


『源氏物語』は、神話や物語、和歌、漢詩文など
さまざまな引用が張り巡らされています。



催馬楽とは平安時代に流行した古代歌謡です。
『源氏物語』中で頻繁に歌詞が引用されたり、
登場人物が歌ったりしています。
催馬楽という歌謡の存在は知っていても、
内容までは詳しく知らない人が多いと思いますが、
引用元の催馬楽を理解することによって、
より『源氏物語』を深く理解することができます。
物語世界の奥行きを感じることができるのです。



この記事では、催馬楽の解説と、
『源氏物語』で催馬楽がどのような位置づけで
扱われているかを紹介します。
催馬楽の歌詞は、
こちらの記事で紹介しています。


一条朝に最盛期を迎えた催馬楽



催馬楽とは
催馬楽とは、
地方における民間で流行した風俗歌が、
都にとりこまれて歌謡となったもの
と考えられています。
歌謡が実際に地方で歌われていた時代としては、
『万葉集』と同時代(奈良時代)が想定されます。
貞観元年(859年)に没した広井女王が
催馬楽の名手であったということから、
催馬楽は仁明天皇の頃には成立していたと想定されます。



催馬楽の歌詞の世界は、
晴(非日常)と褻(日常)
両方の側面があります。
要するに、公式の行事で歌われるような
ものから、日常の感情を表現したものまで
さまざまな歌謡がおさめられている、ということです。
非日常の性質を持つ歌謡は、
「安名尊」などのように
正月の宴などの始まりにふさわしい
晴れ晴れしくめでたい内容を持っています。
日常の性質を持つ歌謡の中には、
夜這いの習俗を反映したものが多く、
中には「鶏鳴」のように卑猥とも言える表現も見られます。
催馬楽の最盛期は一条天皇の御代
催馬楽の黄金時代は
一条天皇(在位986年~1015年)の頃です。
『源氏物語』は、ちょうど一条天皇の頃に
書かれた物語なので、
当時の貴族がどれだけ催馬楽に親しんでいたかが
色濃く反映されています。



催馬楽は、管弦の楽器と笏拍子と呼ばれる打楽器で
伴奏しながらの歌いものです。



宮廷で行われる催馬楽は、
御遊と称され、平安貴族の生活をいろどりました。
御遊の参加者は、天皇・公卿・殿上人などの男性です。
貴族の邸で行われる饗宴などでも盛大に催されたことでしょう。
はなやかな宴だけではなく
普段の生活において徒然を晴らすために催馬楽を演奏したり
口ずさんだりすることもありました。
『源氏物語』の記述から、
当時の貴族が饗宴や日常生活において
頻繁に催馬楽をとりいれていたことが窺えます。
御遊や饗宴の参加者は主に男たちですが、
催馬楽は男だけの歌謡だったわけではなく、
普段の生活では女性も催馬楽を歌ったり、
和歌を詠むときに引用をしたりしていました。
催馬楽というものは、
平安貴族において必須の教養であり
男女ともに幼い頃から覚えさせられるものだったようです。
ちなみに、中世に入ってからは、
催馬楽は次第に衰退し、
足利時代に中絶しました。
しかし、江戸時代になって後水尾天皇の頃、
二条城の行幸で六曲が再興されています。
源氏物語で催馬楽が多く登場する理由



源氏物語に催馬楽は24曲も登場する
催馬楽は、
合計61曲の歌詞が現存していますが、
『源氏物語』にはこのうち、
24曲も取り込まれています。
(歌詞が和歌や会話で引用されたり、原文中に曲名が登場したりする)
割合でいうと、実に3分の1以上!
この数からも、催馬楽が平安貴族の生活に
根付いたいたことが窺えますね。
以下の曲が、『源氏物語』に登場します。
1.「高砂」
2.「貫河」
3.「東屋」
4.「飛鳥井」
5.「青柳」
6.「伊勢海」
7.「更衣」
8.「道口」
9.「安名尊」
10.「梅枝」
11.「桜人」
12.「葦垣」
13.「山城」
14,「竹河」
15.「河口」
16.「婦与我」
17.「石川」
18.「葛城」
19.「此殿」
20.「我家」
21.「妹之門」
22.「席田」
23.「鈴之川」
24.「角総」
これらが『源氏物語』でどのように登場するかは、
以下の記事で簡単に解説しています。


