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撫子
このサイトの管理人
30代後半の主婦。
高校生の頃から源氏物語に興味を持ち始めました。大学では源氏物語を研究し、日本語日本文学科を首席卒業しました。
30代になり、源氏物語を改めて学びなおしています。
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大河ドラマ「光る君へ」放送中! 漫画「あさきゆめみし」で源氏物語を学ぼう!

源氏物語の玉鬘ってどんな人?性格や容姿、髭黒との結婚を解説!玉鬘十帖のあらすじも紹介!あさきゆめみしでの描かれ方も。

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源氏物語の玉鬘ってどんな人?性格や容姿、年齢、髭黒との結婚を解説。玉鬘十帖のあらすじも簡単に紹介。
源氏物語 初心者
源氏物語の玉鬘ってどんな人なの?詳しく教えて!

玉鬘たまかずらは、頭中将と夕顔の娘として誕生し、
成長してからは光源氏の養女となった姫君です。

筆者
たいへん美しい姫君で、多くの貴公子から結婚の申し込みが入ります。

玉鬘たまかずらが中心となる物語は
「源氏物語」の中でも玉鬘十帖と称されます。

玉鬘は「源氏物語」第一部の後半における
主要な登場人物の一人であり、

美しい容姿と人懐っこい性格、
髭黒大将との結婚という衝撃的な結末ゆえに
人気のある姫君です。

この記事では、玉鬘について
詳しく解説していきます✨

この記事でわかること

【源氏物語 玉鬘について】
・家系図、性格、容姿、年齢
・玉鬘十帖とその後のあらすじ
・あさきゆめみしの玉鬘の特徴
・光源氏と玉鬘の関係
・玉鬘は幸福だったか(考察)
・玉鬘の物語と竹取物語の関係性

この記事を読むことで、
玉鬘の人柄と生涯が
よくわかります。

長い記事となりましたので、
下記の目次をタップして気になるところから
お読みください😊

目次

源氏物語の玉鬘ってどんな人?相関図、性格、結婚相手を解説

玉鬘とはどんな人だったか、
人物像について深く掘り下げていきましょう。

まずはの玉鬘の相関図と
周辺の人間関係について説明していきますね。

玉鬘の相関図と人間関係

以下は、
玉鬘の周辺にクローズアップした
家系図です。

「源氏物語」玉鬘の相関図・家系図
「源氏物語」玉鬘周辺の相関図

「源氏物語」全体の相関図は、
こちらの記事に掲載しています。

玉鬘:内大臣(頭中将)と夕顔の娘。
幼名は「瑠璃君」。
光源氏に養女として引き取られる。
多くの貴公子から求婚を受けた末、
髭黒大将と結婚する。

光源氏:玉鬘の母(夕顔)とは
若い頃に恋人同士だった。
養女として引き取った玉鬘に
恋心を抱きつつも自制する。
玉鬘の噂を世間に流して多くの求婚者を集める。

内大臣:玉鬘の実の父親。
玉鬘の母(夕顔)とは
頭中将時代に恋愛関係にあった。
「行幸」の巻で親子の再会を果たす。

髭黒大将:求婚者の一人であり、
強引な形で玉鬘の夫となる。
求婚時32歳。
色が黒く、髭が濃い外見をしていた。

北の方:髭黒大将の妻。
式部卿宮の長女で、紫の上の異母姉。
髭黒より3~4歳年上だが、
髭黒から「おばあさん」と呼ばれ
愛されておらず離縁される。

蛍兵部卿宮:求婚者の一人。
光源氏の異母弟。
源氏は部屋に蛍を放ち、
玉鬘の美しい姿を宮に見せた。

柏木:求婚者の一人。
内大臣の息子。
玉鬘が異母妹と知り、結婚を諦める。

夕霧:光源氏の息子。
玉鬘が姉ではないと知り、言い寄る。

近江の君:内大臣の娘。
源氏が玉鬘を世話しているのが羨ましく
見つけ出した外腹の姫君。

玉鬘は、
頭中将と夕顔の間に生まれた娘です。

夕顔って誰?

夕顔は、頭中将と光源氏
両方と恋人関係にあった女性です。

頭中将・光源氏・夕顔の
関係性については、
こちらの記事で詳しく解説しました。

玉鬘は、
母・夕顔が亡くなった後、
4歳のときに
乳母の夫の赴任に従って、筑紫に下りました。

筆者
玉鬘は乳母の一家に育てられたのです。

美しく成長した玉鬘に、
田舎の豪族・大夫の監が熱心に求婚しますが、
乳母たちは承諾せず、玉鬘を上京させます。

長谷寺詣での際に椿市の宿で、
かつての夕顔の女房であり、
今は源氏に仕える右近と再会し、
玉鬘は源氏の六条院に迎えられるのでした。

その後、玉鬘は
複数人の貴公子から求婚されますが、
結果的に髭黒大将と結婚し、三男二女をもうけ
主婦として平穏な日々を送ります。

筆者
玉鬘のお話は、貴公子たちの玉鬘への求婚話が中心となります。
源氏物語 初心者
人間関係は、だいたい分かったよ!玉鬘は、どんな性格の女性だったの?

