相関図と性格
生霊・死霊として憑依した人物一覧
生涯とエピソード
光源氏との年齢差の謎
「メンヘラ、かわいそう」と言われる
六条御息所の生涯や性格を
徹底解説していきます!
六条御息所の読み方は、
ろくじょうのみやすんどころ
ろくじょうのみやすどころ
です。
一般的には
「ろくじょうのみやすどころ」と
呼ばれることが多いです。
六条御息所ってどんな人?性格と家系図
まず最初に
六条御息所の周辺の相関図と
性格を説明しますね。
相関図と 光源氏との関係
六条御息所は
16歳で皇太子妃になりますが、
20歳の若さで夫に先立たれた未亡人です。
簡単な相関図はこちらです。
全体の相関図は、
こちらの図を参考にしてください。
※スペースの都合で、光源氏との
恋人関係がつなげていません…。
六条御息所:前の東宮の后。
身分・教養・美貌、申し分ない女性。
東宮が亡くなってしまい、未亡人となった。
前の東宮:詳細は不明だが、
桐壺帝の弟とされている。
秋好中宮:六条御息所と前東宮の娘。
六条御息所の死後、光源氏の養女と
なり、冷泉帝の后となる。
葵の上:光源氏の正妻。
六条御息所と「車争い」という
トラブルを起こし、恨みをかう。
前の東宮は、桐壺帝の同腹の弟です。
桐壺帝は光源氏の父ですから、
六条御息所は光源氏にとって叔父(おじ)の妻、
叔母(おば)ということになりますね。
夫の前東宮が亡くなってからは、
都の南の六条に
娘(後の秋好中宮)と一緒に
住んでいました。
性格
六条御息所の性格を
簡単に表現すると…
- 気高く気品がある
- プライドが高い
- 物事を思い詰める
詳しく説明していきますね。
気高く教養があり、上品
六条御息所は、
東宮の妻だったので、
本来なら天皇の妻になっていた人です。
教養が高く、上品で、
趣味が洗練された貴婦人として
貴族の間で評判となっていました。
殿上人の文学好きな青年が複数人、
六条御息所のもとに集い、
文学サロンを形成していたのです。
美貌も気品も教養も、
全くもって非の打ち所がない女性で、
光源氏も最初は惹かれ、熱心にアプローチ
したようです。
プライドが高く、物事を思い詰める性格
光源氏は交際を続けるうちに
六条御息所の
プライドが高く物事を強く思いこむ性格が
堅苦しく、重苦しく感じられ、
段々と通わなくなっていったのです。
六条御息所はプライドが高すぎて、
光源氏に本妻がいたり、
他にも恋人がいることが気に入りませんでした。
待っている孤独な時間に、
あれこれ考えて悩み、煩悶していました。
その気持ちを逢瀬の際に光源氏にぶつけ、
六条御息所は源氏に避けられるようになっていったのです…。
六条御息所は、
上品で教養のある貴女だったが
プライドが高く、物事を思い詰める性格で
光源氏に嫌われてしまった。
容姿
六条御息所は、美しい女性であったと想像されます。
光源氏が一時期ハマっていた時期があるし、
前東宮からも深く愛されていたからです。
では、具体的にどのように
その美しさが記載されているかというと、
六条御息所の容姿についてはほとんど書かれていないのです。
しいていえば、
亡くなる直前の六条御息所の尼姿でしょうか。
【源氏物語 原文】
源氏物語「澪標」の巻より引用
御髪いとをかしげにはなやかにそぎて、寄りゐたまへる、 絵に描きたらむさまして、いみじうあはれなり。
【現代語訳】
お髪がとても美しくくっきりと尼削ぎにして、寄り伏していらっしゃる。その様子は、絵に描いたようで、とてもしみじみと胸を打つ。
髪を肩のあたりで切りそろえて
物に寄りかかっている様子が、
絵のように美しいと言っています。
六条御息所の容姿に言及している記述は
これ以外見当たりません。
いいえ、源氏物語では
美人の容姿は詳しく語られない
という特徴があります。
それに、六条御息所の住まいには
多くの風流好きの文学青年が訪ねていく
という記載もあり、
美人でモテていた様子がわかりますね。
六条御息所は美人だったと想像されるが、
はっきりと容姿に言及した記載は
原文中には無い。
しかし周りの対応や、娘の容姿から
六条御息所は相当の美人だったと考えられる。
ちなみに、
六条御息所は明石の君と雰囲気が似ていたそうです。
身分
六条御息所は、大臣の娘だったので、
たいへん高い身分の女性でした。
将来は中宮の地位につけたいと、
父大臣は六条御息所を東宮の後宮に
入内させましたが、東宮の死去により
父大臣の願いはかなわなかったのです。
光源氏の父・桐壺帝も
「六条御息所を軽々しく扱うな」と
源氏に注意していますし、
正妻・葵の上が亡くなった後は、
光源氏と六条御息所が正式に結婚すると
世間は思っていたとの記載もあります。
ただ、六条御息所の父大臣が現在、
大臣の地位についていないところを見ると、
政治的に敗北してしまったと推測されます。
六条御息所は生霊となり葵の上、夕顔にとりついた?
