宇治十帖はつまらない
と感じる人は多いです。
あー・・・源氏物語楽しそう。国文の先輩の話聞いてマジ羨ましいと思った。源氏物語楽しすぎるんだよほんと。っていうか平安文学はいろいろ楽しい。そうだ久しぶりに落窪物語が読みたい。あ、源氏物語の宇治十帖は個人的につまらないと思っているのけれどもね。光源氏の出ない源氏物語なんて、ね。
— たまる@低浮上 (@kstm131) December 8, 2011
この記事では、
- 宇治十帖をつまらないと思う理由
- 宇治十帖を面白いと思う理由
双方の観点から考察してみました。
宇治十帖をつまらないと感じる理由
なぜ宇治十帖はつまらないのでしょうか?
以下にあげる5つの理由が考えられます。
1.光源氏が出てこない
宇治十帖は、
光源氏が亡くなった後の物語なので、
当初の主人公である光源氏が登場しません。
光源氏の恋愛遍歴と人生は、
読者の心をつかみ、魅了しました。
「クズ」と称されることも多い光源氏ですが、
クズエピソードも含め、
その人生は栄華物語として非常に面白く読めます。
しかも、単なる栄華物語に終わらず
「若菜」の巻以降には
正室となった女三の宮の裏切りと、
最愛の妻・紫の上の死が描かれ、
輝きしかなかった光源氏の人生に影が落ち、
やがて命の終焉に向かう様まで描かれています。
ゆえに、読者は光源氏の登場しない宇治十帖に
物足りなさを感じてしまうのでしょう。
薫、匂宮のキャラクターは、
光源氏に比べるとどうもパンチが足りず、
本編のストーリーほどの盛り上がりを感じないのです。
2.薫が嫌い/浮舟が可哀想
宇治十帖の主人公である薫は、
読者から非常に嫌われやすいキャラクターです。
なぜ嫌われているかというと、
浮舟を、亡くなった大君の身代わりと
してしか見ていなかったからです。
薫は浮舟を浮舟として愛していませんでした。身分の低い浮舟を蔑む気持ちも感じられます。
さらに薫は、愛人となった浮舟を
宇治の山荘に放置します。
薫は恋愛に不器用であるがゆえに
かなり冷たい印象を与える青年です。
光源氏も藤壺の宮の身代わりとして
紫の上を愛しましたが
紫の上を紫の上として愛するようになっていくし
生涯にわたって最愛の妻として大切にしています。
光源氏と薫の性格を比べると、
薫の不甲斐なさにガッカリしてしまいますね。
3.宇治の話がダラダラと続く
宇治十帖のストーリーは、メリハリが少なく、
宇治を舞台とした恋物語(心理小説)がダラダラと続きます。
光源氏の物語は、舞台や登場人物が
巻ごとに変わって読者を飽きさせません。
宇治十帖は、光源氏の物語と比べると
長く冗漫でつまらない、飽きやすいと言えるでしょう。
4.「笑われ役」が登場しない
『源氏物語』の第一部では、
末摘花、源典侍、近江の君といった
笑われ役の女性が登場します。
彼女たちの出てくる部分のストーリーは、
コメディ要素をそなえていて、大変面白いです。
宇治十帖では、そのような笑われ役が
一人も出てこないため、物足りません。
5.華やかな宮廷文化の描写が少ない
『源氏物語』の第一部では、
華やかな宮廷文化を描写が読者を楽しませます。
「紅葉賀」の巻/桐壺帝御前での試楽
「花宴」の巻/紫宸殿の桜花の宴
「絵合」の巻/宮中での絵合
などの宮廷文化に加え、
「初音」の巻/華やかなな新春の様子
「胡蝶」の巻/春の町の船楽
「蛍」の巻/玉鬘が蛍の光に照らされる
など六条院の描写も、
まるで目に浮かぶように華やかです。
宇治十帖は宇治を中心にした
心理小説なので華やかな描写は少なく、
暗く、陰鬱な印象を与えます。
宇治十帖を面白いと感じる理由
Xで検索してみると、
宇治十帖に対して好意的な意見も見られました。
源氏物語の宇治十帖は昔は面白さとか良さが分からなくて、光源氏主人公には劣るなーと思ってたけど歳を取るとあの宇治十帖めちゃくちゃ好きになった
— みすゞですよ (@misuzu_desuyo) November 4, 2024
源氏物語は本当に全部面白いからすごいわ。ストーリーただの恋愛物語じゃない当時の政治とかも反映されててなぜ生きるのかというのもテーマなのがいい
宇治十帖は、どういったところが
面白いのでしょうか?