玉鬘の性格

玉鬘の性格としては、
以下のような特徴があげられます。

  • 教養が高く頭が良い
  • 人懐っこい
  • 母・夕顔よりしっかりした雰囲気

「源氏物語」の本文を引用しながら、
具体的に説明していきますね。

教養が高く頭が良い

玉鬘は、普段の会話に古歌を引用したり、
詠む和歌には掛詞や縁語を多用したり、
和歌に関する深い教養を備えていました。

筆者
頭中将の実の子である玉鬘の将来に期待して、乳母はしっかりと教育していたのでしょう。

玉鬘と初めて対面した時、
光源氏は、次のような感想を抱きました。

【原文】
心ばへいふかひなくはあらぬ御応へと思す。

【現代語訳】
(源氏は、玉鬘が)嗜みの悪くはないお返事をするとお思いになる。

「源氏物語」【玉鬘】の巻より引用
光源氏と玉鬘の初対面。
右近に灯台の灯心を高く引き上げさせて玉鬘の顔をよく見ようとする源氏。
「源氏物語画帖 玉鬘」土佐光起著
光源氏と玉鬘の初対面。
右近に灯台の灯心を高く引き上げさせて玉鬘の顔をよく見ようとする源氏。
「源氏物語画帖 玉鬘」土佐光起著

玉鬘は田舎育ちなのに、
こちらが恥ずかしくなるほど
教養の深い人物だったのです。

筆者
ただし筆跡は、そんなに立派ではなかったようです。

玉鬘は物語中で21首の和歌を詠んでいます。
以下の記事で「源氏物語」の和歌を全て
現代語訳つきで紹介していますので
「玉鬘」~「真木柱」を中心に読んでみて下さいね。

可愛い性格だが夕顔よりもしっかりしている

玉鬘は
養父である光源氏を純粋に信頼しており、
可愛らしい雰囲気でしたが、
母の夕顔と比べると賢さが優っており、
しっかりした様子でした。

【原文】
ひとへにうちとけ頼みきこえたまふ心むけなど、らうたげに若やかなり。 似るとはなけれど、なほ母君のけはひにいとよくおぼえて、 これはかどめいたるところぞ添ひたる。

【現代語訳】
ひたすら信頼申し上げていらっしゃる心づかいなど、可愛らしくて若々しい。似ているわけではないが、やはり母(夕顔)の雰囲気にとてもよく似ていて、こちら(玉鬘)には才気が加わっていた。

「源氏物語」【胡蝶】の巻より引用
蛍の光に照らされ、顔を扇で隠す玉鬘
「源氏物語色紙貼付屏風 蛍」土佐光則筆
蛍の光に照らされ、顔を扇で隠す玉鬘
「源氏物語色紙貼付屏風 蛍」土佐光則筆

夕顔は、ただなよなよとして
従順ではかない感じの女性でした。

\夕顔の性格を詳しく解説/

玉鬘も純粋で可愛らしい性格でしたが、
自分の気持ちを思ったままに主張するなど
利発な面が優っています。

人懐っこく親しみやすい

玉鬘は、人との間に壁を作るタイプではなく
明るく親しみやすい性格でした。

光源氏はもちろん、
六条院の女君たち(紫の上や花散里)
にも好かれていたのです。

【原文】
深き御心もちゐや、浅くもいかにもあらむ、けしきいと労あり、なつかしき心ばへと見えて、人の心隔つべくもものしたまはぬ 人ざまなれば、いづ方にも皆心寄せきこえたまへり。

【現代語訳】
(玉鬘は)深いお心遣いという点では、浅いのではないかと思われるが、態度がとても洗練されていて、親しみやすい性格に見えて、他人と心の壁を作ることもない性格なので、どの女君たちも皆、(玉鬘に)好意を寄せていらっしゃる。

「源氏物語」【胡蝶】の巻より引用

養父である光源氏に
恋心をほのめかされた玉鬘は、
用心しながらも
愛嬌を振りまいてしまっています。

光源氏は橘の実を持ち、玉鬘への愛をほのめかす。
「源氏物語画帖 胡蝶」土佐光吉著
光源氏は橘の実を持ち、玉鬘への愛をほのめかす。
「源氏物語画帖 胡蝶」土佐光吉著

光源氏が演奏する琴の音色を聞きながら
「どうしてこんな素晴らしい音が出るのかしら」
と言いつつ首を傾ける玉鬘の様子は
非常に可愛らしく、光源氏も思わず笑ってしまいました。

光源氏
玉鬘は、養女とはいえ本当に可愛い女だったから、気持ちを抑えるのが大変だったよ。
源氏物語 初心者
ふーん、玉鬘はすごく魅力的な性格の女君だったんだね。容貌も綺麗だったの?

玉鬘の容姿

玉鬘は、
「ゆゆしきまでをかしげなる」
(不吉なまでに美しい)

と語られるほどの美貌の持ち主でした。

玉鬘の容姿の特徴は、

  • 母・夕顔よりも美しい
  • 母・夕顔に似ている
  • 父・頭中将ゆずりの気高さ
  • 目が大きく華やかな美人

という点です。

原文中では玉鬘が「美しい」と
何度も強調されており、
冷泉帝も玉鬘の美貌に魅了されています。

玉鬘の容姿に関する描写を
原文からいくつか引用してみますね。

夕顔に似ているが、さらに美しい+頭中将ゆずりの気品

【原文】 
母君は、ただいと若やかにおほどかにて、やはやはとぞ、たをやぎたまへりし。 これは気高く、もてなしなど恥づかしげに、よしめきたまへり。

【現代語訳】
母君は、ただ非常に若々しくおっとりしていて、なよなよと、柔らかく上品な雰囲気でいらしゃった。この姫君(玉鬘)は気品が高く、所作などもこちらが恥ずかしくなるくらい、優雅でいらっしゃる。

「源氏物語」【玉鬘】の巻より引用

夕顔は、おっとりと従順な美人でしたが、
玉鬘は夕顔よりさらに美しい上に
態度には父親(頭中将)ゆずりの
気品が備わっていました。

男たちからの文を読む女房の声を、顔をそむけつつ聞く玉鬘(右上)。
「源氏物語画帖 藤袴」土佐光則筆 江戸時代
男たちからの文を読む女房の声を、顔をそむけつつ聞く玉鬘(右上)。
「源氏物語画帖 藤袴」土佐光則筆 江戸時代

