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撫子
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30代後半の主婦。
高校生の頃から源氏物語に興味を持ち始めました。大学では源氏物語を研究し、日本語日本文学科を首席卒業しました。
30代になり、源氏物語を改めて学びなおしています。
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源氏物語が竹取物語から受けた影響と共通点について解説!

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源氏物語が竹取物語から受けた影響と共通点ついて解説

源氏物語 初心者
『源氏物語』は『竹取物語』から大きな影響を受けてるって本当?


『源氏物語』には
『竹取物語』と類似している部分が見受られます。
両者に共通点があるというよりは、
『源氏物語』が『竹取物語』の影響を受けて
成立した
というほうが正しいでしょう。

『源氏物語』の「絵合」の巻で、『竹取物語』は
「物語のはじめのおや」と語られており、
その内容が論評されていることから、
紫式部が『竹取物語』を
読んだことがあるのは明確です。

筆者
この記事では、『源氏物語』のどのような点が、『竹取物語』の影響を受けているかを紹介します。

この記事でわかること

・『源氏物語』が『竹取物語』から受けた影響

『源氏物語』の以下の女性登場人物について、
『竹取物語』の主人公:かぐや姫が
モデルとなっていると言われています。

玉鬘、浮舟、空蝉、紫の上、大君、
藤壺の宮、桐壺の更衣

それぞれの人物について、
どのように、かぐや姫と類似しているか
詳しく解説することで、『源氏物語』が
どれだけ『竹取物語』を受容しているかを見て行きましょう。

目次

玉鬘とかぐや姫の類似点

玉鬘が中心となって展開する「玉鬘十帖」は
『源氏物語』の中でも特に『竹取物語』の影響が
色濃く見られます。

玉鬘十帖とは

『源氏物語』第22巻「玉鬘」から
第31巻「真木柱」までの十帖のこと。
夕顔の娘・玉鬘が中心となっている。

『竹取物語』
・竹取翁とかぐや姫が養父と養女の関係
・かぐや姫が多くの貴公子から求婚される
・かぐや姫が光り輝やくほど美しい
・かぐや姫は帝とのみ文を交わす

『源氏物語』
・光源氏と玉鬘が養父と養女の関係
・玉鬘が多くの貴公子から求婚される
・玉鬘が蛍の光に照らされ光り輝く
・玉鬘は蛍兵部卿宮とのみ文を交わす

このように玉鬘を中心とするストーリーは、
『竹取物語』が意識されており、
玉鬘は明らかにかぐや姫がモデルとされています。

5人の貴公子から求婚されるかぐや姫。
17世紀末(江戸時代後期)メトロポリタン美術館蔵。
玉鬘も、蛍兵部卿宮・髭黒大将・柏木などの貴公子から求婚を受けます。

作中では、玉鬘の比喩表現として
「竹の子」を詠んだ
光源氏の和歌まで登場しています。

詳しくは、下記の記事で解説しています。

⇒玉鬘の物語と『竹取物語』の類似点を解説

浮舟とかぐや姫の類似点

『源氏物語』の宇治十帖のメインキャストの一人
浮舟にも、かぐや姫のイメージが重ねられています。

小野における浮舟の描かれ方は、
かぐや姫が地上に下り、贖罪を終えて
月に昇って行く物語の影響が
色濃く出ているのです。

その類似点を5つのポイントに分けて解説していきます。

1.妹尼は浮舟をかぐや姫に喩えている

「手習」の巻において、
浮舟は横川の僧都に助けられますが、
浮舟の看病をした妹尼君は、
浮舟のことを天人とかぐや姫に喩えています。

【原文】
一年足
ひととせた
らぬ九十九髪多
つくもがみおほ
かる
ところ
にて、
もあやに、いみじき天人
てんにん
天降
あまくだ
れるを
たらむやうに
おも
も、
あや
ふき心地
ここち
すれど、

