この記事では、『山路の露』の原文・現代語訳を掲載しています。
1.序章/薫、浮舟の近況
2.浮舟と小君の再会/都の火災 ←この記事
3.浮舟と薫の再会
4.右近と母、浮舟の生存を知る
5.浮舟、母と右近に再会/妹尼、経緯を語る
6.匂宮、薫、女二の宮の近況/都と小野の歳末の様子
7.薫、小君を小野に遣わす
【現代語訳】
薫の君は、ここ数日ちょっとしたご病気を患っていました。母宮(女三の宮)などがたいへん心配されて落ち着かなくおなりになっているのに紛れて、薫は浮舟に文を遣ることもできず、何日かがたちました。さまざまの仰々しい祈祷の霊験があったのか、薫の病はたいしたことなく回復されましたが、その後も体調不良が残っていることを理由にして、どこにもお出かけなさいません。穏やかな昼頃、ご自分の部屋で物思いにふけって横になっていらっしゃるところに、あの浮舟の弟である小君が参上しました。薫は小君を近くに呼んで、
「病気で臥せっている間は、見舞い客などの人目が多く煩わしくて、浮舟のその後の消息がわからず、とても気がかりでしたよ。今すぐここから小野に出発しなさい。今回もまた浮舟からの返事をもらわず手ぶらで帰ってきたら、たいそう情けないだろうね」
と言いました。小君は薫から文をお預かりし、馬を駆って急いで小野へ向かったけれども、日が高くなってから京を出たので、日が傾いて山陰が暗くなる頃に小野に到着しました。
【原文】
大将の君、日ごろすこしわづらひ給ひけるを、母宮などおぼし騒ぎて、いとゞものさはがしかりける紛れに、かしこの事もおぼつかなくて、日ごろになりぬ。よろづこちたき御祈のしるしにや、ことなる事なくておこたり給ひぬれど、なほ名残なやましきさまにことつけ給ひて、いづくにも御ありきなどはし給はず。のどやかなる昼つかた、我が御方にながめ臥し給へるに、かのゆかりの童参れり。近く召しよせて、
「なやましうしつる程は、人目繁うむつかしうて、この行方しらねば、いといぶせきにも、だゞ今これよりすぐに行けよ。 このたびだにもうひうひしくて帰り来なば、いみじういふかひなからん」
とて、御文給はり、駒うち早めて急ぎけれども、日たけて出でたりければ、山陰暗うなる程にぞ行き着きぬる。
8.小君、小野を訪問する
【現代語訳】
小野の里では、浮舟がいつものように心を紛らわす方法もなく、物思いに耽っていらっしゃいました。そこへ、都から使いが来て、尼君(僧都の妹)にあれやこれやと小君の来訪を小声で報告をしました。尼君は思いもよらない時刻に来るものだと驚きなさって、
「やはり、ご自分で小君にお話し申し上げなさいませ。あなたの弟だから、仰々しくもてなさなければいけないような人でもないでしょうから。(浮舟が言葉もかけず)そのように部屋の外に放っておきなさると、どんなに残念にお思いでしょう」
と、(浮舟に話しかけて)気の毒がっています。他の尼君たちも、
「あきれたことだわ。(浮舟は)見た目の麗しさには似合わず、薄情な態度だこと」
と口々に言うので、浮舟はとても困惑していらっしゃいます。実際にはいつものように、
「どうそこちらへ」
と案内をさせると、小君は歩き出て簀子の端にひざまずいています。尼君は座ったまま進み出て、
「何度もこのように山道を踏み分けてお越し下さるのに、甲斐がないままお帰しできましょうかと、年寄りの差し出がましい心に、あれこれ恥ずかしいこととお思い申し上げています。どういうわけか、浮舟は誰にも見られたくない、知られたくないと思っていらっしゃるようなので、私だちも困っているのです」
とおっしゃると、
「今回は、はっきりしたお返事をいただけなければ、薫大将殿のもとに帰参してはいけないと、命じられています」
と言う小君の様子は、たいそう可愛らしげです。尼君は、小君の言葉を真剣に浮舟に言い聞かせて、雑然とした部屋の中を片づけたりなどなさいました。浮舟は、それでもやはり小君との対面にはとても気が引けるけれど、心の中では、
