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撫子
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30代後半の主婦。
高校生の頃から源氏物語に興味を持ち始めました。大学では源氏物語を研究し、日本語日本文学科を首席卒業しました。
30代になり、源氏物語を改めて学びなおしています。
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本居宣長:もののあはれの論9・『源氏物語』は教訓の物語ではない

もののあはれの論 現代語訳・原文9

この記事では、
本居宣長:もののあはれ論(紫文要領)の
原文・現代語訳を掲載しています。

★大意の事 上
1.物語とは「もののあはれ」を知らせるもの 
2.蛍の巻の物語論から紫式部の意図を読み取る
3.古来の注釈書は間違いが多い 
4.『源氏物語』の善悪の基準は「もののあはれ」 
5.女は「もののあはれ」知った上でほどよい態度をとるべき 
6.「もののあはれ」についての詳述 

★大意の事 下
7.恋愛は「もののあはれ」が深い 
8.「もののあはれ」と浮気っぽいのとは別物 
9.『源氏物語』は教訓の物語ではない ←この記事
10.光源氏と藤壺の密通を書いた紫式部の意図
11.人の真実の感情を知ることが「もののあはれ」を知ること

目次

源氏物語は好色の戒めにはならない

【現代語訳】
 『源氏物語』のすべてを勧善懲悪の意味があると理解し、特に恋愛の過ちを犯さないための教訓とするのは、大きな間違いである。作者の本来の意図は、教訓ではない。また、読む人の立場からしても、教訓にはなりにくい。まず源氏の君は、万事に優れていて、善い人の例として書かれているので、読む人も源氏の行動をすべて善いことと捉え、真似て学ぶはずのものである。しかし、特に源氏には恋愛の話が多く、その中には有り得ないような大きな不道徳もある。読む人もそこから学んで、この善い人にさえこのようなことがあるから、どうして恋愛が悪いことがあろう、と思う気持ちになりはするだろうが、どうして教訓になるはずがあろうか。また藤壺の宮を極めて善い人として称賛したならば、女性の読者もその心構えを真似して従うはずである。藤壺の宮の不倫を読み、このような立派な人でさえこんな間違いがあるならば、場合によっては不倫もそれほど悪いことではないのだろうか、という気持ちになるだろう。であれば、『源氏物語』は教訓にはならず、逆に恋愛を推奨する書物ということになるはずだ。
 だいたい勧善懲悪というものは、善い事をした人は子孫まで幸福に繁栄して、悪い事をした人は不幸に遭って身を滅ぼすというようなことを書くからこそ、それを読んで注意しようという気持ちになるものなのだ。源氏の君は大きな不道徳を働いており、奔放な恋愛が非常に多い。なのに、一生を通して穏やかに楽に暮らし、その繁栄はすさまじく、太上天皇だいじょうてんのうの尊称を手に入れなさって、この世の事はすべて源氏の思い通りであり、子孫まで繁栄するのを見て、誰が恋愛を自重する気持ちになるだろう。物語の途中で、(源氏が)須磨の浦にお移りになったのは、弘徽殿の大后の企みのせいであり、(大后を)邪悪なようにいい、(源氏の配流を)世間の人がみんな悲しみ、仏や神も天もこの配流を了承なさらないように言ったので、いっそう教訓にはなりにくい。柏木が身を滅ぼしたことを恋愛の教訓と思うのは、一端にとらわれて他の事を見失っている。であれば、源氏の君がいつまでも繁栄なさったのは、どう説明するのか。
 「夕顔」の巻には次のように書かれている。
  こんな世間並みの身分の女までは、関心が向かなくていらしゃったのだが、先日の「雨夜の品定め」の後は、興味をお持ちになった身分の女がいるので、ますます残る隈なくご関心をお持ちになるお心なのであろうよ。
「こんな世間並みの身分の女」とは、夕顔の君・空蝉の君を指している。これらは中流階級以下の世間並みの女である。源氏の君は、依然はこのような世間並みの身分の女までは興味を持たれることがなかったが、雨夜の品定めで、
  受領と言って、地方の政治にあくせく掛かり切りになって、中流と定まった階層の中にも、またいくつか段階があって、中の品で悪くはない者を、選んでも良さそうな時勢なのです。
と言い、
  ところで、世間で人に知られず、寂しく荒れ果てたような草深い家に、思いも寄らない可愛らしげな女がひっそりと住んでいるのこそ、この上なく珍しく思われましょう。
などと言っているのをお聞きになったために、(源氏は)その後は中流以下の階級の女にも、もしかしてそのような予想外の事もあるだろうかと、知りたくお思いになる気持ちになって、よりいっそう様々な女と恋愛がしたいお気持ちになった、ということである。これをもって見ると、あの雨夜の品定めを恋愛の教訓として書いたというのは、大きな間違いである。源氏の君は、品定めによって恋愛したい気持ちがいっそう募ってしまったので、現代の読者も恋愛したい気持ちになることはあっても、自重する気持ちがどうして出てくるだろうか。

