この記事では、
宇治十帖を含む『源氏物語』第三部の
あらすじを巻ごとに紹介します。
第三部は全部で13帖あります。
そのうち宇治十帖は文字通り10帖です。
残りの3帖は、匂宮三帖と呼ばれています。


宇治十帖を含む『源氏物語』第三部のわかりやすいあらすじ
『源氏物語』全体の巻ごとの簡潔なあらすじは、
以下の記事に記載しました。


当記事では、第三部に限定して
より詳しいあらすじを解説しています。
この記事を読むことで、宇治十帖の内容を
かなり詳しく把握することができます。
【宇治十帖】わかりやすいあらすじ


※タップすると拡大します
匂宮
光源氏が亡くなった後、
その輝くような美貌を受け継ぐ子孫はいなかった。
ただ、光源氏の子・薫と
光源氏の孫・匂宮の2人は、
光源氏ほどの美しさではないけれど、
世間から評判の貴公子であった。
薫は幼い頃に、
「自分が光源氏の子ではない」という噂を聞き、
それ以来、出生の秘密に悩んでいた。
悩みがちな薫は自然に、
厭世的で落ち着いた性格の青年に成長していた。
薫は生まれつき不思議な良い匂いの
体臭をまとっていた。
匂宮は薫の体臭に競い合って、
香を焚いて衣裳に匂いを焚きしめていた。
2人は音楽の遊びなど、競い合う友人である。
薫は、冷泉院と秋好中宮から格別に
大切にされておりめざましい栄達を重ねる。
19歳になる年には、三位中将となり
順調に出世街道を歩んでいく。
花散里は二条東院を光源氏からの
遺産として引き継ぎ住まっていた。
薫の母・女三の宮は三条宮に住み、
静かに勤行をする生活を送っていた。
六条院には夕霧の妻・落葉の宮が住まい、
二条院は明石の君がその孫たちの世話をしながら暮らしていた。
<薫14歳~20歳>
紅梅
故致仕大臣(頭中将)の次男は、
この頃按察使大納言と呼ばれていた。
※柏木の弟である。
按察使大納言には、
亡くなった北の方との間に2人の姫君がいる。
(大君・中君)
現在の妻は、髭黒大将の娘(真木柱)であり、
男の子を一人もうけている。
真木柱の連れ子として、姫君が一人いる。
(宮の御方)
宮の御方の父親は亡き蛍兵部卿宮である。
※真木柱は蛍兵部卿宮の亡くなった後に、按察使大納言と再婚した。
3人の姫君は同時期に成人をし、
大納言家には次々と結婚の申し込みが入った。
按察使大納言は、大君を
東宮のもとに入内させる。
中君は、匂宮と結婚させたいと考える。
按察使大納言は、息子を匂宮に仕えさせて
気持ちをうかがうが、匂宮の気持ちは
中君ではなく宮の御方に傾いている。
しかし、宮の御方は上品で引っ込み思案な性格で
人並みに結婚したいという願望は持っておらず
匂宮から熱心な文をもらうが、一向に返事をしない。
母・真木柱は、匂宮とのことを
良い縁談とは思うものの
夫の意向(匂宮と中君を結婚させたい)
を思うと心苦しい。
また、匂宮が好色だという話を聞いて
思い悩んでいる。
<薫24歳の頃>
竹河
髭黒太政大臣が亡くなった後、
未亡人となった玉鬘は、
2人の娘(大君・中君)の縁談に悩んでいた。
今上帝からも冷泉院からも
声がかかっているが、玉鬘は迷っている。
美人であるという噂をきいて
大君に思いをかける若者が多くいた。
夕霧の息子・蔵人少将は熱心に求婚し、
薫も大君に興味を持っていた。
玉鬘邸は女三の宮の住む三条宮に近いから、
薫はたびたび玉鬘邸に出入りするようになっていた。
薫15歳の正月、玉鬘邸を訪問した際に、
薫が琴をかき鳴らす様子を見て、玉鬘は
容貌も音色も亡き柏木にそっくりだと気づき、
涙を流すのであった。
薫は大君への思いを仄めかすようになり、
