・光源氏と藤壺の関係
・二人の逢瀬の回数
・二人の年の差
・それぞれの思いの変化
・別れ(藤壺の死)のエピソードの紹介
この記事を読むことで、
光源氏と藤壺の関係と二人の気持ちを
しっかり理解することができます。
詳しく、わかりやすく解説しましたので、
ぜひ最後までお読みください😊
源氏物語のあらすじが知りたい方は
こちらの記事を参考にしてください。
他の登場人物や全体の系図が
見たい方は、こちらの記事が役に立つはずです。
光源氏と藤壺の関係を解説
藤壺の宮は、
光源氏の父(桐壺帝)の妃でした。
光源氏にとっては義母のような存在です。
そして、藤壺の宮は、
光源氏にとって初恋の人でもあります。
エピソードを順番に並べると
下記のようになります。
①桐壺帝と桐壺の更衣の間に光源氏が生まれる。
②桐壺の更衣が死去(光源氏3歳の頃)
③桐壺の更衣にそっくりの藤壺の宮が入内。
④光源氏、藤壺の宮に初恋をする。
青年となった光源氏は、藤壺の宮に対して
強い思いを抑えきれなくなり、
ついに密通を遂げてしまいます。
そして、光源氏と藤壺の間には
子どもまで生まれてしまうのです…。
父・桐壺帝は、生まれた子どもは
自分と藤壺の宮の間の子と信じており
子どもはやがて冷泉帝として皇位を継ぐことになります。
光源氏と藤壺 逢瀬は何回だった?
光源氏と藤壺の宮の逢瀬は、2回です。
1回目の逢瀬がいつだったかは、
本文には詳しくは書かれていません。
2回目は「若紫」の巻です。
それではなぜ、1回目の逢瀬があったことが
分かるかというと、
2回目の逢瀬の際に1回目の逢瀬を
後悔するような藤壺の宮の心境が語られているからです。
【原文】
「若紫」の巻より引用
宮も、あさましかりしを思し出づるだに、世とともの御もの思ひなるを、 さてだにやみなむと 深う思したるに、 いと憂くて、 いみじき御気色なるものから、なつかしうらうたげに、 さりとてうちとけず、心深う恥づかしげなる御もてなしなどの、 なほ人に似させたまはぬを、「 などか、 なのめなることだにうち交じりたまはざりけむ」と、 つらうさへぞ思さるる。
【現代語訳】
藤壺の宮も、思いもしなかった出来事(=1回目の逢瀬)をお思い出しになるだけでも、生涯忘れることのできない悩み事なので、せめて1回きりで終わりにしたいと深く思っていた。なのに、(2回目の逢瀬を遂げてしまうことが)とても悲しくて辛そうなご様子である。光源氏は、藤壺の宮が優しく可愛らしくて、かといって馴れ馴れしくなく、気品のある態度などが、やはり他の女性とは違っていらっしゃるのを、「なぜ、(藤壺の宮様は)欠点が少しも混ざじっていらっしゃらないのだろう」と、辛くまでお思いになられる。
赤字の部分が、
藤壺の宮が1回目の逢瀬を悔やむ部分です。
1回目の逢瀬はいつだったか?
1回目の逢瀬の時期については
「桐壺」と「帚木」の間ではないかと
言われています。
「帚木」の巻には、以下のような記載があります。
まれには、あながちに引き違へ心尽くしなることを、御心に思しとどむる癖なむ、 あやにくにて、さるまじき御振る舞ひも うち混じりける。
「帚木」の巻より引用
【現代語訳】
(光源氏は)時たまに、ひたむきに予想を狂わせる気苦労の多い恋を、思いつめなさる癖を、あいにくお持ちであって、よろしくない行動も見受けられた。
君は、人一人の御ありさまを、心の中に思ひつづけたまふ。「 これに足らず またさし過ぎたることなく ものしたまひけるかな」と、ありがたきにも、いとど胸ふたがる。
「帚木」の巻より引用
【現代語訳】
源氏の君は、ただ一人の御様子(藤壺の宮のこと)を、心の中に思い続けていらっしゃる。「(藤壺様は)足りないところも、出過ぎたところもない方でいらっしゃるなあ」と、比べる人がおらず、ますます胸がいっぱいになる。
思すことのみ心にかかりたまへば、まづ胸つぶれて、「 かやうのついでにも、 人の言ひ漏らさむを、 聞きつけたらむ時」などおぼえたまふ。
「帚木」の巻より引用
【現代語訳】
