・紫の上が可哀想と言われる理由
⇒どんな人だったか。
その生涯とエピソードの解説。
・紫の上が可愛いと言われる理由
⇒性格と容姿の解説。
・紫の上の死因
・紫の上は不妊症だったかどうか
・紫の上の魅力
この記事を読むことで、
源氏物語の紫の上について
その生涯や性格を詳しく知ることができます。
ぜひ最後までお読みください😊
紫の上はかわいそう?どんな人だったの?
光源氏の最愛の妻として、
現代の読者からも人気が高い紫の上。
では、紫の上とはどんな人だったのでしょうか?
まず、紫の上の家系図と人生について
詳しく解説していきますね。
紫の上の家系図
以下は、紫の上にクローズアップした
相関図です。
第一部全体の相関図は以下です。
式部卿宮:紫の上の父親。
始めは兵部卿宮であり、
後に式部卿宮となる。
本妻がいたが、按察使大納言の娘を
愛人とし、紫の上が誕生する。
故姫君:紫の上の母親。
紫の上を産んですぐ亡くなる。
式部卿宮の側室(愛人)だった。
藤壺の宮:式部卿宮の妹であり、
紫の上の叔母。
明石の君:光源氏の側室の一人。
紫の上は明石の君に強く嫉妬する。
明石の姫君:光源氏と明石の君の間に
生まれた娘。紫の上が養母となり育てる。
ここで大切なことは、
紫の上は藤壺の中宮の姪にあたるということです。
藤壺中宮は、光源氏の義母。
光源氏にとっては初恋の人であり、
理想の女性でした。
紫の上の生涯(出生~結婚)
母・按察使大納言の娘は、
紫の上を産んですぐ亡くなりました。
母は愛人だったため、
父の兵部卿宮は本妻に気を遣って
娘をひきとれず、
紫の上は母方の祖母・北山の尼君に
預けられ、養育されたのです。
紫の上が10歳くらいになった時、
光源氏が瘧病(わらわやみ)の療養のために
京都の北山を通りかかります。
瘧病(わらわやみ)とはマラリアに似た
熱病で、発熱や悪寒の発作が
間隔をおいて起こる病気。
伝染病。
北山で、
光源氏は、憧れの女性・藤壺中宮に
そっくりの子ども(紫の上)を見つけ
強い興味を持ちます。
北山の尼君が亡くなった後、
源氏は紫の上を
自宅の二条院にひきとって
自分好みの女性となるよう養育します。
やがて正妻の葵の上が
出産の後に亡くなった後に、
光源氏と紫の上は男と女として結婚するのです。
これまで、父のように兄のように
慕ってきた光源氏が突然、
夫になったわけですから、紫の上は
大きなショックを受けました。
該当シーンは
「あさきゆめみし」2巻に登場します。
10歳で光源氏に引き取られた紫の上は、
光源氏の好みの女性に養育された後、
14歳で夫婦関係となった。
紫の上の生涯(結婚~死没)
光源氏は右大臣家の画策により
一時期、須磨・明石に左遷となります。
その際には、
紫の上は光源氏の領地や土地の証書など、
一切の資産の管理を任されます。
光源氏が明石から復帰した後には、
明石の君と光源氏が結ばれたと知り、
紫の上は強い嫉妬を示しています。
\明石の君の解説記事はこちら/
しかし、紫の上はもともと子ども好きなので、
明石の君が産んだ
明石の姫君(後の明石の中宮)の
養母となって子育てをするのです。
光源氏から信頼されていた紫の上は、
浮気相手の産んだ姫君の養育をした。
※明石の君の身分が低いので、
姫君の将来(入内)のことを考慮し、
紫の上に母代わりをさせた。
六条院という豪邸が完成すると、
紫の上は「春の御殿」に住み、