蔵人少将は、周りから気に入られている薫と
自分を比べてみじめな気持ちになっていく。
3月、桜の花盛りの頃に、
玉鬘の娘たちは桜の木の所有権をかけて
碁を打っていた。
その時、蔵人少将は大君の美しい姿を
垣間見てしまいますます恋心が募る。
その頃、大君には冷泉院から再び参院の話がきていた。
玉鬘は、大君を冷泉院に参院させることを決意。
蔵人少将は悶え死ぬほど思い悩み、
母の雲居雁を責めた。
雲居雁は玉鬘に手紙を書くが、玉鬘は対応に苦慮。
代わりに中君を蔵人少将に嫁がせようと考えるが
蔵人少将の心は大君以外に移りそうにない。
4月、冷泉院に参院した大君は、
深い寵愛を受ける。
薫は、大君の弟藤侍従と冷泉院の庭を歩きながら
和歌を詠み、今回の失恋を残念に思うのであった。
大君は冷泉院の子を懐妊し、
翌年4月女の子を出産する。
玉鬘は中君を今上帝に宮仕えさせることを決め、
長年ついていた官職である尚侍を中君に譲る。
玉鬘は出家を望んでいたが、
今はまだ娘たちが安心できる状態ではないと断念。
数年たって、大君は男の子を出産する。
冷泉院は喜んだが、他の妃たちから反感を買い、
心を病んだ大君は里下がりが多くなる。
玉鬘の周辺では、
大君はむしろ薫や蔵人少将に嫁がせるほうが
気楽でよかったのではないかと指摘される有様だった。
一方で中君は、気楽で華やかな宮仕え生活を送っていた。
薫は、中納言への昇進の挨拶に玉鬘邸を訪問する。
玉鬘は薫に、大君の苦境を相談しながら、
薫を婿にしておけばよかったと思うのであった。
蔵人少将もこの頃には宰相中将に昇進していた。
それに比べて、玉鬘の息子たちは思うように昇進できておらず
玉鬘の悩みはつきることがない。
<薫15歳~19歳>
橋姫
その頃、世間から忘れられている
一人の親王(八の宮)がいた。
桐壺院の第八皇子で、光源氏にとっては
異母弟である。
八の宮は昔、弘徽殿大后側についていたため、
時勢の移ろいとともに落ちぶれていったのだ。
八の宮の北の方は娘を2人産んだ後に亡くなり、
都の邸も火災で燃えてしまった。
現在の八の宮は娘とともに
宇治でひっそりと住まい、
在家のまま仏道に励んでいる。
宇治に住む阿闍梨は、八の宮と親交を結んでおり
冷泉院にも参上することがあった。
冷泉院に伺候していた薫は、その阿闍梨から
在俗で聖のような生活をする
宇治の八の宮の話を聞き、強く興味を持つ。
薫は八の宮と親交を持つようになり、
宇治に通って修行の意義や経文の解釈などを
教わるようになった。
3年ほど宇治に通い続け、晩秋のある日、
薫は琵琶と箏を演奏する
宇治の姉妹(大君・中君)の美しい姿を垣間見て
心が惹かれる。
薫は大君と対面して会話を交わすが、
大君が返答に困ったため、老女房の弁が対応をする。
弁の母親は、柏木の乳母であった。
弁は、薫の出生の秘密を知っているようだが、
「改めてゆっくり話しましょう」と
最後までは言わずに話が終った。
薫は京に帰ってからも、
老女房の話の続きが気になって仕方がない。
薫は匂宮に宇治の姉妹のことを話す。
匂宮も姉妹に興味を持ち、
「もっと様子を探って、私に教えてくれ」と薫に頼んだ。
10月になって薫は宇治を訪れた。
薫は、八の宮亡き後の宇治の姉妹の
後見を引き受ける。
その後、薫は老女房の弁から
出生の秘密を全て聞く。
薫は柏木が臨終の際に女三の宮に宛てて書いた
形見の手紙を受け取り、都に戻って読む。
その後、母・女三の宮の御前に参上するが、
秘密を知ったとはとても言えず、
薫は自分の胸一つに煩悶するのだった。
<薫22歳>
椎本
