


現代において、私立の小学校などでは
『源氏物語』を授業で習うところも
あるようですが、
一般的な公立小学校の教科書には
掲載されていないと思います。
ところが、戦時中において
公立の小学校の教科書に
『源氏物語』が掲載されていた時期があるのです。



この記事では、どのような経緯で『源氏物語』が
小学校の教科書に掲載されていたのかを解説します。
・教材「源氏物語」が小学校の教科書に
掲載された理由と経緯
・教材「源氏物語」に寄せられた評価
<参考図書>
この記事は、以下の図書を参考にして執筆しました。
「サクラ読本」に掲載された教材「源氏物語」
教材「源氏物語」は、1938年(昭和13年)
第四期国定教科書『小学校国語読本』
(いわゆる「サクラ読本」)の
巻十一(六年生用)に掲載されました。
この『源氏物語』を素材とした教材は、
多くの称賛を得ましたが、
一方では小学校教材としては不向きだという
批判も受けています。
教材「源氏物語」は、
批判にさらされながらも、その後も
小学校の教科書に掲載され続けました。
第五期国定教科書「アサヒ読本」でも改訂は
あったものの掲載されています。
終戦直後の「墨ぬり教科書」でも
削除されませんでしたが、
第六期「みんないいこ読本」からは
「源氏物語」は姿を消してしまいました。
以下は国定教科書の変遷です。
| 名称 | 通称 | 使用期間 | |
|---|---|---|---|
| 第1期 | 『尋常小学読本』 巻1~巻8 | イエ・スシ読本 | 1904(明治37)~1909(明治42)年 |
| 第2期 | 『尋常小学読本』巻1~巻12 | ハタ・タコ読本 | 1910(明治43)~1917(大正6)年 |
| 第3期 | 『尋常小学国語読本』各巻1~巻12 | ハナ・ハト読本 | 1918(大正7)~1932(昭和7)年 |
| 第4期 | 『小学国語読本』巻1~巻12 | サクラ読本 | 1933(昭和8)~1940(昭和15)年 |
| 第5期 | 『ヨミカタ』『コトバノオケイコ』『初等科国語』 | アサヒ読本 | 1941(昭和16)~1945(昭和20)年 |
| 敗戦後、軍国主義・神道教材に対し、切り取りや墨塗りなど削除の指示が出る。 | 墨塗り教科書 | 1945(昭和20)年 | |
| 暫定期 | 『ヨミカタ』『初等科国語』 | 折りたたみ教科書 | 1946(昭和21)年 |
| 第6期 | 『こくご』『国語』 | みんないいこ読本 | 1947(昭和22)年~1949(昭和24)年 |
教材「源氏物語」は、
1938年(昭和13年)から1946年(昭和21年)まで
9年間掲載されていたことになります。
なぜ小学校の教科書に源氏物語が掲載されたのか
教材「源氏物語」が
教科書(サクラ読本)に掲載された年、
1938年(昭和13年)は、
ちょうど国家総動員法が公布された年です。
戦争遂行のため、国家の全ての人的・物的資源を政府が議会の審議を経ずに動員することを可能とする法律。
国民生活のすべてを戦争体制に組み込むことを目的として制定された。
1945年(昭和20年)太平洋戦争の終結により廃止。
その前年の1937年(昭和12年)7月には
盧溝橋事件が起き、
日中戦争が勃発しています。



戦争という国家の非常事態に陥っている状況で、
『源氏物語』の雅な世界や
「もののあはれ」を重視する価値観は、
戦時下を生きる子どもたちに教えるとなると
はたして適した教材だったのでしょうか。
なぜ、戦時中に教材「源氏物語」が
小学生の教科書に採用されたのでしょうか?
教科書の編纂に携わった井上赳氏は
戦後次のようなことを述べています。
私一個人はわが国の教育が自由主義を謳歌し始めたころから、ほとんどそれが絶頂に達したころにかけて、最も教科書編纂の研究並びにその実行に心血をそそぎました。その結果として私につちかわれた自由自主の精神は、戦時下といえども不動であり、この精神に従って、きわめて微力ながら軍部と戦い、極端な国家主義、国粋主義と戦いつつ、国民学校教科書編纂の事務を処理し、最後に至って文部大臣のいわれなき干渉と軍部の越権を憤りいさぎよく辞表を提出し得たのであります。
全体主義・国家主義が進行する戦時下において
小学校の教材として「源氏物語」が
採用されたことは、
自由が蝕まれていく時代への
教科書編纂者の抵抗の意志が
表れているものだったということになります。
また、『小学国語読本綜合研究』の教材解説には、
「先づ主題は源氏物語中の婦人の理想として表現された紫の上の生立」
と述べられており、
教材「源氏物語」から
女性のあるべき姿を学ばせようとする
女子教育の意図もあったものと考えられます。
『源氏物語』は江戸時代には
儒教思想の影響により、
武士や学者の間で道徳の教科書として
女子の必読書とされていたことを踏まえているのでしょう。