【原文】
 この物語をことごとく勧善懲悪くゎんぜんちょうあくの心と見て、ことに好色のいましめとするは、大きなるひがことなり。作者の本意、戒めの心にあらず。また見る人も戒めにはなりがたし。まづ源氏の君をばよろづにすぐれてよき人のためしに書きたれば、見む人もこの人のしわざを何事にもよしとして、ならひ学ぶべきことなるに、ことにこの人に好色の事
多く、その中にはあるまじく大きなる不義もあれば、見む人もそれにならうて、このよき人にさへかくのごときことあれば何かは苦しからむ、と思ふ心にこそなるべけれ、いかでかは戒めにはなるべきぞ。また薄雲の女院にょうゐんをいみじくよき人にしてほめたれば、これを読まむ婦人もその心ばへをならひ慕ふべきことなるに、女院の不義を見ては、かかるすぐれたる人さへこのあやまちあれば、事によりては不義もさのみ苦しからぬことにや、といふ心になるべし。されば戒めにはならずして、かへりて好色をいざなふ書になるべし。
 およそ勧善懲悪といふことは、よき事をせしものは末々すゑずゑまで幸ひありて栄え、悪しき事せし者はわざはひにあひて身を滅ぼすやうのことを書きてこそ、それを見て慎しむ心も出で来るものなれ。源氏の君は大不義ありて、好色の乱れはなはだ多し。しかるに一生安楽にして栄華えいぐゎ身に余り、太上天皇だいじゃうてんわう尊号そんがうまで得給ひ、この世の事大方おほかた御心にかなはぬことなく、子孫まで繁昌するを見て、誰かは好色を慎しむ心を起さん。中ごろ須磨の浦へ移ろひ給ふは、大后おほきさきのしわざにして、よこしまなるやうにいひ、天が下こぞって悲しみ、仏神ほとけかみも天もこれをうけ給はぬやうにいひたれば、いよいよ戒めにはなりがたし。 柏木の身を失ひたるをもて好色の戒めと思ふは、一隅を守りて三隅を知らぬなり。しからば源氏の君の末長く栄え給ふは何とかいはむ。
 夕顔の巻に云はく、
  かやうの並々までは思ほしかからざりつるを、ありし雨夜の品定めの後、いぶかしく思ほしなる品々しなじなあるに、いとどくまなくなりぬる御心なめりかし。
「かやうの並々」とは、夕顔の君・空蝉の君を指すなり。これらは中品ちゅうぼん以下の並々の女なり。源氏の君、以前はかやうの並々の女までは思し召しかくることもなかりしが、一夜の品定めに、
  受領ずりゃうといひて、人の国の事にかかづらひ営みて、品定まりたる中にも、また刻み刻みありて、なかしなのけしはあらぬ、り出でつべき頃ほひなり。
といひ、
  さて世にありと知られず、さびしくあばれたらんむぐらかどに、思ひのほかにらうたげならん人の閉ぢられたらんこそ、限りなく珍しくはおぼえめ。
などといへることを聞き給ひてしゆゑにや、そののちは中以下のしなにももしやさやうの思ひのほかの事もあらんかと、 いぶかしくおぼし召す心つきて、その後はいよいよ好色の心くまなくなり給へる、となり。これをもて見るに、かの品定めを好色のいましめに書けるといふは大きなるひがことなり。源氏の君は品定めによりて好色の心いよいよまされれば、今読む人も好色の心はつきこそすらめ、慎しむ心のいかでか出で来べき。