2月、匂宮は初瀬寺参詣の帰りに
宇治の、夕霧が所有する別荘に立ち寄った。
薫も都から参上し、夕霧の息子たちも加わり
碁や双六、管弦の遊びなどを楽しんで
一日を過ごした。
匂宮も薫もこのまま帰るのがもったいないと
感じていたところへ、
宇治八の宮から薫へ和歌が贈られてくる。
返歌は、これを嬉しく思った匂宮が
名乗り出て返した。
薫は八の宮のもとに参上し、風流な饗応を受けた。
匂宮は別荘にとどまったまま、宇治の姉妹に和歌を贈る。
姉妹は手紙をもらって当惑していたが、
老女房は、中君に返歌を書かせた。
帰京してから後も、匂宮は何度も
姉妹に文を贈った。
八の宮に促されて、時々中君が返事をしていた。
八の宮は娘の美しさを見るにつけ、
このような場所に隠れているのを勿体なく感じた。
今年が重い厄年である八の宮は、
勤行を常より熱心に行い、自分が亡くなった後の
姫君たちの後見を薫に念押しする。
姫君たちには「軽々しい結婚をして恥をさらすな」
と遺言をして、八の宮は8月に山寺で死去する。
姫君たちは嘆き悲しみ、
父の亡骸を見たいと申し出るが、
阿闍梨に断られる。
忌中が終わり匂宮は姉妹に弔問の文を贈る。
中君は悲しみの中で返事が書けず大君が代作する。
薫からの誠意ある手紙には、より丁寧に返事が出されていた。
薫は宇治を訪問し、大君と和歌を詠み交わすが、
大君は悲しみに暮れており、心を開かない。
薫は歳末に再度宇治を訪問し、
大君に匂宮と中君の結婚話を提案しつつ、
自らの大君の恋心をほのめかす。
大君は思わぬ話の展開に嫌な気持ちになり、返答をしない。
新年になり、匂宮は中君と和歌を交わし、
思いはますます高まっていく。
夕霧の娘・六の君との縁談には興味も示さない。
薫はというと、母・女三の宮の邸(三条宮)が
火災で焼けた騒ぎで、
宇治を訪問できない日々が続いていた。
夏になり、涼を求めて宇治を訪問した薫は、
姉妹の姿を再び垣間見る。
大君の弱々しく優美な様子にますます
心が惹かれて行くのであった。
<薫23歳~24歳>
総角
秋、宇治の姉妹は
父八の宮の一周忌の準備をしていた。
薫も宇治に参上して、
様々に姫君のお世話をしている。
薫は、大君に対してまたも恋心を訴えるが、
とりあってもらえない。
薫は仕方なく、
匂宮と中君の縁談を進めようとするが
それも大君は乗り気ではない。
その夜、薫は大君の寝所に入り、気持ちを伝える。
薫は大君に添い寝をし、
それ以上には踏み込まず朝を迎えた。
大君は父宮の遺言通りに誰とも結婚をせずに
生涯を終える決意をしており、
中の君と薫を結婚させたいと思っているのである。
一周忌が終った後、薫は宇治を訪問し、
老女房の手引きで再び大君の寝所に
忍び込むことを計画する。
大君は中君に、薫と結婚するよう勧めるが
中君は気が進まない。
薫は大君の寝所に入るが、
大君は薫の気配に気づいて隠れた。
相手が大君でなく中君だと気づいた薫は、
実事に及ばず一晩中優しく語り明かす。
都の匂宮は、相変わらず中君に執心である。
9月、薫は匂宮を伴って宇治を訪問。
匂宮は薫のふりをして中君の寝所に入り、
男女の契りを結ぶ。
薫は大君の寝所にまたもや迫り結婚を申し込むが、
大君には拒否され、何事もなく朝を迎える。
匂宮は中君に後朝の文を書き、
慣習通りに3日間通うが、母・明石の中宮に
好色な遊び歩きを禁じられ、宇治に通うことが
難しくなってしまう。
10月、匂宮は宇治川で紅葉狩りを催し、
中君に会おうとするが、
夕霧の長男たちが大勢集まって
中君には会えずに終わってしまう。
匂宮は中君をこの上なく愛し、重んじてはいたが、
