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撫子
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30代後半の主婦。
高校生の頃から源氏物語に興味を持ち始めました。大学では源氏物語を研究し、日本語日本文学科を首席卒業しました。
30代になり、源氏物語を改めて学びなおしています。
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伊勢物語:六十九段「狩の使」の解説・原文・現代語訳

伊勢物語:六十九段「狩の使」の解説・原文・現代語訳

この記事では、『伊勢物語』
六十九段「狩の使」の
原文・現代語訳・解説を掲載しています。

『伊勢物語』とは、在原業平(825~880)の和歌や逸話をもとに、作られた歌物語です。

目次

『伊勢物語』六十九段「狩の使」:原文・現代語訳

【現代語訳】
 昔、男がいました。その男が伊勢の国に、鷹狩の勅使として行った時に、あの伊勢の斎宮だった人の親は、娘(斎宮)に「通常の勅使よりは、この方をよくおもてなししなさい」と言いつけました。斎宮は親から言われたことだったから、たいへん心をこめて男をもてなしました。朝には、鷹狩に出かけられるようにお世話をし、夕方に帰ってくると自分のもとに来させました。このように、斎宮は男を、心をこめてお世話しました。二日目の夜、男が「逢いたい」と無理なことを言います。女もまた、それほど強く逢わないと思っているわけではありません。けれど、人目が多かったので、簡単には逢えません。男は正使として来ている人だから、遠くには宿泊させていません。女の寝所の近くに泊まっていたので、女は、人が寝静まってから、の一刻の頃(午後11時~11時半頃)に、男が宿泊している所にやってきました。男もまた、女に逢いたくて眠れなかったので、外を眺めながら横になっていると、月の光がぼんやりと霞んでいる中に、小さい召使いの女の子を先に立たせて、人が立っていました。男はたいへん嬉しく思って、自分の寝所に女を連れて入り、の一刻(午後11時~11時半頃)からうしの三刻(午前2時~2時半頃)まで一緒にいましたが、まだ何も語り合わないうちに女は帰ってしまいました。男はとても悲しくて、そのまま寝ずに起きていました。翌朝、気にはなりましたが、こちらから女のもとに使いを遣れるものでもないから、たいそう待ち遠しく思っていると、朝になってしばらくたってから、女のもとより、歌だけが贈られてきました。

♪あなたがいらっしゃったのか、私がうかがったのか、よくわかりません。昨夜のことは、夢だったのか、現実だったのか。私は寝ていたのか、起きていたのか。

男は、ひどく泣いて次の歌を詠みました。

♪悲しみで真っ暗になった私の心は、乱れて冷静さを失っていました。夢か現実かは、今夜の逢瀬で判断してください。

と詠んで女に贈って、鷹狩に出発しました。狩のために野を歩きまわるけれど、心ここにあらずで、せめて今夜だけでも、人が寝静まってから、すぐに逢おうと思っていました。すると、伊勢の国のかみ斎宮寮さいぐうりょうの長官を兼務した人が、狩の使いが来ていると聞いて、一晩中、宴会を催したので、男はまったく女に逢うことができませんでした。夜が明けたら尾張の国へと出発する予定なので、男は恋の苦しみにより、ひそかに血の涙を流すけれど、女には逢えません。夜が少しずつ明けようとする頃に、女から差し出したさかずきの皿に、歌が書いてありました。取って見てみると、

♪今回のことは、徒歩かちで人が渡っても、裾が濡れない浅い川のような、たいそう浅いご縁ですので

と書いて、歌の下の句がありません。男は、その盃の皿に、松明たいまつの燃え残りの炭で、下の句を書き足します。

♪私は再び逢坂の関を越えるでしょう(私は再びあなたに逢うでしょう)