源氏物語は好色の心を助長する

【現代語訳】
 「末摘花」の巻には次のように書かれている。
  このような所にこそ、昔物語にもしみじみとした話がよくあったものだなどと連想して、言い寄ってみようかな、とお思いになるが、
これもまた、(「夕顔」の巻と)同じ心の動きであって、すべて恋愛の事を書いた物語は、恋愛の教訓にはならず、逆に恋愛したい気持ちを助長することを理解しなければならない。
 「少女」の巻には次のように書かれている。
  このようなことは、やんごとない帝が大切になさっている内親王でも、いつの間にか過ちを犯す例が、昔物語にもあるようですが、
これもまた、そのような例があると昔の物語を例に引いているので、決して教訓にはならない。
 「総角」の巻には次のように書かれている。
  伊勢物語を絵に描いて、妹に琴を教えているところで、「人の結ばむ」と詠みかけているのを見て、(中略)「昔の人も、こういう間柄では、隔てなくしているものでございますよ。(後略)」
これも昔の物語を例として引いている。
 前に引用した文章をみなさい。時には恋愛したい気持ちを誘発して、時には(昔物語の)恋愛を例を引いて、昔もこのような事があったのだから(自分も)、と思う気持ちにこそなるが、物語を読んで恋愛を自重しようという気持ちが起こるとは思えない。そうであるから、「蛍」の巻には次のように書かれている。
  「姫君の御前で、この色恋沙汰の物語などを、読み聞かせなさいますな。(姫君が)内緒の恋をする物語の娘のことなどを、おもしろいとは思わないまでも、このようなことが世間にはあるのものだと、当たり前のように思われたら、困ったことですよ」と(源氏は)おっしゃる。
この引用文によって(物語が)恋愛の教訓にはならないことを判断しなければならない。紫式部の意図としても、教訓を目的としていないことを理解しなければならない。その理由は、『源氏物語』に登場する人々が、古い物語を読んだ時の気持ちも、後の時代の人が『源氏物語』を読んだ時の気持ちも同じなので、もし教訓が目的ならば、このようには書かないはずだからである。
 『源氏物語』の中に、人を教え、注意しているところもあるのは、(『源氏物語』が)この世の中のあらゆる事を広く書いたものだから、その中には自然と人に教訓を与えることもあるはずの道理である。それを根拠として、作品全体の趣旨をすべて教訓と捉えるのは、非常に偏った見解である。「若菜下」には次のように書かれている。
  言葉遣いがはっきりしていて、柏木本人に間違いないことが色々と書いてある。「長年慕い続けてきたことが、偶然に念願が叶って、(かえって)心にかかって仕方がないという事を詳しく書いた言葉は、まことに見所があって胸を打つが、こんなにまではっきりと書いてよいものだろうか。柏木ほどの人が、思慮もなく手紙を書いたものだ。人目に触れるようなことがあったら困ると思ったから、(自分は)昔、このようにこまごまと書きたい時も、言葉を簡略にして人に分からないようにして書いたものだ。そのように人が用心するということは難しいことなのだ」と、(源氏は)その人(柏木)の心までお見下しなさった(柏木から女三の宮に贈った手紙を、源氏の君が見つけて御覧になっての気持ちである)。
これをどう説明すればよいか。恋文の書き方を教えているので、他人に恋愛を教えていると言うべきだろうか。このような文章も見られるので、たまたま教訓の言葉があるからといって、作品全体を全て教訓と捉えるのは、非常に偏った考え方である。

【原文】
 末摘花の巻に云はく、
  かやうの所にこそ、昔物語にもあはれなる事どもありけれ、など思ひ続けて、ものやいひ寄らましと思せど、
これまた同じ心ばへにて、すべて好色の事を書ける物語の、好色のいましめにはならず、かへりて好色の心をいざなふことを見るべし。
 少女の巻に云はく、
  かやうの事は、限りなき帝の御いつき娘もおのづから過つためし、昔物語にもあめれど、
これまた、さるためしもあると昔物語を例に引きたれば、さらに戒めにはなりがたし。
 総角の巻に云はく、
  在五ざいごが物語を書きて、妹にきん教へたるところの「人の結ばむ」といひたるを見て云々、「古への人も、さるべきほどはへだてなくこそならはして侍りけれ云々」
これも昔物語をためしに引けり。
 右のことばどもを見るべし。あるいは好色の心をいざなひ、またはためしに引きて、昔もかかる事あればと思ふ心こそ出で来れ、物語を見て好色をつつしむ心を起せしことは見えず。さればほたるの巻に云はく、
  「姫君の御前おまへにてこの世慣れたる物語などな読み聞かせ給ひそ。みそか心つきたる者の娘などは、をかしとにはあらねど、かかること世にはありけりと見なれ給はむぞゆゆしきや」とのたまふ。
これにて好色の戒めにはならぬことを思ひ定むべし。紫式部が本意ほいも戒めのためにあらざることを知るべし。そのゆゑは、『源氏物語』にある人々の古物語を見たる心ばへも、後の人の『源氏物語』見る心ばへも同じことなれば、もし戒めの本意ならばかやうには書くまじきことなり。
 巻々まきまきの中に人を教へ人を戒めたることもあるは、すべてこの世にありとある事を広く書ける物なれば、その中にはおのづから人を戒むることもあるべきことわりなり。それをとらへどころにして一部の本意をみな戒めと見るは、はなはだ偏見へんけんなり。若菜の下に云はく、
  言葉遣ひきらきらと、まがふべくもあらぬ事どもあり。 年を経て思ひわたりける事の、たまさかに本意かなひて、 心安からぬを書き尽したることば、いと見所ありて哀れなれど、いとかくさやかには書くべしや。あたら人の文をこそ思ひやりなく書きけれ。落ち散ることもこそと思ひしかば、昔かやうに細かなるべき折節にも事そぎつつこそまぎらはししか。しか人の深き用意はかたきわざなりけりと、かの人の心をさへ見落し給ひつ(柏木の方より女三の宮へ贈りたる文を、源氏の君の見つけ給ひての御心なり)。
これをば何といふべきぞ。艶書えんじょの書きやうを教へたれば、人に好色を教ふるといはむか。かやうのことばもあれば、たまさかに教訓けうくんの詞ありとて、それをとらへて一部をみな戒めの心に見るは、はなはだ偏なることなり。