六条御息所は
物語中で4人の女性にとりつきます。
生霊としてだけでなく、
亡くなってからは死霊として
女君を襲いました。
最初は光源氏から言い寄った恋でしたが、
いつしか六条御息所のほうが
光源氏を強く想うようになっていきました。
プライドの高い六条御息所は、
光源氏が自分に素っ気なくなり、
自分の所に通わなくなっていったことに
非常に苦しんでいたのです。
その強い煩悶は、
光源氏の恋人や妻に矛先を向け、
六条御息所の魂を生霊に変えてしまうのです。
夕顔(六条御息所の生霊がとりつく)
六条御息所はまず、
光源氏の恋人・夕顔にとりつきます。
夕顔は儚げな魅力の美人で、
光源氏は夢中になって通っていました。
ある日、「なにがしの院」という
荒れ果てた屋敷に
夕顔を連れ込んだところ、
夜10時頃に夕顔が物の怪に襲われます。
枕元に座った美しい女は、
次のように語り、夕顔に手を伸ばします。
【源氏物語 原文】
「夕顔」の巻
己がいとめでたしと見たてまつるをば、尋ね思ほさで、かく、ことなることなき人を率ておはして、時めかしたまふこそ、いとめざましくつらけれ。
【現代語訳】
私はあなたをとて愛しているのに、お訪ねもなさらず、このような、平凡な女を可愛がっていらしゃるのは、あまりにひどいです。
この直前に
光源氏が六条御息所の気位の高さを
疎ましく思う記載が伏線としてあるので、
この物の怪は六条御息所と考えるのが自然です。
夕顔は怖がって震えていましたが、
光源氏が人を呼んで寝室に戻ってくると、
もう亡くなっていました。
六条御息所の生霊に
とりつかれて息をひきとったと
いう解釈が一般的です。
葵の上(六条御息所の生霊がとりつく)
さらに六条御息所は
光源氏の最初の正妻、葵の上にも
とりつきます。
「葵」の巻にて、
「車争い」という有名な事件が起きます。
弘徽殿大后の娘が
新斎院に決定したときに、
神事として御禊(みそぎ)の行列が
開催されました。
行列には光源氏も加わっていました。
その行列の見物に
六条御息所と妊娠中の葵の上
どちらも参加していたのですが、
お互いの従者が口論となってしまいました。
ついには葵の上の車が、
六条御息所の車を追いやってしまい、
六条御息所は行列が
何も見えなくなってしまったのです。
この出来事が、
六条御息所のプライドをへし折り、
光源氏の正妻・葵の上への
嫉妬心や憎悪を燃え上がらせてしまったのです。
【源氏物語 原文】
はかなきことの折に、人の思ひ消ち、なきものに もてなすさまなりし御禊の後、ひとふしに 思し浮かれにし心、鎮まりがたう思さるるけにや、すこしうちまどろみたまふ夢には、 かの姫君とおぼしき人の、 いときよらにてある所に 行きて、とかく引きまさぐり、うつつにも似ず、 たけくいかきひたぶる心出で来て、うちかなぐるなど 見えたまふこと、度かさなりにけり。【現代語訳】
「葵」の巻
ちょっとしたことだが、相手が無視し、蔑ろにしたあの御禊の後に、抜け出るようになった魂は、鎮まりそうもなく思われる。少しうとうととなさる夢には、あの姫君(葵の上)と思われる人のところに行って、あちこち引き掻き廻し、普段とは違い、激しい乱暴な心が出てきて、荒々しく殴る自分の様子が見える。そういうことが度重なった。
六条御息所は、
夢の中で葵の上に暴力をふるうほど
強い嫉妬心に悩まされていました。
その気持ちは、
ついに生霊となって葵の上を襲います。
六条御息所の生霊は
葵の上の口を借りて、
以下のように光源氏に語ります。
【源氏物語 原文】
「葵」の巻
身の上のいと苦しきを、しばしやすめたまへと聞こえむとてなむ。かく参り来むともさらに思はぬを、もの思ふ人の魂は、げにあくがるるものになむありける。
【現代語訳】
身体がとても苦しいので、祈祷を少し休止して下さいと言おうと思って。このように参上しようとはまったく思わないのに、悩んでいる人の魂は、なるほど体から抜け出るものだったんですね。
そう言う紫の上の顔は、
六条御息所にそっくりでした。
夢から目が覚めた六条御息所は、
自身の衣服から護摩の香り
がついていることに気づき、
自らが生霊となっていたことを自覚するのです。
葵の上は、
息子の夕霧を産んだ後に亡くなってしまいます。
紫の上(六条御息所の死霊がとりつく)
六条御息所は、
光源氏の最愛の女性・紫の上にも
とりつきます。