(侍女たちの噂話を聞いて)心の中にあることばかり気にかかっていらっしゃるので、どきりとして、「このような噂話のついでに、言い漏らすようなことを、人が聞きつけるようなことになったら」などと心配なさる。
- 光源氏は、難しい恋にのめり込む気質だった。
- 光源氏は、藤壺の宮ただ一人を思い続けている。
- 光源氏は心の中に気にかかっている出来事がある。
この3点の記述から、
もうこの時には、光源氏は、藤壺の宮と
1回目の密通を遂げていることになります。
「桐壺」と「帚木」の間には、
本来「輝く日の宮」という名前の巻があり、
その巻に光源氏と藤壺の宮の1回目の逢瀬が
語られていたのではないか?と推測する研究者もいます。
かつては存在したが、
現在は失われたとされている源氏物語の巻名。
・光源氏と藤壺の宮の1回目の密通
・光源氏と六条御息所の出会い
・朝顔の斎院の初登場
・五節の君との恋物語
などが語られていたのではないかと
推測されている。
3回目の逢瀬は失敗に終わる
光源氏は、「賢木」の巻で3度目の逢瀬を試みましたが
失敗しています。
桐壺院が崩御し、藤壺の宮は
里邸である三条の宮に移っていました。
光源氏は父の服喪中にもかかわらず
気持ちを抑えきれず、藤壺の寝所に忍び込んだのです。
光源氏は言葉たくみに恋心を訴えて
3度目の逢瀬を遂げようとしましたが、
藤壺の宮は光源氏を拒絶します。
さらに藤壺の宮は、急に胸の痛みを訴えたため、
周囲に女房が集まってきて、思いは遂げられませんでした。
光源氏は「塗籠」という狭い部屋に
押し込められて1日中過ごした後、
女房に頼み込まれて帰されてしまいました。
光源氏と藤壺の年の差
光源氏と藤壺の年齢差は、5歳差です。
藤壺の宮が「薄雲」の巻で
亡くなる際に「 三十七にぞおはしましける」と
記載があります。
その頃、光源氏は32歳でしたから、
二人の年齢差は5歳ということになります。
藤壺の宮が入内した年齢は、
亡くなった年齢から逆算すると
14歳~16歳となります。
光源氏 藤壺への思いに変化はあった?
光源氏の藤壺への思いは、
その生涯においてどのように変化をしていったのでしょうか?
光源氏と藤壺の気持ち 巻ごとのまとめ
まず、光源氏と藤壺それぞれの気持ちを
巻ごとにまとめました。
桐壺と紅葉賀は、エピソード(元服・出産)で分割しています。
巻名 | 光源氏の藤壺への思い | 藤壺の光源氏いへの思い | 光源氏の年齢 | 藤壺の年齢 |
---|---|---|---|---|
桐壺(元服前) | 若く美しい藤壺の宮と親しくなりたいと 慕う気持ち。 | 光源氏に会うのが恥ずかしい。 | 9~10歳 | 14~15歳 |
桐壺(元服後) | 御簾の中に入れなくなり、対面できない。 源氏の吹く笛に御簾の内側から藤壺が琴の音を合わせて心を通じ合わせる。 気に入った家に、理想の女性(藤壺)と一緒に住みたいと願う。 | 該当なし | 12歳 | 17歳 |
帚木 | 藤壺の宮のみを理想の人として強く思う。 1回目の密通による罪の意識が心に引っかかっている。 | 該当なし | 17歳 | 22歳 |
夕顔 | 夕顔が物の怪につかれて亡くなったのは、 自分が藤壺の宮と密通した報いなのではないかと思う。 | 該当なし | 17歳 | 22歳 |
若紫 | 藤壺の宮に顔が似ている幼い若紫に心惹かれ、藤壺の宮の代わりにしたいと思う。 僧都の話を聞いて、罪(藤壺との1回目の密通)を恐ろしく思う。 藤壺を強く思い続け、2回目の密通を遂げる。 藤壺を最上の女性と再認識。 また会うことが難しいと嘆く。 藤壺の妊娠を知り、逢いたい気持ちが募るが、拒まれる。 | 2回目の密通は避けたかったと深く悲しむ。 光源氏との子どもの妊娠に戸惑い、嘆く。 光源氏の煩悶を藤壺も感じ取り、いろいろ思い出して苦しむ。 | 18歳 | 23歳 |
紅葉賀(出産前) | 藤壺に拒まれているつらい気持ちのまま、青海波を舞う。 藤壺の和歌を見て教養の深さに嬉しくなる。 藤壺に会いたいと機会をさぐるが会えない。 | 光源氏が青海波を舞う姿を、「あんなことがなければ素晴らしく見えたのに」と思う。 光源氏の姿を几帳の隙間から見て、物思いに沈む。 | 18歳 | 23歳 |