 

古来の道徳的解釈は全て無理なこじつけ

【現代語訳】
 古い注釈書に、『源氏物語』は「『春秋しゅんじゅう』(古代中国の歴史書)が人物を褒めたり貶したりして判断していることに学んで勧善懲悪のために書いたもの」と言い、また「仏教・儒教の書籍にとんでもない悪人のことを書いているのは、すべてそれを読んだ人を懲らしめるためだから、『源氏物語』も奔放な恋愛のことを書いて、読者を懲らしめるために書いた」と言い、また「人を儒教の道徳の道に誘導し、最終的には、有でも無でもない絶対的真実の中道の道理を理解させる」と言い、また「勢いが盛んな者も必ず衰える、出会った者とは必ず別れる、という世の無常の道理を理解させ、心の迷いはそのまま悟りに通ずるという道理を理解させる」と言い、また「『源氏物語』が男女関係を中心としたのは、『詩経しきょう』の中の<関雎かんしょ>や<螽斯しゅうし>の詩で、夫婦仲が良いことによって子孫が栄える幸福を、聖人が世を治める道の基本としていることにならったものだ」と言い、また「天台宗の四教・五時の経文を考え合わせて見ねばならない」と言うなどしている。これらは、もっともらしく聞こえて、なるほどと思う人もいるだろう。(しかし)それは大きな間違いであり、かえって、愚かで道理に暗いことである。上記の説はすべて見当違いであり、ひどく無理なこじつけである。
 前述した通り、我が国の物語というものは、また別のあり方をしていて、外国の儒教・仏教の書籍とは、その趣向がまったく異なっているものである。そのまったく異なった書籍の趣向を、あれこれと比較しようとするのは、愚かではないか、こじつけではないか。ただ、我が国の物語は我が国の物語と比較して論じなければならない。(物語同士であれば)種類が同じであり異質の基準を持ち込まずに済むからである。なのに、その近い我が国の昔物語と比較して論じることを知らず、遠い中国の異質の書籍を持ち出して論じるのは、まったく根拠のないことである。

【原文】
 古抄こせうの説に、この物語を「『春秋』の褒貶ほうへんを学びて勧善懲悪くゎんぜんちょうあくのために書く」といひ、また「内外ないげ書籍ふみ悪逆無道あくぎゃくぶだうなる人のことを書けるは、みなそれを見てこらさむためなれば、この物語も好色淫乱のことを書きて、見る人をして懲さむために書く」といひ、また「人をして仁義五常じんぎごじゃうの道に引き入れ、つひには中道実相ちゅうだうじっさう妙理めうりを悟らしむ」といひ、また「盛者必衰じゃうしゃひっすい会者定離ゑしゃぢゃうりことわりを知らしめ、煩悩即菩提ぼんなうそくぼだいの理りを悟らしむ」といひ、また、「男女なんにょの道をもととせるは、関雎かんしょ螽斯しゅうしの徳、王道治世わうだうちせいの始めたるにかたどる」といひ、また「天台四教五時てんだいしけうごじ法文ほふもんを引き合せて見るべし」といへるなど、ことごとしく聞えて、げにと思ふ人あるべし。それは大きなるひがことにて、かへりて愚昧ぐまいなることなり。右の説どもみな当らず、牽強付会けんきゃうふくゎいのはなはだしきものなり。
 前にも所々にいへるごとく、ここの物語といふものはまた別に一体ありて、人の国の儒仏の書とはその趣きはるかに異なる物なり。そのはるかに異なる書籍ふみの趣きをもてとかく引き合せむとするは、愚味にあらずや、付会ふくゎいにあらずや。ただここの物語はここの物語をもて論ずべし。その同じたぐひなるがゆゑなり。しかるにその近きわが国の古物語をもて論ずることをば知らず、遠きもろこしの異類の書を引きでていふこと、大きにいはれなきことなり。

古来の道徳的解釈は全て無理なこじつけ(詳述)

