『源氏物語』の中で
光源氏が藤壺の次に恋に落ちる相手が空蝉です。
空蝉は登場巻は少ないですが、
着ていた衣を脱ぎ捨てて光源氏から逃げるという
印象的なシーンがあることで有名な姫君です。
この記事では、
空蝉について詳しく解説していきますね。
【源氏物語 空蝉について】
・周辺の人間関係(相関図あり)
・性格&容姿&身分&年齢
・空蝉登場巻のあらすじ
・有名な和歌の紹介
・空蝉の魅力の紹介
・空蝉のモデルは紫式部である理由
源氏物語の空蝉ってどんな人?性格や容姿を解説
まずは空蝉の周辺の人間関係について
相関図つきで説明していきますね。
空蝉の人間関係(相関図つき)
以下が空蝉の周りの相関図です。
上記の図には空蝉の親について
記載していませんが、
空蝉は中納言兼衛門督の娘でした。
衛門府の長官(衛門督)は
従四位下相当の役職。
中納言は従三位相当官。
空蝉の父親は上流貴族だった。
空蝉は宮仕えを希望していた
時期がありましたが、
両親を亡くして後ろ盾がなくなってしまい、
伊予介(地方行政の次官)の後妻におさまったのです。
伊予介との結婚は、
亡き父親の希望とは違ったとして、
夫婦関係はあまり良くありませんでした。
空蝉に関連する登場人物を表にまとめました。
人物名 | 解説 |
---|---|
空蝉<うつせみ> | 伊予介の後妻。 方違えにきた光源氏と一夜の関係を持つ。 |
光源氏<ひかるげんじ> | 物語の主人公。 空蝉に強く興味を持つ。 |
小君<こぎみ> | 空蝉の弟。光源氏と空蝉の恋の手引きをする。 12~13歳。 |
伊予介<いよのすけ> | 地方行政の次官。かなりの高齢で真面目な男。 前妻を亡くし、若い空蝉を妻とする。 |
紀伊守<きいのもり> | 伊予介の息子。空蝉にとって義理の息子。 空蝉は紀伊守の邸に身を寄せていた。 |
軒端の荻<のきばのおぎ> | 伊予介の娘。紀伊守の妹。 空蝉にとって義理の娘。光源氏と関係を持つ。 |
空蝉の弟、小君は光源氏に気に入られ、
そばで仕えるようになります。
小君は空蝉との文の遣いをしたり、
いわゆる使い走りとして活躍します。
紀伊守と軒端の荻は、
伊予介と亡くなった前妻との間の子です。
空蝉は2人の義母ということになります。
空蝉の性格
空蝉は、強引な形で
光源氏と一度だけ男女の契りを結びます。
それ以降、空蝉は光源氏の魅力に
強くひかれながらも、
その求愛を拒絶し続けたのです。
空蝉の性格をまとめると、
以下のようになります。
- 穏やか
- 意志が強い
- プライドが高い
- 倫理観がしっかりしている
- 自分の気持ちをハッキリ語る
空蝉の性格を表現している文章を
『源氏物語』の原文からいくつか抜き出してみましょう。
【原文】
源氏物語「帚木」より引用
すくよかに心づきなしとは見えたてまつるとも、 さる方の言ふかひなきにて過ぐしてむと思ひて、 つれなくのみもてなしたり。人柄のたをやぎたるに、強き心をしひて加へたれば、 なよ竹の心地して、さすがに折るべくもあらず。
【現代語訳】
無愛想で好感の持てない女だとお見受けされようとも、つまらない女として振る舞おうと思って、そっけない態度を通していた。穏やかな性格であるところに、無理に心を強く持っているので、しなやかな竹のような感じがして、さすがに折れそうにない。
この文章は、
光源氏が空蝉と契った夜の記述です。
光源氏は空蝉の寝所に強引に
押し入りますが、空蝉は強情な心を持って
光源氏に心を開きませんでした。
空蝉は以降も一貫して、
光源氏に冷たい態度をとり続けます。
【原文】
源氏物語「帚木」より引用
女、身のありさまを思ふに、 いとつきなくまばゆき心地して、めでたき御もてなしも、何ともおぼえず、常はいとすくすくしく心づきなしと思ひあなづる 伊予の方の思ひやられて、「 夢にや見ゆらむ」と、そら恐ろしくつつまし
【現代語訳】
空蝉は、自分の身の上を思うと、非常に不似合いで眩しい感じがして、光源氏の情熱的な態度にも、何とも感ぜず、いつもは真面目すぎて嫌な男だと侮っている夫・伊予介が思いやられて、「夢に現われやしないか」と、何となく恐ろしくて気がひける。