宇治の姉妹は、匂宮の訪問がなくなったことを嘆き悲しむ。
大君は、この頃、心労により健康をそこない、
食欲もなくどんどん痩せていき、
自分の余命が短いことを感じていた。
今上帝は匂宮の遊び歩きをやめさせるために
夕霧の娘・六の君との縁談を取り決めてしまう。
薫はこの状況に、宇治の姉妹2人とも
自分の妻にすればよかったと後悔をする。
病気がちであった大君は
匂宮と六の君の縁談を知ってさらに体調が悪化し
臥せってしまう。
薫は懸命に大君を看病するが、
大君自身には治りたいという気持ちがなく、
ついに大君は26歳という若さで
亡くなってしまう。
薫は大君の死を嘆き悲しみ、
形見として中君と
結婚しておけばよかったと悔やむ。
匂宮は雪の中、宇治を訪問するが、
中君も悲しみに暮れ、
物越しにしか会おうとしない。
明石の中宮は、薫が並々ならず悲しむのだから
宇治の姉妹は優れた女性なのだろうと判断し、
匂宮が中君を都の二条院に妻として
引き取ることを許可した。
薫は、中君への恋心を捨てて、
一般的な後見役を引き受けることを決める。
<薫24歳>
早蕨
宇治の里は新春を迎えた。
姉大君を亡くした悲しみからまだ立ち直れずにいる
中君のもとに、御寺の阿闍梨のもとから
蕨や土筆などの山菜が届いた。
中君は阿闍梨の心遣いに感謝し、涙を落とす。
匂宮は自由に宇治へ通えない身なので、
中君を都に移すことを決めていた。
薫は後見役として引っ越しの準備に尽力する。
引っ越しの前日、薫は中君と会話を交わし、
他人の妻にしてしまったことをまたもや悔やむのであった。
老女房の弁は出家して尼になっており、
引っ越しはせずに宇治に留まる決意をしていた。
2月上旬、中君は匂宮の二条院に引っ越した。
匂宮は中君を手厚くもてなし、妻として重々しく扱った。
その様子を聞くにつけ、薫は中君を
「取り返したいものだ」
と独り言をつぶやいていた。
夕霧は、匂宮が中君を妻として京に
迎えたことを不快に感じていた。
娘・六の君と匂宮の結婚が
すでに決まっていたからだ。
六の君の裳着の儀式は、予定通り盛大に催された。
夕霧は、六の君は匂宮ではなく、
薫と結婚させようかと考え意向を探るが、
薫は六の君と結婚する気はないとわかる。
夕霧は六の君と薫との縁談を断念する。
薫は、花盛りの頃に二条院の中君を訪れ、
会話を交わす。
匂宮はその様子を見て、
薫は中君に対して下心があるのではないか
と疑うのであった。
<薫25歳>
宿木
今上帝は、亡き左大臣の娘・藤壺の女御を
格別に愛しており、
その姫宮・女二の宮を可愛がっていた。
ところが、女二の宮が14歳になる年に、
母・藤壺の女御は物の怪に患い、亡くなってしまう。
夏、帝は、後見のいない女二の宮の
将来を心配し、薫のもとに
降嫁させようと考える。
今上帝は薫と碁を打ち名がら、
女二の宮との結婚を仄めかす。
薫は、中宮腹の女一の宮との縁談だったら
よかったのにと感じ、
急いで縁談をまとめようとも思わない。
薫と女二の宮との縁談を聞いた夕霧は、
やはり六の君は匂宮と結婚させるしかない
と腹をくくる。
明石の中宮から説得され、匂宮は六の君との
結婚を承諾するのであった。
それを知った中君は大きな衝撃を受け、
不安にさいなまれる。
匂宮の愛情は深く、
いつもより優しく中君に将来を約束する。
中君は5月頃から懐妊しており不調が続いていたが
経験の乏しい匂宮は妊娠だと確証がもてない。
中君の不安定な状況に同情した薫は、
二条院を訪問し、中君と語らう。
薫は大君によくにた中君の声を聞き、
大君を追憶する。