貴族にとって催馬楽は必須教養
『源氏物語』を読んでいると、
貴族たちにとって催馬楽は必須の教養だった
ことがわかります。
「賢木」巻では、頭中将の負け饗応にて
8~9歳の少年が催馬楽の
「高砂」を歌っています。
この少年は頭中将と四の君の間に生まれた
二男であり、後の紅梅大納言です。
上流貴族であるがゆえに、幼い頃から
さまざまな教育が施されていたことでしょう。
貴族であれば幼い子どもであっても、
催馬楽をそらで歌えたということになります。
それほどまでに、催馬楽というのは
貴族にとって必須の知識だったのでしょう。






貴族男性だけでなく、
貴族女性も催馬楽を暗記していました。
『源氏物語』の中で
催馬楽の印象が最も強い女性は、源典侍です。
源典侍は「紅葉賀」巻で、
琵琶をひきながら「山城」を歌います。
高貴な女性が人前で歌うのは
この時代では珍しいですが、
源典侍は上臈とはいえ女官であるから、
原文に「男方の御遊びに交じりなどして」
とあるように、
神事の後の宴などで男性に交じって
催馬楽を演奏し、歌唱することがあったようです。
その他の女性としては
紫の上、玉鬘、雲居雁、宇治の大君も
催馬楽の歌詞を知っていると
思われる記述があります。
貴族女性も教養として催馬楽を必ず
覚えていたのでしょう。
ただし、浮舟に関しては、
催馬楽を覚えているとわかる記述がありません。
浮舟の母は良い家柄の出であり、
もともとは上臈の女房でしたが、
陸奥国や常陸国で国司をつとめる中流貴族と
結婚したため、浮舟を連れ子として東国に移ってしまいました。
浮舟の母自身はそれなりに教養のある人でしたが、
娘の浮舟は、田舎にてじゅうぶんな教育を
受けられないままに成人してしまったのです。
浮舟の母は、会話中で催馬楽「道口」
を引用している箇所があります。
「武生の国府に移ろいたまふとも、忍びては参り来なむを」
(浮舟が薫の新築にお移りになっても、こっそり参りますから)
浮舟に対して言った言葉ですが、
浮舟の反応が示されていないので、果たして
浮舟が「武生の国府」の意味を理解したかどうか
わかりません。
以上のように、平安貴族にとっては
催馬楽はほとんど必須の教養だったのです。
『古今和歌集』を暗記するのと同じくらい
大切な教養だったのでしょう。
催馬楽の歌詞を知っているからこその面白み
催馬楽が当時の貴族にとって
一般常識だったからこそ、
紫式部は『源氏物語』の中で
頻繁に催馬楽を登場させたのだと考えられます。
『源氏物語』の初期の読者は、
一条天皇、中宮彰子、
そして宮中で働く女房や公卿たちです。
みな教養をしっかり身に着けている人達であり、
当然のように催馬楽の歌詞ぐらいは覚えていたでしょう。
彼らは、例えば「帚木」巻の
「とばり帳も、いかにぞは」という催馬楽の引用を
見たときに、すぐに
「ああ、これは催馬楽の『我家』の引用だ」
とわかるのです。
「女性の準備はできているか?」
という意味だということもわかって
ドキドキしたことでしょう。
そして「常夏」巻で玉鬘が
「来まさば、といふ人もはべりけるを」
と言っているのを読んだときには、
「玉鬘は催馬楽『我家』の歌詞が本当は
卑猥な意味を持っていることを知らないのでは…」
と微笑んだことでしょう。
「藤裏葉」の巻では、夕霧が雲居雁に
「『河口』とこそ、さしいらへまほしかりつれ」
と語るところを読んで、
雲居雁の赤面した様子がすぐに
思い浮かんだことでしょう。
当時の貴族たちが実際の会話の中で、
即興で催馬楽を取り入れることが
簡単にできたかどうかはともかく、
『源氏物語』には、
催馬楽の意味を知っていてこそ
理解できる面白みが含まれているということなのです。
現代の読者が
「催馬楽…?なんだそれ?」と思ってスルー、
もじくは後回しにしてしまうところを、
平安時代の読者たちは違った感覚をもって
読んでいたことでしょう。
『源氏物語』を深く学ぶ皆さまは、
(もし、まだでしたら)
ぜひ一度、催馬楽に目を通してみてください。
『源氏物語』の世界をより正確に味わうことが
できるようになります。
以下の記事では、歌詞と現代語訳を紹介しています。
『源氏物語』でどのように登場しているかも
簡単ですが説明しています。
学習の参考にしてください。


書籍で学ぶなら、以下の
『新編 日本古典文学全集42』が詳しくておすすめです。


