


この記事では、「紫のゆかり」という
言葉の意味と由来について詳しく解説します。
『源氏物語』における「紫のゆかり」の意味






ここでは、そのうちの2例を紹介しますね。
「紫のゆかり」= 紫の上?
『源氏物語』において、「紫のゆかり」は、
紫の上のことを指す言葉として用いられています。
【原文】
「末摘花」の巻より引用
かの紫のゆかり、尋
ねとりたまひて、そのうつくしみに心入
りたまひて、六条
わたりにだに、離
れまさりたまふめれば、
【現代語訳】
あの紫の縁者(若紫)を、手に入れなさってからは、(若紫を)ひたすらお可愛がりになって、六条辺りにさえ、一段とお近寄りにならないようなので、
【原文】
「若菜上」の巻より引用
かの紫のゆかり尋ね取りたまへりし折思し出づるに、
【現代語訳】
あの紫の縁者(若紫)を(二条院に)迎え入れた時をお思い出しなさると、
このように、紫の上(若紫)のことを
「紫のゆかり」と呼んでいるのです。


土佐光則「源氏物語画帖 若紫」






「紫のゆかり」の意味
「紫のゆかり」とは、
愛しいと思う人の縁者
という意味です。
愛しい人と
血のつながりのある人のこと。
そして、
その縁者をも愛しいと思うこと。
それが「紫のゆかり」のもともとの意味です。
『源氏物語』のストーリーを思い出してください。
光源氏が実母に似た藤壺の宮を愛するけれど、
簡単に会うことができない女性なので、
代わりに、藤壺の宮に似た姪の紫の上を
愛するというものでしたね。


「紫のゆかり」の観念によって、
光源氏は藤壺の宮の身代わりとして
彼女の姪である紫の上を愛するようになったのです。
紫の上が「紫のゆかり」と呼ばれているのは、
彼女が藤壺の宮の縁者として
光源氏に愛されたからです。






「紫のゆかり」は、
『源氏物語』独自の用語ではなく、
それ以前から文学の世界で
用いられていた言葉です。
次の項では、「紫のゆかり」の由来・歴史について
詳しく解説します。
「紫のゆかり」の由来と歴史
「紫のゆかり」の歴史をさかのぼると、
『万葉集』が詠まれた奈良時代に
その観念の萌芽が見え始めます。
万葉時代に「むらさき」という色に
人々が抱いていたイメージが
「紫のゆかり」の始まりなのです。
万葉時代の「むらさき」のイメージ
そもそも、「紫」とは、
紫草という植物のことを指します。


紫草の花は白色ですが、
その根(紫根)を乾燥させて
採取する色素が、紫色の染料となります。
次の『万葉集』の和歌に見えるように、
紫色は、古代においては
照り映える美しい色と認識されていました。
紫草の 匂へる妹を にくくあらば
『万葉集』巻一 二十一 大海人皇子 ⇒ 額田王
人妻ゆえに われ恋ひめやも
【現代語訳】
紫のように美しい君のことを、憎いと思うのならば
人妻なのにどうして恋しいと思うでしょうか。
このような「美しい色」という認識が、
さらに進んで、
紫色は恋しい人の形見の色、
懐かしい色という認識が成立していきます。
恋しけば 形見にせむと わが宿に
『万葉集』巻八 一四七一 山部赤人
植ゑし藤波 今咲きにけり
【現代語訳】
恋しく思う時には形見にしようと、
我が家に植えた藤の花は、
ちょうど今波うって咲いたことだ。
藤の花は、紫色ですね。
『万葉集』の時代において、
紫色は、恋しい人を思い出させる
懐かしい色だったのです。
平安初期「紫のゆかり」の観念が成立
★『古今和歌集』★
このような万葉時代のイメージ
(紫 = 恋しい人の形見)は、
平安時代にも継承されていきますが、
やがて、次の和歌に見えるように
「紫のゆかり」の観念が確立していきます。
紫の 一本ゆゑに 武蔵野の
『古今和歌集』第一七・八六七 読み人知らず
草はみながら あはれとぞみる
【現代語訳】
一本の美しい紫草があるために、
武蔵野に生えている草は
すべて愛おしく思われることよ。
この『古今和歌集』の歌が、
「紫のゆかり」を現す最も有名なものです。
しっかり覚えておきましょう。
似たような内容で、
以下のような和歌も詠まれています。
武蔵野の 草のゆかりと 聞くからに
『古今六帖』巻二
同じ野辺とも むつましきかな
【現代語訳】
武蔵野に生える草と関係があると聞いただけで、
同じ野辺だと思って心が惹かれるものだ。
2つとも、
紫草のために武蔵野の草全体に対しても
愛情が湧くという意味であり、
大切な人に縁のある人に対する思いが
歌われたものです。
美しい色 ⇒ 懐かしい色
と紫に対する感覚は変化していき、
ついに平安初期に、
「紫のゆかり」の観念が成立したわけです。