中君は静かな宇治に帰って引きこもりたい
と願い出るが、
薫は「とんでもないこと」と
二条院にとどまるように説得する。
中君に会うたびに、
薫は中君を自分の妻にしなかったことを後悔するのであった。
匂宮は中君を愛するあまり、
六の君との結婚は気乗りしなかったが、
秋8月になって実際結婚してみると
六の君の美しさに夢中になってしまう。
一方で中君の愛情が冷めるわけではない。
愛嬌があって可憐な点では
中君のほうが優っていると感じていたが、
中君のいる二条院には気軽に渡れない日々が続いていた。
薫は二条院を訪問して、中君を慰めているうちに
恋心を抑えきれなくなる。
中君の袖をとらえて迫るが、懐妊の印の腹帯を見て
心苦しくなり、自制した。
久々に二条院に帰った匂宮は、中君の衣服に
薫の匂いがしみついていることに気づき、
2人の関係を問い詰める。
匂宮の疑念は消えないが、やはり中君が愛おしく
恨んでばかりはいられない。
薫は中君への恋を捨て、一般的な後見役に
徹しようとするが、心はまだ中君を求めている。
9月、中君は薫の気持ちに困り果て、
大君に似た人形を求める薫に対して、
異母妹の存在を語る。
薫はその異母妹に興味はひかれるが、
やはり中君への恋を捨てることができない。
薫は9月20日頃に久々に宇治を訪問し、
弁の尼から、例の異母妹のことを聞き出す。
八の宮が中将の君という女房に産ませた娘であり、
中将の君は現在は常陸介の妻となっており、
この春娘を連れて上京したらしい。
薫は、ぜひその娘に会ってみたいと弁の尼に
仲介を依頼する。
翌2月に薫は権大納言兼右大将に昇進。
中君は男児を出産した。
明石の中宮や左大臣など各所から出産祝いが
贈られ、薫は中君が遠い存在に
なってしまったように感じるのであった。
女二の宮は裳着を終え、
2月20日過ぎに薫のもとに降嫁した。
薫は依然として大君が忘れられず、
しぶしぶ女二の宮のもとに通う日々であった。
参内するのが億劫になった薫は、女二の宮を
自邸の三条宮に引き取る。
4月20日過ぎ、薫は造らせている寺の
様子を見に宇治を訪問した。
そこで偶然、薫は、初瀬寺参詣の帰りに
宇治に立ち寄った例の
異母妹(浮舟)の姿を垣間見る。
浮舟は本当に大君にそっくりの美女である。
薫は弁の尼に、浮舟との仲介を依頼するのであった。
<薫24歳~26歳>
東屋
浮舟の母は、薫が娘を気に入っていることを
知るが、身分違いの結婚にさほど
積極的ではなかった。
母は、浮舟が非常に美しい娘なので、
なんとか幸福な結婚をさせたいと考え、
左近の少将という男と浮舟を婚約させる。
ところが、左近の少将は
浮舟が常陸介の実の娘ではなく、
母・中将の君の連れ子だと知って
婚約破棄を申し出る。
左近の少将は財力のある常陸介を
後援とするために、
実娘と結婚したかったのだ。
左近の少将は浮舟から、
常陸介の実娘に乗り換え、結婚する。
乳母は、母に、浮舟を薫の妻にすることを
提案するが、高貴な男性は浮気心があるから、
安心できない縁談であると否定的である。
浮舟がこれまで住んでいた座敷に、
婿となった左近の少将が住みつくことになり、
浮舟は居場所がなくなってしまう。
8月、不憫に思った母は、浮舟を、
二条院の中君のもとに預けることを決める。
二条院で、浮舟の母は、
匂宮の美しい姿を見て惚れ惚れとしつつ、
自分の娘も決して不釣り合いではないと感じる。
二条院に参上した左近の少将の容姿を見ると、
匂宮に比べてつまらない男に見えるのであった。
次に母は、二条院に参上した薫の立派な姿を見る。
薫は浮舟を大君の「形代」として世話したいと希望している。