紅葉賀(出産後) | 出産した藤壺と子どもに会いたいと願うが会わせてもらえない。 帝に「藤壺の子と光源氏が似ている」と言われて恐ろしく、また嬉しく、悲しく思う。 | 苦しい出産を終え、 弘徽殿女御に呪われていると知り、物笑いにならないよう長生きしたいと強く思う。 良心の呵責に苦しみ、赤ん坊を帝に見せたがらない。 帝に「藤壺の子と光源氏が似ている」と言われて冷や汗を流す。 子どもが成長するにつけて源氏に似てくるのを見てつらい気持ちになる。 | 19歳 | 24歳 |
花宴 | 藤壺に会いたいと、藤壺の御殿の周辺を忍び歩くが会えず。 ガードの甘い朧月夜と比較して、藤壺の隙のなさを好ましく思う。 | 光源氏を美しいと思う自らの心を情けなく感じる。 | 20歳 | 25歳 |
葵 | 藤壺の冷淡さを嘆く。 父の桐壺院に、藤壺への気持ちがバレたらどうしようと恐れる。 若紫が藤壺そっくりに育ったことを喜ぶ。 | 正妻・葵の上を亡くした光源氏に同情する。 | 22歳~23歳 | 27歳~28歳 |
賢木 | ガードの甘い朧月夜と比較して、藤壺の隙のなさを好ましく思う。 藤壺の寝所に忍び寄り密通を遂げようとするが、藤壺が体調不良となり、未遂。 病床の藤壺を見て、その美しさが紫の上とそっくりであることに驚き、藤壺への執着が晴れるような気持ちに。 藤壺に冷淡にあしらわれ強いショックを受ける。出家しようかとも考えるが、紫の上が可愛いからできない。 なおも藤壺を恋しく思う。 藤壺の出家を知り、驚き悲しむ。 東宮の将来を心配する。 | 桐壺院が亡くなり、東宮(光源氏との子ども)の後見役として光源氏を頼る。 桐壺院が自分と光源氏の関係を知らずに亡くなったことを罪と感じる。 光源氏の自分への恋心を止めるために祈祷をさせる。 寝所に入ってきた光源氏に驚き呆れ、不快な気持ちになる。 世の中が嫌になって出家を決意。 出家前に我が子(東宮)と会話し、愛おしく思う。 | 23歳~25歳 | 28歳~30歳 |
須磨 | 須磨退去について、自らの犯した密通の罪が原因ではないかと発言。 須磨退去後も藤壺への恋心を抱き続ける。 | 須磨退去を決意した光源氏に、お見舞いの使いを頻繁に出す。 光源氏の須磨退去を悲しむ。 東宮の将来を心配する。 退去した光源氏を恋しく悲しく思うが、世間の目が怖くあまり同情の素振りを見せられない。 | 26歳~27歳 | 31歳~32歳 |
澪標 | 二人の息子・冷泉帝の妃について、藤壺の相談する。 | 仏法のお勤めを日々の仕事にする。 | 28歳~29歳 | 33歳~34歳 |
薄雲 | 藤壺の病気を知り、長い間我慢していた恋心をもう伝えられなくなると残念に思う。 藤壺の死に強いショックを受ける。 | 桐壺院が自分と光源氏との関係を知らずに亡くなったことを気の毒に思う。 光源氏が冷泉帝の後見をしてくれたことに感謝。 | 31歳~32歳 | 36歳~37歳 |
【光源氏】藤壺への思いの変化
上記の表を見てわかるように、
光源氏の藤壺への思いは以下のように変化していきました。
美しい女性への憧れ
(桐壺)
↓
理想の女として強い恋心を抱く
(桐壺~葵)
↓
紫の上の存在で藤壺への執着が緩和
(賢木~)
↓
東宮の親として冷静に接する
恋心を隠す
(澪標~薄雲)
光源氏は幼い頃に藤壺に出会い、
実母(桐壺の更衣)に似ている
若く美しい藤壺を慕うようになりました。
その思いは、元服後に強い恋心に変わり、
2度の密通を経て二人の間には
子どもまで生まれてしまうのです。(後の冷泉帝)
ところが、
藤壺にそっくりの紫の上の存在により
藤壺への強い執心は薄れ、
須磨・明石に流離したのをきっかけに、
光源氏は藤壺に熱い恋心を示さなくなります。
「澪標」の巻では冷泉帝の妃について
藤壺と冷静に話し合う場面もあります。
紫の上の存在は大きいと思いますが、
「賢木」の巻で藤壺が出家してしまったので、
さすがに光源氏も尼になった人には
しつこい態度をとれなかったのでしょうね。
紫の上の人生について
詳しく知りたい方は、こちらの記事がおすすめ!