【現代語訳】
 まず『春秋』が人物を褒めたり貶したりしているのと比較するのは、まったく適当ではない。その理由は、『春秋』は悪い事を悪いように言い、善い事を善いように言うからこその「褒める・貶す」であるが、『源氏物語』は好色の点で比べる者もない源氏の君を終始よい人の例として言っているからである。好色を褒めて真面目を非難していると言うべきであろうか。これによって、『春秋』の「褒める・貶す」の例とは大きく異なっていることを理解しなければならない。もし、無理に『源氏物語』が人物を褒めたり貶したりしていると見る場合は、もののあはれを知るのと知らないのとを褒めたり貶したりしていると言わねばならない。その理由は、恋愛自体は問題とせず、もののあはれを知っているのを善いように言い、知らないのを悪く言っているからである。このことは前に詳しく述べた。
 また、儒教・仏教の書物と同じく、『源氏物語』も奔放な恋愛のことを書いて、読む人を懲らしめるのを目的としている、というのも同じで全く見当外れである。外国の書物には、とんでもない悪人のこととして、一時は繁栄するけれども、最後には身が滅び不幸に遭う、もしくは自身は幸福で一生無事だけれど、子孫の代になって災いを受ける、もしくは子孫が断絶、または自身にすぐに不幸が襲うといったことが書いてある。また、そうでなくても、悪事を悪いこととして論じて、非難していれば、読者はそれを読んで恐れて慎重になるだろう。『源氏物語』は、恋愛好きの源氏が、一生を通して穏やかに楽に暮らし、この上なく繁栄し、子孫まで栄え、作者の言葉としても源氏を善いようにばかり論じている。だから、読者はひょっとすると恋愛好きなのを善いことと思って真似る気持ちが起こる可能性があるが、決して自重しようという気持ちは起こらないはずだ。であれば、この説はまったくの間違いである。
 また、儒教の道徳の道に誘導しようとする、という説も怪しいものだ。(『源氏物語』の読者は)ひょっとすると恋愛好きの道に入るだろう。前に引用した「蛍」の巻の源氏の言葉に、「姫君の御前で、この色恋沙汰の物語などを、読み聞かせなさいますな」とあることによって理解しなければならない。また、最終的には、有でも無でもない絶対的真実の中道の道理を理解させるというのはいっそう怪しい説だ。釈迦しゃか達磨だるまに読ませても、『源氏物語』で中道実相ちゅうどうじっそうの道理はとても悟ることはお出来にならないのではないか。
 また、勢いが盛んな者も必ず衰える、出会った者とは必ず別れる、という道理を理解させるという説、これは確かにこの世の中の様子は、この道理から逃れることはできない。また、それに関わるもののあはれも深いことが多いので、『源氏物語』の中にも多く見える。けれど、それは仏教の経典のようにその道理を理解させるためではなく、もののあはれを理解させるためである。もしその(盛者必衰じょうじゃひっすいの)道理を理解させるためであれば、必ず源氏の死を書くはずなのに、源氏の死を書かず、また肉体の衰えも書かない。ただ源氏についてはずっと良いことばかり書いて、悪いことを書かないのが『源氏物語』の一番の趣旨である。この方面のもののあはれは、紫の上の死去にて書き尽くしており、源氏の死は書いていないということにより、(『源氏物語』の目的は)勢いが盛んな者も必ず衰える、出会った者とは必ず別れる、という道理を理解させるということではないと理解しなければならない(源氏の繁栄のことは、さらに後で詳述しよう。)
 また、心の迷いはそのまま悟りに通ずるという道理は、まったく『源氏物語』と縁のないことであり、非常に考えの浅い説だ。可笑おかしくて仕方がない。これと中道実相の説は、あの「蛍」の巻の仏教の経典の比喩を間違って解釈して言い出したことであり、また、無理に天台宗に誘い込もうとしての説であるが、まったく無関係である。詳細は、上巻の「蛍」の巻を引用した箇所で論じている。
 また、『源氏物語』が男女関係を中心としたのは、<関雎かんしょ>や<螽斯しゅうし>の詩で、夫婦仲が良いことによって子孫が栄える幸福を、聖人が世を治める道の基本としていることにならったものだというのは、『詩経』の理解の仕方によっては適切でないとは言いにくいけれども、(『詩経』を、恋愛をありのままに詠んだ詩と理解し、『源氏物語』と趣向が似ていると言えないこともないが)『詩経』にならって『源氏物語』を書いたというのは、まったくの間違いである。
 また、天台宗の四教五時の経文を考え合わせて見るというのも、あの「蛍」の巻から出た発想である。まったく見当違いであり、『源氏物語』とは縁のないことである。これも詳細は上巻で述べている。

