





六条院とは、光源氏が35歳の頃に建てた邸宅で、
自らの権勢を京中に知らしめる大豪邸でした。
四季折々の情緒を楽しめるように
春夏秋冬の4つの町に区切られ、それぞれに
光源氏の愛する女性たちを住まわせました。
・六条院の見取り図の紹介
・六条院の春夏秋冬の植物の紹介
・六条院に住んでいた人の紹介
・六条院のモデルになった邸宅の紹介
この記事を読むことで、
六条院のことをしっかり理解することができます!



六条院の見取り図
まず六条院の見取り図を紹介します。
『源氏物語図典』に掲載されている
池浩三氏説と玉上啄彌説の図を参考にしながら
当ブログの筆者が作成したものです。
六条院の見取り図


寝殿:
正殿のことであり、
主人が生活する中心的建物。
中央部の母屋の東西どちらかに
塗籠と呼ぶ閉鎖的空間がある。
釣殿:
池に臨んで作られる
釣りをするための建物のこと。
開放的でくつろいだ場所として
月見や雪見なども行われた。
「常夏」「蜻蛉」の巻では、
釣殿で納涼が行われている。
「胡蝶」の巻では船楽の際に
春の町の釣殿が船着き場として
使われている。
御倉町:
蔵の集中したエリアのことで、
六条院の財物が収納・管理されている。
車宿:
牛車から牛を放して車を入れておく建物で
車庫のようなもの。
築地:
土塀のこと。瓦を上に置く場合もある。
中島:
池には必ず中島が作られた。
築山とすることもあった。
植物が植えられるだけでなく、
立石がされたり、苔を生やしたりもした。
中島には反橋を渡して行けるようにしたり、
舟遊びで立ち寄ることもあった。
馬場:
馬術の鍛錬や競技のため、馬を走らせる場所。
埒:
木や竹を結って作られた低い垣根。
馬場の両脇に設けられた。
馬場殿:
馬場を観覧するための建物。
御厩:
馬の調教や飼育をする建物。
侍所:
家人(家臣・従者)や武士らが
伺候するところ。
中門:
釣殿に至る廊を中門廊といい、
この廊の中央部を横切る門を
中門という。
雑舎:
使用人の住まいや炊事関係の建物。


「六条院」の復元模型


六条院は、4つの区画に別れています。
一つずつ解説していきますね。
春の町<解説>
右下の町は春の町です。
辰巳(東南)の町とも呼ばれます。
庭には春の植物がたくさん植えられており、
南の池は、春の町から秋の町に通じるように
作ってあります。
池と池の間にある築山は、
春の町と秋の町の双方を隔てる役割を
担っています。





光源氏が住んでいるので、
六条院のメインとなる御殿です。
「初音」の巻の男踏歌、「胡蝶」の巻の船楽、
「若菜上」の巻の源氏四十賀の祝いや女楽など、
さまざまなイベントがこの町で行われています。


「源氏物語手鑑 若菜三」土佐光吉著 桃山時代
夏の町<解説>
右上の町は、夏の町です。
丑寅(北東)の町とも呼ばれます。
庭には夏の植物が植えられています。
東面は、馬場が作られていて
そばの厩舎には素晴らしい馬が
何頭もつないであります。
馬場は春の町のほうまで伸びています。





「蛍」の巻で六条院馬場殿で騎射が
行われており夏の町が
イベント会場となっています。
⇒夏の町に植えられていた植物はこちらで解説しています!
秋の町<解説>
左下の町は、秋の町です。
未申(南西)の町とも呼ばれます。
庭には秋の植物がたくさん植えられています。
「藤裏葉」の巻で、中の廊の壁を崩して
春の町から秋の町の紅葉が
よく見えるようになっています。



明石姫君の裳着は、
秋好中宮が腰結の役を務めたため
秋の御殿で行われました。
⇒秋の町に植えられていた植物はこちらで解説しています!
冬の町
左上の町は、冬の町です。
戌亥(西北)の町とも呼ばれます。
庭には松などの木々が多く植えられ、
雪景色が美しく鑑賞できるようになっています。



北半分は築地で区切ってあって、
御倉町となっています。
明石の君は、他の女性と比べて身分が低いため
御殿のサイズが小さいです。


六条院の場所と広さ



六条院の広さと場所については、
『源氏物語』原文中に記載があります。
【原文】
「少女」の巻より引用
六条京極
のわたりに、中宮
の御古
き宮
のほとりを、四町
をこめて造
らせたまふ。
【現代語訳】
六条京極の辺り、秋好中宮が以前住んでいらっしゃった場所の近辺を、四町をいっぱいにお造りになる。
六条院は東京ドームよりも広い!



