この記事では、『山路の露』の原文・現代語訳を掲載しています。
1.序章/薫、浮舟の近況
2.浮舟と小君の再会/都の火災
3.浮舟と薫の再会
4.右近と母、浮舟の生存を知る
5.浮舟、母と右近に再会/妹尼、経緯を語る
6.匂宮、薫、女二の宮の近況/都と小野の歳末の様子 ←この記事
35.匂宮の近況
【現代語訳】
匂宮も、こっそりと、何かにつけて、
「あれほどの女性は他にいないようなのに」
と(浮舟を)思い出しなさることがずっと続いているけれど、浮舟ひとすじということは全くありません。(匂宮は)好色の本性をお示しになられた宮の君に対しても、間もなく言い寄りなさって、いつものようにしばらくの間はきわだって熱中していたけれど、今はそうでもないのでしょうか。(三条院の西の対に住んでいる)中君を今でもこの上なく愛おしい人だとお思いなので、世間の人々も好ましく思っていることでしょう。
薫の、中君に対するお心遣いも、依然として途絶えることはなく、昔と比べてお変わりになりません。中君は、(薫の心遣いを)誰にでもできることではないと身に染みてお思いになっています。
若宮(匂宮と中君の間の子)は、大きくなられるにつれて、この上なく可愛らしくなっていかれます。(仮に、匂宮の子が)多くいらっしゃったとしてさえ、やはり(中君の産んだ若宮は)並一通りにお思い申してよいような存在ではいらっしゃいません。(ましてや)今のところ他の女性のもとには匂宮の子はいらっしゃらないので、(匂宮は中君腹の若宮を)たいそう大切に思っていらっしゃって、(若宮は)将来が期待できそうな様子です。
【原文】
宮も、内々に、折ごとに、
「さばかりなる人もありがたかめるを」
と、おぼし出づること絶えねども、その筋ばかりのことはかけてもなし。本性あらはれ給ひし宮の君にも、程なく語らひ寄り給ひて、例のしばしははなやかにおぼしたりしかども、今はさしもあらぬにや、対の御方をば、猶尽きせずあはれなることにおぼしたれば、世人も心にくゝ思ふべし。
大将の君の御心しらひも、猶絶え間なく、昔に変はり給はぬを、ありがたくおぼし知られけり。
若宮のおよすげ給ふまゝに、いみじくうつくしうおはしますを、あまたならんだに、猶なべてには思ひ聞こえぬべうもおはしまさぬを、程経れどほかにはかゝるたぐひなきを、いみじうおぼしたれば、行末たのもしげなり。
帝、后の宮などゆかしがらせ給へど、猶宮の御もの恥ぢわかわかしうて、参らせたてまつり給はぬなるべし。
36.薫の昇進、女二の宮の懐妊
【現代語訳】
そういえば、薫大将殿は、(右大将から)左大将に昇進なさって、内大臣を兼任なさることになったので、よりいっそうご威光が備わったような感じがします。先日より、(薫の正室)女二の宮が体調を崩されているのを、乳母たちは妊娠だと気づき申して、薫にその旨を申し上げました。(薫は浮舟のことで)物足りないような気分だったけれど、少しは嬉しいとお思いになったようです。薫の母君(女三の宮)もまた、言うまでもなくお喜びになって、安産祈願のお祈りなど、いろいろと、今からもうお忙しい様子です。
【原文】
まことや、大将の君は左になり給ひて、 内大臣かけ給へれば、いとゞ光添ひたる心地するに、過ぎにしころより、宮例ならずなやましうし給ひしを、御乳母たちなど見たてまつり知ることありて、男君にかくと聞こえければ、さうざうしかりつるに、少しはうれしとおぼしけり。母君など、はたさらにもいはずおぼし悦びて、 御祈りども何かと今よりこちたし。
37.雪の小野に薫の手紙が届く
【現代語訳】
小野の浮舟は、ひたすら際限のない物思いに耽る日々が続いており、冬になりました。都でさえ雪や霰が降ることの多い季節なので、ましてや小野の里では一段と降りしきり、降った雪が溶けないうちにまた新しい雪が降り積もっていました。何重にも降り積もった雪の下に埋もれている小野への道を、(小野の山荘から浮舟が)ぼんやりと眺めている夕暮れ時のこと。俊成の詠んだ「富士の高嶺」ではないけれど、雪の降る中空に煙がほのかに漂っているのを(見て、浮舟は)、これこそは噂に聞いていた樵が炭を焼いている煙だろうかと(想像していました。)、(浮舟の)物寂しい心地は表現のしようもないほどです。
