この記事では、『源氏物語』の続編(補作)である
『山路の露』のあらすじ・現代語訳・原文を掲載しています。



『山路の露』について
・あらすじ
・現代語訳(全文)
・原文(全文)
・解説
『山路の露』 あらすじ
宇治川に入水して亡くなったと
思われていた浮舟は、
実は横川僧都によって助けられ、
出家をとげ、
比叡山の麓、小野の里で尼として
仏道修行に励む生活を送っていました。
浮舟は、お世話になった母親に、
もう一度会いたいと思いながら
暮らしています。
浮舟の生存を知った薫は、
何度も浮舟の異父弟・小君を
小野に遣わしますが、
浮舟は小君に会わず、
手紙の返事ももらえません。
浮舟を忘れることのできない薫は、
「必ず返事をもらってくるように」
と命じ、小君を性懲りもなく
小野へ送り出します。
小野を訪問した小君は、
尼君のとりつぎにより、ようやく
姉・浮舟と再会し、語り合います。
小君は、薫の手紙を浮舟に渡しますが、
今回も浮舟は返事を書きません。
代わりに、浮舟は母に宛てた手紙を小君に託します。
都に帰った小君は、薫に
浮舟の様子を報告し、
浮舟が母に宛てて書いた手紙を
薫に読ませます。
薫は、小君に
手紙をすぐには母に渡さないように言い、
その夜、自ら小野を訪問します。
小野を訪問した薫は
勤行をしている浮舟に
近づくことに成功します。
2人は語り合いながら朝を迎えますが、
浮舟に還俗の意志はなく、
未明に薫は帰京しました。
その後、浮舟生存の情報は、
浮舟の乳母子で
現在は薫に仕える右近にも伝わります。
薫は、小君と右近を浮舟の母のもとに遣わし、
浮舟の書いた手紙を読ませます。
手紙の内容から
浮舟の生存を知った母は、
その二日後に右近とともに小野を訪問し、
浮舟と涙の再会を果たします。
母は、浮舟を京に移したいと語りますが、
浮舟はそれを拒みます。
その後、匂宮の近況や
薫の昇進、女二の宮の懐妊について
語られた後、季節は秋から冬に変わります。
薫は浮舟を都に近い山里に
移させようと考えますが
すぐに実行する気もなくのんびりしています。
薫は匂宮邸を訪問し、
中君に歳末の挨拶をしますが、
匂宮に情報が伝わることを恐れ、
浮舟生存のことは口にしません。
薫はまだ匂宮に対して、過去の三角関係の
怨みを抱いたままなのです。
『山路の露』 現代語訳・原文(全文)
下記の目次をクリックすると、
現代語訳・原文のページに移ります。
1.序章/薫、浮舟の近況
2.浮舟と小君の再会/都の火災
3.浮舟と薫の再会
4.右近と母、浮舟の生存を知る
5.浮舟、母と右近に再会/妹尼、経緯を語る
6.匂宮、薫、女二の宮の近況/都と小野の歳末の様子
※原文の底本は、承応版『源氏物語』附属板本です。
※完全な直訳ではありません。
わかりやすいように、
文章を短く区切ったり、
補足したりなどの工夫をしています。
※物語中の和歌は斜体/青字で記しました。
※PCで見ると、
現代語訳・原文が横に並んで
表示されるので、
スマホより見やすいです。
『山路の露』 解説
成立時期と作者について
『山路の露』は鎌倉時代に
『源氏物語』の「夢浮橋」巻の続編として
書かれた物語です。






『山路の露』の成立時期と作者については
不明な点が多く、確実なことは分かっていません。
鎌倉時代初期に成立した物語評論書
『無明草子』や
文永8年(1271年)に成立した
『風葉和歌集』に
言及が見られないことから、
それ以降(1272年以降)に成立したと考えられます。
作者については、
建礼門院右京大夫(1157頃〜1233頃)
であるという説がありますが
確証はありません。
上記の成立時期の推定とも合いません。
『源氏物語』は
「あはれの文学」と言われており、
物語中で「あはれ」という言葉が
944回も使われています。
『山路の露』では「あはれ」
(「物あはれ」含む」)は、
この短い物語の中で、47回も使われています。
※「をかし」は12回しか登場しません。
『山路の露』は、
「あはれの文学」としての性質を
しっかりと引き継いでおり、
緻密な心理描写が特徴的です。
『源氏物語』をよく読みこみ
その世界観を血肉とした人物が
書いたと想定されます。
『山路の露』 の内容について
『源氏物語』の「夢浮橋」巻は、
薫が、失踪した浮舟の居場所を探し当てたものの
2人が再会することのないままで終わっています。
「夢浮橋」巻の何ともすっきりしない結末は、
後世の読者に、
「本当は続きがあったのではないか」
「作者の病気や死没によって未完となったのではないか」
などの推測をさせることになりました。
『山路の露』はそのように
想像力をかきたてられた熱心な読者が書いた
続編なのです。
しかし、『山路の露』では、
小君、薫、母と浮舟の再会、
匂宮や中君、女二の宮の近況が
語られるのみで
大きな展開はありません。
その結末は、
薫が浮舟を都近くに移すことを画策していて、
いまだ匂宮に対して恨みをもっているという
もので、読者が心から納得できるような
終わり方にはなっていません。
『山路の露』の中途半端な結末は、
「夢浮橋」の結末と大差ないように見えます。
ただし、『山路の露』では
浮舟と母親の再会に多くの筆を費やしています。
浮舟と母との絆は深く、
「手習」「夢浮橋」巻で
浮舟は繰り返し母のことを思い
再会を願っていたのです。
『山路の露』において
浮舟と母親が再会を果たしたことで
物語は一段落したと作者は考えたのでしょう。
紫式部の書いた『源氏物語』が
中途半端な結末で終わっていることを
『源氏物語』独特の世界観として尊重し、
『山路の露』でもその結末のあやふやさを
引き継いだという考え方もできます。
『山路の露』と『雲隠六帖』
鎌倉時代に成立した『山路の露』に対して、
室町時代に成立したと思われる
『雲隠六帖』では
光源氏の死に加えて、浮舟の還俗や
匂宮の即位、中君の死などの
大きな展開が語られています。



しかし、『雲隠六帖』はまるで
あらすじのような杜撰なストーリーであり
物語の質としては心理描写や状況描写の緻密な
『山路の露』のほうが優っているといえるでしょう。