【原文】
 まづ『春秋』の褒貶ほうへんをもていふこと、大きにかなはず。そのゆゑは、『春秋』はしき事をば悪しくいひ、よき事をばよくいひたればこそ褒貶なれ、この物語は好色ならびなき源氏の君を始終よき人のためしにいひたれば、好色をほめてまめなるをそしれるといふべきか。これをもて『春秋』の褒貶の例と大きに異なることを知るべし。もししひて褒貶と見る時は、物の哀れを知ると知らぬとを褒貶せりといふべし。そのゆゑは、好色にはかかはらず、物の哀れ知れるをよくいひ、知らぬを悪しくいへればなり。このこと、前にくはしくいへり。
 また儒仏の書籍ふみと同じく、この物語も好色淫乱のことを書きて、見る人をこらさむため、といへるも同じことにて、一向いっかう当らぬことなり。異国の書には、悪逆無道あくぎゃくぶだうの人のことを書きては、いつたん栄ゆといへどもつひには身滅びわざはひをうけ、あるいはその身は幸ひにして一生つつがなしといへども、子孫に至りて禍ひをかうぶり、ある
いは子孫絶え果て、またはその身にたちまち禍ひあるやうのことあり。またさなくても、悪事をば悪しく議論してこれをそしりたれば、読む人それを見て恐れつつしむべし。この物語は、好色の源氏、一生安楽にして栄華この上なく、子孫まで繁昌し、作者のことばにもよきやうにのみ論じたれば、読む人、ようせずは好色をよき事と思ひてならふ心は出で来るとも、決して慎しむ心は起るべからず。さればこの説また大きなるひがことなり。
 また仁義五常じんぎごじゃうの道に引き入れんこともおぼつかなし。ようせずは好色の道に入るべし。前に引ける螢の巻の源氏の君のことばに、「姫君の御前にてこの世慣れたる物語などな読み聞かせ給ひそ」 とあるをもて知るべし。またつひには中道実相ちゅうだうじっさう妙理めうりを悟らしむといへるは、いよいよおぼつかなし。釈迦しゃか達磨だるまに見せたりとも、この物語にて
中道実相のことわりはえ悟り給はじものをや。
 また盛者必衰じゃうしゃひっすい会者定離ゑしゃぢゃうりの理りを知らしむといへる、これはいかにもこの世の中の有様この理りをまぬかれず、またそれにつきて物の哀れも深きこと多ければ、巻々に多く見えたり。されどそれは仏経のやうにその道理を知らしめむためにはあらず、物の哀れを知らしめむためなり。もしその理りを知らせむためならば、必ず源氏の終りを書くべきことなるに、源氏の終りを書かず、また老衰のことをも書かず、ただ源氏は始終よき事ばかり書きて悪しき事を書かぬが、この物語第一の趣意なり。このすぢの物の哀れは紫の上の薨去こうきょにて書き尽し、源氏の終りをば書かざるにて、 会者定離、盛者必衰の理りを知らしむるにはあらざることを知るべし (源氏栄華のことは、
なほ奥にくはしくいふべし)。
 また煩悩即菩提ぼんなうそくぼだいの理りは一向によりもつかぬことにて、いとあさはかなる説、笑ふに堪へたり。これと中道実相の説は、かの螢の巻の仏経のたとへを悪しく見ていひ出でたること、またしひて天台の法門へ引き入れんとての説なれど、さらにさらによせなきことなり。くはしく上巻に螢の巻を引ける所に弁ぜり。
 また男女の道を本とせるは、関雎かんしょ螽斯しゅうしの徳、王道治世の始めたるにかたどるといへる、これは『詩経しきゃう』の見やうによりて当らぬこととはいひがたけれども、それにかたどりて書けるといふは、大きにひがことなり。
 また天台四教五時てんだいしけうごじ法文ほふもんに引き合せて見るといへるも、かの螢の巻より出でたり。一向当らぬこと、よりもつかぬことなり。これもくはしく上巻にいへり。