正妻格の立場として重んじられます。
六条院で一番格上の妻として
安定した日々が送れると思いきや、
朱雀院の皇女、女三の宮が
光源氏の正妻になることが決まり、
紫の上は大きなショックを受けます。
\女三の宮の解説記事はこちら/
紫の上は、やがて胸の病気にかかってしまいます。
六条御息所の霊にとりつかれて
絶命しますが、奇跡的に生き返ります。
\六条御息所の解説記事はこちら/
その後は
なんとなく調子が悪い日々が続き、
光源氏に出家を願い出るも許可されず、
ついに亡くなってしまいます。
その後の幻の巻では、
紫の上の追悼の物語が描かれ、
光源氏は長年、自分の浮気心から
紫の上を悩ませてきたことを悔いるのでした。
紫の上は一見、幸福者でしたが、
夫・光源氏の浮気癖に
悩まされた人生だった。
晩年の唯一のお願い事「出家」も許されなかった。
紫の上のエピソード年表
紫の上の生涯のエピソードを
簡単に年表にまとめてみました。
巻名 | できごと | 光源氏の年齢 | 紫の上の年齢 |
---|---|---|---|
若紫 | 光源氏、北山で紫の上を見つけ、 藤壺の宮に似た容姿にくぎ付けになる。 紫の上の祖母の尼君が死去。 弔問に訪れた光源氏、紫の上に添い寝する。 父・兵部卿宮が紫の上を引き取ろうとする。 光源氏、紫の上を盗みとる。 紫の上、習字やお絵描きなどして過ごす。 | 18歳 | 10歳 |
末摘花 | 光源氏、鼻を赤く塗って、紫の上と戯れる。 | 19歳 | 11歳 |
紅葉賀 | 紫の上、源氏になついていく。 祖母の喪が明けて喪服を脱ぐ。 紫の上、雛遊びに夢中。 光源氏、紫の上に琴を教える。 | 18歳~ 19歳 | 10歳~ 11歳 |
花宴 | 紫の上、美しく賢く理想的な成長ぶり。 | 20歳 | 12歳 |
葵 | 光源氏、紫の上の髪を削ぎ整える。 2人で賀茂祭を見物する。 光源氏と紫の上、契りを結ぶ。 紫の上、大きなショックを受ける。 光源氏、紫の上のご機嫌とりに苦心する。 三日の夜の餅を食べる。(結婚の儀式) 裳着の準備をする。 | 22歳 | 14歳 |
賢木 | 紫の上の幸福が説明される。 父の正妻(継母)が紫の上に嫉妬する。 紫の上の筆跡が上達。 (源氏の文字によく似ている) 紫の上の教育の成功が語られる。 | 24歳 | 16歳 |
須磨 | 光源氏、須磨へ流離。 紫の上、深く悲しむ。 紫の上の継母、紫の上の不幸を喜ぶ。 紫の上に資産を任せる。 紫の上、須磨へ着物などを贈る。 | 26歳 | 18歳 |
明石 | 光源氏、明石の君と契る。 紫の上に浮気の弁明の手紙を書く。 光源氏、許されて帰京。 二年半ぶりに紫の上と感動の再会。 | 28歳 | 20歳 |
澪標 | 紫の上、浮気相手の子・明石の姫君の誕生を知り、嫉妬する。 光源氏、六条御息所の娘を養女とする。 紫の上、話し相手ができることを喜ぶ。 | 28歳~ 29歳 | 21歳~ 22歳 |
絵合 | 光源氏と紫の上、一緒に絵合わせの絵を選ぶ。 | 31歳 | 23歳 |
松風 | 光源氏、紫の上に明石の姫君を養女にすることを相談。 紫の上、子どもを育ててみたいと思う。 | 31歳 | 23歳 |
薄雲 | 光源氏、明石の君に紫の上の善良さを語る。 紫の上、明石の姫君を愛情こめて育てる。 紫の上、「春の曙」が好きであることが判明。 | 31歳~ 32歳 | 23歳~ 24歳 |