公式の見解としては、
『源氏物語』は国民思想・国民精神に関係のある
文学なので教材化した
とされていますが、
その裏には編纂者のさまざまな思いがありそうです。
小学校の教材化にあたっての配慮
『小学国語読本』に掲載された「源氏物語」は
12ページほどのボリュームの教材でした。
その内容は、『源氏物語』および
作者である紫式部・時代背景などの解説と、
現代語訳(一)(二)から構成されていました。
現代語訳(一)は「若紫」、
現代語訳(二)は「末摘花」からの訳出です。
「若紫」の訳出部分は、あの有名な
雀の子を犬君が逃がしてしまって
若紫が泣いているシーンです。
原文からは随所に改変が加えられていますが、
特に大きな改変は、
光源氏の存在が抹消されていることです。



「末摘花」の訳出部分では、冒頭に
若紫が光源氏に引き取られて、
兄妹のように暮らしているという説明がなされ、
その後は光源氏が鼻の先に赤い絵の具をつけて
若紫と戯れる場面の訳出となっています。
全体として光源氏と若紫の間に男女関係の匂いを
ほのめかさないように、追加削除が加えられています。



『源氏物語』を日本が世界に誇る最高の文学として
取り上げながらも、子どもたちに
原作の色好みのムードを悟られまいとしていました。



教材「源氏物語」評価と批判
教材「源氏物語」は教育雑誌等の批評によると、
おおむね好評でしたが、批判的な意見もありました。
特に国文学者・橘純一の『源氏物語』批判は
有名であり、その内容は痛烈です。
橘氏は教材「源氏物語」を教科書から
削除するように要求しています。
橘純一は、当初は
教材「源氏物語」への批判をしていましたが、
すぐに『源氏物語』そのものを
批判するようになりました。
天皇への不敬ということが
批判の理由として強調されています。
1938年7月『国語解釈』第三十号「小学国語読本巻十一「源氏物語」について文部省の自省を懇請する」
で、橘氏は次のように述べています。
源氏物語の情的葛藤中、最も重要な枢軸をなす藤壺中宮対源氏の君の関係、これより起つた第三帝(桐壺の巻に出で給ふ帝を第一帝として数へ申す)御即位の事、源氏の君が太上天皇に准ぜられる事、これらは大不敬の構想である。源氏の君の須磨引退の原因となった第二帝の寵姫朧月夜内待との関係も亦然り。
源氏物語は全編一貫して、その性格が淫靡であり不健全である。平安朝貴族衰亡の素因を露呈した文学である。これを無条件で、「我が国第一の小説」「世界の文学」として推奨することは、国民教育上有害である。
- 光源氏と藤壺の宮の関係
- 冷泉帝の即位
- 光源氏が准太上天皇になったこと
- 光源氏と朧月夜との関係
この4点が、天皇への「大不敬の構想」であると
批判しています。
さらに『源氏物語』は恋愛譚ばかりなので
淫靡であり不健全だと全否定です。
その上、
「むしろ本物語の価値は宣長翁の
『物のあはれ』論の系統から離れて、
新しく再検討に附せられるべきものと信じてゐる」
と江戸時代に提唱された、
あの著名な本居宣長の「もののあはれ」論まで否定する有様でした。


橘氏の『源氏物語』批判には
反論が寄せられましたが、
なかなか橘氏の主張を論破できるような
内容ではありませんでした。
結局のところ
橘氏の教材「源氏物語」削除要求そのものは
受け入れられませんでしたが、
教材「源氏物語」は使用開始後一年、
昭和14年度版で内容が修正されます。
口語訳「末摘花」の部分が
「紅葉賀」に改められたのです。
紫の上(若紫)と光源氏はいとこ同士という設定
になっておりさらに安全な、
小学生向けの読み物として改訂されました。
「日本の誇る偉大な古典」と
「戦争遂行の妨げとなる有害な書物」
この頃の日本には、
『源氏物語』に対する正反対の評価が
同居していたから、
教材「源氏物語」も不自然なほどの大幅な
追加削除をせざるを得なかったのでしょう。
こちらの記事では、
『源氏物語』批判について
さらに詳しく紹介しています。