【原文】  
恥ぢらひたまへる顔の色あひ、いとをかし。なごやかなるけはひの、 ふと昔思し出でらるるにも

【現代語訳】
恥ずかしがっていらっしゃる顔色が、とても美しい。物柔らかな雰囲気が、ふと昔の母君(夕顔)を思い出さずにはいられない

「源氏物語」【胡蝶】の巻より引用

玉鬘は、
恥ずかしがって赤らんだ顔色が美しく、
肌もきめ細やかでふっくらと太った手が
魅力的な女君でした。

目が大きく華やかな美人

玉鬘は、
「まみ(目もと)」
「わららか」であった
と描写されてています。

【原文】  
酸漿などいふめるやうにふくらかにて、髪のかかれる隙々うつくしうおぼゆ。まみのあまりわららかなるぞ、いとしも品高く見えざりける。

【現代語訳】
酸漿(ほおずき)などというもののように頬がふっくらとして、髪のかかった隙間から見える肌の色艶が美しく見える。目もとがほがらか過ぎる感じが、格別に上品とは見えないのであった。

「源氏物語」【野分】の巻より引用

「わららか」は
「朗らか」や「にこやか」を意味する古語ですが、
与謝野晶子は
「目があまりに大きすぎる」と現代語訳しています。

玉鬘は目が大きく華やかな美人だが、
逆に顔つきの上品さが劣っていたというわけです。


筆者
現代では目の大きな人が美人とされますが、平安時代では切れ長の目のほうが品があって好まれたようです。

山吹色の着物が似合う明るい美人

光源氏は六条院の歳末の衣配りの際に、
玉鬘の新春の衣装として
「曇りなく赤きに、山吹の花の細長」
選んでいます。

紫の上は、

【原文】  
内の大臣の、はなやかに、あなきよげとは見えながら、なまめかしう見えたる方のまじらぬに似たるなめり

【現代語訳】
内大臣(頭中将)が、華やかで、「ああ美しい」と見える一方で、優雅に見えるところがないのに似たのだろう

「源氏物語」【玉鬘】の巻より引用

とまだ見たことの無い玉鬘の容姿を
推測したのです。

表地が黄色で、裏地が真紅の着物は、
華やかで明るい印象ではありますが、
格式があまり感じられません。

玉鬘が来た着物の色目
玉鬘が来た着物の色目

光源氏の選んだ着物の色目で、
玉鬘の親しみやすく明るい美貌を
想像することができます。

玉鬘の容姿まとめ

玉鬘の容姿は華やかに美しく、
動作には気品が備わって申し分のない美貌
でした。

ただし目元が派手な感じだったため、
顔立ちの上品さは
紫の上などに比べると少し劣っていたようです。

筆者
女房の右近も、「玉鬘は美しいが、紫の上の美しさにはかなわない」と感じていました。
源氏物語 初心者
紫の上の美貌は格別のものだったんだね!
光源氏
紫の上にかなう女性はこの世にいないよ。

六条院に来たばかりの玉鬘は、
田舎くさいところが残っていましたが、

紫の上など他の女君の様子を見て
化粧も気を遣ってするようになったので
ますます美しさに磨きがかかっていきました。

玉鬘の年齢

玉鬘は、母の死後
筑紫に下向した際はわずか4歳でした。

成長した後
筑紫の田舎人から多くの求婚を受けた時には
20歳になっていました。

【原文】 
二十ばかりになりたまふままに、生ひととのほりて、いとあたらしくめでたし。

【現代語訳】
二十歳ほどになっていかれるにつれて、美しく成人されて、大変もったいない美人である。

「源氏物語」【玉鬘】の巻より引用

この頃、光源氏は34歳。
光源氏と玉鬘の年の差は14歳です。

「夕顔」の巻(光源氏17歳)に
玉鬘が「一昨年の春」生まれたと記載があります。
数え年では生まれた日を1歳と捉えるので、
玉鬘が1歳のときに光源氏が15歳だったことになります。

スクロールできます
出来事玉鬘の年齢光源氏の年齢
玉鬘、誕生1歳15歳
玉鬘の母、夕顔の死3歳17歳
玉鬘、筑紫に下向4歳18歳
玉鬘、上京し六条院に入る21歳35歳
玉鬘、蛍兵部卿宮に姿を見られる22歳36歳
玉鬘、髭黒大将と結婚23歳37歳
玉鬘、髭黒の子・男児を出産24歳38歳
玉鬘、光源氏の四十の賀を祝う26歳40歳
玉鬘、娘を冷泉院に参院させる。48歳没後
玉鬘と光源氏の年齢・年の差

玉鬘の結婚相手=髭黒大将について

玉鬘は、髭黒大将と結婚します。

源氏物語 初心者
髭黒ってあんまりいいイメージがない…。どんな人だったの?

髭黒大将は、
登場時の官位は右大将でしたが、
玉鬘との結婚後、「若菜下」巻では
右大臣に昇進しており、
その後はなんと太政大臣にまで昇りつめています。

太政大臣とは、
古代の律令官制の最高官です。

髭が濃くて色黒な見た目と、
風流を理解しない粗野な性格で
嫌われがちですが、
髭黒大将は超エリートの上流貴族だったのです。

筆者
女性に好かれるような性格ではありませんが、経済力もあるし、真面目な男です。


源氏物語 初心者
髭黒は決して悪い結婚相手ではなかったんだね。

北の方は精神不安定な女性だった。
髭黒の後ろに回り、灰を浴びせかける。
「源氏物語手鑑 真木柱」土佐光吉筆 桃山時代
髭黒の前の北の方は精神不安定な女性だった。
髭黒の後ろに回り、灰を浴びせかける。
「源氏物語手鑑 真木柱」土佐光吉筆 桃山時代

髭黒が縁を切りたがっている北の方は、
紫の上の異母姉という関係性ゆえ、
光源氏は髭黒と玉鬘の結婚には
否定的でした。

紫の上の父親・式部卿宮の正妻(大北の方)は
光源氏と紫の上を嫌っていました。
髭黒の妻(北の方)はその大北の方の
娘だったのです。

光源氏
玉鬘が面倒な人間関係に巻き込まれるのを避けたかったんだよ。


結果的に髭黒と玉鬘は結婚し、
三男二女が誕生します。

髭黒は、「竹河」巻には亡くなっており
未亡人となった玉鬘が
2人の娘の縁談について悩む姿が描かれます。

源氏物語の玉鬘のあらすじを簡単に紹介!