空蝉は夫の伊予介を愛していませんでしたが、
光源氏と一夜の不倫を犯したことで、
夫に対して罪の意識を感じています。
【原文】
源氏物語「帚木」より引用
「 いと、かく品定まりぬる身のおぼえならで、過ぎにし親の御けはひとまれるふるさとながら、たまさかにも待ちつけたてまつらば、 をかしうもやあらまし。」
【現代語訳】
ほんとうに、このように後妻におさまってしまった身の上でなく、亡くなった親の雰囲気が残っている邸にいたままで、たまにでもお待ち申し上げるならば、喜んで光源氏を受け入れたいものだ。
空蝉は、光源氏を拒否し続けましたが、
決して光源氏のことを嫌いだったわけではありません。
独身の頃に光源氏と出会えていたら
良かったのにと心境を吐露しているのです。
しかし、受領の後妻におさまった身で、
高貴な光源氏と不倫関係を結ぶことは、
空蝉のプライドが許さなかったのです。
空蝉は賢い女性だったから、
心を許してしまえば源氏に
飽きられてしまうと分かっていた。
不倫の末に捨てられて、
みじめな目に遭うのは誇り高き
空蝉にとって受け入れがたいことだった。
空蝉の容姿
空蝉は決して美人ではありませんでした。
むしろ、ブスな部類に入ります。
源氏物語・三大不美人の一人として数えられています。
空蝉、末摘花、花散里の3人が
源氏物語の三大不美人と言われています。
それでは、
空蝉の容姿について具体的に
原文を見ていきましょう。
以下の文章は、
光源氏が空蝉の様子を覗き見した時のものです。
空蝉の顔の特徴がハッキリと書かれています。
【原文】
源氏物語「空蝉」より引用
目すこし腫れたる心地して、鼻などもあざやかなるところなうねびれて、にほはしきところも見えず。 言ひ立つれば、 悪ろきによれる容貌をいといたうもてつけて、 このまされる人よりは心あらむと、目とどめつべきさましたり。
【現代語訳】
目が少し腫れぼったい感じがして、鼻筋なども通っておらず老けた様子で、美しいところも見えない。列挙していくと、悪いことばかりになる容貌をよく取り繕って、近くにいる美しさで優っている人(軒端荻)よりは趣味がよかろうと、目が引かれるような様子をしている。
- まぶたが腫れぼったい
- 鼻筋が通っていない
- 老けたような顔立ち
空蝉が、あまり美人ではなかった、
むしろブスだったことがわかりますね。
また、空蝉は、
体がとても小柄だったことが強調されています。
【原文】
源氏物語「帚木」より引用
いと小さやかなれば、かき抱きて 障子のもと出でたまふ
【現代語訳】
(空蝉は)たいへん小柄なので、(光源氏は)抱き上げて襖障子のところまでお出になる
二人が契りを結んだ夜、
光源氏は空蝉を軽々と抱えて運んでしまいました。
【原文】
源氏物語「空蝉」より引用
細く小さきほど、髪のいと長からざりしけはひのさまかよひたる
【現代語訳】
ほっそりした小柄な体形や、髪があまり長くはなかった様子が似通っている
弟の小君との類似を述べた部分からは、
空蝉があまり髪が長くなかったことがわかります。
当時の貴族女性は、
身長と同じくらいの髪の長さが一般的でした。
空蝉は、まぶたが厚ぼったく、
鼻筋の通っていない
老けた不美人であった。
体形は瘦せ型および小柄で、
髪は身長より短かった。
光源氏は美女を追いかけている
イメージが強いですが、
空蝉の不美人っぷりを見た後も、
なんと光源氏の空蝉への情熱は冷めなかったのです。
光源氏は、空蝉の
気が強くてガード堅い性格と
たしなみがあり趣味が良いところを
高く評価していました。
空蝉の年齢
空蝉の年齢については、
源氏物語の原文中に明確に記載されていません。
ただし、帚木の巻にて
「似げなき親」(年に似合わない継母)
という表現があり、
空蝉が若い女性だったことがわかります。
「帚木」および「空蝉」の巻にて
光源氏が17歳だった頃、
空蝉はおそらく20歳前後だったでしょう。
「帚木」で、2年ほど前に伊予介の妻になったと