戦後、小学校の教科書から消えた源氏物語
『源氏物語』は、
「大不敬の書」「不健全な内容」と
批判されながらも、
「日本が世界に誇る古典文学」として
戦時中の小学校の教科書に掲載され続けました。
しかし、終戦を迎えると
GHQより日本の教育改革が行われ、
教科書の内容にも大きな変化がおとずれます。
日本語や日本文化への知見をろくに持たない
アメリカ教育使節団により
日本の子どもたちが「愛国心」を
持たないようにする内容に変わっていったのです。
戦後、小学校の教科書から源氏物語が消えた
昭和22年(1947)年12月、
文部省から出された
「学習指導要領 国語科編(試案)」では、
中学校における国語教育では、
日常生活の言葉から離れないように
指導することが大切としており、
古典の教育から
解放されるべきと述べられています。
この指導要領により、小学校の教科書から
『源氏物語』をはじめとする古典文学関連の教材が激減しました。
現在の小学校では源氏物語を教えるのか



光村図書出版のHPで
私が調べた範囲内では、脱ゆとり教育の結果か
現代の小学校では5年生教科書で
古典文学を掲載しているようです。
ただし、載っているのは
『竹取物語』、『平家物語』、
『方丈記』、『徒然草』などであり、
『源氏物語』は載っていませんでした。
やはり光源氏の色好みについて
うまく説明しなければならない
もしくは隠蔽しなければならないとなると、
小学校の教材としてはふさわくないとされるのでしょうか。
小学生で漫画『あさきゆめみし』などを
読んでいる子もいるし、
現代の少女漫画などは
けっこうカゲキな内容のもあるから、
おませな小学生も多いと思います。
しかし、個人差があるのだから、
小学校の授業で、全体に対して
先生が教えるとなると『源氏物語』は
取り扱いが難しいと判断されても仕方ないでしょう。
「若紫」の垣間見の部分を教えたとして、
先生、源氏と若紫は、この先、どうなっていくの?
なんてあどけなくきかれようものなら、
先生は返答に窮してしまいますよね…。
学校によっても違いがあるのかも知れませんが、
『源氏物語』の内容を教えるのは中学校から
が妥当なのかも知れません。
SNSを見ると、小学校で『源氏物語』を習った!
という書き込みも見かけました。
どういう授業をしているのかとても興味があります。
ざっくりとしたあらすじの紹介でしょうか。
<参考図書>
この記事は、以下の図書を参考にして執筆しました。
『源氏物語と戦争』には
教材「源氏物語」の全文が掲載されています。
さらに、当時の小学校の教科書に
「源氏物語」が掲載された経緯や
児童たちの反応などが詳しく解説されていますので
ぜひ読んでみてください。
さいごに
私は昭和61年(1986年)生まれで、
公立小学校に通っていましたが、
『源氏物語』を授業で習った記憶はありません。
古典文学の授業自体なかったと思います。
そういう長~い古典文学があるという知識は
あった気がしますが、どこで仕入れた知識なのか
テレビなのか授業なのか…今となっては忘れてしまいました。



教科書で『源氏物語』が出てきたのは
中学生になってからですね。
「若紫」の光源氏が垣間見するシーンが掲載されていました。
夫は1972年生まれですが、同じく
古典文学を小学校で習った記憶は
ないと言っています。
現代の小学生が5年生で
『平家物語』や『方丈記』に
触れるとはビックリです。
この記事では、
『源氏物語』が小学校の教科書に載っていた
戦時中の経緯を紹介しました。
当時は、
「日本の誇る偉大な古典」と
「戦争遂行の妨げとなる有害な書物」
という正反対の評価の矛盾を抱えていましたが、
現代では、
「日本の誇る偉大な古典」と
「子どもの教育に悪影響を及ぼす可能性のある書物」
という矛盾を抱えているような気がします。
世界的にも有名な日本の古典文学だから、
小学生でもタイトルとあらすじくらい
知っておいてほしいけど、
男女の描写が頻繁に出てくるから
小学生向けの教育としては
内容には詳しく踏み込んでほしくない…
というところでしょうか。
当ブログでは、『源氏物語』について
様々な観点から解説する記事を作成しています。
もし興味があれば、他の記事も
読んでみてください😊