紫式部の謙虚な人柄

【現代語訳】
 まず紫式部の性格を、『源氏物語』と『紫式部日記』を資料として考えると、そのような儒教・仏教の学問めいたことを引き出して、利口ぶったことを言うことを女の行動として非常に嫌っているのだ。であれば、紫式部を褒めようとしてそのように(『源氏物語』を儒教・仏教の道徳観と関連づけて)言うのは、逆に紫式部の意図に反する。「帚木」の巻には次のように書かれている。
  すべて男も女も、未熟者は、少し知っている方面のことを(他人に)すっかり見せようと思っているのが、困ったものです。三史五経さんしごきょうといった学問的な方面を、本格的に理解するというのは、可愛げがないだろうが、どうして女だからといって、世の中の公私の事々につけて、(学問を)まったく知りませんできませんと言っていられましょうか。本格的に勉強しなくても、少しでも才能のあるような人は、他人の耳目を引くようなことが、自然に多いはずです。(しかし)それにまかせて、漢字をさらさらと走り書きして(中略)総じて、心の中では知っているようなことでも、知らない顔をして、言いたいことも、一つ二つは言わないでおくのが良いというものでしょう。
この文章をよく吟味しなければならない。もし紫式部が天台宗の許可を受けて奥義を悟ったとして、(前述したような)中道実相ちゅうどうじっそうの道理、煩悩即菩提ぼんのうそくぼだいの道理などを読者に理解させようとするのは、女の分に過ぎたことである。「未熟者は、少し知っている方面のことを他人にすっかり見せようとする」というものである。また「三史五経といった学問的な方面を、本格的に理解するというのは、女としては可愛げがない」と言っているのを見ると、前述した『春秋』・『詩経』・仁義五常じんぎごじょうの説が適当ではないと理解することができる。可愛げがないと嫌っていることを自分からするだろうか。そのような学問的な方面を本格的に理解するのは、女としては可愛げがない。だからといって、いくら女だからといって、世の中の事にまったく通じていないというのではお話にならないから、女も世の中の事には通じていなければならない。これは、そうあるのが当たり前なのだから、そんなに思い上がって自慢するようなことではないのに、未熟者は、自分が知っていることを他人に知らせようとして、いかにも知っているような顔をする、ということだ。
 「賢木」の巻には、次のように書かれている。
  女の書くべきことではないので、(女である筆者が)その一部分を語るだけでも気の引ける思いだ。
これは、桐壺院が、朱雀帝に残したご遺言のことである。このような政治の公的なことは、女が書くべきことではない、ということだ。
 「薄雲」の巻には、次のように書かれている。
  その一部分を語り伝えるのも、とても気がひける。
これも冷泉院と源氏の君とが、政治についてお話された時の文章である。そのようなことを、女である作者が、一部分でも書き留めることは、気が引ける、ということだ。
 「少女」の巻には、次のように書かれている。
  女である筆者が知らないことを口にするのは生意気だと(言われそうなので)、嫌なので書き止めなかった。
これは、漢詩についてである。
 だいたい紫式部の心構えはこのようなものである。また、『紫式部日記』には、次のように書かれている。
  このようなことを聞きましたので、どんなふうに人が伝え聞いて、私のことを憎んでいるだろうと恥ずかしくて、御屏風の上に書いてある漢詩文をさえ読めないふりをしました。
「このようなことを聞く」とは、(ある女房が)紫式部に「日本紀にほんぎ御局みつぼね」というあだ名をつけたことを聞いてということだ。このように紫式部は学問をひけらかし、利口ぶることを非常に恥ずかしく思い、嫌っていたので、多くの注釈書の説として儒教・仏教の書物に当てはめてあれこれ説明するのは、明らかに作者の本来の意図に反している。

【原文】
 まづ紫式部の性質、この物語と、かの『日記』とをもて考ふるに、さやうの儒仏の道々しき事を引き出でてさかしだちたることいふをば、大きに女の上には憎めるなり。されば式部をほめむとてさやうにいふは、かへりて式部が心にかなはず。帚木の巻に云はく、
  すべて男も女も、わろ者は、わづかに知れるかたの事を残りなく見せ尽さむと思へるこそ、いとほしけれ。三史五経さんしごきゃうの道々しき方を明らかに悟り明かさむこそ愛敬あいぎゃうなからめ、などかは女といはむからに、世にある事の公私おほやけわたくしにつけて、むげに知らずいたらずしもあらん。わざとならひ学ばねども、すこしもかどあらん、人の耳にも目にもとまること、自然じねんに多かるべし。さるままには真字まんなを走り書きて云々。すべて心に知れらん事をも知らず顔にもてなし、いはまほしからん事をも一つ二つのふしは過ぐすべくなんあべかりける。
このことばをよくあぢはふべし。紫式部、天台の許可を受けて宗旨しゅうしきはめたりとて、中道実相ちゅうだうじっさう妙理めうり煩悩即菩提ぼんなうそくぼだいことわりなどを知らさむとするは、女の分にあらず、「わろ者は、わづかに知れる事を見せ尽さむとする」といへるものなり。また「三史五経の道々しき方を明らかに悟り明かすは、女にては愛敬なし」といへるを見れば、かの『春秋』・『詩経』・仁義五常じんぎごじゃうの説の当らぬことを知らるるなり。愛敬なしと憎めることをみづからせむや。さてさやうの道々しき方を明らかに悟り明かすは、女にては愛敬なきことなり。さればとて、いかに女なればとて世間の事には一向通ぜぬも無下むげのことなれば、女も世間の事には通じてあるべきことなり。これ、さやうにあるべきはずのことなれば、さのみそれを高ぶりて自慢すべきことにはあらざるを、わろ者は、わが知りたる事を人に知らせんとて物知り顔する、となり。
 賢木の巻に云はく、
  女のまねぶべき事にしあらねば、この片端だにかたはらいたし。
これは桐壺帝、朱雀院へ御遺詔ごゆいせうのことなり。かやうのおほやけのはかばかしき事は、女のまねぶべき事ならず、 となり。
 薄雲の巻に云はく、
  片端まねぶもかたはらいたしや。
これも冷泉院と源氏の君と、天下の政道の事など御物語おんものがたりのことなり。さやうの事を女の片端もまねびて書くは、かたはらいたし、となり。
 少女の巻に云はく、
女のえ知らぬ事まねぶは憎きことをと、うたてあれば漏らしつ。
これは詩のことなり。
 大方おほかた式部が心ばへかくのごとし。またかの『日記』に云はく、
  かかること聞きはべりしかば、いかに人も伝へ聞きて憎むらんと恥づかしさに、御屏風びゃうぶかみに書きたることをだに読まぬ顔をし侍りし。
「かかることを聞く」とは、式部を「日本紀にほんぎつぼね」とつけたることを聞きてなり。かくのごとく式部は学問だてしてさかしだつことをば大きに恥ぢ憎みたれば、諸抄しょせうの説に儒仏の書籍ふみに当ててとかくいへるは、作者の本意にそむけること明らかなり。