ここでは、玉鬘が登場する巻名と
それぞれのあらすじを紹介します。

以下を読むことで、「源氏物語」における
玉鬘の生涯をざっくり把握できます。

玉鬘十帖のあらすじ

「玉鬘」の巻~「真木柱」の巻まで
10巻は、玉鬘が中心となったお話であることから
玉鬘十帖と称されています。

スクロールできます
巻名あらすじ光源氏の年齢玉鬘の年齢
玉鬘玉鬘、乳母の夫(大宰少弍)について筑紫に下向(玉鬘4歳)。
大宰少弍、「玉鬘を都へ連れて行くように」と
遺言を残して死去(玉鬘10歳)。
玉鬘、美しく成長して20歳となり、
多くの求婚者が集まるが、乳母は断る。
大夫の監という肥後の豪族が熱心に求婚。
大夫の監から逃れるため、玉鬘は乳母の息子たちと上京し、
九条に仮住まいをする。

長谷寺参詣の際、椿市で玉鬘は右近と再会する。
(右近は母・夕顔の女房、今は源氏に仕えている)
右近、光源氏に玉鬘のことを伝える。
光源氏、玉鬘を養女として六条院に迎える。
光源氏は玉鬘の美貌と気品に満足する。
世間に玉鬘の噂を流し、
男たちが懸想する様子を楽しもうと考える。

乳母の息子、豊後の介は玉鬘付きの家司となる。
歳末の衣配りで、光源氏は玉鬘に山吹の細長を選ぶ。
34歳~35歳20歳~21歳
初音新春を迎えた六条院、
光源氏は、紫の上、明石の姫君、花散里を
訪れた後で玉鬘を訪問する。
光源氏は美しい玉鬘に心が惹き付けられる。

正月、男踏歌が開催され、
玉鬘は南の寝殿から見物をした。
その際に玉鬘は紫の上と几帳を隔てて会話をした。
36歳22歳
胡蝶3月20日頃、春の町で船楽が開催される。
秋好中宮の女房たちが庭の池で船に乗り、
咲き誇った桜や山吹、藤の花を楽しむ。

船楽から一夜が明けると
前日から参集していた蛍兵部卿宮は
酔ったふりをして光源氏に和歌を詠みかけ、
玉鬘への恋心をほのめかす。

初夏になり、玉鬘には多くの男から恋文が寄せられる。
蛍兵部卿宮、髭黒大将、柏木
有力な候補であるがそれぞれに欠点があり、
光源氏は玉鬘の結婚相手を決めらない。

ある日の夕方、光源氏は玉鬘を訪れ
玉鬘の手をとり、横に添い寝して恋心を訴える。

玉鬘は光源氏の態度を不愉快に感じ、自分の運命を恨めしく思う。
36歳22歳
五月雨の頃、蛍兵部卿宮は真剣に玉鬘に恋文を贈る。
玉鬘は養父・光源氏からの恋心に困り果てて、
蛍兵部卿宮の文に目をとめる。

蛍兵部卿に気があるわけではないが、
光源氏から逃れる方法を考えていたのだ。

光源氏は蛍兵部卿宮の気持ちを面白がって
宮を六条院に呼ぶ。
光源氏は夕暮れ時に部屋の端に出た玉鬘に蛍を放ち、
その美しい姿を蛍兵部卿宮に見せる。

蛍兵部卿宮、ますます玉鬘に執心。

梅雨が例年より長引き、
玉鬘は物語を書き写したり、
読んだりすることに熱中していた。
光源氏は物語に熱中する玉鬘を見て、
自身の物語論を語り出す。
やがて玉鬘に寄り添い、恋心をささやく。
玉鬘は光源氏の気持ちを迷惑がる。

内大臣、光源氏を羨ましく思い、
かつての恋人・夕顔の娘を探し始める。
(玉鬘が自分の娘だとは気づいていない)
36歳22歳
常夏夏、六条院の釣殿で涼んでいた光源氏は、
内大臣が探し出して自邸に迎えた近江の君のことを、
内大臣の息子たちにたずねる。
光源氏は近江の君の悪い評判を
噂に聞いており内大臣の息子たちに皮肉を言う。

玉鬘は光源氏から琴の話を聞きながら、
琴の演奏に秀でていると言われる
実父(内大臣)を思い、会いたい気持ちが高まる。

源氏は若々しく親しみやすい玉鬘に
いっそう恋を募らせる。
玉鬘は光源氏が言い寄る以上のことを
しないので、再び光源氏を信頼する。


内大臣がひきとった近江の君は
早口で田舎臭く、教養のない姫君であった。

内大臣は扱いに困り果てた末、
娘の弘徽殿女御の許に出仕させることに決める。
36歳22歳
篝火玉鬘は、内大臣家に引き取られた近江の君が
大切にされていないという噂を聞き、
自分に愛情をかけてくれる光源氏に対して
信頼をましていた。


ある夜、源氏と玉鬘は
一つの琴を枕にして2人で並んで横になり、
和歌を詠み交わしていた。

光源氏は東の町の東の対から
夕霧や柏木を呼び、琴を弾かせる。
柏木は実は玉鬘の異母弟だが
そうとは知らず玉鬘への恋心を音にのせて
懸命に琴を弾いた。
36歳22歳
野分8月、野分(台風)が襲来。
光源氏は野分の翌朝、
六条院の女君を見舞いに訪問。