浮舟の母は、ぜひ浮舟を薫の妻にしたいと望むようになる。
常陸介から帰りをせかされて、母は邸に帰った。
匂宮は、見慣れない女がいると、浮舟を発見。
美しい浮舟の手をとらえ、そばを離れず言い寄るのであった。
中宮の病気が重態となり、
宮中から使者がきたことで匂宮は
しぶしぶ二条院を出る。
急場を脱した浮舟を、乳母と中君が慰める。
浮舟の母は、娘が匂宮に言い寄られたことを知り、
驚き、浮舟を三条の隠れ家に移す。
浮舟は肩身の狭い思いで悲しみ、母は
なんとかして薫と浮舟を結婚させたいと思う。
9月、浮舟が三条にいると知った薫は、
老女房の弁に仲介を依頼して、
家を訪れ、男女の契りを交わす。
翌朝、薫は浮舟を宇治の山荘に連れて行く。
薫は浮舟の今後の処遇に悩み、
しばらく宇治に住まわせておくことにする。
<薫26歳>
浮舟
匂宮は、浮舟のことが忘れられず、
妻の中君を責めるが、
中君は匂宮の浮気を防止するために
浮舟の現在の居場所と境遇を教えない。
正月、浮舟から中君のもとに文が届く。
匂宮はその文の内容を見てしまい、
浮舟が薫の愛人となって
宇治にいることを知ってしまう。
浮舟の居場所がわかったことを
嬉しく思った匂宮は、
ある夜、ひっそりと宇治を訪れる。
匂宮は薫の声を真似て寝所に忍び込み、
浮舟と強引に男女の関係を持ってしまう。
浮舟は姉の中君がこの過ちを
どう思うか、悩んで泣くが、
翌日、匂宮と過ごしているうちに、
美しく情熱的な匂宮に心惹かれていく。
2月に宇治を訪問した薫は、
思い悩む浮舟の姿を見て、
数か月間合わない間に女性として成長したものだと
勘違いをして、浮舟を京に迎えることを決める。
薫が浮舟のことを思っている様子が見えて
嫉妬した匂宮は雪道をおかして
再び宇治を訪れ、浮舟を宇治川の
対岸の家に連れて行き、2日間ゆっくりと過ごす。
浮舟の匂宮への愛情は高まっていく。
3月、匂宮は薫が浮舟を京へ迎えると知って
それより先に浮舟を宇治から連れ出し、
下京に隠そうと考える。
浮舟は2人の貴公子の意志を知り、
どうすればよいのか一人で思い悩むが、
母の
「もし匂宮との関係が生じたら、娘と縁を切る」
という言葉を聞いて、
自らの命を絶つことを決意する。
薫は、随身の調査により
浮舟と匂宮が通じていることを
ついに知ってしまう。
薫は浮舟に心変わりを責める和歌を贈るが、
浮舟は宛先違いだと書き添えて文を送り返した。
薫と匂宮との板挟みになった浮舟は、
世間並みに生きられない身を嘆いて
よりいっそう死を望むようになる。
匂宮は宇治を訪れるが、薫の警備で固められており
浮舟に会うことができず引き返した。
浮舟は匂宮と母親に遺書を書き、
宇治川への入水を実行しようとするのだった。
<薫26歳~27歳>
蜻蛉
宇治の山荘から浮舟が失踪し、
乳母や女房たちは大騒ぎとなる。
女房の右近は、浮舟が母に書いた文を開いて
浮舟が川に身を投げたのだと理解する。
浮舟の母も宇治へやって来て、
浮舟が川に身投げしたと知り狼狽して驚き悲しむ。
世間体があるので、遺体があるように装い、
その日の夜のうちに葬儀をすませてしまった。
その頃、母女三の宮に付き従い石山寺に
参籠していた薫は、
使者から浮舟死去の知らせを受ける。
薫は、浮舟を宇治に放置すべきではなかったと
後悔するのであった。
匂宮の悲しみは薫以上であり、
失心したような状態になってしまった。
その様子を耳にした薫は、
2人が通じていたと確信し、
浮舟への思いも冷めるような気がした。
匂宮は、浮舟に仕えていた女房(侍従)を
京に呼び、浮舟の生前の様子を語らせる。