六条院の総面積は、約6万3500平方メートルです。
東京ドームの面積が
4万6755平方メートルなので、
六条院は東京ドームよりも広い(1.35倍)
御殿であったということになります。



六条院の場所はここ!
六条院の場所は、「六条京極のあたり」です。
六条大路は、現在の六条通。
六条坊門小路は、現在の五条通。
京極大路は、現在の寺町通。
萬里小路は、現在の柳馬場通。
以上のことから、
現在の地図に当てはめると
だいたい次のような位置が想定されます。


※タップすると拡大します
京阪清水五条駅の近く、
現在、MIMARU京都 河原町五条(ホテル)
や道知院(寺)などが
建っているところの周辺です。



六条院はもともと六条御息所の邸宅が
あった場所を含む形で建てられました。


六条御息所の住まいは、彼女の死後、
そのまま娘の前斎宮(後の秋好中宮)
に受け継がれました。
光源氏が前斎宮を養女のような形で
後見するにあたり六条院の一部
(もともと六条御息所の邸宅だったところ)
を秋の町とし、冷泉帝に入内した前斎宮の
里邸としたのです。
秋好中宮の、御所以外の居場所を作ることで
六条御息所の遺言通りに後見の役割を果たし、
加えて豪華な六条院を造営することで、
光源氏の権力を京中に
知らしめることにもなりました。
春夏秋冬の町 それぞれの植物



六条院それぞれの町に
どんな植物が植えられていたのかを
解説します。
春の町の植物
紫の上の住む春(東南)の町の庭には、
高い築山をつくって、
桜などの春の花の木が、
たくさん植えられてました。
寝殿前の前栽には、
五葉の松、紅梅、桜、藤、
山吹、岩躑躅など
春に花が咲く植物を中心に植えつつ、
小萩など秋の草木もまばらに混ぜてあります。



池のほとりには柳。
藤は渡廊にめぐらせてあります。
池には水鳥、鴛鴦が浮かんでいます。
帝の行幸の際には、
鵜飼がこの池に鵜を放ちました。
池には鮒などが生息しています。
「鈴虫」の巻では、秋になって
女三の宮の住む寝殿と
西一対を結ぶ渡廊の前(南)側で
塀の東側を草原のように作らせて、
鈴虫を放っています。
春の町の華やかさは、原作に
「生ける仏の御国(この世の極楽浄土)」
と思われるほどと表現されています。
夏の町の植物
花散里の住む夏(北東)の町の庭には、
涼しい泉があって、夏の木蔭を主としています。
木が森のようになっていて、
まるで山里のようです。
寝殿前の前栽には、呉竹が植えられていて、
風が涼しく吹くようにしてあります。
卯の花の垣根を造ってめぐらして、
花橘、撫子、薔薇、くたに
などといった夏の花が植えられています。
夏の植物ばかりではなく、
その中に春秋の木や花も混ぜられています。
厩舎の近くの川のほとりには、
菖蒲が植えてあり、
五月の遊び場所となっていました。
西の対から見える前栽には、
大和撫子、唐撫子の垣根が植えられています。



秋の町の植物
秋好中宮の住む秋(南西)の町は、
もとからある山に、
紅葉の木をたくさん植えてあります。
遣水の音がきわだつように岩を加えて、
滝を作って、秋の野を広々と作ってあります。