玉鬘を訪問すると、
嵐を恐れ明け方まで眠れなかった玉鬘が
ようやく起床したところだった。

夕霧、光源氏と玉鬘が体を寄せて
じゃれ合っている姿を目撃して驚く。

夕霧、玉鬘の美しさに心惹かれる。

夕霧、紫の上を桜、玉鬘を山吹、
明石の姫君を藤の花に喩える。
36歳22歳
行幸12月、玉鬘、冷泉帝の大原野への行幸を見物。
実父・内大臣や柏木、蛍兵部卿宮、髭黒の姿を見る。
玉鬘は冷泉帝の美しさに心惹かれる。
光源氏は玉鬘に冷泉帝に宮仕えすることを勧める。

光源氏は、内大臣の母・大宮が病気と知り、
大宮を訪問して、玉鬘のことを話す。
源氏はついに内大臣に玉鬘が
内大臣の実の娘であることを打ち明ける。

夕霧も玉鬘と血縁関係が無いことを知る。

2月16日、玉鬘の裳着が行われ、
秋好中宮や紫の上、末摘花から祝いの品が贈られる。
内大臣、玉鬘の裳着の腰結役を務め、親子の対面を果たす。

柏木と紅梅、玉鬘が異母姉であると知る。
蛍兵部卿宮、熱心に求婚するが、
光源氏から返事を先延ばしにされる。
近江の君、玉鬘が尚侍として仕えると知って羨む。
36歳~37歳22歳~23歳
藤袴玉鬘、冷泉帝への宮仕えを不安に思う。
夕霧、玉鬘を訪問し、恋心をほのめかす。
玉鬘、夕霧の態度に困惑。

光源氏、玉鬘の将来について、
宮仕えさせるか蛍兵部卿宮に妻にするかで悩む。
玉鬘の出仕の時期(10月)が決まる。

柏木、父内大臣の伝言を伝えに玉鬘を訪問。
よそよそしい扱いに文句を言う。

髭黒右大将、玉鬘に熱心に求婚。
髭黒の妻が紫の上の異母姉なので、源氏は
髭黒と玉鬘の結婚は否定的。

9月、多くの貴公子から恋文が集まる。
玉鬘は蛍兵部卿宮にだけ返事を書く。
37歳23歳
真木柱髭黒大将、玉鬘と強引に契る。
玉鬘、髭黒に愛情が湧かず、出仕もせず引きこもる。
光源氏、残念がりながらも正式な結婚の儀式を行う。
内大臣は、髭黒と玉鬘の結婚を賛成する。
冷泉帝は残念がるが、尚侍としての出仕を求める。
玉鬘、蛍兵部卿宮の優しさを思い出し後悔の念に囚われる。
光源氏、玉鬘に宮中への出仕を勧める。

髭黒、玉鬘を六条院から退出させようと考える。
髭黒、玉鬘との仲を知って悲しむ北の方を慰める。
北の方、病気の発作が起き、
出かけようとする髭黒に香炉の灰を浴びせかける。

父の式部卿宮からの迎えがきて、
北の方と娘の真木柱は実家に引き取られる。
息子2人は髭黒邸に残る。

髭黒、玉鬘の宮仕えを許可する。
参内した玉鬘に
冷泉帝は髭黒と結婚したことについて
恨み言をいいつつも、愛をささやく。
髭黒は、玉鬘を光源氏の了解をとらず
自邸に移してしまう。

髭黒は冷泉帝に強く嫉妬し、
玉鬘はその嫉妬心を疎ましく感じる。

玉鬘、光源氏から文を受け取り、恋しさに涙を流す。
冷泉帝は玉鬘に文を贈るが玉鬘は返事をしない。
玉鬘、髭黒と北の方の2人の息子を可愛がって世話する。
玉鬘、男児を出産。髭黒、大いに喜ぶ。
玉鬘は尚侍の公務を自宅で行い、宮中への出仕はしない。
37歳~38歳23歳~24歳
玉鬘十帖のあらすじ
野分の見舞いで玉鬘を訪れた光源氏(左)
2人が体を寄せ合う様子を垣間見した夕霧は驚く。
「源氏物語画帖 野分」土佐光起筆
野分の見舞いで玉鬘を訪れた光源氏(左)
2人が体を寄せ合う様子を垣間見した夕霧は驚く。
「源氏物語画帖 野分」土佐光起筆

その後の登場巻とあらすじ

玉鬘十帖以降も、
玉鬘は3つの巻(若菜上、若菜下、竹河)で登場します。

ここでは、それぞれの巻での
玉鬘のストーリーを紹介します。

スクロールできます
巻名あらすじ光源氏の年齢玉鬘の年齢
若菜上玉鬘、六条院を訪問し、若菜を献上。
光源氏の四十の賀を祝う。
玉鬘、光源氏と対面し、
髭黒との間に生まれた2人の息子を会わせる。
玉鬘、ますます美しくなり、貫禄が加わった様子。
髭黒との夫婦関係も落ち着き、
養父である源氏に感謝の気持ちを抱く。
40歳26歳
若菜下玉鬘、従来通り夕霧と親しく兄弟の付き合いをする。
髭黒、ますます玉鬘を大切にし、
前の北の方とは縁が切れた状態となる。


髭黒、真木柱を前の北の方の実家から
引き取ろうとするが父・式部卿宮に断られる。
真木柱、玉鬘の生活ぶりに憧れる。
真木柱、蛍兵部卿宮と結婚するが愛されない。
蛍兵部卿宮は亡き妻が忘れられない。

玉鬘、蛍兵部卿宮と結婚しなくて良かったと
過去を懐かしむ。

玉鬘、時折六条院を訪れ、紫の上と対面し親交を持つ。
光源氏、髭黒との結婚について
自分の落ち度を認めなかった玉鬘の賢さを評価する。
41歳27歳
竹河髭黒亡き後、夕霧が玉鬘家の支援をしている。
玉鬘、2人の娘(大君、中君)の結婚を思案する。
夕霧の息子・蔵人少将が求婚するが、
玉鬘は臣下と娘を結婚させる気はない。