私の住み家を埋めてしまうほど降る雪に混ざって、小野の炭窯の煙が尽きることがありません
いつものように辺りが暗くなるほど降る雪が、例年よりも長く続く頃には、薪にする小枝を集める樵の足跡さえすっかり途絶えてしまいました。(そんな状況の中)、無理をして踏み分けてやってきた薫の使者の足音を聞くのも久しぶりのことで、尼たちは邸の端のほうに出てきて(使者の様子を)見ています。
「都でさえ凍りつくような日々を送っている有様なのに、(雪深い小野の里では)どのようにお過ごしかと心配申し上げて(使者を遣わせたのです)。
どんなにか物思いに沈んでつらい気持ちになっているでしょう。空が暗くなるほどの雪が降る季節の小野にお住まいのあなたは」
※1 藤原俊成「煙たつ小野の炭窯雪つみて富士の高嶺の心地こそすれ」(長秋詠藻 )
【原文】
小野には、たゞ尽きせぬながめにて、冬にもなりにけり。都だに雪霰がちなれば、 ましていとゞしくかきたれ、消ぬが上にまた降り添ひつゝ、いくへが下に埋もるゝ 峯の通ひ路をながめ出でたる夕暮、富士の峰ならねど、雪の上より煙いとかすかに棚引くを、これやさは音に聞きこしの山人の炭焼くならんと、心細さもいはんかたなし。
住む人の宿をば埋む雪のうちに煙ぞ絶えぬ小野の炭窯
例のかきくらし、常よりも日数経るころは、いとゞ爪木樵る山人の跡さへ絶えはてたるに、わりなく分け入る御使の沓の音もめづらしくて、人々端つかたに出でて
見る。
「都にだに冴えくらすころの気色に、いかにと思ひやり聞こえてなん
いかばかりながめ侘ぶらんかきくらし雪降るころの小野の山人」
38.浮舟、薫に返歌する
【現代語訳】
まことにわざわざ、ちょうどよい時節に、お見舞いを下さったものだと、(浮舟は)しみじみと薫の好意をお感じになって、少しばかり心を惹かれました。
お見舞いの使者に訪問していただいたので、雪の中に足跡を見ました。白い雪が降り積もってうずもれた小野の山道に
ふと思いついたままを詠んだものですが、薫はたいへんおいたわしいと涙ぐまれて、(浮舟の返歌を)手から離すことができず眺めていらっしゃいます。
「それにしても、浮舟をどのように扱ったらいいだろう。本人の意志といえ、(出家した浮舟とは)思いを語り合うことがなく過ごしてきたお詫びとして、せめてこれから思い人としてお世話をしたい。けれど、人目の多い都に住むのは浮舟も望まないだろう。実際に、浮舟を恋人にすることが許された昔でさえ、やはり世間の声を気にして、目立たない所(宇治)に浮舟を住まわせていたのだ。それを今になって表沙汰にするのは、世間で噂がいろいろと広がって不都合だろう。とはいえ、山深い小野の山荘に浮舟を閉じ込めておくのも可哀想なので、どうしたらいいだろうか。都に近い山里を浮舟が住めるように整えて、こっそりと引っ越しさせようか」
などと、薫は心の中で計画なさっていました。(薫の正室)女二の宮の懐妊のことを、誰もがこの上ない喜びだと思っています。仰々しい(安産祈願の)お祈りなどもあちらこちらで行われており、主要な薫の家司などは忙しい時期なので、薫は、
「(女二の宮が懐妊中で)時期が悪いので、ちょっとしたことでも、世間で大きな噂になるだろうか」
などと(浮舟を移させる計画を)躊躇っていらっしゃいます。相変わらず懲りない呑気さですこと。
【原文】
げにふりはへ給へる折節も、あはれに思ひ知らるれば、少し心とゞめて、
とふにこそ跡をば見つれ白雪の降り埋みたる峯の通ひ路
うち思ひけるまゝなるを、いとあはれと涙ぐまれて、うち置きがたく見ゐ給へり。
「さてもこれをいかにもてなさまし。 心づからのことゝいひながら、思ひ出でなくて過ぎにし慰めにも、今だにさるかたにてあらせまほしきを、 人繁き住まひはかれも思ひ寄らざめり。げにはた人も思ひ許しぬべかりしいにしへだに、猶世の聞こえをつゝみてこそ、おぼえぬ所に置きたりしか。今さらもて出でなん、人の物言ひもかたがたあやしかりなん。さりとてかの山深き住まひにとぢこめ果てなんも心苦しきを、いかにせまし。近きわたりの山里をさるべくしなして、忍びつゝ渡してん」
など、心ひとつにおぼしまうけながら、女宮の御事を誰誰もまたなき事と思ひて、こちたき御祈りどもあたりあたり、さるべき家司など、心の暇なきころなれば、
「折節悪しくて、いさゝかのことも、世の音聞きことごとしくや」