朝顔 | 光源氏が朝顔の君に求婚。紫の上、嫉妬する。 光源氏、紫の上の前で雪だるまを作らせる。 光源氏、紫の上に交際してきた女の特徴を語る。 | 32歳 | 24歳 |
少女 | 六条院完成。紫の上、二条院から六条院春の御殿に移る。 父・式部卿宮の五十の賀の祝いの準備をする。 | 35歳 | 27歳 |
玉鬘 | 紫の上、夕顔と明石の君に嫉妬を示す。 紫の上、歳末の衣配りの衣装を製作。 | 35歳 | 27歳 |
初音 | 新春の春の御殿、紫の上周辺の立派で幸福な様子。 | 36歳 | 28歳 |
胡蝶 | 紫の上、秋好中宮と和歌を贈答。 紫の上、光源氏の玉鬘への下心を疑う。 | 36歳 | 28歳 |
蛍 | 光源氏と紫の上、物語について語らう。 | 36歳 | 28歳 |
野分 | 光源氏の子・夕霧、紫の上の姿を垣間見。 紫の上の美貌に恋心を抱く。 台風の去った明け方、光源氏と紫の上、睦まじく語らう。 | 36歳 | 28歳 |
行幸 | 玉鬘の宮仕えについて、光源氏と二人で語らう。 | 36歳 | 28歳 |
真木柱 | 髭黒大将の北の方と父式部卿宮 光源氏と紫の上を恨む。 | 37歳~ 38歳 | 29歳~ 30歳 |
梅枝 | 紫の上、薫物合わせで三種の薫物を調合する。 光源氏、紫の上の前で過去の女君の筆跡を語る。 朧月夜と紫の上と朝顔は仮名が上手だと評価。 | 39歳 | 31歳 |
藤裏葉 | 賀茂の御阿礼祭に参詣。 光源氏、葵の上の車争いの事件を紫の上に語る。 明石の姫君の入内。紫の上、明石の君と対面する。 | 39歳 | 31歳 |
若菜上 | 紫の上、光源氏と女三の宮の結婚に ショックを受けるが、強いて穏やかに振る舞う。 女三の宮降嫁の準備を手伝う。 光源氏、紫の上の夢を見る。 光源氏、紫の上の気持ちを宥める。 朱雀院、紫の上に手紙にて女三の宮の後見を依頼。 紫の上、光源氏と朧月夜の逢瀬を察する。 紫の上、女三の宮と対面。 紫の上、源氏四十賀のために薬師仏供養を行う。 紫の上、明石の姫君の第一皇子誕生を喜ぶ。 | 39歳~ 41歳 | 31歳~ 33歳 |
若菜下 | 紫の上、出家を希望するが許されず。 住吉参詣にて神楽を見る。 明石の姫君の女一の宮を引き取って育てる。 六条院の女楽で、紫の上は和琴を演奏する。 夕霧、紫の上を想う。 紫の上、発病し、二条院で療養。 一時絶命するが蘇生し回復。 六条御息所の死霊が出現。 紫の上死去の噂が流れる。 紫の上、髪を少し切り五戒のみ受ける。 | 41歳~ 47歳 | 33歳~ 39歳 |
横笛 | 紫の上、三の宮(匂宮)を引き取って養育。 | 49歳 | 41歳 |
鈴虫 | 紫の上、女三の宮の持仏開眼供養の準備をする。 | 50歳 | 42歳 |
夕霧 | 光源氏、自分の死後の紫の上を心配する。 | 50歳 | 42歳 |
御法 | 紫の上、体調不良が続く。 再度出家を願うが許されず。 法華経供養の法会を開催。 明石の姫君、匂宮と対面する。 8/14 明け方 明石の姫君に看取られ死去。 14日夜に荼毘に付し、 15日の明け方に骨を拾い葬儀。 | 51歳 | 43歳 |
幻 | 光源氏、深く悲しみ、出家。 紫の上の一周忌法要を開催。 | 52歳 |
全体のあらすじを知りたい方は、
こちらの記事を参考にしてくださいね。
紫の上のどんなところが可哀想?