玉鬘、薫と姉弟のように親しく接する。
玉鬘、薫の琴の音を聞いて、実父を思う。
薫、玉鬘の娘に恋心を持つ。

大君、冷泉院に参院(結婚)する。
玉鬘は中君を蔵人少将に嫁がせようと考えるが
蔵人少将は大君に恋をしている。
大君、冷泉院から深い寵愛を受け懐妊。
帝、大君が冷泉院に参院したことを恨む。
蔵人少将、薫は失恋。
大君、女宮を出産。

玉鬘、中君を帝に宮仕えさせることに決める。
尚侍の職を中君に譲る。

大君、男皇子を出産。
大君、弘徽殿女御に妬まれ関係が悪化。
冷泉院の女房も弘徽殿女御の味方となる。
大君、気苦労が募り実家にいることが多くなる。
中君は尚侍として気楽で華やかな日々を送っていた。
玉鬘、大君が秋好中宮・弘徽殿女御に
憎まれてしまった状況を思い悩み、薫に相談する。
没後48歳
玉鬘 その後のストーリー

玉鬘は、「竹河」の巻以降は登場しません。
その最期の姿も書かれていません。

娘の大君が周囲から憎まれたことを思い悩んだり、
夫が健在だった頃を思い出し
世の無常を感じたりしている姿を最後に、
玉鬘は「源氏物語」から退場となります。

あさきゆめみしの玉鬘の特徴

源氏物語 初心者
「あさきゆめみし」で、玉鬘のことを好きになったよ!


玉鬘のストーリーは、
漫画「あさきゆめみし」でも読者から人気が高いです。

以下、「あさきゆめみし」で
玉鬘がどのように描かれているか解説しますね。

髪が美しい美人

「あさきゆめみし」の玉鬘は、
髪の美しい美人として描かれています。
黒髪に光沢が表現されています。

「あさきゆめみし新装版(3)」より引用 玉鬘の容姿
「あさきゆめみし新装版(3)講談社」より引用



顔つきは母・夕顔に似ています。
ただ夕顔は絵のタッチが薄くて、
はかない雰囲気で描かれているのに対し、
玉鬘は眉毛がやや太めで
意志の強そうな美人顔に描かれています。


筆者
夕顔に似ているけれど、夕顔よりしっかりしている玉鬘の内面をよく表現していますね。

女主人として乳母一家を思いやる

「あさきゆめみし」の玉鬘は、
女主人として乳母の一家を思いやり
自分が犠牲になってでも周囲を苦労させまい
という意志表示をしています。

「あさきゆめみし新装版(3)」より引用 玉鬘の性格
「あさきゆめみし新装版(3)講談社」より引用

大夫の監に言い寄られた際に、
仕えてくれている皆に迷惑をかけないように
大夫の監と結婚すると表明しているのです。

「源氏物語」原作では、
玉鬘はこのような発言はしていません。


筆者
原作の玉鬘は、何も言わずに「大夫の監と結婚するくらいなら、もう生きていたくない」と思い悩んでいました。


光源氏に言い寄られ、さらに蛍兵部卿宮に
姿を見られた際も、
「あさきゆめみし」の玉鬘は、

こんなままですごすくらいなら
いっそここを出てしまいたい……

いいえそれもだめ……

乳母たちはやっとここで
しあわせになったところだもの……

「あさきゆめみし新装版(3)講談社」より引用

と胸中を吐露しています。

「源氏物語」原文では、
「(自分が)不幸な身の上だ」と嘆いてはいますが
乳母の立場について言及している箇所はありません。

あさきゆめみしの玉鬘は、
原文の行間を読み想像を膨らませて
キャラクターが設定されているため、
原文よりも乳母思いの性格
として書かれています。

筆者
「源氏物語」原文の玉鬘が自己中心というわけではないけれど、ただ自分の身の上を悩むお姫様といった印象です。

玉鬘十帖の物語は、「あさきゆめみし(新装版)」の
3巻と4巻に掲載されています。

玉鬘と光源氏の関係とは?

源氏物語 初心者
玉鬘と光源氏って、親子?恋人同士?いったいどんな関係だったの?

あくまで養父と養女の関係性だった

玉鬘と光源氏は、
養父と養女の関係性でした。

玉鬘は光源氏の実の子ではなく、
若かった頃に関係を持った
亡き恋人・夕顔が、
頭中将との間にもうけた娘だったのです。

光源氏は、亡き夕顔の忘れ形見として
玉鬘を養女として、求婚者を募り、
結婚相手を決めてあげようとしました。

光源氏は玉鬘への恋を自制する

光源氏は、養父という立場でありながら、
玉鬘の美しさと愛嬌に魅了され、
恋心を抱いてしまいます。


手を握ったり添い寝したり、
なれなれしく寄り添ったりはしていましたが
玉鬘と光源氏が一線を越えることは
ありませんでした。


光源氏
世間からの非難や、玉鬘にとっての幸福を思うと、それ以上の行動はできなかったよ。


源氏物語 初心者
恋に奔放な光源氏なのに、我慢できたのはエラいね。

髭黒と結婚した玉鬘はかわいそう?玉鬘は幸福だったか考察

源氏物語 初心者
色黒で髭が濃くて、無骨な髭黒大将と結婚させられて、玉鬘はかわいそう😥


筆者
最初は可哀想だよね。でも結果的に玉鬘は、穏やかな幸福を手に入れているんだよ。


以下、時系列で玉鬘の心理状態を追ってみましょう。

髭黒との不本意な結婚

女房の手引きにより
髭黒は玉鬘の部屋に忍び入り、強引に結婚します。
玉鬘は髭黒に愛情を全く感じず、
塞ぎこんで部屋に引きこもってしまいました。
優しかった蛍兵部卿宮を思い出し
今さらながら気持ちが傾きます。

息子の誕生

玉鬘は髭黒の前の北の方が生んだ
義理の息子(2人)を可愛がって世話していました。
さらに玉鬘は髭黒との間に男子を出産します。
出産に際しての玉鬘の心境は語られていませんが
髭黒は大いに喜びました。
玉鬘は尚侍の職を務めていましたが、
宮中には出仕せず
髭黒邸で公務を行っていました。
妻として母としての務めを
しっかり果たそうという玉鬘の気持ちが読み取れます。

