この記事では、『山路の露』の原文・現代語訳を掲載しています。
1.序章/薫、浮舟の近況 ←この記事
2.浮舟と小君の再会/都の火災
3.浮舟と薫の再会
4.右近と母、浮舟の生存を知る
5.浮舟、母と右近に再会/妹尼、経緯を語る
6.匂宮、薫、女二の宮の近況/都と小野の歳末の様子
1.この物語の由来
【現代語訳】
この物語は、あの光源氏の子である薫大将と申し上げた方に関わることです。(『源氏物語』「夢浮橋」巻の)続きのようなお話は、とてもみっともなくて、遠慮されるけれど、決してそういうことではありません。
ただ、小野で出家生活を送る浮舟を、薫が訪ねて会ったご様子など、薫と浮舟のご様子を詳しく見た人が、この世のこととは思えないような2人のご関係が心にしみて、黙っていることができなくなったので、明確な目的もなく筆に任せて書き留めておいたのです。その人は、2人の関係を誰にも洩らしたりしませんでしたが、ちょっと出かけた旅先にて亡くなってしまいました。なので、そのあっけなく亡くなった人の後世を弔おうと思って、その人が色々書いていた文章をすべて集めて、写経のための用紙に漉きなおさせた機会に、この物語を見つけたのです。
「たいして聞いて面白いところもないけれど、最後はどうなるのだろうかと、ずっと気になってしまう浮舟のその後はこうだったのだ」
と分かるだけが、せめてもの面白さということで、(筆者の文章を整理した人が)残しておいたのでしょう。
【原文】
これは、かの光源氏の御末の薫大将と聞こえし御あたりのことなれば、その続きめいたるこそ、いとかたはらいたうつゝましけれど、ゆめゆめさには侍らず。たゞかの小野の里人に尋ね逢ひたりしありさま、こなたかなたの御気色くはしう見ける人の、夢のやうなる御仲のあはれに忍びがたくおぼえけるまゝに、何となく筆のすさみに書き置き侍る、その人、心にもさこそ人には漏らさざりけんを、かりそめなる旅の空にて、主さへはかなくなりにければ、あだなる人の、その行く末をとぶらはんとて、藻塩草かき集めけるそゞろごとゞも、みな選り出でて、経の紙に漉かせけるついでに、これを見つけ、
「何の聞き所ある節もなけれども、果ていかならんと思ひわたる人の行方なりける」
と見るばかりの、せめてをかしさに残し置きけるにやあらん。
2.浮舟の生存を知った薫の様子
【現代語訳】
薫は、あの、はかなく姿を消した浮舟の消息をわずかにお聞きになった後は、
「どういうわけだ」
と、ずっと気になっていて、浮舟の異父弟の小君を、その後も何度も浮舟のもとに遣わしていました。けれど、相変わらず小君は、浮舟から返事をもらえずに帰ってくるばかりなので、薫は(浮舟が生きていると知る前よりも)かえって心が乱れて、昔のことや今のことなど次々に思い続け、しみじみとした気分に浸っていました。
薫は、生前の宇治の大君を格別に深く恋い慕っていて、たびたび我慢できなくなるのを、
「いくら何でも、大君も私に対して打ち解けてくれるだろう」
と、のんびりと待っていたのでした。それなのに、あっけなく亡くなってしまわれた時の悲しみは、たとえ来世になっても忘れられないでしょう。その悲しみを慰めるために、薫は、異国にあったという(亡き人をこの世に呼び戻す)香の煙さえ手に入れたいと思っていました。浮舟が非常に大君に似ていて、魅力的であった容姿は、
「もう、そっくりだ」
と感じることもたびたびあったのです。薫は浮舟をとても恋しいと思い出しなさるにつけても、
「どういうわけか、不思議な気持ちだな。今になって、どうして浮舟のことが、苦しいまでに思われるのだろうか」