紫の上がかわいそうだと言われている
ポイントは、下記の4点です。
- 14歳で強引に結婚させられた
- 光源氏の頻繁な浮気に悩まされた
- 正妻になれなかった
- 出家をさせてもらえなかった
意思に反して14歳で結婚
紫の上は、
10歳の頃に光源氏の養女となり、
光源氏の理想の女性として養育され、
14歳で夫婦の仲となります。
本人の意思とは全く無関係に、
光源氏の趣味により養女となり、
強引に結婚させられたのだから
多くの人は「紫の上が可哀想」と感じることでしょう。
初めて源氏物語を読んだ?のは、瀬戸内寂聴訳の、児童向けのもの。光源氏ってカッコいいとか言われてるけど、中身は自己中のやばい男だと小学生の私はぞっとした。当時同世代だった紫の上が可哀想だった。
— 杢 いう子 (@monkuiuco) January 23, 2024
そして、男を選ぶ目に何らかの影響を受けたと思う。
光源氏の浮気に悩む
さらに、光源氏の妻となってからも、
紫の上は夫の頻繁な浮気に悩まされます。
特に、姫君を出産した明石の君と、
正妻の地位におさまった女三の宮には
強い嫉妬や悲しみの感情を見せています。
正妻になれなかった
紫の上は、母親が
愛人だったため光源氏の正妻になれませんでした。
(正妻格ではありました)
「若菜上」の巻では、紫の上は
自身の不安定な身分を嘆いています。
出家させてもらえない
晩年は体調を崩して
最後のお願いとして出家を望みますが、
出家させてもらえません。
紫の上は、自身の極楽往生を願うため、
出家を強く希望しました。
しかし、
光源氏は、紫の上が尼になったら、
自分の生活が味気なくなると思い、
出家を許さなかったのです。
光源氏に最も愛された女性ではありますが、
自分の思い通りになる人生ではありませんでした。
紫の上は正妻だった!
と主張する本もあります。
源氏物語を新しい解釈で読んでいるので、
興味があればぜひ読んでみてくださいね。
紫の上は幸せだったのか?
紫の上が幸せだったか?
という議論はたいへん難しいです。
究極のところは、
それは本人でないと分からないと思いますし、
読む人の感性によって意見が変わってくるものです。
もちろん、源氏物語は作り物語
(フィクション)なので、
紫の上は実在する人物ではありません。
源氏物語でいうと、紫の上は源氏が地方に流されてるときに20歳そこそこであの金持ち源氏の財産管理や女房・従者たちの監督を任された女主人として立ち回ってた超仕事できる女なんですが、源氏に振り回されて可哀想女だけで読み解かれるのはなんかやなんだよな…超絶管理能力が高く人望ある人です…
— 植物園に行く (@tommTycho) June 29, 2023
私個人の意見では、
紫の上は辛いことも多かったけれど、
自分の人生にそれなりに満足
していたのではないかと思います。
確かに紫の上は
自分の意志では何も決められない
立場で、光源氏の側室として生涯を終えました。
源氏から強く愛されていましたが、
浮気による気苦労も多かったのです。
朝顔は源氏を相手にしなかった。でも家柄として正妻になれる格だった。源氏が朝顔に恋文を送ったことで、かの「日本一浮気に耐える女子」紫の上がかなりメンタル崩したのが興味深い。
— うっく (@ukku1102) January 14, 2024
紫の上は「ほぼ正妻」だけど正妻じゃない。正妻候補が出たことに参った。たぶん葵の上がいた頃は子供だった?
しかし、紫の上は光源氏に出会わなければ、
式部卿宮の愛人の娘として
良い縁談にも恵まれなかったでしょうし、
不名誉な人生や経済的な苦労をする人生が
待っていたかも知れません。
紫の上は子どもを産みませんでしたが、
明石の姫君を養女として
たいへん熱心にお世話をしています。
子育て・孫育ての喜びも感じ、
夫からは格別に愛され、
周囲からの人望もあり経済的な不自由もなく、
それなりに自分の人生に
満足していたのではないでしょうか?
たしかに光源氏の浮気癖と、
正妻になれない身分の不安定さには
悩まされていたと思います。
しかし、紫式部は
「女はみな、幸せそうに見える人でも、生きづらさを抱えているものだ」
ということを「源氏物語」を通して
読者に伝えようとしたのではないでしょうか?
紫の上は現代人から見ると
可哀想なポイントが多いが、
そこそこ幸せな人生だったのではないか?
「源氏物語」は
貴族女性の生きづらさに焦点をあてた
物語である。
幸せそうに見える人であっても、
悩みを抱えていることを
紫の上の人生を通して表現している。
紫の上の死因は何だったの?