以下の4つの理由があげられます。
1.三角関係の心理小説として楽しめる
宇治十帖は、質の高い心理小説となっています。
特に後半の、
薫、匂宮、浮舟の三角関係と
浮舟の決断は読者の心を惹き付けます。
確かに冗漫に感じるところはあるし、
華やかさには欠けますが、
自分勝手な貴族男性と翻弄される
宇治の姫君の心理を追って読んでいくと
宇治十帖の厭世的でジメジメした世界に
没入していくような
陶酔していくような気分を味わうことができます。
2.浮舟に共感する
宇治十帖の後半のヒロイン浮舟は、
自己主張をせず、母親の意向に従って生きてきた女性です。
現代でも子どもに過干渉な、いわゆる「毒親」
といわれる母親の話はよく聞きますよね。
また、女性が2人の美男子から愛される状況は、
現代の恋愛ドラマでもよく見る構図です。
「ヒロインがモテモテ」というのは、
今も昔も多くの女性たちが憧れる設定であり、
楽しんで読むことができます。
3.人間くささ/生々しさが面白い
光源氏は、須磨・明石の巻で
よく表されているように
神のような性質を持った人物として描写されています。
ところが、宇治十帖で登場する
薫や匂宮は、光源氏と比較すると
非常に人間くさく、俗物なのです。
欲望、失敗、後悔、未練
といった人間くささに焦点をあてたのが
宇治十帖のストーリーです。
光源氏の物語が「伝説」っぽいのに対して、
宇治十帖はまるで「現代小説」のようです。
光源氏の物語とは趣向を変えて、
生々しい宇治十帖の物語は逆に新鮮で面白く感じます。
4.貴族女性の懊悩からの解放が描かれている
宇治十帖には、人生に悩む貴族女性を
どのように懊悩から解放させるか?が書かれています。
薫からの求愛に悩んだ大君は、
食事を拒否することによって病死に至り
死をもって懊悩から解放されました。
中君は匂宮の妻となる運命を受け入れ、
好色な匂宮の浮気に悩まされながらも
妻の一人として大切にされます。
薫と匂宮の板挟みに悩んだ浮舟は、
宇治川に入水後、出家をすることで
懊悩から解放されました。
光源氏の物語が、光源氏の栄華と衰退を
描いているのに対し、
宇治十帖は、女性の解放の手段について
模索していくストーリーとなっています。
平安時代の貴族女性の生きづらさが
読者にひしひしと伝わり、
いつの間にか宇治の姉妹に感情移入して
夢中でストーリーを追っています。
まとめ
この記事では、
・宇治十帖をつまらないと思う理由
・宇治十帖を面白いと思う理由
をそれぞれの観点から解説しました。
筆者の個人的な意見ですが、
私も宇治十帖よりは、本編の光源氏を中心とした
物語のほうが好きです。
宇治十帖は、ダラダラと冗漫な印象があって
読むのに少し忍耐が必要でした。
でも、宇治十帖がつまらないとは思いません。
特に浮舟が登場してからの
三角関係の展開が好きです。
情熱的な匂宮に惹かれてしまう浮舟が、
とても可愛らしいなと思います。
三角関係に悩んだ末、浮舟が選んだ手段が
入水、そして出家だったことは悲しい結末ですが、
『源氏物語』という物語の最後として非常に美しく
最もふわさしい結末だと感じました。