【現代語訳】
白髪の人の多い所なので、(妹尼は浮舟を見て)目もあざやかに、美しい天人が地上に下りたのを見たように感じるのも、不安な気がするが、

『源氏物語』「手習」巻より引用

この後に見られる次の一文により、
ここでの「天人」は、かぐや姫のことを
指しているとわかります。

【原文】
かぐや
ひめ

つけたりけむ竹取
たけとり

おきな
よりも、
めづら
しき心地
ここち
するに、「いかなるものの
ひま


せむとすらむ」と、静心
しづごころ
なくぞ
おぼ
しける。

【現代語訳】
かぐや姫を見つけた竹取の翁よりも、珍しい気がするので、「どのような何かの機会に(浮舟の姿が)消えてしまうのだろうか」と、落ち着かない気持ちでいた。

『源氏物語』「手習」巻より引用

浮舟を見つけた妹尼は、自身の状況を、
かぐや姫を見つけた竹取の翁に喩えているのです。
作者が『竹取物語』を参考にして、
小野の浮舟の物語を書いたことを明言している部分
といっても過言ではないでしょう。

かぐや姫を育てる翁夫妻。
17世紀末(江戸時代後期)メトロポリタン美術館蔵。
浮舟は、横川僧都と妹尼に発見されて看病を受ける。

2.浮舟は「月の都」を和歌に詠んでいる

さらに浮舟自身も、「月の都」という言葉を含む
和歌を詠んでいます。

われかくて き世の中に めぐるとも 
れかは知らむ 月のみやこ

【現代語訳】
私がこのように辛い世の中に生きていると
誰が知ろうか、あの月の都の人で

薫や匂宮の住む都を「月」に喩えており、
浮舟自身は月から追放されたかぐや姫の
境遇が重ねられているのです。

都 = 月
小野 = 地上
浮舟 = かぐや姫


という照応が読み取れます。

3.浮舟もかぐや姫も貴公子の求愛を拒否する

小野での生活の中で、浮舟は、
かぐや姫が貴公子の求愛を拒んだのと
同じように
求愛してきた中将を拒みます。

中将を拒む浮舟の様子は、
生前の大君が薫を拒む様子をも彷彿させます。
※作者は大君にもかぐや姫のイメージを重ねています。

4.浮舟の出家=かぐや姫の昇天

浮舟の出家は、
かぐや姫が月に昇天したことに
対応するものとなっています。

『源氏物語』では
死と出家が、かぐや姫の昇天に対応する
ものとして語られています。

伊年印「源氏物語図 末摘花・手習」
髪を切り、出家する浮舟
伊年印「源氏物語図 末摘花・手習」江戸時代前期

5.「夢浮橋」巻と『竹取物語』の照応

『源氏物語』の最終巻である
「夢浮橋」には、
薫が横川僧都に仲介を依頼し、
小君が浮舟を訪問するストーリーが書かれています。

ここでは、『竹取物語』で帝が翁と交渉をし、
帝の使いが竹取の翁邸を訪問する場面が
モデルとなっています。

横川の僧都 = 翁
妹尼君 = 媼
薫 = 帝
小君 = 帝の使い

浮舟 = かぐや姫

という対応関係が見られます。

なぜ浮舟はかぐや姫に喩えられたのか

源氏物語 初心者
小野における浮舟の物語は、『竹取物語』の影響が強いんだね。でもどうして、作者はそんなに『竹取物語』の要素を取り入れたのだろう?