「確かにこれほどまでに薫が私を探し求めなさるようでは、結局は隠し通せなくなって、お母様などが私のことをお聞きになることになるでしょう。お母様が、そんなにまで自分の境遇を隠していたのかとお思いになるのも、非常につらいので、そんな事態になる前に私のことをお母様にお知らせしたいわ」
と思うこともあるのです。浮舟はすっかり茫然として座っていらっしゃいます。
【原文】
かしこには、例の紛るゝかたなくながめ給ふ程なるに、あなたより人来て、尼君にかくなどさゝめき聞こゆれば、思ひかけぬ程にもと驚き給ひて、
「猶、みづから聞こえ給へ。ことごとしかるべき人にもおはせざめるを。さのみ出し放ち聞こえ給ひて、いかに物しとおぼすらん」
と、いとほしがりて、
「あさましう、見る目にあかぬ御つれなさなりや」
と、口々に言ふも、いと苦しとおぼしたり。まことには例の、
「こなたに」
と言はせたれば、あゆみ出でて簀子の端つかたについゐたり。尼君いざり出でて、
「たびたびかう山道分け給ふ御しるしなくてやと、古めかしきさし過ぎ心、とりどりかたはらいたく思ひ聞こえ侍る。いかなるにか、誰にも見え知られ給はんことをわづらはしうおぼしためれば、見たてまつりわづらひ侍る」
とのたまへば、
「このたびさだかなる御返りなくては、帰り参るまじうなん、うけたまはり侍りつる」
と言ふ程も、いとらうたげなり。尼君まめやかに聞こえ知らせて、しどけなげなるを引き直しなどし給ふ。猶いとつゝましけれど、我が心にも、
「げにかうまで尋ね給ふ程にては、つひに隠れなくて、母君など聞き給ひなば、我にかばかり隔てけりと思ひ給はんも、いと苦しきに、さなからんさきにほのめかしてばや」
と思ふ折々あれば、たゞ我にもあらでゐ給へり。
9.小君、浮舟と対面
【現代語訳】
「どうぞこちらへ」
と言って、少将の尼(妹尼に仕える尼)が小君を部屋の中に招き入れました。尼君たちはいざって姿を消したので、小君は浮舟と2人きりになれて大変嬉しくて、まず薫からの手紙を差し出してから浮舟の姿を拝見しました。浮舟の姿は、たいへん小柄で美しく、昔そのままの顔つきは、少しも変わっていません。しかし、出家して剃髪しているために髪は昔とは違っているのを見ると、夢なのか何なのかと悲しくて、小君はしゃくり上げて泣きました。浮舟も忘れてしまっていた昔の出来事が、今になって思い出されて、まず母君の消息を小君に問いたいけれど、口に出す言葉も思い浮かびません。
【原文】
「さらばこゝにも」
とて、少将の尼、導き入れて、人々はすべり隠れぬれば、いと嬉しうて、まづ御文さし置きて見聞こゆ。いとさゞやかにをかしげなるさま、昔ながらの面影、露ばかりたがはぬものから、御髪などのありしにもあらぬを見るに、夢か何ぞと悲しくて、よゝと泣きゐたり。姫君もうち忘れつる昔のことども、今更おぼし出でられて、まづ母君の行方問はまほしけれど、うち出でぬべき言の葉もおぼえず。
10.浮舟、小君と語る
【現代語訳】
しばらくの間、浮舟は心を静めなさって、
「それにしても、私は姿を消してしまったので、誰もが死んだと思っていらっしゃるでしょう。かろうじて、苦しい我が身の宿縁でしょうか、意に反して生き長らえて、この世ではない世界にいるような気分で暮らしているのですよ。いつしか気持ちも落ち着くにつれて、まずお母様のことが、気がかりで残念なのです」
と、最後までおっしゃることもできません。小君はたいそう悲しくて、
「お姉様がいらっしゃらなくなった後は、お母様は悲しみなさって正気を失い、命も危なくお見えになりました。しかし、薫大将殿から色々な慰めをいただいて、私(小君)などまでにも思いやり深く接して下さるご配慮のもったいなさを慰めとして、命をつなぎ止めてきたと、お母様は常にそうおっしゃっています。けれども、(浮舟失踪時から)今なお呆けたままで、昔のお母様とは別人のようにお見えです。お姉様の居場所を聞き申した時、すぐにお母様にお知らせしたいと思いましたが、薫大将殿は、しばらくの間は誰にも言うなと何度もおっしゃったので、お母様に申し上げることができませんでした」
などと、子どもっぽい様子で言っています。浮舟は、