と、自分の心ながら、不都合にも身にしみて感じていらっしゃいます。薫は、あれこれ様々に気持ちを静めようとなさいますが、さあどうでしょうか。浮舟が亡くなったと思いこんでいた間は、もう仕方がないと、諦めて過ごすことができました。しかし、浮舟が生きていると聞いてからは、それが夢なのか現実なのか確認しないでは、とても苦しくて気がかりでいらっしゃるので、ご自身でこっそりと(浮舟のいる小野の里へ)お出かけになろうとお思いになります。
【原文】
かのはかなかりし蜻蛉の行方ほのかに聞きつけ給ひてし後は、
「いかなりし事ぞ」
と御心にかゝらぬ折なくて、ありしせうとの童をば、その後もたびたび遣わしき。されどたゞ同じさまに、うひうひしくてのみ帰り参れば、なかなか御心の乱れにてむかし今さまざまかきつらねおぼし続くるにいとものあはれなり。
故大君をなのめならず深く思ひしめ聞こえて、折々忍びがたうなりゆきしを、
「さりとも人もうちゆるび給ふ隙ありなん」
と、のどかに待ちわたりしに、あへなく見なし聞こえてし悲しさは、世をかへても忘れがたき慰めに、人の国にありけん香の煙だに得まほしきに、いみじう思ひよそへられて、なつかしかりしかたち有様、
「たゞそれか」
と見ゆる折々のありしなど、いと恋しうおぼし出でらるゝにも、
「なぞ、あやしの心や。今しも、など苦しきまでおぼゆらん」
と、わが心ながら、あやにくに思ひ知られ給ふ。とさまかうざまにおぼし静むれど、猶いかなるにか。ひたすらなきになしつる年月は言ふかひなき方にて、さてもあられつるを、かく聞きつけては、夢かうつゝかとも聞き合はせざらんは、いと胸いたう心にかゝり給へば、みづから忍びておはせんことをおぼす。
3.薫、女二の宮と浮舟を比べる
【現代語訳】
今日は帝の御物忌が終わる日です。薫は参内なさる前に、たいそう美しく装束を整えて、妻・女二の宮のもとにお渡りになりました。女二の宮は、表が紫、裏が青の萩襲の御衣裳に、薄紫の紫苑色の小袿などを、優美に着ていらっしゃいます。物に寄りかかって寝ていらっしゃる様子はとても素晴らしく、ほつれることなく衣装に添って流れている長い髪の先端なども、薫は美しいとご覧になります。それにつけても、あの、あっけなく姿を消した人(浮舟)は、親しみやすくて可愛らしかった点では、(女二の宮よりも)優れていたと思い出しになります。
「浮舟は髪なども女ざかりで美しかったが、出家した今では髪を削いでしまって、地味な尼姿になっているだろう」
などと、薫はその頃はひたすら浮舟のことばかり気にかかっていらっしゃったので、
「自分のことながら、(かつて浮舟と匂宮の密通を)不快に思った気持ちは、どこに行ってしまったのだろう」
と不思議な気持ちがします。初めから浅くはなかった浮舟への思いが、思いもよらなかった一件(匂宮との件)で疑いが生じ、浮舟を信用できないようになられたのでした。しかし、理由もわからず姿を消してしまった浮舟を思う気持ちは、そう簡単には忘れられません。薫は、そうはいっても、折々の機会に他の女性を見ていらっしゃいますが、昔から宇治の大君に気持ちが囚われてしまっているので、宇治八の宮の血筋の姫君のみをこの上ないものに感じなさっています。
【原文】
今日は内裏の御物忌あく日にて、参り給ふとて、いときよらにさうぞきて、女宮の御方に渡り給へれば、萩の御衣に紫苑色の小袿など、なまめかしう着なし給ひて添ひ臥し給へる御さまいとめでたう、御髪の迷ふ筋なくなびきかゝりたる裾の削ぎ目など、うつくしう見え給ふにも、かのはかなかりし人は、けぢかく愛敬づきたる方はまさりてさへ思ひ出でられ給ふ。
「髪などさかりにうつくしかりしも、削ぎやつしつらんさまよ」
など、たゞそのころはこれのみ心にかゝり給へば、
「我ながら憂しと思ひしかたは、いかになりにけん」