かぐや姫が、汚れた地上で暮らすことで
月で犯した罪の贖罪を果たしたように、
浮舟は小野の山荘にて

尼集団の中で暮らすことで
匂宮と密通した罪の贖罪を果たした

と考えることができます。

さらに、
中将の求愛を拒否し、薫のもとに戻ることも
拒否した浮舟は新たな愛執の罪を
犯す可能性もなくなりました。

かぐや姫が月に帰ったように、
浮舟は出家をすることで
男性の欲望の対象になることのない
場所に到達し、罪深い女の身から
完全に逃避したということになります。

紫式部は、
『竹取物語』において
かぐや姫が贖罪をへて
清らかな月の世界に帰っていく
ストーリーを参考にして、
浮舟の贖罪の物語を生み出したのでしょう。

空蝉とかぐや姫の類似点

光源氏を拒む空蝉の様子は、実は
さり気なくかぐや姫に喩えられています。

【原文】
人柄
ひとがら
のたをやぎたるに、
つよ

こころ
をしひて
くは
へたれば、なよ
たけ
心地
ここち
して
、さすがに
るべくもあらず。

【現代語訳】
(空蝉は)性格がおとなしくて、無理に気強く張りつめているので、しなやかな竹のような感じがして、そうはいってもたやすく手折れそうにもない。

『源氏物語』「帚木」巻より引用

かぐや姫の正式な名称は、
「なよ竹のかぐや姫」です。
「なよ竹の心地して」は、明らかに
かぐや姫を意識した表現です。

【原文】
この子いと大になりぬれば、名をば三室戸齋部秋田を呼びてつけさす。秋田、なよ竹のかぐや姫とつけつ。

【現代語訳】
この子はとても大きくなったので、名前は三室戸齋部の秋田を呼んでつけさせる。秋田は、なよ竹のかぐや姫と名付けた。

『竹取物語』より引用

「なよ竹」というのは、
細くてしなやかな竹のことです。

なよ竹のイメージ画像

光源氏に心を開かない空蝉を
細くやわらかいけれど、
なかなか折れない「なよ竹」
に喩える
と同時に、
貴公子や帝からの求婚を
受け入れなかったかぐや姫
にも喩えている
のです。

『源氏物語』の空蝉には、
『竹取物語』のかぐや姫のイメージが
重ねられているということができます。

紫の上とかぐや姫の類似点

紫の上が亡くなった際の表現は、
かぐや姫の昇天のイメージが重ねられています。

紫の上の葬儀は8月15日

【原文】
十四日に亡じふよにち うせたまひて、これは十五日
じふごにち

あかつき
なりけり。

【現代語訳】
十四日にお亡くなりになって、葬儀は十五日の暁であった。

『源氏物語』「御法」巻より引用

紫の上、8月14日に死去し、
葬儀は8月15日でした。

このような、亡くなった日と、
葬儀の日を明確に記載しているのは
『源氏物語』の中でも珍しいことです。
8月14日、15日という日付が、
何らかの意図をもって書かれていると推測できます。


ここで思いつくのが
『竹取物語』のかぐや姫の昇天です。
かぐや姫も、8月15日に天人が迎えにきて、
月の都に帰ってきました。

月へ帰っていくかぐや姫。
17世紀末(江戸時代後期)土佐広通, 土佐広澄著

筆者
紫式部は、かぐや姫の昇天の日付を意識して、紫の上の遺体を8月15日に焼かせたのではないでしょうか。


源氏物語 初心者
でも、夕顔も8月15日に、物の怪に憑かれて亡くなっているよ。根拠として日付だけでは薄いんじゃない?

光源氏の詠んだ「昇りにし雲居」の和歌

次の和歌が、さらなる根拠となります。

のぼりにし雲居くもゐながらもかへり
われきはてぬつねならぬ

【現代語訳】
煙となって昇っていった
雲の上からも振り返ってください
私はこの無常の世にすっかり
飽きてしまいました

この和歌は、明石の中宮に対する返歌として、
光源氏が詠んだものです。

「昇りにし雲居」は火葬を終えて
煙となって空に昇っていく
紫の上のことを指します。

実は、この表現は、『竹取物語』
からの引用となっています。
ただし、『竹取物語』本文からの引用ではなく、
「絵合」巻の物語絵合の際に、
『竹取物語』が出された時の右方(弘徽殿方)の
反論の言葉から引用しています。

【原文】
かぐやひめのぼりけむ雲居くもゐは、げに、およばぬことなれば、たれりがたし。
このちぎりはたけなかむすびければ、くだれるひとのこととこそはゆめれ。
ひとついへうちらしけめど、百敷ももしきのかしこき御光おほんひかりにはならばずなりにけり。

【現代語訳】
かぐや姫が昇ったという雲の上は、おっしゃるとおり、想像できないことなので、誰も知ることができません。この世での縁は、竹の中に生まれたので、素性の卑しい人と思われます。一つの家の中は照らしたでしょうが、宮中の恐れ多い光と並んで妃にならずに終わってしまいました。