記載されており、おそらく18歳頃に結婚したのだろうと推測されています。
空蝉の身分
空蝉の父親は中納言兼衛門督であり、
上流貴族の一員でした。
空蝉を桐壺帝のもとに
更衣として宮仕え(入内)
させるという話もあったほどです。
しかし、父親が早くになくなったことで
後ろ盾を失い、入内の可能性もあった空蝉は
受領の後妻におさまってしまいました。
もともと上の品(貴族)だった空蝉は、
おちぶれて中の品(中流)になり下がってしまったのです。
源氏物語の空蝉 あらすじを簡単に解説
源氏物語の中で、
空蝉が登場している部分のあらすじを簡単にまとめました。
登場巻 | あらすじ | 光源氏の年齢 |
---|---|---|
帚木 | 夏の物語。 源氏、方違えのために 中川あたりにある紀伊守の家を訪れる。 紀伊守の継母、伊予介の若い後妻(空蝉)の話を聞いて興味を持つ。 源氏、空蝉の寝所に忍び込み、強引に男女の契りを結ぶ。 空蝉は源氏に心を開かず、冷たい態度。 後日、何度も源氏から手紙を受け取るが、冷淡な返事しか出さない。 源氏、空蝉への恋に煩悶する。 二度目の逢瀬を試みて紀伊守邸を訪問するが、失敗に終わる。 | 17歳 |
空蝉 | 源氏、ますます空蝉に執心する。 また紀伊守邸を訪問して、空蝉と継子(軒端荻)が碁を打っているところを覗き見する。二人の容姿を見る。 源氏、寝所の空蝉に近づくが、空蝉は気配を感じて衣一枚を残して逃げる。 源氏は間違えて寝ている軒端荻に近づく。 空蝉の代わりに軒端荻と男女の契りを結んでしまう。 源氏、空蝉の脱ぎ捨てた衣を自宅に持ち帰り大切にする。 | 17歳 |
夕顔 | 空蝉の夫・伊予介、源氏のもとに参上する。 娘・軒端荻を適当に結婚させて、 妻・空蝉を連れて任国に下ると報告を受ける。 源氏は空蝉にもう一度会いたいと願うが、叶わず。 源氏、夕顔の死のショックで病気になる。 空蝉と源氏和歌を贈答する。 源氏、蔵人少将と結婚した軒端荻と和歌を贈答する。 空蝉、10月初めに夫について伊予に下る。 源氏、豪華な餞別を贈る。 持ち帰った衣も返却する。 源氏にとって忘れられない女となる。 | 17歳 |
関屋 | 伊予介は常陸介になり、空蝉を連れて任国に下っていた。 源氏が須磨から京に帰ってきた翌年、 常陸介一行(空蝉)は上京した。 9月30日紅葉の頃、 常陸介一行が逢坂の関を通るとき、 石山寺参詣をする源氏一行と鉢合わせる。 後日、源氏と空蝉は和歌を贈答して昔を懐かしむ。 やがて夫・常陸介は病気になって死去する。 空蝉の継子河内守(紀伊守)が空蝉に下心を見せる。 空蝉は出家する。 | 29歳 |
玉鬘 | 歳末の衣配りにて 源氏、空蝉に青鈍色の衣に薄黄の衣を添えて送る。 元日に着るように言いつける。 (空蝉、この頃には源氏の二条東院にひきとられ、生活支援を受けている) | 35歳 |
初音 | 新春、光源氏は二条東院の空蝉を訪問して、 昔や今の様々な話をする。 空蝉は仏道修行に励む平穏な日々を送っていた。 | 36歳 |
空蝉の主な登場巻は、
「帚木」「空蝉」「関屋」です。
「帚木」「空蝉」で辛い恋を経験した二人は、
「関屋」で再会して昔を懐かしみます。
そして空蝉は、夫の死をきっかけに出家。
光源氏は出家した空蝉を、
二条東院という邸宅に住まわせて生活保護をします。
空蝉が二条東院に移るという記述は
原文中にハッキリとは書いていません。
しかし、二条東院の北の対は、
【原文】
源氏物語「松風」より引用
かりにても、あはれと思して、行く末かけて契り頼めたまひし人びと集ひ住むべきさま
【現代語訳】
一時的にせよ、愛情をかけて、未来のことを約束して頼りにおさせになった女性たちが一緒に住めるように
作ったと書いてあります。
光源氏31歳の頃に二条東院が完成して
早々に空蝉は二条東院に引き取られたのでしょう。
空蝉は「初音」の巻以降、登場しないので、
いつどのように亡くなったかは分かりません。
源氏物語全体のあらすじが知りたい方は、
こちらの記事が参考になります!