などおぼしやすらふこそ、猶こりずまなる御心のどけさなれ。
39.薫から歳末の贈り物が届く
【現代語訳】
年末が近づいてきた名残惜しさに、どこも何かと騒々しくて、忙しい頃ですが、薫お一人の心はたいへんのんびりしていています。山里の浮舟にもご無沙汰にならないように定期的に使者をお遣わしになり、新春を迎えるのに必要な準備の品々をいろいろとたくさん(贈りました)。(その贈り物は)右近の心配りの品のように見せて、(薫の贈り物だと表に出ないように)こまごまと気を遣いました。いつも地味な暮らしをしている尼君たちは、雪や霰の中を踏み分けていらっしゃる使者が、季節ごとの風流を見逃さずにお見舞いに来てくれることよりも、薫からの贈呈品を深いご厚意の証だと思っているようです。(尼君たちがそのように)話すのを、浮舟本人はみっともなく、聞いていて恥ずかしいとお思いになっています。
浮舟の母からも、何かにつけて配慮の欠けたところはなくて、(浮舟だけでなく)尼君(僧都の妹尼)に対しても年末の贈り物を差し上げました。妹尼は、真面目で質素な出家の身の助けとして、仏様が取り計らって下さったのだと思ってお喜びになっています。ましてや身分の低い召使いたちは、浮舟様のおかげだと言って、熱心に小野の山荘に顔を出して、あれこれと奉仕するのでした。
【原文】
暮れ行く年の名残なさは、いづくも物さはがしう、紛らはしきころなれど、この御心ひとつはいとのどかにて、山里人にもおぼつかなからぬほどに、おとづれ給ひ つゝ、春を迎ふべき心まうけの物どもさまざまこちたくて、右近が心しらひのさまにて、細かにおぼしやりたれば、例のけざやかならぬ尼君たちの心どもには、雪霰を分けたる御使の、あはれなる折節を過ぐし給はぬよりも、これを深き御心ざしのしるしに思ひ言ふを、正身はかたはらいたく聞きにくしと思ひ給へり。
母君のもとよりも、よろづに思ひいたらぬことなくて、尼君のかたまでとぶらひ聞こゆれば、まめやかにかすかなる身のたよりに、仏の導き給へるなりけりと思ひ悦び給ふ。ましてはかなき下使ひなどは、この御方の御徳と言ひ思ひて、まめに出で入り何やかやとしける。
40.薫、匂宮邸を訪問
【現代語訳】
穏やかな夕暮れ時に、薫は匂宮邸に参上なさいました。匂宮はたった今、六条院(正妻・六の君のもと)へお出かけになられたところだったので、(薫は)中君のいらっしゃるところに参上なさいました。すると、いつものように奥ゆかしく女房たちの衣擦れの音が聞こえて、(御簾のうちから簀子へ)敷物を差し出しました。薫は、
「この御簾の内側に出入りすることができないとは。私はいつから御簾の外に座らされる身となりましたか。長年、お仕えしてきましたのに、まったくつらいことです」
と溜め息をつきなさいます。
「こうこうおっしゃっています」
と取り次ぎの女房が、中君に申し上げているのでしょう。少将(中君の女房)の声で、
「(薫を御簾の内側に通さなかった)事情を知らない女房の怠りを非難しないでは、(薫の)これまでの働きが無意味になってしまうでしょう。とはいえ、『かりはの小野』の和歌に学んで、匂宮の妻である中君とは親しくなさらないようにお願いします」
と言って、母屋の御簾を下ろして、(薫を簀子から廂の間に)お入れ申し上げます。薫は、
「たいへんきまりの悪いご忠告も、筋が通りません。人麻呂の『かりはの小野』の和歌のように『なれはまさらぬ』ようにすると、そのまま恋心が募ってしまいますよ」
と言って、お笑いになる様子は、この上なく優美です。しばらくして、中君がいざって出ていらっしゃる気配がするので、薫は姿勢を正しなさって、
「(匂宮が)たった今、お出かけになったとは残念です。何というのか、(中君に)世間の人たちが言うような、年末のご挨拶を申し上げたいと思ったのです。(匂宮の不在は)逆に嬉しい機会で」
などと、申し上げなさいます。中君は、
「おっしゃる通り、今年もあと少しで終わりですね、なんだか寂しい気分です」
とのみ、小さな声ではっきりとはおっしゃらないのが、(薫に)聞き耳を立たせるほど魅力的です。薫は、
「身に積み重なる歳月に知らん顔をして、行く年を送る、新春を迎える、などと言って慌ただしく過ごすのは、むなしいものですね」