「なんといっても、(薫に自分の消息を知られた)それがとても残念です。薫大将殿には私の居場所を絶対に知られたくないと思っていたのに、どのようにしてお聞きになったのかしらと情けない気持ちです。(薫大将殿には嘘をついて、私が小野にいるというのは)何かの間違いであったというふうに申し上げてください」
とおしゃいましたが、小君は、薫を騙すことは非常に難しいだろうと思っています。
「ただもう、このように人前に出るのが辛い尼の身でも、お母様にもう一度お会いしたいと思うのです。この手紙をこっそりお母様に渡してください」
と言って、浮舟は几帳の横から手紙を取り出し、差し出してお置きになりました。小君はそれを懐にしまって、
「さきほどお渡しした手紙に対するお返事をいただけないと、薫大将殿がなんとおっしゃるか分かりません。ただほんの少しでもいいので、返事をいただいてから帰りましょう」
と言うと、
「何ていやなことを言うのですか。しばらく会わないうちに、あなたはお変わりになったのですね。入水自殺に失敗して尼になったという、このように情けない私の噂を、事実でないかのように言いつくろって、噂が広まるのを防ごうとはお思いにならないのですか」
と浮舟に恨み言を言われてしまいました。小君は強く返事を促すこともできず、目を伏せています。浮舟はあれほどに無口で、はっきりしない性格でいらっしゃいますが、小君の幼い頃から一緒に暮らしていた名残で親しみを感じるせいか、小君にだけは思っていることを主張なさることができたのは、たいへん心が打たれることです。
【原文】
とばかりためらひ給ひて、
「さても世になきものとなりにしを、誰も誰もさこそは思ひ給ひけめ。せめて憂き身の契りにや、思ひのほかに長らへて、あらぬ世の心地してこそ明かし暮らしつれ。をのづから心地も静まるにそへて、まづ母君の御ことなんおぼつかなう悲しき」
と、のたまひもやらぬに、いと悲しくて、
「おはしまさずなりにし後は、その御嘆きに心もたがひ、あやふく見え給ひしを、 大将殿よりさまざま慰め給ひて、まろなどまでもいとほしうせさせ給ふ御心ざしのかたじけなさに慰めて、かけとゞめたりとこそ、つねにのたまふめれ。されどなほ惚けて、ありし人にもあらずぞ見え給ふ。かう聞きたてまつりし折、やがても聞こえまほしうおぼえしを、大将殿、しばしは人に漏らすなと返すがえすのたまひしかば、え聞こえ侍らぬ」
など、幼げに言ひゐたり。
「それなんいと口惜しき。かけても知られたてまつらじと思ふを、いかにして聞き給ひけるにかと心憂きに、あらざりけるさまにも聞こえなしてよ」
とのたまへば、いとかたしと思へり。
「たゞかく憂きさまにても、母君にいま一たび逢ひ見たてまつらんと思ふ。これを忍びて伝へてよ」
とて、几帳のそばより文を取り出でてさし置き給へば、ふところに引き入れて、
「ありつる御返りなくては、いかにのたまはせん。たゞ一くだりにても給はりて帰り侍らん」
と言へば、
「いとうたて、年月の程に思ひかはり給ひにけり。かくばかり憂き名をあらぬさまに言ひなして、もて隠さんとは思ひ給はずや」
と恨みられて、しひてもえ言はず伏し目なり。さしも言少なに心もとなき御本性なれど、幼くよりとりわき一つにてありし名残むつましきにや、これにだに思ふこと少し続け給へる、いとあはれなり。
11.小君、小野から引き上げる
【現代語訳】
「今夜はどのようにして京へお帰りになるのですか」
と言うなどして、いつもお節介を焼く老尼が小君を気の毒がります。尼君(僧都の妹)も、
「本当ですよ。(日も暮れてしまったし)どうしてこれから京に帰れましょう。小野に通い慣れている人でさえも、道に迷ってしまいそうな険しい山道のようですから、今夜だけはこちらにお泊りくださいませ」
と、小君に几帳の内から声をかけなさいます。しかし、
「薫大殿将は急いで京に帰るようにおっしゃっていたのに、どうしてここに泊まることができましょうか。今夜は月の光もあるので、道に迷うことはないでしょう」
と言って、小君は立ち上がります。