瀬戸内寂聴さんの「女人源氏物語」では
女君本人や侍女の視点で物語が書かれているので、
とっても読みやすくて、面白いですよ😊
源氏物語初心者におすすめです!
源氏物語の空蝉 有名な和歌を紹介
空蝉の和歌として有名なのは、
「空蝉」という巻名、人物名の由来にもなった
以下の和歌です。
空蝉の身をかへてける木のもとに
なほ人がらのなつかしきかな
(光源氏⇒空蝉)
【意味】
蝉が殻を脱ぐように、
衣を脱いで逃げていったあなたですが
やはり人柄が愛おしく思われます。
空蝉の羽に置く露の木隠れて
忍び忍びに濡るる袖かな
(空蝉⇒光源氏)
【意味】
蝉の抜け殻の羽に置く露が
木に隠れて見えないように
私もひっそりと涙で袖を濡らしております。
光源氏は、「空蝉」の巻にて
2度目の逢瀬を試みますが、
空蝉は気配に感づいて衣を脱ぎ捨てて逃げてしまいます。
光源氏は、空蝉の冷たい態度を
恨めしいと思いながらも
なおも忘れることができません。
対する空蝉は、光源氏を拒絶しながらも、
心の中では光源氏に魅力を感じていました。
プライドと恋心の間で葛藤して悩んでいたのですね。
空蝉の詠んだ歌は、
「伊勢集」という歌集に収録されていた古歌と言われています。
空蝉は「伊勢集」の古歌に
自分の気持ちを乗せて返歌としたのでしょう。
ちなみに空蝉は、ここで紹介した
和歌以外にもいくつも和歌を詠んでいます。
こちらの記事では「源氏物語」の和歌を
全て一覧で紹介していますので、
ぜひ確認してみてくださいね!
「帚木」「空蝉」「関屋」に
空蝉の和歌は登場します。
源氏物語の空蝉の魅力とは?
光源氏にとっての空蝉の魅力
確かに空蝉は不美人でした。
しかし光源氏は空蝉の以下のようなところを
高く評価していたのです。
- 気が強いところ
- 和歌のセンスがあるところ
- 嗜みがあり趣味が良いところ
具体的に源氏物語の本文を見ていきましょう。
以下は「夕顔」の巻で、
空蝉との恋を振り返ったときの記述です。
光源氏は、空蝉の普通の女性と違った
気の強さを高く評価していました。
【原文】
源氏物語「夕顔」の巻より引用
さて、かの空蝉の あさましくつれなきを、この世の人には 違ひて思すに、 おいらかならましかば、 心苦しき過ちにても やみぬべきを、いとねたく、負けてやみなむを、心にかからぬ折なし。
【現代語訳】
ところで、あの空蝉が呆れるくらい冷淡だったのを、普通の女性とは違っているとお思いになると、素直な女であったならば、気の毒な間違いを犯したと思って終わりにできるのに、まことに悔しく、振られて終わりそうなのが、気にならない時がない。
光源氏は、
「相手が素直になびいてきたら飽きるけど、
空蝉が冷淡でなびかないから、
逆に気になってしょうがないと」
言っているんです。
また、遣り取りする手紙の中で
センスのいい返歌があったりして
源氏の心をガッチリとらえていました。
【原文】
源氏物語「夕顔」の巻より引用
さるべき折々の御答へなど、 なつかしく聞こえつつ、なげの筆づかひにつけたる言の葉、あやしくらうたげに、 目とまるべきふし加へなどして、 あはれと思しぬべき人のけはひなれば、 つれなくねたきものの、忘れがたきに思す。
【現代語訳】
おりおりのお返事など、親しく差し出していたが、何気ない内容に含まれた返歌は、不思議と可愛らしく、目に止まるようなことが書いてあり、心が惹かれてしまうので、冷淡で恨めしいと思うものの、忘れがたい人とお思いになっている。
和歌だけでなく、
部屋の様子なども趣味がよく、