荘子・史記・資治通鑑に学ぶというのもこじつけ

【現代語訳】
 古い注釈では、「『源氏物語』の大筋は、『荘子そうじ』の寓話ぐうわ(たとえ話)から学んでいる」と言っている。これもまた間違いである。我が国には、物語という一つの様式の書物があって、古い物語が多い。であるから、『源氏物語』も古い物語に学んで、その様式で書いたものであって、決して外国の書物を真似たものではない。ただし、物語というものは全て、事実でない事を創って書いたものである。特に『源氏物語』は、作者が言いたいことを物語中の登場人物に言わせているようなところが多い。『荘子』と(『源氏物語』は)、作中に述べた事柄と趣旨とはまったく違うけれど、その書き方の具合はよく似ているので、(『源氏物語』は)『荘子』の寓話の趣きであるとは言えるだろう。(しかし、)『荘子』から学んだというのは間違いである。
 また「(『源氏物語』の)文章は『史記』の書き方を真似ている」という説も、根拠のない説である。(『源氏物語』が)『史記』の文章を真似しているということは、決してない。(『源氏物語』の)作品中に時々『史記』のことが書かれていて、また本の巻(大筋を述べる巻)に対する並びの巻(脇筋を述べる巻)を『史記』の列伝になぞらえるなどと言っており、勝手気ままな説であり、よく文章を吟味して言った説ではない(文章のことは、別で詳細に述べる)。
 古い注釈書の説はすべて、ちょっとした事を根拠として、よく考えもせず、勝手気ままで、いい加減なことが多いので、よく考えてみれば間違っていることが多い。学者はそのことを理解して、やたらに注釈を信じてはいけない。
 また「(『源氏物語』が)人物を褒めたり貶したりしているのは、『資治通鑑しじつがん』(古代中国の歴史書)の文章の趣きと同じで、司馬光しばこうの文章に学んだ」という説によって、古い注釈が根拠のない説であると理解しなければならない。司馬光は紫式部よりも年下であり、『資治通鑑』は、『源氏物語』より五十年か六十年も後に成立した書物である。どうして紫式部が『資治通鑑』に学ぶことがあろうか。時代の前後さえ考えず、むやみに筆にまかせて書き散らし、学者を迷わせることである。

【原文】
 古抄こせうに云はく、「物語の大綱たいかう、『荘子さうじ』が寓言ぐうげんもとづけり」と。 これまた誤りなり。わが国には物語といふ一体の書ありて、古物語ども多し。さればこの『源氏の物語』も古物語に本づきてそのていに書ける物にして、さらに人の国の書のたぐひにはあらず。ただしすべて物語のたぐひは無き事を作りて書ける物なり。ことにこの物語は、おのがいはまほしき事を物語の中の人にいはせたるやうのこと多ければ、かの『荘子』が書と、いふところの事と心ばへとははるかに異なれども、その書きやうの心ばへはよく似たれば、『荘子』の寓言の心ばへなりとはいふべし。それに本づくといふは誤りなり。
 また「文体は『史記』の筆法ひっぱふをうつす」といへる説も妄説まうせつなり。『史記』の文体をうつせることさらになし。これは巻々まきまきに折々 『史記』のことをいひ、また並びの巻をかの列伝れつでんに当つるなどいふより、みだりにいへる説にして、よく文体をあぢはひ見ていへる説にはあらず(文体のことは別にくはしくいふ)。
 すべて古抄の説は、ただすこしの事をとらへどころにして、よくも考えず、みだりにいへる杜撰ずさんのこと多きゆゑに、よく考へてみればみな相違すること多し。 学者その心を得て、みだりに注釈を信ずることなかれ。
 また「段々の褒貶ほうへんは『資治通鑑しぢつがん』の文勢にして、司馬光しばくゎうことばを学ぶ」といへる、これにて古抄の妄説なることを悟るべし。司馬光は紫式部より後輩にして、『通鑑』はこの物語より五六十年ものちで来たる物なり。いかでかそれを学ぶことのあらん。時代の前後をさへ考へず、みだりに筆にまかせて書き散らし、学者を惑はすことなり。

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