前栽には夏の花・撫子が植えられていたと
記述されています。
敷地内には春の花である山吹の垣根もあります。
秋の野の中には、黒木と赤木の籬垣が
ところどころに結ってあります。
他の町にも紅葉する木が植えられていて、
秋には美しく紅葉しますが、
中宮のいる秋の町の紅葉が最も美しいと
語られています。
冬の町の植物
明石の君の住む冬(西北)の町は、
御倉町との境目に
松がたくさん植えられていて
冬には雪が美しく見えるようになっています。
菊の垣根には、初冬の朝に霜が結びます。
柞の原(コナラ・クヌギが植えてある野原)は
秋になると美しく紅葉します。
その他はほとんど名前も知らないような木が
たくさん茂っています。
前栽には、龍胆や朝顔など秋の草花が植えられ
紅葉とともに秋の風情を感じられます。
六条院に住んでいた人は誰?
六条院のそれぞれの町に
住んでいた人をおさらいしてみましょう。
春の町に住んでいた人
春の町には、初めは
光源氏と紫の上と明石の姫君が
寝殿に住んでいました。
寝殿の東面は紫の上
西面は明石の姫君が使用していました。



「若菜上」の巻で、
光源氏が女三の宮と結婚すると、
女三の宮が春の町の御殿の寝殿に
住むようになり、
紫の上は東の対に移動しました。
寝殿の西の放出に女三の宮の
御帳台(座所・寝所)が設けられ、
西一対、西二対、渡殿にかけて、
女三の宮の女房の局となりました。


寝殿の西面には女三の宮が住みましたが、
寝殿の東面には明石の女御(明石の姫君)
の部屋が用意されていました。






光源氏
紫の上
明石の姫君
女三の宮
夏の町に住んでいた人
夏の町の寝殿に住んでいたのは、花散里です。
「玉鬘」の巻で、西の対に
玉鬘が住むようになりました。





玉鬘は、「真木柱」の巻で髭黒と結婚して
六条院を出て行きます。
花散里
玉鬘
秋の町に住んでいた人
秋の町の寝殿に住んでいたのは、秋好中宮です。
秋好中宮は冷泉帝の后なので、
ずっと六条院に住んでいたわけではなく
里下がりの際に使用していました。
もともと秋好中宮が住んでいた
邸の跡に建てられたものなので、
秋の御殿は秋好中宮の里邸となりました。
秋好中宮は六条院
秋の町の庭をたいへん気に入っていました。
秋好中宮
冬の町に住んでいた人
冬の町に住んでいたのは、明石の君です。
春の町に住んでいた明石の姫君の母親ですが、
六条院で、この母子が一緒の御殿に
住むことはありませんでした。



明石の君
末摘花・空蝉はどこに住んでいたか



末摘花・空蝉も光源氏の庇護のもとで
暮らした女性です。



末摘花と空蝉が住んでいたのは
二条東院です。
六条院は光源氏が特別に大切にしている
女性たちが住む豪邸でした。
二条東院は、特別に愛しているわけではない
けれども、光源氏が放っておけないと感じた女性
・ブスだが一途な末摘花
・出家した空蝉
・筑紫の五節 など
を住まわせてあります。




六条院は実在した?モデルは存在するのか
六条院のモデルは、
源融 (822生-895没)の作った
河原院であると言われています。
河原院は六条京極にあった4町の豪邸です。
源融は河原院に、陸奥国塩竈の風景を模した
豪華な庭園を造らせました。





紫式部の生きた平安中期には、
この河原院には既に人が住んでおらず
荒廃していたようです。
紫式部は昔を忍びながら、
華やかな六条院の様子を『源氏物語』に
描いたのでしょうか。
東本願寺の所有する庭園(渉成園)が
河原院の跡地の一部に建っている
という説があります。
ただし、河原院があった位置は
南は六条大路、北は六条坊門小路、
東は京極大路、西は萬里小路に
囲まれたエリアであると言われており、
残念ながら、現在では
渉成園と河原院との関係は否定されています。


「河原院」があったとされる場所の付近には
源融河原院址の石碑が建っています。
この記事では、『源氏物語』の六条院について
詳しく解説しました。
当ブログでは、『源氏物語』について
さまざまなテーマで解説しています。
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