とあやしければ、もとより浅くはあらざりし御思ひの、思はずなりし一節にこそ、いかにぞや、心置きぬべう思ひなり給ひしが、あやなく消え失せ給ひしあはれは、なのめに思ひさましがたきを、さすがさまざまにつけて人を見給ふにも、昔より思ひしみにし心のねぢけがましさにや、ひとつゆかりのみありがたくおぼえ給ふ。
4.中君と薫の関係
【現代語訳】
薫は、匂宮の北の方(中君)とは、今も特別に親しい関係であって、中君も薫も、お互いを信頼しあっていらっしゃいました。しかし、年月がたつにつれて、2人ともよりいっそう重々しい身分におなりになったので、宇治の思い出話のために夜更かしをなさることは、以前ほどにはなく、距離を置いています。薫は、ますます心を慰める方法がなく、(浮舟失踪以前の)昔をお忘れになれないままに、
「この世に浮舟に似通っているような女君が、どうしていないことがあろうか」
と思っていっらしゃいます。今なお性懲りもなく、心惹かれる女性には、それとなく気持ちを示しなさることもありますが、薫の浮舟を思う気持ちが慰められることはありません。
「浮舟ほど大君の身代わりとして相応しい女は、この世にめったにいないものだ」
とお思いになると、このように思い通りにならないからか、いっぽうでは中君を匂宮に譲った過去を、いつものように後悔することもあるのでしょうよ。
【原文】
宮の上は猶さまことなるむつびにて、かれも頼みかはし給へれども、年月の添ふまゝにかたみに重々しくなりまさり給へれば、さのみ昔語りに夜ふかし給ふことは、ありしばかりだにあらず、けざやかなり。いとゞなぐさむ方なく、昔を忘れ給はぬまゝに、
「をのづからかよへる面影もなどかなからん」
と、猶こりずまに心にくきあたりをば、さりげなくて気色ばみ給ふ折々あれど、姥捨山にのみおぼえ給ひつゝ、
「この人ばかり似げなからぬ形代も、ありがたき世なりけり」
とおぼすに、かうあやにくなるにや、かたへはまた過ぎにし方くやしき御癖添ふこともあらんかし。
5.小野の浮舟、仏道修行に励む
【現代語訳】
小野の浮舟は、その後も怠ることなく勤行に専念していました。浮舟は、年をとった尼君たちよりも道心がまさっており、仏道の奥義を習得なさるので、なるほど浮舟は仏縁があったのだと、尼君(僧都の妹)もたいへん感慨深く拝見していました。横川の僧都が比叡山から下りて小野の里にお立ち寄りになる際に、このような様子だと報告すると、僧都は何度もうなずいて、
「たいそう素晴らしい生活を送っていらっしゃることだ。薫大将殿のご様子は、高貴な方とは無縁の法師どもでさえもお近づきになりたいと拝見するほどです。薫大将があれほど深いご愛情で浮舟をお探しになったのだから、女の身としては、出家したことを後悔する気持ちがきっと出てくるであろうと、出家させた立場としては無意味なことをしたと思われて、溜め息をついていました。しかし、浮舟が出家を後悔せず強い道心を持っていらっしゃるとのことで、たいへん素晴らしいことです。過去・現在・未来に存在するすべての仏様も、どんなにかご慈悲を恵んでくださるでしょう」
などと、大げさにおっしゃいます。浮舟はとても恥ずかしく思って、部屋の奥のほうを向いて座っていらっしゃいます。そのご様子は、若々しく美しくて、
「やはり、このように地味な尼姿におなりになるような身の上ではありますまい」
と、尼君は本当の親のように、さっきとは打って変わって涙ぐんでいらっしゃいます。浮舟は、今は助けられた当初のように塞ぎ込んではいらっしゃいません。過ぎ去った過去の、この世のもとのは思えぬほどの辛さは、科戸の風(罪を払う風)で吹き飛ばしてしまって、それまで意識していなかった仏教への道心のみが、清々しい心境で思われなさるのです。そして、(これまでの苦しみは)仏道修行に励む小野の里への道しるべだったのだとお悟りになりました。
【原文】