光源氏の和歌の「のぼりにし雲居」は
「絵合」巻の「のぼりけむ雲居」とほぼ同義です。

光源氏は、亡くなった紫の上に、
昇天したかぐや姫のイメージを重ねているのです。

紫の上の手紙を焼かせる光源氏

また、紫の上の一周忌が終わった頃に、
光源氏は紫の上の手紙を女房に破らせて燃やしています。

このシーンは、『竹取物語』で
帝がかぐや姫からもらった手紙と不死の薬を
富士山の山頂で燃やさせたエピソードに
対応すると指摘されています。

紫の上の極楽往生を願って

源氏物語 初心者
なぜ、紫の上とかぐや姫を重ねているのだろう?


『竹取物語』でかぐや姫が昇天するシーンは、
阿弥陀仏来迎図の影響が指摘されており、
極楽からのお迎えが想起させられます。

【原文】
かかるほどに宵うち過ぎて、子の時ばかりに、家のあたり、昼のあかさにも過ぎて光りたり。望月のあかさを十合はせたるばかりにて、ある人の毛の穴さへ見ゆるほどなり。大空より、人、雲に乗りて降り来て、土より五尺ばかり上がりたるほどに、立ちつらねたり。

【現代語訳】
こうしているうちに、宵を過ぎて、午前0時ごろになると、家の周辺が、昼の明るさ以上に光った。それは、満月を10個合わせたほどの明るさで、居合わせた人の毛穴まで見えるほどだった。大空から人が雲に乗って降りて来て、地面から五尺くらい浮いたところに立ち並んだ。

『竹取物語』より引用

この光と雲の表現は、極楽からのお迎えそのものです。

阿弥陀聖衆来迎図  和歌山・有志八幡講 絹本著色 平安時代後期
阿弥陀聖衆来迎図  和歌山・有志八幡講 絹本著色 平安時代後期

『源氏物語』の紫の上の葬儀に関して、
『竹取物語』のかぐや姫昇天の
イメージを重ね合わせることで
紫の上の極楽往生を示唆している可能性があります。

生前、紫の上は熱心な求道心をもっており、
後世のためにと法華経千部を供養しています。
ところが、出家したいという希望は、
光源氏に聞き入れられず、
紫の上は出家できないままで死んでいったのです。

紫式部は、
思い通りに生きられなかったあわれな紫の上を
せめて極楽往生させてあげたいと思い、
このようなひっそりとした「匂わせ」を
仕込んだのだと考えられます。

阿弥陀如来(左上)から経巻を持つ女性に差し込む光明。
貴族たちは極楽浄土を求める願望が強かった。
「平家納経」平安時代後期
阿弥陀如来(左上)から経巻を持つ女性に差し込む光明。
貴族たちは極楽浄土を求める願望が強かった。
「平家納経」平安時代後期