紫の上が何の病気で亡くなったのか、
その死因ははっきりとはわかりません。
紫の上の病状がわかる部分を
抜き出してみましょう。
【源氏物語 原文】
「若菜下」より引用
夜更けて大殿籠もりぬる、暁方より、御胸を悩みたまふ。
【現代語訳】
夜が更けてお休みになったが、明け方から、お胸をお病みになる。
【源氏物語 原文】
「若菜下」より引用
「いかなる御心地ぞ」とて探りたてまつりたまへば、いと熱くおはすれば、
【現代語訳】
「どんなご気分ですか」と手をさし入れなさると、とても熱っぽくいらっしゃるので
【源氏物語 原文】
「若菜下」より引用
胸は時々おこりつつ患ひたまふさま、堪へがたく苦しげなり。
【現代語訳】
胸に時々発作が起こってお苦しみになる様子は、我慢できないほど苦しげである。
胸が痛み、時々発作が起こって、
発熱もしていたようです。
「御法」の巻では、
「こよなう痩せ細りたまへれど」という
記述もあり、食事もとれなくなり、
体重が減ってしまっている様子も見られます。
「胸の痛み」というのが
心臓の痛みなのか、肺の痛みなのか
わからないので判断が難しいですが、
結核や心臓病などの病気が考えられます。
「紫の上の死因は結核」とラジオで聞き、源氏物語の『御法』を読み直してみた。
— 冬乃雀 (@ociT8Kb4NXiwr7x) September 6, 2022
外的特徴が無く徐々に衰弱していく描写はあるものの、それ以上の描写は無く。そうとも言えるしそうとも言えないし。どうなんでしょう?#源氏物語 #結核
紫の上がかわいいと言われる理由
紫の上は、
源氏物語に登場する女君の中でも
たいへん人気のあるキャラクターです。
容姿の美しさに加え、
- 素直
- 嫉妬しやすい
- 子ども好き
- 穏やかで寛大
といった
性格が可愛らしいと評価されています。
源氏物語を読み進めるほどに、
紫の上の愛らしさに魅了されてしまいます。
漫画「あさきゆめみし」でも
紫の上は可愛らしい姫君として書かれていますよね。
紫の上の性格と容姿について、
詳しく説明しますね。
紫の上の性格
紫の上の性格を簡単にまとめると…
子ども時代
・無邪気で素直な性格
・純粋
大人になってから
・穏やかで優しい
・利発で聡明
・子ども好き
・嫉妬しやすい性格
具体的に説明しますね。
無邪気で素直な子ども時代
祖母の尼君は、
10歳の紫の上のことを
「いとはかなうものしたまふ」
(たいへん子どもっぽくいらっしゃる)
と言っています。
雀を伏籠の中に閉じ込めて遊んだり、
年齢よりも幼い雰囲気の
お転婆な少女時代を過ごしていました。
光源氏に盗み出されて
二条院に住み始めてからは、
最初は怯えていましたが、
素直な気持ちで光源氏に接して、
なついていく様子が描かれています。
和歌も上手く作るので、
子どもっぽいながら
才気のある少女だったようです。
子ども時代の紫の上は、
子どもっぽく無邪気でお転婆。
素直で才気のある少女だった。
あさきゆめみしに出てくる
子ども時代の紫の上(若紫)は
とっても可愛いので、ぜひ読んでみてください😍
1巻に出てきます。
聡明で光源氏から信頼されていた
紫の上は、
容貌や性格が可愛らしいだけではなく、
頭が良いことで光源氏から信頼されていました。
【源氏物語 原文】
「須磨」の巻
さぶらふ人びとよりはじめ、 よろづのこと、みな西の対に聞こえわたしたまふ。領じたまふ御荘、御牧よりはじめて、 さるべき所々、券など、みなたてまつり置きたまふ。
【現代語訳】
お仕えしている男女をはじめ、家のことをすべて西の対にお頼み申し上げなさる。ご所領の荘園、牧場をはじめとして、しかるべき領地、証文など、すべて紫の上の手元に置いていかれる。
須磨に退去することを決めた光源氏は、
紫の上の元に全ての資産を預けて旅立つのです。
これは、彼女の賢さを見込んでのことと思われ、
紫の上が聡明でしっかりとした女性だったことが窺わせられます。