風情を大切にする女性でした。
【原文】
源氏物語「初音」の巻より引用
経、仏の御飾り、はかなくしたる閼伽の具なども、をかしげになまめかしう、 なほ心ばせありと見ゆる人のけはひなり。
【現代語訳】
経や、仏のお飾り、ちょっとした水入れの仏具なども、風情があり美しく、やはり嗜みがあると見える人の様子である。
光源氏は、
空蝉の強情でプライドの高い性格と
身なりや和歌のセンスの良さに
強い魅力を感じていた。
光源氏は「帚木」の巻の
雨夜の品定めにて、同僚の男たちから
中の品の話を聞き、中流の女性に興味を持っていました。
そんな時に出会った中の品の女、空蝉。
不美人ではありますが、
賢く強い意志を持った風流のわかる女性。
17歳の夏、
光源氏は空蝉の不思議な魅力にひかれ、
恋に溺れたのでした。
読者にとっての空蝉の魅力
現代の女性にも
空蝉はとても人気があります。
「空蝉」まで読んだ。空蝉、后がねとして育てられ、父の死によって後見がいないという点で桐壺に似ている。年老いた受領の妻になってしまう生い立ちや、源氏に惹かれる気持ちに「ありしながらの身ならば」と思い悩みながらけっきょくは関係を続けることを拒んで潔く身を引くところも含めて好き。
— 頁(おおがい) (@Notpoteo) November 26, 2023
それは、不倫は絶対ダメ!という
道徳観がしっかりと根付いた
現代社会において、
空蝉の持った倫理観と強い意志が共感されているからです。
空蝉は光源氏にひかれながらも、
受領の後妻になった自身の立場をわかっており、
不倫関係をきっぱりと断ち切りました。
このまま、
心を開いて関係を続けたとしても、
どうせ源氏にはすぐ飽きられて
捨てられてしまうとわかっていたのです。
空蝉の倫理観と頭の良さ、賢さは、
現代を生きる女性の憧れでもあり、
強いシンパシーを得ているのです。
源氏物語の空蝉のモデルは紫式部?
空蝉のモデルは、
源氏物語の作者・紫式部自身なのではないか?
という説があります。
空蝉と紫式部には、いくつか共通点があるのです。
- 年齢差のある結婚をした
- 地方へ下っていた経験がある
- 中川あたりに自宅があった
共通点1:年齢差のある結婚をした
紫式部は27歳で、
40台後半の藤原宣孝と結婚しました。
空蝉も年の離れた伊予介と
結婚しているので、同じような境遇ですね。
共通点2:地方へ下っていた経験がある
紫式部は父親が越前守だったので、
父に従って越前に下向していたことがあります。
受領をしていた夫に従って
伊予・常陸に下った空蝉に似ていますね。
共通点3:中川あたりに邸があった
空蝉と光源氏の恋物語の舞台となったのは
中川のあたりにあった紀伊守の邸ですね。
中川という川は、
今は廃川になって存在しませんが、
昔は京都御所近く、蘆山寺のあたりを流れていました。
紫式部の実家は、
蘆山寺の敷地に建っていたとされているのです。
紀伊守の邸の様子は、
かなり詳細に書かれていますが、
紫式部の実家の様子が念頭にあったのかも知れません。
紫式部は空蝉の行き方や人柄に
自分自身のエピソードを混ぜ込んで
投影したのかも知れませんね。
紫式部が空蝉のように不美人だったか?
についてはわかりません…。
紫式部は藤原道長の愛人だった
という説もあるので、
そんなに不美人ではなかったのではないか?
と私は思います。
この記事では、空蝉の人物像について
詳しく解説しました。
当ブログでは、
他の登場人物なども詳しく説明しているので、
ご興味があればぜひ色々読んでいってくださいね🌸