大君とかぐや姫の類似点

大君は、かぐや姫に似た性質を持った
キャラクターだと言われています。

大君とかぐや姫の類似点

大君が薫を受け入れず、
父八の宮の遺言に従って独身を通そうとし、
罪が深くならないうちに早く死んでしまいたい

と望むところは、
かぐや姫が帝の求婚をさえ拒み、
宮仕えを強いるのであれば死のうと
発言しているのととてもよく似ています。

薫の詠んだ和歌

さらに、大君が亡くなった後に、
薫は次のような和歌を詠んでいます。

おくれじとそらゆくつきしたふかな
つひにむべきこのならねば

【現代語訳】
後れまいと空をわたっていく月が慕われることよ
いつまでも住んでいられないこの世なので

この和歌では、大君をかぐや姫に喩えて、
大君が昇天した月へ、
薫自身も後を追って行きたい
という
気持ちを詠んでいます。

次の和歌も薫が詠んだものです。

ひわびてぬるくすりのゆかしきに
ゆきやまにやあとなまし

【現代語訳】
恋いわびて死ぬ薬がほしいので
雪の山に分け入って跡を晦ましてしまいたい

この和歌は、『竹取物語』で
帝が「死なぬ薬」(不死の薬)を
富士山に持って行かせて
手紙と一緒に焼かせたエピソードに
着想を得たものでしょう。

筆者
薫は逆に「死ぬる薬」がほしいと詠んでいます


薫という貴公子との結婚を拒否し、
「恥をかくぐらいならいっそ」と、
食事をも拒んで死んでいった大君。

世間の価値観から離れた考え方を
持っていた大君は、
かぐや姫を参考にした人物造形であり、
大君の死後に詠まれた薫の和歌により
それは裏付けられています。

藤壺の宮とかぐや姫の類似点

光源氏にとっての理想の女性・藤壺の宮にも
かぐや姫のイメージが重ねられています。

藤壺の宮は、
何度も「月」の表現をまとっているのです。


たとえば、「賢木」巻で突然出家をした
藤壺の宮に対して、
光源氏は次のような和歌を詠んでいます。

月のすむ雲居をかけて慕ふとも
この世の闇になほや惑はむ

【現代語訳】
月のように心の澄んだ出家の境地を
お慕い申し上げても
なおも子どもゆえのこの世の煩悩に
悩み続けるのであろうか

俗世に取り残され、この世の闇に惑う光源氏と、
出家して月のように澄み切っている藤壺の心が
対称的に詠まれた和歌です。

出家して手の届かない存在になった藤壺の宮を、
「月のすむ雲居」の表現により、
月に昇天したかぐや姫に喩えていると
捉えることもできます。


「朝顔」の巻で、月を眺めながら
光源氏が生前の藤壺の宮のことを語るのも、
昇天したかぐや姫を意識しての行動なのでしょう。

また、「かぐや姫」と「かがやく日の宮」
という名称の間にも
類似性を指摘する声もあります。

筆者
「桐壺」の巻で藤壺は「かがやく日の宮」という呼称がついています。

桐壺の更衣とかぐや姫の類似点

桐壺の更衣に関しては、
『竹取物語』の素材となったであろう伝承の
影響を受けています。

平安時代初期に成立した『竹取物語』は、
『万葉集』などに垣間見られるような
竹取翁の祭儀伝承に、
南方諸民族の竹中生誕伝承を取り入れて
「竹取説話」として形成されていたものに、
中国の説話や神仙思想などとりこんで成立したものと言われています。

『竹取物語』は
オリジナルの物語ではなく、
さまざまな伝承をとりこんで成立したものです。

『源氏物語』の桐壺更衣のエピソードは、
この「竹取説話」の段階の要素を取り込んでいるのです。


中世の聖徳太子伝記「聖徳太子伝正法輪」の
一節「聖徳太子九歳口伝」の章にある
竹取伝承では
かぐや姫は欽明天皇の后となり、
寵愛を受け、3年の歳月を過ごした後に
皇女を出産しています。
その後、かぐや姫は皇女を残して
月に帰っていきます。

この竹取伝承と『源氏物語』の桐壺更衣の境遇は似ています。

筆者
桐壺の更衣も、帝から寵愛を受け、光源氏を出産しています。そして、光源氏が3歳の頃に死去しています。

<桐壺の更衣と竹取伝承の共通点>

①天皇の后として寵愛を得た
②天皇との3年の年月を過ごした
③天皇との間に一子をもうけた
④出産後、別れを迎える
(かぐや姫:昇天・桐壺の更衣:死別)

紫式部は、
現在広く知られている『竹取物語』以外に、
その原型となる「竹取伝承」を読んでいて、
桐壺の更衣のモデルとした可能性があります。

【まとめ】源氏物語に見える竹取物語の大きな影響

『源氏物語』の中には、何度も何度も
『竹取物語』に影響を受けた表現やエピソードが
繰り返し登場することがおわかりいただけたと思います。

紫式部が『竹取物語』に強い関心を持ち、
『源氏物語』全体に『竹取物語』が
深く根をおろしているということができるでしょう。

「絵合」の巻を読んでわかるように、
作者自身が『竹取物語』に影響を受けた
ということを作品内で表明しているので、
紫式部が『竹取物語』を読んでいたという事実は
もはや疑うところではありません。

当ブログでは、他にもいろいろな視点から
『源氏物語』について解説をしています。

気になるものがあれば、
他の記事もぜひ読んでいってくださいね😊

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