子ども好き
紫の上はたいへん子ども好きでした。
光源氏と明石の君の娘、
明石の姫君を養女とし、可愛がって育てます。
【源氏物語 原文】
「松風」の巻
稚児をわりなうらうたきものにしたまふ御心なれば、「得て、抱きかしづかばや」と思す。
【現代語訳】
非常に子ども好きなご性格なので、「引き取ってお育てしたい」とお思いになる。
さらに、
明石の姫君の産んだ
女一宮と三の宮(匂宮)も養育しており、
特に匂宮は深く可愛がっていました。
紫の上は、
子どものお世話をするのが好き。
面倒見がよく、愛情深い女性だった。
春が好きで朗らかな人柄
紫の上の好きな季節は春でした。
薄雲の巻には「春秋優越論」と呼ばれる
部分があり、光源氏のセリフとして
以下のような記述が見られます。
【源氏物語 原文】
「薄雲」の巻
君の、春の曙に心しめたまへるもことわりに こそあれ。時々につけたる木草の花によせても、御心とまるばかりの遊びなどしてしがな
【現代語訳】
あなたが、春の明け方に心を寄せていらっしゃるのもよくわかります。季節折々に咲く木や草の花を見ながら、あなたの気に入るような催し事などをしてみたい
このセリフからわかるように
紫の上は春を愛する女性でした。
六条院では東南の「春の御殿」に住み、
春の花の木が美しい庭を眺めながら
暮らしていたのです。
嫉妬はするが、我慢強く穏やか
光源氏は、
紫の上を最愛の妻としながらも、
多くの女性に思いを寄せます。
紫の上はその都度、
嫉妬心を見せるのですが、
結局、光源氏に言いなだめられます。
特に、姫を出産した明石の君には
強い嫉妬心を抱いていたようです。
嫉妬しているとはいえ、
紫の上はとても優しい性格をしていて、
明石の君と対面したときには
お互いに素晴らしさや美しさを認め、
二人の間には友情が芽生えたのです。
女三の宮と光源氏の結婚にも
強くショックを受け、嫉妬しますが、
恨みの気持ちを表に出さず
結婚の準備を手伝ったりして
強いて穏やかに努める様子が印象的です。
※紫の上は女三の宮とも友情を築いてしまいます。
紫の上は、嫉妬はするけれど、
我慢強く穏やかで寛大。
強く嫉妬していた女君たちの素晴らしさも
認め、友達になってしまうほど
性格が良い女性であった。
ちなみに、紫の上は
妻の一人として源氏から大切にされていた
花散里とも妻同士として良い関係を築いていました。
紫の上は藤壺と性格が似ている
「朝顔」の巻で、光源氏は
「しとやかで嗜み深いところ」が
紫の上と藤壺の宮(叔母)は似ていると語っています。
ただし、紫の上は
小うるさくて、利発で嫉妬深いところが
藤壺の宮とは異なるとのこと。
紫の上の容姿は美人だった!?
紫の上は容姿も
非常に美しかったと書かれています。
容貌に関わる記述を
いくつか抜き出してみましょう。
【源氏物語 原文】
「若紫」の巻より
いみじく生ひさき見えて、うつくしげなる容貌なり。髪は扇を広げたるやうにゆらゆらとして、顔はいと赤くすりなして立てり。
【現代語訳】
とても将来が楽しみな、可愛らしい顔かたちである。髪は扇を広げたようにゆらゆらとして、顔は非常に赤く手でこすって立っている。
【源氏物語 原文】
「若紫」の巻より
つらつきいとらうたげにて、 眉のわたりうちけぶり、いはけなくかいやりたる額つき、髪ざし、いみじううつくし。
【現代語訳】
顔つきがとても可愛らしく、眉のあたりがほんのりとして、子供っぽく髪を横撫でにしている額や、髪の生え際にも可愛らしさが見える。
【源氏物語 原文】
「葵」の巻より
うちそばみて笑ひたまへる御さま、飽かぬところなし。
【現代語訳】
横を向いて笑っていらっしゃるお姿は、全く非の打ち所がない。
上の3例は、紫の上の少女時代の記述です。
下記2例は、大人になってからの様子です。
【源氏物語 原文】
「野分」の巻
気高くきよらに、さとにほふ心地して、 春の曙の霞の間より、おもしろき樺桜の咲き乱れたるを見る心地す。