と言って、そっと中君にお近づきにないました。そして、いつものように昔や今のお話を心をこめて申し上げなさるけれど、あの浮舟が小野で暮らしていることは、やはりお話しになりません。
※1 「みかりするかりはの小野のなら柴のなれはまさらで恋ぞまされる」(新古今和歌集・恋一・柿本人麻呂)を踏まえた表現。あなたは私と慣れ親しんでくれず、私の恋心は増すばかり…という内容の和歌。
※2 寝殿造の建物では、母屋の外側に廂、廂の外側は簀子となっている。
※3 「数ふれば我が身につもる年月を送り迎ふとなに急ぐらん」(『拾遺和歌集』巻第四冬・平兼盛)を踏まえた言葉。
【原文】
のどやかなる夕つ方、大将の君は、兵部卿の宮に参り給へれば、宮はたゞ今なん六条院に渡り給へるとあれば、対の御方へ参り給へれば、例の心にくき程にうちそ
よめきて、御褥さし出でたれば、
「この御簾の内の内外よ。いつより放たれにけるにか。年月の労にいとこそ辛けれ」
と、うち嘆き給へるを、
「かくなん」
と聞こゆるなるべし、少将が声にて、
「心知らぬ人のあやまちを、おぼしめし咎めずはかひなからまし。されど、かりはの小野はならはし聞こえまほしうこそ」
とて、母屋の御簾下ろして入れたてまつる。
「いとはしたなかりつる御誡めも、ことわりにはあらず。やがてくゆりぬるかな」
と、少しうち笑ひ給へる、尽きせずなまめかし。 とばかりありて、女宮いざり出で給ふ気色なれば、ゐなほり給ひて、
「だゞ今しも出でさせ給ひにける、口惜しう思ひ給へながら、何とかやなほなほしき人の言ふなる、年の限りの対面も給はらまほしく侍りつるかな。なかなか折嬉しく」
など聞こえ給へる。
「げに閉じめ果てぬる残りなさも、心細う」
とばかり、ほのかに紛らはし給へる、聞かまほしうをかしげなり。
「身に積もる物のはてを知らず顔に、送り迎ふと急ぐならひこそはかなけれ」
とて、しめやかに寄りゐ給ひつゝ、例の昔今の御物語こまやかに聞こえ給ふにも、かの小野の住まひは猶漏らし給はず。
41.薫と中君
【現代語訳】
というのも、
「浮舟のことは、中君と一緒にご相談をするべきだけれど、それを少しも(中君に)伝えないでいたら、後になって(浮舟のことを)お聞きになって、自分を仲間外れにしていたとお思いになるだろう。それは、私としてはつらいけれども、失踪した時の状況の不自然さも、いつかは(中君)の知るところとなるだろう」
と、薫が(浮舟について)知らないふりをして振る舞っていらっしゃるのは、自分の方でも中君に申し上げづらいと思う部分があるからなのです。
「全てを語るわけではなく、(浮舟との)嫌なことでこういうことがあったと(中君に)申し上げるのも、嘘をついているような気持ちになるだろう。(浮舟失踪のことは)お聞きになる中君が、普通だと思えるようなことではないので、少しでもお話し申し上げたら、全てをお話しすることになるだろう。(中君に)内密にと申し上げたことは、万が一にも外に漏れることはない。だけれど、匂宮に近いところで、(浮舟について)私から確かなことを言い出したとして、もしも隠し通すことができず、たまたまちらっと耳にする人がいたら(匂宮に浮舟の居場所が伝わって、困ったことになるだろう)」
などと、(薫は匂宮に対して浮舟のことを)話したくない気持ちがするのも、過去の三角関係の恨みが、今もなお続いているからなのでしょう。
― 終わり ―
【原文】
さるは、
「ともに聞こえ合はせぬべき人の上なるを、かけても言ひ出でずは、後に聞き給ひて、隔てけりとおぼさん、苦しけれども、亡くなりにし程のありさまのあやしさも、をのづから隠れなかりけめ」
と、知らず顔にもてなし給へる、我もまた聞こえにくきことまじりにたる心地して、
「まほならで、憂き節にかくこそありけれと聞こえ出でんも、うつゝ少なき心地すべし。うち聞き給はん人は、なのめに思ふべき事のさまにもあらねば、片端聞こえ初めては、残りなうこそならめ、忍ぶるよしに聞こえたることの、かりにもあふなきかたはなけれど、宮の御あたりにて、我とさだかに言ひ出でんことは、もしをのづから物の隠れなくて、ほの聞く人もあらば」
など、口重き心地するも、過ぎにし方の恨み、なほ解けぬなるべし。
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