若菜下の巻にて、
紫の上は胸の病にかかります。
病状が悪くなり、一時絶命しますが、
物の怪が小さい子供に乗り移ると同時に
紫の上は蘇生します。
子供に乗り移った物の怪は、
以下のように語るのです。
【源氏物語 原文】
「若菜下」の巻
人は皆去りね。院一所の御耳に聞こえむ。おのれを月ごろ調じわびさせたまふが、情けなくつらければ、 同じくは思し知らせむと思ひつれど、さすがに 命も堪ふまじく、身を砕きて思し惑ふを見たてまつれば、 今こそ、かくいみじき身を受けたれ、 いにしへの心の残りてこそ、かくまでも参り来たるなれば、ものの心苦しさをえ見過ぐさで、つひに現はれぬること。さらに知られじと思ひつるものを。
【現代語訳】
他の人は皆出て行って。光源氏一人に申し上げたい。自分を数か月も祈祷で困らせるのが薄情で辛いので、思い知らせようと思ったが、あなたが(紫の上の死を)命が耐えられないほど、悲しみ嘆いていらっしゃるご様子を拝見すると、このような惨めな姿に変わっているが、昔の愛情が残っているからこそ、このように参上したのです。あなたの可哀想な様子を放って置くことができなくて、とうとう私は現れてしまったのです。知られたくなかったのですが。
そして、子供の顔は、
六条御息所そっくりになっていました。
六条御息所はさらに、
自分の娘を中宮にしてもらったことへの
お礼は言いつつ、
光源氏が紫の上との会話で
自分のことを悪く言ったことを
恨んでいると話します。
「若菜下」の巻中で、
光源氏は紫の上に、
「六条御息所は教養がある才女だが、
恋人としては扱いづらかった」
と悪口を言っています。
そして、
【源氏物語 原文】
「若菜下」の巻
中宮にも、このよしを伝へ聞こえたまへ。ゆめ御宮仕へのほどに、人ときしろひ嫉む心つかひたまふな。
【現代語訳】
中宮にも、この旨を伝え申し上げて下さい。決して御宮仕え中に、他人と争ったり嫉妬したりする気持ちをお持ちになってはいけません。
自分の娘に
「嫉妬をするな」という忠告を残して
祈祷の力でおさえこまれてしまうのでした。
女三の宮(六条御息所の死霊がとりつく)
最後に、六条御息所は
光源氏の二番目の正妻・女三の宮に
とりつきます。
「柏木」の巻にて、
女三の宮は、不倫の末に
柏木との間の子ども(薫)を
出産した後、出家してしまいます。
剃髪を終えた後、
僧が祈祷をしているときに
物の怪が人にうつり、次のように
語ります。
【源氏物語 原文】
「柏木」の巻
かうぞあるよ。いとかしこう取り返しつと、 一人をば思したりしが、いとねたかりしかば、このわたりに、さりげなくてなむ、日ごろさぶらひつる。今は帰りなむ。
【現代語訳】
ほらごらん。紫の上を上手く取り返したと、お思いになっていたのが、たいへん悔しかったので、この辺りに、気づかれないように、ずっと私は居たのです。今はもう帰りますよ。
六条御息所は、
紫の上にとりついた後に、
女三の宮にとりつき、その体を衰弱させ
出家に追い込んだのです。
六条御息所の生霊と死霊:まとめ
六条御息所の生霊にとりつかれたのは、
- 夕顔
- 葵の上
六条御息所の死後、
彼女の死霊にとりつかれたのは
- 紫の上
- 女三の宮
です。
葵の上と女三の宮は正妻。
紫の上は光源氏に最も愛された正妻格。
それに対して夕顔は
光源氏にとってかりそめの恋の相手でした。
六条御息所は かわいそう?メンヘラって本当?
六条御息所はメンヘラで、可哀想だ
という感想を持つ人も多いです。
六条御息所はメンヘラ?
そもそもメンヘラって
どういう意味なのでしょうか?
六条御息所は、上記で説明したように
光源氏の恋人・夕顔と
光源氏の正妻・葵の上に
生霊として憑依してしまいます。
教養が深くてプライドが高いばかりに、
一度心が傷つくと、
相手に強い嫉妬を抱いてしまい、
その魂が体から抜け出てしまうのです。
そういう意味で、
六条御息所は精神的に闇を抱えており、
メンヘラであると言えるかも知れません。
ただし、六条御息所は
生霊になっている時以外は
煩悶しながらも非常に冷静です。
周囲に八つ当たりすることもなく、
静かに思い詰めるのが彼女の性格の特徴です。
六条御息所は教養があり冷静で
物事を思い詰める性格。
その反面、強すぎる情念により
魂が体を離れて、光源氏の大切な人に
憑依して苦しませる。
六条御息所はかわいそう?