【藤壺】光源氏への思いの変化
藤壺の宮の光源氏への思いは、
以下のように変化しました。
対面するのが恥ずかしい
(恋心?)
↓
密通の罪を後悔し
バレることを恐れる
光源氏の熱い思いに悩む
↓
出産後、母として長生きしようと思う
さらに用心深く光源氏を拒絶
↓
須磨に退去する光源氏に同情
藤壺の宮の心中としては、
光源氏の思いや行動に悩む気持ちが
中心に語られています。
「紅葉賀」の巻で光源氏の容姿を見て
「美しい」と思うシーンはあっても
光源氏への恋心を示す部分はほとんどありません。
ところが、藤壺の光源氏への
はっきりとした愛情が見られる部分があります。
「須磨」の巻です。
年ごろはただものの聞こえなどのつつましさに、「 すこし情けあるけしき見せば、それにつけて人のとがめ出づることもこそ」 とのみ、ひとへに思し忍びつつ、あはれをも多う御覧じ過ぐし、すくすくしうもてなしたまひしを、「 かばかり憂き世の人言なれど、かけてもこの方には言ひ出づることなくて止みぬるばかりの、 人の御おもむけも、あながちなりし心の引く方にまかせず、かつはめやすくもて隠しつるぞかし」。 あはれに恋しうも、いかが思し出でざらむ。
「須磨」の巻
【現代語訳】
近年は、世間の評判が憚られるので、(藤壺は)「少しでも(源氏への)同情の様子を見せたら、誰か咎めだてすることがあるかも」とばかり、一途に思いを我慢して、愛情をもあまり知らないふりをして、そっけない態度をとっていた。「こんなにつらい世間の噂だが、源氏のことについては噂されずに終わった。源氏の態度も、恋心の赴くままにまかせず、無難に隠し通せたのだ」。源氏のことをしみじみと恋しく思い出す。
この部分の記述で、
藤壺の宮の、光源氏への愛が伝わってきます。
おそらく藤壺の宮は入内した時から
ずっと光源氏のことを愛していたのだと思います。
しかし、桐壺院の妃という身分を
藤壺の宮は強く自覚しており、
光源氏を拒絶したのでしょう。
藤壺の宮は
桐壺院の妃として
冷泉帝の母として
秘密を守り、罪を隠し、強く生き抜いたのでした。
光源氏と藤壺の別れ【藤壺の死】
藤壺の宮は、「薄雲」の巻において
37歳で死去しました。
何か月の調子の悪い状態が続いていたのに、
仏道のお勤めを怠らずに行ったため、
さらに病状が悪化してしまったのです。
果物さえ食べられないくらいに
衰弱してしまい、ついには
灯火が消えるようにして亡くなってしまったのです。
藤壺の宮は、光源氏にとって
初恋の人であり、ただ一人の理想の女性でした。
自らの行動力の源泉のような
存在を失ってしまった光源氏の
悲しみは深く、
念誦堂にこもって泣き暮らしたのでした。
ちょうど桜の咲いている時期に
亡くなったので、光源氏は
「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染に咲け」
【意味】
深草の野辺の桜よ。心があるならば、亡くなった大臣への弔意を示して、今年くらいは墨色に咲け。
という有名な和歌を引用して、
「今年ばかりは」と一人口ずさんでいたのです。
源氏物語の現代語訳をまだ読んでいない方は、
こちらの記事を参考にしてチャレンジしてみてください!
Q&A
光源氏と藤壺の宮の出逢いの様子は?
光源氏と藤壺の宮の出逢いは、
源氏物語「桐壺」の巻に描かれています。
藤壺14~15歳、
光源氏9~10歳の頃に出会いました。
光源氏はまだ子どもだったので、
父・桐壺帝に従って
どの女御(妃)の部屋にもついていっていました。
桐壺帝が頻繁に通うのは
藤壺の宮のもとだったので、
自然と光源氏は藤壺の宮の姿を見ることになり、
恋心を抱くようになっていったのです。
光源氏と藤壺の宮の子供の名前は?
光源氏と藤壺の宮の間の子どもは、
最初は「春宮(東宮)」と呼ばれており、
のちに即位して「主上」などと呼ばれます。
一般的には「冷泉帝」と呼ばれています。
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