第二子の誕生

玉鬘と髭黒の間には2人目の息子が生まれ、
夫婦関係が落ち着いている様子がうかがえます。
玉鬘は、現在の平穏な生活が得られたのも
源氏のおかげと感謝の気持ちを抱いています。

蛍兵部卿宮と真木柱の不幸な結婚生活を聞く

かつて玉鬘に求婚していた蛍兵部卿宮は、
髭黒と前の北の方の娘・真木柱と結婚しますが、
真木柱は愛されず、夫婦仲は良好ではありませんでした。
玉鬘は、その話を聞いて、
蛍兵部卿宮と結婚しなくて良かったとホッとしたのです。
髭黒との結婚生活の平穏さに幸せを感じている
玉鬘の心境が読み取れます。

源氏物語 初心者
玉鬘は、結婚当初は悲しみ嘆いていたけれど、いつしか髭黒と良好な夫婦関係を築くようになったんだね。


筆者
そうだね。子どもが生まれ、月日を重ねるうちに髭黒との夫婦関係も落ち着いてきたのでしょう。

源氏の四十賀を祝う玉鬘。
玉鬘(左奥)、源氏(右)、手前は玉鬘が連れてきた二人の息子。
この頃には夫婦関係は落ち着いていた。
「源氏物語手鑑 若菜一」土佐光吉著
源氏の四十賀を祝う玉鬘。
玉鬘(左奥)、源氏(右)、手前は玉鬘が連れてきた二人の息子。
この頃には夫婦関係は落ち着いていた。
「源氏物語手鑑 若菜一」土佐光吉著

髭黒は、風流な性格ではないけれど
玉鬘を愛していて大切にしていました。
真面目な性格なので
浮気もなかったことでしょう。
子どもも非常に愛していました。

愛してくれない蛍兵部卿宮と結婚した
真木柱とは対照的に
自分を深く愛してくれる人と
結婚できた玉鬘は穏やかな幸福を得たのです。

玉鬘は最終的に
三男二女をもうけ、育てあげました。

玉鬘の物語と竹取物語の類似性について

玉鬘十帖のストーリーは、
かの有名な古典「竹取物語」
影響を受けていると言われています。

「竹取物語」とは?

「竹取物語」は平安時代前期に
成立した物語です。作者不明。
「源氏物語」の「絵合」の巻では
「物語の出で来はじめのおや
と紹介されています。
竹の中から発見されたかぐや姫が
翁夫婦に育てられ、
最終的には月へ帰っていくお話です。

ここでは「源氏物語」の玉鬘十帖と
「竹取物語」がどのように似ているか、簡単に解説します。

養父と養女の関係性

竹取物語では竹取翁が、
竹の中から見つけたかぐや姫を
翁夫婦の養女として育てます。

かぐや姫を籠に入れて育てる翁夫妻。
17世紀末(江戸時代後期)メトロポリタン美術館蔵。
かぐや姫を籠に入れて育てる翁夫妻。
17世紀末(江戸時代後期)メトロポリタン美術館蔵。

そして源氏物語では、
光源氏が亡き恋人である夕顔の遺児・玉鬘を
自らの養女として六条院に迎えるのです。

まずこの「美しい姫を養女にする」
という大前提が竹取物語の影響を受けた設定となっています。

多くの貴公子から求婚される

竹取物語では、かぐや姫が、
噂を聞き付けた多くの男から求婚を受けますが、
中でも5人の貴公子は特にかぐや姫に執心します。
(石作皇子、車持皇子、右大臣阿倍御主人、
大納言大伴御行、中納言石上麻呂)

5人の貴公子から求婚されるかぐや姫。
17世紀末(江戸時代後期)メトロポリタン美術館蔵。
5人の貴公子から求婚されるかぐや姫。
17世紀末(江戸時代後期)メトロポリタン美術館蔵。

源氏物語では
光源氏が玉鬘についての噂を流し、
玉鬘は髭黒、蛍兵部卿宮、柏木など
多くの貴公子から求婚を受けます。

両者とも
養女となった姫君の求婚譚が語られおり、
源氏物語は明らかに竹取物語のストーリーの
オマージュとなっています。

光り輝く玉鬘とかぐや姫

竹取物語では、
かぐや姫は月から来た姫君であり
普通の人間ではなかったので、
まばゆい光を発していました。

【原文】
帝俄に日を定めて、御狩にいで給ひて、かぐや姫の家に入り給ひて見給ふに、光滿ちてけうらにて居たる人あり。

【現代語訳】
帝は突然日程を決めて、御狩の行幸にいくふりをして、かぐや姫の家に入ってご覧になると、そこには光り輝く姫君がいた。

「竹取物語」より引用

これに対して、
「源氏物語」の玉鬘は
かぐや姫とは違って月から来た人ではなく
普通の人間ですから、
玉鬘自体が光り輝くということはありません。

そこで紫式部が選んだ方法は、
蛍の光で玉鬘を照らすというものでした。

【原文】
一間ばかり隔てたる見わたしに、かくおぼえなき光のうちほのめくを、をかしと見たまふ。

【現代語訳】
(蛍兵部卿宮は)柱一間ほど隔てたあたりに、このように思いがけない光がちらつくのを、「美しい」とご覧になる。

「源氏物語」【蛍】の巻より引用
蛍兵部卿宮は蛍の光に照らされ、驚いて扇で顔を隠す玉鬘の横顔に心を奪われる。
「源氏物語画帖 蛍」土佐光吉著
蛍兵部卿宮は蛍の光に照らされ、驚いて扇で顔を隠す玉鬘の横顔に心を奪われる。
「源氏物語画帖 蛍」土佐光吉著