薫は自ら宇治を訪問し、
右近から入水の経緯と浮舟と匂宮の関係を
聞き出し、宇治川さえ疎ましい気分になる。
薫は阿闍梨に、浮舟の四十九日の法事を
指示して京に帰るのであった。
薫は浮舟の母に文を遣わし、
浮舟の弟たちの後見をする約束をして慰めた。
常陸介(浮舟の義理の父)も、
浮舟と薫の関係を聞き知り、
浮舟の死を泣いて惜しみ、もとより自分と同等の
階級の人間ではなかったのだと思い知るのであった。
夏6月、薫は六条院の法華八講の際に、
かねてから憧れていた女一の宮の姿を見て
恋心がますます高まっていく。
正室の女二の宮との夫婦仲は悪くはないが、
女一の宮の様子とつい心の中で比較してしまう。
薫は、亡き大君が生きていたなら、
このような煩わしい恋もしなかったのにと
改めて悔やみ、妹である中君に執着心を
感じるのであった。
浮舟の女房として仕えていた侍従は、
匂宮に申し出て明石の中宮の女房として
出仕するようになった。
その頃、亡き光源氏の弟・
式部卿宮(蜻蛉の宮)の娘も、
中宮の女房(宮の君)として出仕していた。
匂宮は、式部卿宮が八の宮と兄弟であるから、
宮の君は浮舟と似ているだろうと興味を持つ。
薫は宮の君とはかつて
結婚の話も出ていたこともあり、
その境遇に同情し、好意を持っていた。
薫は宮の君のことを考えるにつけても、
宇治の三姉妹のことが思い出され、物思いに耽るのであった。
<薫27歳>
手習
その頃、横川に住んでいる徳の高い僧都が、
初瀬参詣から帰りに、病気の母を療養させるために
宇治に立ち寄っていた。
宇治川に入水した浮舟は、岸に打ち上げられて
大木の根元にもたれ一人で泣いており、
この横川僧都に発見されたのだった。
僧都の妹尼は、亡き娘の代わりに、
仏様が導いてくれたものだと思い、
浮舟を懸命に看病する。
母尼君の病気がよくなったので、
一行は浮舟を連れて宇治から小野に移った。
6月、僧都の修法により浮舟にとりついていた
物の怪が退散し、浮舟の意識は回復する。
ところが、
浮舟は蘇生してしまったことを残念に思い、
少しの薬湯さえ口にせず、出家を望む。
妹尼は美しい浮舟の出家をもったいないと思い、
正式な出家ではなく、頂の髪を少しだけ切り、
五戒のみを受けさせる。
浮舟は妹尼たちに素性を明かさず、
ただ物思いに耽り
手習いをしながら日々を過ごしていくのであった。
7月、妹尼の亡き娘の婿であった中将が、
久しぶりに小野に挨拶に訪問する。
その際に、浮舟の美しい後ろ姿を
垣間見してしまい、浮舟に興味を持つようになる。
浮舟は誰かと結婚する気は全く持っておらず
和歌の返事すらしない。
妹尼君は中将と浮舟の結婚を望むが、
浮舟はかたくなに心を閉ざしたままである。
9月になり、中将は、
妹尼君が初瀬詣でに出かけて不在の夜に
小野をたずねてアプローチするが、
浮舟は奥の部屋に逃げ込んでしまう。
浮舟は我が身の悲運を改めて思い返し、
立ち寄った横川の僧都に頼み込んで
正式に出家をする。
出家して気が楽になった浮舟は、
ただ硯に向かって手習をし、
和歌に気持ちを託すのであった。
初瀬詣でから帰ってきた妹尼は浮舟の出家を知って
嘆き悲しみ僧都を恨みながらも、法衣の準備などを進めた。
その頃、都では女一の宮が病気を患っており、
横川の僧都が召され、修法を行っていた。
ある夜、横川僧都は明石の中宮に、
浮舟の話をする。
中宮は、「宇治の姫君であろうか」と気づくが、
遠慮して僧都には言わなかった。
中将は、
出家した浮舟の美しい姿を垣間見て、
いっそう恋心に火が付き、
自分のものにしたいと考えるが、