小野には猶たゆみなく行ひに心入れて、年経たる尼君たちにもやゝたちまさりて、深き方の心をくれをも悟り知り給へれば、猶さるべき御ことにこそと、尼君もいとゞあはれに見聞こえて、僧都の下りゐ給へるに、かくなどの給へば、とばかりうちうなづきて、
「いとありがたうものし給ふことにこそ。大将殿の御ありさまは、つきなき法師ばらなどだに、なれ聞こえまほしう見たてまつるに、さばかり浅からぬ御心ざしに尋ねおぼしたるに、女の御身には、悔いおぼす御心かならず出できなんと、あいなう思ひ給へ嘆かれ侍るに、御心乱れ給はざなる、いとめでたき御事なり。三世の諸仏もいかにあはれみ給ふらん」
など、ことごとしくのたまひなすに、いとはづかしう奥に向かひゐ給へる御さま、若くをかしげにて、
「猶かゝるかたにやつし給ふべき御身かは」
と、尼君などはまことの親めいて、ひき返し涙ぐまれ給ふ。今は初めつかたのやうに、さのみもむすぼゝれ給はず、過ぎにし夢の憂さは科戸の風に絶え果てゝ、衣の裏の珠あらはれんのみ、涼しうおぼえ給ふにも、今はた里のしるべとも思ひ知られ給ふ。
6.浮舟、母に会いたいと思う
【現代語訳】
秋が深まっていくにつれて、風の音や月の光もますます趣深くなっていきます。長い夜はそうでなくても目が覚めることが多いものを、柴の戸を叩く嵐の音や、伴侶を恋い慕って鳴く鹿の声に、夢を見ることさえできません。そうは言ってもやはり思い出しなさることが多くあって、その中でも、
「いつも、私をなんとかして人並みに世話しようと思っていらっしゃった母親にも、その甲斐なく朝晩、物思いばかりさせてしまった。事の次第では母の願い通りになりそうであった(薫が浮舟を京に迎えようとした)折も折、母の前から姿を消すことになってしまったことよ。母はどう思っていらっしゃるかしら」
と、依然として悲しみが尽きることがありません。
「娘はこのように山里で出家生活を送っているのだ」
と、風の噂にでも母親に聞かれることになったら、たいそう驚きあきれ、悲しくお思いになるでしょう。薫にも(これまでの経緯を)すべて聞かれてしまったけれど、それは何としても辛い我が身が直面しなければならない宿命なのだろうと、たいそう情けなくお思いになります。それならばこれまで生き長らえてきた命の証に、母にもう一度会いたいと思いながら、相変わらず小野の山道をやってくる薫の使者(小君)に自分から会うのも遠慮がされます。母への伝言の言葉も思いつかず、鬱々として日々を送っていらっしゃいます。それともいうのも実は、
「ここに来た最初から、小君は事の経緯を知っていたようなのに、どうしてお母様にはお知らせしなかったのかしら」
などと、浮舟は不思議に思い、気がかりだったのです。
【原文】
秋深くなりゆくまゝに、風の音、月の光にもいとゞしくあはれ添ひつゝ、長き夜はさらでだに寝覚めがちなるを、まして柴の戸たゝく嵐の音、妻恋ひわたる鹿の音に、夢をむすばんかただになきまゝに、さすが思ひ出で給ふこと多かるなかにも、
「朝夕いかで人並み並みにもと思ひ給へりし親にも、そのかひなう物をのみ明け暮れ思はせ聞こえて、をのづから心行きぬべかりしきざみにしも、あとはかなくなりにしよ。いかに思ひ給ひけん」
と、なほ尽きせず悲しうおぼゆ。
「かくてこそありけれ」
と、風のつてにも聞かれたてまつらんは、いとあさましう憂かるべうおぼし、人にさへ残りなく聞かれたてまつりぬるを、せめて身の憂さのあふべきならんと、いと口惜しう、さらば長かりける命のしるしに、母君にいま一度逢ひ見まほしうおぼえながら、なほこの山道分くる御使にも、さし出で見えんことはつゝましうて、ことつてやらん言の葉もおぼえず、むすぼゝれてのみ過ぐし給ふ。さるは、
「はじめよりこの子は事の心知りためるを、などか母君には聞こえざらん」
などあやしうおぼつかなし。