「いかにも大人びた少年だこと」
と言って、尼君たちは小君を可愛がっています。
帰りが夜遅くなりそうなので、その用心として、弓矢を背負った者たちがお供しているのは、とても安心です。
【原文】
「今宵、いかにして帰り給はん」
など、例のさし過ぎ人もいとほしがれば、尼君も、
「げに、いかで。通ひなれぬる人だにも猶踏み迷ひぬべき山道の懸け路に侍るめるを、今宵ばかりは旅寝し給へかし」
と言ひ出だし給へれど、
「急ぎ参るべくのたまひつるに、いかゞ泊まりは侍るべき。月の光も道たどたどしかるまじくなん」
とて立つを、
「さもおよすげて」
とうつくしみあへり。
夜ふけぬべき心まうけに、弓矢負ひたる者どもなどありければ、いと頼もしげなり。
12.小君、京へ帰還し、火事に遭う
【現代語訳】
小君は、夜中をすぎる頃に薫の邸に到着しました。夜遅いので、邸の門はすべて閉ざされていました。
「今夜は、それでは自宅に退出しようか」
と小君は思うけれど、
「(自宅に帰ったら)母上に『どこに行っていたのか』などと問いただされるのも面倒くさい。浮舟からのご伝言について、こうだったと(薫に)ご報告申し上げた後で、母上にも事情を説明しよう」
と思慮深く考えています。
「(こんな夜遅くに)門を叩くのも訳ありな感じがする。どうしようか」
と思い悩んで、しばらく佇んでいたら、たくさんの人の声がして、大変な騒ぎのようです。
「何があったのか」
と思う間もなく、火が出てきて、煙が充満してきました。火は、この邸の周辺から出たものと思われ、たいそう近いので、小君は驚き呆れて、従者に門の戸を激しく叩かせました。宿直の番をしている者たちも、今ようやく火事に気付いて騒ぎながら、慌てて門を開けます。
「どうして、この門は閉めているのか」
と小君が宿直の者に問うと、
「薫大将殿が物忌だったのをお忘れになっていて、思い出して急に門を厳重にお閉めになりました」
と答えます。しかし、(火事が起きて門を開けたので)厳重に門を閉じた甲斐もありません。詰所に控えていた家来たちもみな起き出してきて、
「(小君は火事が起きたと聞いて)殊勝にも早々に帰参なさったことよ」
と言うのも、小君は(たまたま居合わせただけなので)非常に滑稽だと思いました。
火事が、薫の邸に近いと聞いて、見舞いに馳せ参じなさる人々の馬や、車の音が、途切れることなく周囲に満ち溢れています。火の勢いはいっそう強くなって、薫邸も危なかったけれど、突然、別の方向に風向きが変わって、薫邸には被害が及びませんでした。見舞いの人々は
「(延焼しなかったのは)珍しいことだ」
とおっしゃって、一部の人はお帰りになったりしています。
【原文】
夜中うち過ぐる程に参り着きたれば、御門もみな鎖されにけり。
「今宵はさらば出でなん」
と思へども、
「いづくへ行きたりけるぞなど尋ねられんもむつかし。この御言つてにかくなど聞こえてこそ、母君にも言はめ」
と、らうらうじき心にて、
「門叩かんも事あり顔なり。いかにせまし」
と思ひわづらひて、とばかり立ちたるに、人々の声あまたして、いみじうあはたゞしげなるを、
「何事ならん」
と思ふ程もなく、火燃え出でて煙も満ち満ちたり。たゞこの町のまはりと見えていと近ければあさましくて、荒らかに叩かせたるに、宿直にさぶらふ者どもも今ぞ見つけて騒ぎつゝ、急ぎ開けたるに、
「など、こは鎖されたる」
と言へば、
「御物忌なりけるをおぼし忘れて、にはかになん固められ侍りつ」
といらふ。されどそのかひなし。侍所なりける男どもみな起き出でて、
「ゆゝしく疾く参り給へるものかな」
と言ふも、いとをかしと思へり。
この殿近しと聞きつけて、参り給ふ人々の馬、車の音、繁う騒ぎ満ちたり。火燃えまさりて、あやしかりけれども、にはかにあらぬ方へ風吹き追ひて、この殿をば
避けたれば、をのをの、
「めづらかなること」
とのたまひて、かたへはまかで給ひなどす。
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