と詠んで、男は夜が明けると尾張の国に行ってしまいました。斎宮とは、清和天皇の御時の方で、文徳天皇の皇女であり、惟喬これたか親王の妹です。

【原文】
 むかし、男ありけり。その男、伊勢の国にかり使つかにいきけるに、かの伊勢の斎宮さいぐうなりける人の親、「つねの使よりは、この人よくいたはれ」といひやれりければ、親のことなりければ、いとねむごろにいたはりけり。あしたには狩にいだしたててやり、夕さりはかへりつつ、そこに来させけり。かくて、ねむごろにいたつきけり。二日といふ、男、われて「あはむ」といふ。女もはた、いとあはじとも思へらず。されど、人目しげければ、えあはず。使つかひざねとある人なれば、遠くも宿さず。女のねや近くありければ、女、人をしづめて、子一ねひとつばかりに、男のもとに来たりけり。男はた、られざりければ、かたを見いだしてふせるに、月のおぼろなるに、小さきわらはをさきに立てて人立てり。男いとうれしくて、わがる所にて入りて、子一つより丑三うしみつまであるに、まだ何ごとも語らはぬにかへりにけり。男、いとかなしくて、寝ずなりにけり。つとめて、いぶかしけれど、わが人をやるべきにしあらねば、いと心もとなくて待ちをれば、明けはなれてしばしあるに、女のもとより、詞はなくて、

君や来しわれやゆきけむおもほえず夢かうつつか寝てかさめてか

男、いといたう泣きてよめる、

かきくらす心のやみにまどひにき夢うつつとは今宵こよひさだめよ

とよみてやりて、かりにいでぬ。野にありけど、心はそらにて、今宵だに人しづめて、いととくあはむと思ふに、国のかみいつきみやかみかけたる、狩の使ありと聞きて、ひと、酒飲みしければ、もはらあひごともえせで、明けば尾張をはりの国へたちなむとすれば、男も人しれず血の涙を流せど、えあはず。夜やうやう明けなむとするほどに、女がたよりいだすさかづきのさらに、歌を書きていだしたり。取りて見れば、

かち人の渡れどれぬえにしあれば

と書きてすゑはなし。その盃のさらに続松ついまつすみして、歌の末を書きつぐ。

またあふさかの関はこえなむ

とて、明くれば尾張の国へこえにけり。斎宮はみづ御時おほんとき文徳もんとく天皇の御むすめ惟喬これたかの親王の妹。



狩の使:宮中の宴会用の野鳥を
とるために、諸国につかわした
鷹狩の勅使のこと。

国の守、斎の宮の頭かけたる
伊勢国守と斎宮寮の長官を
兼務した人物。
斎宮寮は斎宮に関わる事務を
司る役所。

盃のさら:盃の内側のこと。
もしくは盃を乗せる皿。

文徳天皇の御女
文徳天皇の皇女・恬子やすこ内親王。
母親は紀静子きのしずこで、惟喬親王と
同腹の妹。

解説:『源氏物語』との関連

『伊勢物語』というタイトルは、
伊勢の斎宮が舞台となった
この六十九段が由来となっていると言われています。

六十九段が、古い『伊勢物語』では
冒頭に位置していたという説や、
六十九段の内容が優れているから
という説がありますが、
どちらも根拠があることではなく、
あくまで推測の域を出ません。

この章段は、『源氏物語』に影響を与えています。
「若紫」の巻で、光源氏と藤壺が密通を
果たした後に詠み交わした「夢」を
キーワードとした和歌が六十九段の和歌に
触発されて作られたものと考えられているのです。

また、「賢木」巻で光源氏が野々宮を訪問し、
六条御息所と語るシーンも、
『伊勢物語』六十九段を彷彿とさせます。

詳しくはこちらの記事で詳しく解説しています。

「賢木」巻の光源氏と六条御息所は、
六十九段の業平と斎宮のように
契りを交わすことはしません。

しかし、読者の頭の中では
六十九段における禁忌を破った恋のイメージが
湧いているから、明文化されていないだけで
光源氏と六条御息所も実はあの夜に
契りを交わしたのではないか…?
と想像してしまいます。

それこそが作者・紫式部の狙いだったのでしょう。

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