六条御息所は
東宮妃となりながらも
若くして未亡人となります。
そのプライドの高さから
愛した恋人(光源氏)からも
敬遠され、大切にされず、
光源氏の妻や恋人を恨み続ける人生でした。
ただし、彼女の娘は、冷泉帝の妻として入内し、
秋好中宮として幸せに暮らします。
光源氏の後見により
娘が幸せになったことは
六条御息所の魂を唯一、救済したことでしょう。
六条御息所の登場巻とあらすじ
巻名とあらすじ、
六条御息所と光源氏の年齢を
表にまとめました。
巻名 | あらすじ | 六条御息所の年齢 | 光源氏の年齢 |
---|---|---|---|
夕顔 | 六条御息所初登場。光源氏の心が遠のいている様子。 夕顔に憑依する。 | 24歳 | 17歳 |
葵 | 六条御息所と葵の上、車争い。 嫉妬心に煩悶し、葵の上に憑依する。 | 29歳 | 22歳 |
賢木 | 六条御息所、娘とともに伊勢に下る。 光源氏と別れの挨拶をする。 | 30歳 | 23歳 |
澪標 | 六条御息所と娘、京に帰ってくる。 娘の後見役を光源氏に依頼する。 六条御息所、死去。 | 37歳 | 29歳 |
若菜下 | 死霊として紫の上にとりつく。 | 死後 | 45歳 |
柏木 | 死霊として女三の宮にとりつく。 | 死後 | 48歳 |
六条御息所は「夕顔」巻にて
初登場します。
光源氏との出会いについて
書かれた巻はありません。
源氏物語全体のあらすじは、
こちらの記事で紹介しています。
六条御息所と光源氏の年齢差
六条御息所と光源氏の年齢差は、
7歳差とするのが通説です。
賢木の巻で、
「16歳で東宮妃となり、20歳で先立たれた。現在は30歳」
という記載があるからです。
ところが、この年齢差は
桐壺の巻にある記述と矛盾します。
14年前は、
光源氏の異母弟(後の朱雀帝)が
既に東宮になっていた時期なのです。
桐壺の巻には、
皇位は光源氏と後の朱雀帝との
間で争われていたと書いてありますから、
年齢の設定がおかしいのです。
この矛盾については様々に論争されていますが、
紫式部の設定ミスと考えられています。
Q&A
六条御息所は最後どうなった?
六条御息所は「澪標」の巻にて亡くなります。
どのような病気かは詳しく書かれていませんが、
突然、重病にかかって、
光源氏に娘の後見役をお願いした後に
息をひきとります。
六条御息所と光源氏の関係は?
六条御息所は光源氏にとって
亡き叔父の妻、つまり叔母でした。
それでいて、恋人関係でもありました。
しかし、
六条御息所のプライドが高く
物事を思い詰める性格が疎ましくなり
光源氏は彼女を避けるようになります。
六条御息所は誰の妻ですか?
六条御息所は、亡くなった東宮の妻でした。
つまり前の東宮の未亡人です。
それ以降は光源氏と恋仲になりましたが、
正式に結婚はしていません。
六条御息所のモデルは誰?
平安時代の斎王「徽子女王(よしこじょおう)」
が六条御息所のモデルとなったと言われています。
8歳で斎王となり、母親が急死するまで
11年間斎王を勤めました。
その後は村上天皇のもとに入内し、
娘の規子内親王が生まれます。
規子内親王が斎王に決まると、
母の徽子女王と一緒に伊勢に下向していきました。
母娘が一緒に伊勢に下るというエピソードが、
六条御息所、秋好中宮と同じですね。
映画で六条御息所を演じた女優は誰?
2001年に公開された
「千年の恋 ひかる源氏物語」では、
竹下景子さんが六条御息所としてキャスティング
されました。
2011年に公開された
「源氏物語 千年の謎」では、
田中麗奈さんが六条御息所を演じました。
葵の上はなぜ死んだのか?
葵の上は、息子の夕霧を出産した後に
胸が苦しくなって亡くなってしまいます。
出産前には六条御息所が葵の上に
とりついている様子が語られているので、
六条御息所の生霊により
葵の上は亡くなったと解釈することもできます。
この記事では、
六条御息所の生涯や性格などを
詳しく解説しました。
まだ現代語訳にチャレンジしていない方は、
ぜひ読んでみてくださいね。
わかりやすい現代語訳はこちらの記事で
紹介しています。