古典文学においては
「もののあはれを知る」という表現が多く見られます。

現代語で使うとしたら、以下のような文章になるでしょうか。

【用例】
あなたはもののあはれを知らないから、私の気持ちはわからない
愛しい人をいつまでも忘れられず、切ないもののあはれである

Xで「もののあはれを感じた」というキーワードで
検索すると、一般の人々が感じた「もののあはれ」が
いろいろヒットしますよ😊


この記事では、「もののあはれ」論の内容および
「もののあはれ」の意味について、詳しく解説しました。

言語学的、哲学的な考え方が多いですが、
できるだけ嚙み砕いて説明したつもりです。

筆者
この記事を読んで、「もののあはれ」についてよくわかった!と思っていただけると幸いです。


本居宣長の書いた「もののあはれ」論を
実際に読むと、さらに理解が深まります。

当ブログでは、『源氏物語』について
様々な観点から調べて記事を作成しています。

興味がありましたら、ぜひ他の記事も
読んでいってくださいね😊

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