【現代語訳】
気高くきれいで、ぱっと輝く感じがして、春の曙の霞の間から、美しい樺桜が咲き乱れているのを見る感じがする。
【源氏物語 原文】
「御法」の巻
「 こよなう痩せ細りたまへれど、 かくてこそ、あてになまめかしきことの限りなさもまさりて めでたかりけれ」と、来し方あまり匂ひ多く、あざあざとおはせし盛りは、なかなかこの世の花の薫りにもよそへられたまひしを、限りもなくらうたげにをかしげなる御さま
【現代語訳】
「すっかり痩せ細っていらっしゃるが、かえって一段と上品で優美でいらっしゃるように見えて素晴らしい」と、今まで華やかでいらっしゃった女盛りは、花の香にも喩えられていたが、この上もなく可憐で美しいご様子
紫の上は、
幼い頃は髪の美しさ、可愛らしさが
強調されますが、
大人になってからは桜、樺桜にたとえられ、
笑顔の美しい美女だったようです。
※「野分」では樺桜、
「若菜下」においては桜に喩えられています。
病気になって痩せてしまってもなお、
上品な美しさが漂っていたとのこと。
2001年に公開された
「千年の恋 ひかる源氏物語」では、
常盤貴子さんが紫の上を演じました。
⇒Amazonプライムビデオで「千年の恋 ひかる源氏物語」を見る!
光源氏は天海祐希、
幼少期の頭中将で三浦春馬さんが
出るなど、豪華キャストで面白かったです。
紫の上は不妊だった!?
紫の上は、
光源氏の最愛の女性ですが、
二人の間には子どもが出来ませんでした。
紫の上は、現代的に言うと
いわゆる不妊だったことになります。
子どもが出来ないことを
悩むような記述はありませんが、
紫の上は娘を産んだ
明石の君のことを強く嫉妬しています。
本人も自分に子がないことを
気にしていたのでしょう。
子ども好きだった紫の上は、
明石の姫君やその子の匂宮などを
養育しますが、
自分の子どもを育てることはできませんでした。
紫式部は、紫の上に
子どもが出来ない現実を描くことで
現実の皮肉さや不条理さを
表現しようとしたのかも知れませんね。
紫の上の魅力とは
紫の上から感じられる魅力は、
人によって異なるでしょう。
- 子ども時代のあどけない発言や仕草
- 子ども好きで明石の姫君などを可愛がっていた
- 光源氏の浮気を我慢し続けていたところ
などに魅力を感じる人も
多いと思いますが、私が思う
紫の上の大きな魅力は、
深い嫉妬の感情を抱いていた
明石の君と友達になれてしまうほどの
器の大きさです。
「藤裏葉」の巻で、
明石の姫君が東宮の妻として
入内することが決まり、
その実の母・明石の君と
養母・紫の上は初めて対面をします。
二人はお互いに相手を
素晴らしいと認め合って、
友達になっていくんです。
【源氏物語 原文】
「藤裏葉」の巻
御仲らひあらまほしううちとけゆくに、さりとてさし過ぎもの馴れず、あなづらはしかるべきもてなし、はた、つゆなく、あやしくあらまほしき人のありさま、心ばへなり。
【現代語訳】
二方の仲は睦まじくなっていくが、出過ぎたり馴れ馴れしくはせず、軽く見られるような態度も、もちろん、全くない。不思議なほど理想的な方の態度、心構えである。
紫の上は、
光源氏の浮気相手である
明石の君に強い嫉妬心を抱いていました。
言わばライバルのような存在です🔥
そんな明石の君と友情を交わせる
紫の上の寛大な人柄は、大きな魅力として
読者を惹き付けています。
\明石の君の人柄や生涯を解説/
聡明かつ我慢強く、穏やかで善良な性格。
容姿も美しい上に、和歌も琴も上手。
紫の上は光源氏にとって理想の女性だったのです。
この記事では、
紫の上の生涯や性格、容姿について
詳しく解説しました。
読者の方が、
紫の上についての理解を
より深めることが出来たなら嬉しいです。
まだ現代語訳にチャレンジできていない方は、
こちらの記事を参考にしてみて下さいね!
他の登場人物について知りたい方は、
こちらの記事を読んでみてください。