玉鬘は、光り輝くかぐや姫に
なぞられて表現されているのです。

蛍兵部卿宮=竹取物語の帝

「源氏物語」の蛍兵部卿宮は
「竹取物語」の帝に擬せられています。

蛍兵部卿宮は、「胡蝶」の巻で
以下のように紹介されています。

【原文】 
兵部卿宮はた、年ごろおはしける北の方も亡せたまひて、この三年ばかり、独り住みにて

【現代語訳】
兵部卿宮は、長年連れ添っていらっしゃった北の方もお亡くなりになって、ここ三年ばかりは独身でいらっしゃったので、

「源氏物語」【胡蝶】の巻より引用

「竹取物語」の帝も三年、独り住みをしていた
ということに注目してください。

【原文】 
かぐや姫のみ御心にかかりて、ただ独り住みしたまふ。(中略)かやうにて、御心を互に慰め給ふほどに、三年ばかりありて

【現代語訳】
(帝は)かぐや姫だけが御心にとどまって、ただ一人でお過ごしなさった。(中略)このようにして(かぐや姫と文の遣り取りをして)、御心を慰めていらっしゃるうちに、3年ばかりが経って

「竹取物語」より引用

蛍兵部卿宮の
「3年独り住み」という設定は
竹取物語の帝がモデルであった可能性があります。

さらに、かぐや姫は数多くの求婚者の中で
帝だけと文の遣り取りをしていました。

【原文】 
かぐや姫のおん許にぞ御文を書きて通はさせ給ふ。御返事さすがに憎からず聞えかはし給ひて、おもしろき木草につけても、御歌を詠みてつかはす。

【現代語訳】
(帝は)かぐや姫の許に文を書いて遣わせなさった。お返事はさすがのかぐや姫も帝を可哀想に思い申し上げて、風情のある木や草などを歌に詠んで遣わした。

「竹取物語」より引用

「源氏物語」の玉鬘も
蛍兵部卿宮にだけは好感を持ち、
文の遣り取りをしていた
のです。

【原文】 
宮の御返りをぞ、 いかが思すらむ、ただいささかにて、(中略)、 いとめづらしと見たまふに、みづからはあはれを知りぬべき御けしきにかけたまひつれば、 つゆばかりなれど、いとうれしかりけり。

【現代語訳】
(玉鬘は)蛍兵部卿宮の文の返事を、どうお思いになったのか、ただ短く書いた。(中略)
蛍兵部卿宮はたいへん珍しいとご覧になって、自分の愛情が伝わっているような様子なので、少しだけだが嬉しいのであった。

「源氏物語」【藤袴】の巻より引用

このように、紫式部は
玉鬘に求婚する蛍兵部卿宮の姿を
かぐや姫に求婚する帝に重ね合わせていたのです。

玉鬘は「竹の子」に喩えられている

「胡蝶」の巻で光源氏が詠んだ和歌では、
玉鬘がずばり竹の子に喩えられています。

これは、玉鬘が「竹から生まれたかぐや姫」
をモデルにしている決定的な証拠と言えるでしょう。

【原文】
ませのうちに 根深く植ゑし 竹の子の
おのが世々にや 生ひわかるべき

【現代語訳】
邸の奥で大切に世話をしていた娘(玉鬘)も
それぞれ結婚して邸を出て行ってしまうのか

「源氏物語」【玉鬘】の巻より引用

さらに「常夏」の巻で、光源氏は
「翁びたる心地」(年寄りじみた気持ち)
がすると発言しています。

この頃、光源氏は36歳。
「翁」というには少し若すぎます。
紫式部が36歳の光源氏に「翁びたる」と
語らせた理由は、

光源氏=竹取の翁
玉鬘=かぐや姫

という構図が意識されていたからなのでしょう。

かぐや姫と玉鬘の決定的な違い

以上のように、
玉鬘の物語は竹取物語の強い影響を受けています。

源氏物語 初心者
玉鬘十帖は、「竹取物語」のオマージュなんだね!


筆者
しかし、その結末は大きく異なっています。


かぐや姫は、もともと月の住人であり、
最後は天からお迎えがきて
月の世界へ帰っていきます。

月へ帰っていくかぐや姫。
17世紀末(江戸時代後期)土佐広通, 土佐広澄著
月へ帰っていくかぐや姫。
17世紀末(江戸時代後期)土佐広通, 土佐広澄著

それに対して玉鬘は普通の人間
最後は髭黒大将という貴族と
強引な形で結婚し、三男二女の母となります。

さらに、
かぐや姫が帝からの宮仕えの要求を
拒否し通しているのに対し、
玉鬘は尚侍として一度だけ出仕しています。

玉鬘の物語は
「竹取物語」の枠組みを利用しつつも、
「源氏物語」独自の展開を辿っています。

「竹取物語」は、
かぐや姫が実は月の住人だったという
ファンタジーの要素を含んでいますが
「源氏物語」はあくまでリアリズムを重視した
長編小説だということです。


「源氏物語」は当時の貴族社会でも
よく知られていた「竹取物語」の
大きな影響を受けながらも、

玉鬘を特別な存在ではなく
世俗的な姫君として、
髭黒との不本意な結婚を描くことで
紫式部は源氏物語の世界観を守ったのです。


源氏物語 初心者
紫式部は、「源氏物語」に「竹取物語」の要素を取り入れたのに、どうしてこんな全然ちがう結末にしちゃったんだろう?


筆者
それは、紫式部が「作り物語の中にこそ真実がある」という考え方で源氏物語を執筆したからだよ。


かぐや姫が月に昇っていくというような
突拍子もないファンタジーな展開ではなく
玉鬘が生身の男と結婚する展開にすることで
平安貴族の真実に近い姿を描き出そうとしたのでしょう。

当時の読者の中には
玉鬘の「かぐや姫」的な展開を期待して
源氏物語の展開に失望した人もいるかも知れませんね。

紫式部は読者の期待を裏切ることで、
その反応を見るのを楽しんでいたのかも知れませんよ😊

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