浮舟は「枯れ木のように世間から忘れられたい」
という精神を通すつもりである。
新年になり、
この頃、大尼君の孫で紀伊守であった人物が、
上京しており小野まで訪ねてきた。
紀伊守は薫に仕えており、浮舟は薫の噂話を聞いて
懐かしいような恐ろしいような気分になる。
3月末に
浮舟の一周忌の仏事を執り行った薫は、
ある夜、明石の中宮のもとに参上する。
女房の小宰相の君は、
薫に横川の僧都の語った女の話を聞かせる。
薫はその女が浮舟であると確信し、何とかして
浮舟を訪問したいと考える。
薫は、浮舟の異母弟である小君を伴って、
横川の僧都を訪問することにした。
<薫27歳~28歳>
夢浮橋
夏になり、横川の僧都と対面した薫は、
小野山荘にいる女が
自分と関係のある人物であると打ち明ける。
僧都は浮舟を助けた経緯を薫に語って聞かせる。
心を打たれた薫は、僧都に浮舟の住んでいる家まで
案内してほしいと依頼するが、
僧都は「今日明日には案内できないから、
来月になったら案内しましょう」と答えた。
薫は、僧都に手紙を書かせ、
浮舟の異父弟・小君に持たせて
小野山荘に遣わした。
手紙は、浮舟に還俗および
薫との結婚を勧める内容であった。
しかし、浮舟は僧都の手紙を読もうとしない。
母親には会いたいけれど、他の人には会いたくないと言い、
小君にも会おうとはしない。
小君は、薫の手紙を浮舟に差し出すが、
浮舟は返信を書くことを拒否する。
小君は落胆して、京の薫のもとに帰った。
薫は、小君の報告を聞いて期待外れに感じ、
「誰か男が浮舟を小野に隠しているのだろうか」
と想像を巡らせて疑うのであった。
<薫28歳>
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\源氏物語全体のあらすじ/


宇治十帖の結末を解説
宇治十帖の結末は、
薫が出家した浮舟からの返事をもらえず落胆して、
「誰か男が浮舟を隠しているのだろうか」
と疑うところで終わっています。
【宇治十帖の結末:原文】
いつしかと待
ちおはするに、かくたどたどしくて帰
り来
たれば、すさまじく、「なかなかなり」と、思
すことさまざまにて、「人
の隠
し据
ゑたるにやあらむ」と、わが御心
の思
ひ寄
らぬ隈
なく、落
とし置
きたまへりしならひに、とぞ本
にはべめる。
【宇治十帖の結末:現代語訳】
(薫は小君の帰りを)今か今かとお待ちになっていたが、このようにはっきりしない状態で帰って来たので、落胆して、「かえって(小君を浮舟のもとに)遣わさないほうがましだった」と、色々なことをお思いになり、「誰かが(浮舟を小野に)隠しているのだろうか」とご想像の限りを尽くして、(かつて薫が浮舟を宇治に)放ってお置きになった経験からも、と本にございますようです。
薫は、「浮舟」の巻で
浮舟を宇治の山荘に放置していましたね。
その経験があるからこそ、
現在、浮舟が小野山荘に隠れ住んでいるのを
「誰か他の男が隠しているのでは」と
疑っているのです。
読者からしてみれば少しモヤモヤする結末ですね。
来月には僧都に直接案内してもらう約束ですし、
薫がこれで浮舟を諦めるとは考えづらいです。
この結末は読者の想像力をかき立て、
後世には『雲隠六帖』『山路の露』
という補作が書かれました。
薫と浮舟の結婚などについて書かれています。
ちなみに末尾の「本
にはべめる」という表現は、
写本の後入れであり、紫式部の時代の原本は、
「とぞ」で終わっていたのではないかと言われています。
「原本にはこう書いてありました」という
写本の筆者の注記です。