ちなみに紫草は、
武蔵野とセットで詠まれます。
なぜ紫草が生えているのが
武蔵野なのかというと、
古代では紫草は武蔵野(現在の東京都西部)
に自生しており、とても身近な草だったからです。
現代では紫草は絶滅危惧種に認定されるほどに
減ってしまいました。
万葉の時代には、
紫色は美しい色であって
恋しい人を思い出す
懐かしい色という認識があった。
平安初期には
紫草を愛しく思うがゆえに、
武蔵野の草全体に心惹かれる
という「紫のゆかり」の観念が成立。
愛おしく思う人の縁者に
心が惹かれることを
「紫のゆかり」と表現するようになった。
『伊勢物語』にも「紫のゆかり」は登場する
平安初期に成立し、『源氏物語』に
大きな影響を与えたと言われている
『伊勢物語』にも「紫のゆかり」の物語があります。
それは、四十一段です。
大まかなあらすじと、詠まれている和歌を紹介します。
<あらすじ>
昔、二人の姉妹がいました。
姉妹のうち一人は貧しい男の妻となり、
もう一人は高貴な男の妻となります。
貧しい男の妻となった女は、
本来は召使いがするような仕事を
する日々を送ります。
高貴な男はこのことを知って、
次の和歌を詠んで贈りました。
むらさきの 色こき時は めもはるに
『伊勢物語』四十一段
野なる草木ぞ わかれざりける
【現代語訳】
紫草の根が色濃い季節には、
はるか遠く見渡す限りに、
野の草木がその根につながっていて、
緑色に芽吹いて見分けがつかず、
懐かしく感じられます。
妻を紫草に喩えて、
妻の姉妹である女を同じ野に
生える草木に喩えています。
妻への愛情が深いあまりに、
その姉妹である女に対しても
愛情を感じるという意味の歌です。
この章段は「武蔵野の心なるべし」
という言葉で結ばれています。
「武蔵野の心」というのは、先述した
『古今和歌集』の和歌の精神のことです。



紫式部は、『古今和歌集』のこの和歌や
『伊勢物語』四十一段などに見られる
「紫のゆかり」の観念を『源氏物語』で
活用することにしたのです。








『更級日記』における「紫のゆかり」の意味
『更級日記』は、『源氏物語』が書かれた少し後に
成立した日記文学です。
『更級日記』の作者(菅原孝標女)は
『源氏物語』愛好者として有名ですが、
彼女は日記の中で
『源氏物語』のことを「紫のゆかり」と呼んでいます。
【原文】
かくのみ思ひくんじたるを、心も慰めむと、心苦しがりて、母、物語などもとめて見せ給ふに、げにおのづから慰みゆく。
紫のゆかりを見て、続きの見まほしくおぼゆれど、人語らひなどもえせず、たれもいまだ都なれぬほどにてえ見つけず。
いみじく心もとなく、ゆかしくおぼゆるままに、「この源氏の物語、一の巻よりしてみな見せ給へ」と心のうちに祈る。
【現代語訳】
このように私が思い悩み、ふさぎこんでいたので、母は、私のことを心配して、物語などを手に入れて見せてくださった。すると、まったく自然に心が慰められていった。『源氏物語』の紫の上に関係した巻を読んで、続きを読みたい思うけれど、人に相談もできない。周りは誰もまだ都に馴れていないから、物語を見つけられないのだ。
非常にじれったくて、読みたいと思うままに、「この源氏の物語、一巻から全部読ませてください」と心の中で願う。
「紫のゆかり」を読んだ後で、
「『源氏物語』を一巻から全て読みたい」
と言っていることから、「紫のゆかり」は
『源氏物語』そのものを指す言葉ではない
と分かりますね。
『源氏物語』が平安時代において、
どのような形で、どのくらいのスピードで
写されて広まっていったかは
詳しくわかっていないので、
この「紫のゆかり」が
『源氏物語』のどの部分のことを
指しているかは、
今となっては正確にはわかりません。
しかし、「紫のゆかり」
という意味から考えると、
紫の上が登場する部分であることは
間違いなさそうです。
そのため、「若紫」の巻のことを
指しているのではないか
と考えられているようです。
もしくは紫の上が登場する巻が、
もっとまとまった形で
写本となって流通していた可能性もあります。
『更級日記』で「紫のゆかり」が指すものは、
『源氏物語』の一部分のこと。
おそらく紫の上が登場する巻のことと推測される。
ちなみに、『源氏物語』の「竹河」巻では、
「紫のゆかり」は「紫の上の女房が語った話」
を指す言葉として用いられています。
【原文】
「竹河」巻より引用
これは、源氏の御族にも離れたまへりし、後の大殿わたりにありける悪御達の、落ちとまり残れるが、問はず語りしおきたるは、紫のゆかりにも似ざめれど、かの女
どもの言
ひけるは、「源氏
の御末々
に、ひがことどもの混
じりて聞
こゆるは、我
よりも年
の数積
もり、ほけたりける人
のひがことにや」などあやしがりける。いづれかはまことならむ。
【現代語訳】
これは、源氏の君のご一族からも離れていらっしゃった、故太政大臣のあたりにいたおしゃべりな女房たちの話である。死なずに生き残ったその女房たちが、問わず語りに話しておいたのは、紫の物語にも似ていないようだ。あの女房たちは、「源氏のご子孫について、間違った事柄が交じって伝えられているのは、私よりも年をとっていて、ぼけた人が言ったでたらめかしら」などと不審がったが、どちらが本当であろうか。
玉鬘家の女房たちの話と、
紫の上の女房たちの話とが、
異なっていると言っているのです。
ここでも
「紫のゆかり」は、本来の意味を
離れて使われているのです。
まとめ
この記事では、「紫のゆかり」について
詳しく解説しました。
光源氏にとっては、
藤壺の宮が「紫草」であり、
紫の上が「紫のゆかり」だったのです。
紫の上と同じく
藤壺の宮の姪である女三の宮は、
第二の「紫のゆかり」と
言うことができるでしょう。
現代ではよく、
恋愛における男女の違いとして
男は過去の恋の記憶を
別フォルダ保存するけれど、
女は過去の恋を新しい恋で上書き保存
してしまうと言われます。
光源氏という未練がましい男が
初恋をいつまでたっても上書き保存できず、
「ゆかり」を探しもとめて別フォルダ保存していく…。
『源氏物語』における「紫のゆかり」の物語とは、
男の未練(別フォルダ保存)のお話なのです。









