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撫子
このサイトの管理人
30代後半の主婦。
高校生の頃から源氏物語に興味を持ち始めました。大学では源氏物語を研究し、日本語日本文学科を首席卒業しました。
30代になり、源氏物語を改めて学びなおしています。
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桐壺の更衣とはどんな人物だった?死因や性格、身分を解説!いじめの内容や光源氏との関係についても説明しました。

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桐壺の更衣ってどんな人物?死因、容姿、性格、身分など詳しく解説。いじめの内容も。

源氏物語 初心者
桐壺の更衣ってどんな人だったの?詳しく教えて!


桐壺の更衣は、
桐壺帝から最も愛された
妃であり、光源氏の母親です。

筆者
光源氏が幼い頃に亡くなってしまうため、「源氏物語」の桐壺の巻にしか登場しません。


しかし、物語冒頭に登場する美女ゆえに
読者に大きなインパクトを残します。

この記事では、桐壺の更衣とは
どんな人物だったのか、詳しくわかりやすく
解説していきます。

この記事でわかること

【源氏物語 桐壺の更衣の人物像】
・容姿、性格、身分、年齢、死因
・人間関係と相関図
・いじめの内容と首謀者
・光源氏との関係について
・桐壺の更衣が帝から愛された理由


この記事を読むことで、
桐壺の更衣がどんな人物だったか
よくわかります。

ぜひ最後までお付き合いください😊

目次

桐壺の更衣はどんな人物?容姿・性格・身分・年齢を紹介!

桐壺の更衣の人物像について、
詳しく掘り下げていきましょう。

まずはの桐壺の更衣の相関図と
周辺の人間関係について説明していきますね。

桐壺の更衣の家系図と人間関係

以下は、
桐壺の更衣の周辺にクローズアップした
家系図です。

桐壺の更衣 周辺の相関図
桐壺の更衣 周辺の相関図

源氏物語全体の相関図は、
下記を参考にしてください。

タップして拡大します

桐壺の更衣:亡き按察使大納言の娘。
桐壺帝のもとに入内し、寵愛を受ける。
光源氏の母。光源氏が3歳の頃に死去。

按察使大納言:桐壺の更衣の父親。
亡くなる間際に、娘の入内を実現するよう
遺言を残した。

北の方:桐壺の更衣の母親。
古い家柄の生まれで教養のある女性。

桐壺帝:天皇陛下。
何人もの后がいる中で桐壺の更衣を
格別に愛する。

弘徽殿女御:桐壺帝の后の一人。
父親が右大臣で後ろ盾が強い。
気が強くトゲトゲした性格。
生まれた皇子は後に朱雀帝となる。

光源氏:桐壺帝と桐壺更衣の皇子。
「源氏物語」の主人公。

朱雀帝:桐壺帝と弘徽殿女御の皇子。
光源氏とは腹違いの兄弟関係。

藤壺の宮:先帝の内親王。
桐壺の更衣と顔がそっくり。
桐壺の更衣亡き後に、入内する。

注目すべき点は、
桐壺の更衣と藤壺の宮の顔が
非常によく似ていたということです。


桐壺の更衣は光源氏が3歳の頃に
病気で亡くなってしまいます。

桐壺の更衣の死を
深く悲しんだ桐壺帝は、
桐壺の更衣に顔がそっくりな
藤壺の宮を女御として入内させ、寵愛するのです。

筆者
桐壺帝は、自らの悲しみを癒すために、桐壺の更衣の代わりとして藤壺の宮を愛したのです。


源氏物語 初心者
桐壺の更衣と藤壺の宮はそっくりって言うけど、親戚だったの?


筆者
いいえ、2人は親戚ではありません。偶然、顔が似ていたのです。


そして、「源氏物語」の主人公である
光源氏は、実母(桐壺の更衣)に顔が似ている
義母・藤壺の宮に禁断の恋をします。

「源氏物語」とは、
光源氏が幼い頃に亡くなった
実母の面影を求め、
実母によく似た藤壺の宮に
叶わぬ恋をしつつ
多くの恋愛遍歴を重ねる物語です。

藤壺の宮については、
こちらの記事で詳しく解説しました。

桐壺の更衣の容姿

源氏物語 初心者
桐壺の更衣って美人だったの?


桐壺の更衣は、
はかなげで、可愛らしい雰囲気の
美人でした。

【原文】 
いとにほひやかにうつくしげなる人

【現代語訳】
たいへん華やかに可愛らしい人。

源氏物語「桐壺」の巻より引用
筆者
「うつくし」という古語は、「可愛らしい」という意味で使われます。
源氏物語図屏風「桐壺」 光源氏を抱く桐壺の更衣
源氏物語図屏風「桐壺」 光源氏を抱く桐壺の更衣

色っぽい美しさというよりは、
男が守ってあげたくなるような
可憐な女性だったのです。

河内本系諸本の「源氏物語」には、
以下のような記載があります。

【原文】 
なつかしうらうたげなりしありさまは、をみなへしの風になひきたるよりもなよひて、なてしこの露にぬれたるよりもらうたくなつかしかりしかたちけはひを

【現代語訳】
(桐壺の更衣の)慕わしさがあって愛らしい姿は、女郎花が風になびく様子よりもしなやかで、撫子が露に濡れているよりも愛らしく親しみが持てる容貌

源氏物語 河内本系「桐壺」の巻より引用

桐壺の更衣は、
女郎花や撫子の花にたとえられるほど、
可愛らしい容貌をしていました。

女郎花(おみなえし)
女郎花(おみなえし)
撫子(なでしこ)
撫子(なでしこ)

源氏物語 初心者
女郎花も撫子も、派手ではないけど、可愛いお花だね。


また、桐壺の更衣は病気になって
「よりいっそう弱々しくなった」と
書かれています。

【原文】
まみなどもいとたゆげにて、いとどなよなよと、

【現代語訳】
まぶたがとてもだるそうで、常よりいっそう弱々しい様子で、

源氏物語「桐壺」の巻より引用

普段からなよなよと儚げな様子だったことがわかりますね。

源氏物語 初心者
元気系の美女ではなく、病弱な美女だったんだね。


漫画「あさきゆめみし」でも、
桐壺の更衣は儚げで可愛らしい感じの
美人として描かれています。

桐壺の更衣の性格

源氏物語 初心者
桐壺の更衣は、性格はどんなだったの?


桐壺の更衣は、
おとなしくて従順な性格
でした。


桐壺の更衣は、
他の女御や更衣に嫉妬され、
さまざまないじめを受けますが、
反撃したり抗議したりはしませんでした。

【原文】
事にふれて数知らず苦しきことのみまされば、いといたう思ひわびたるを

【現代語訳】
何かにつけて多くの辛いことばかりが増えていくので、ひどく思い悩んでいるのを

源氏物語「桐壺」の巻より引用
筆者
ただひたすらに、いじめの苦しみに思い悩んでいたのです😭
生まれたばかりの光源氏を抱く桐壺の更衣 狩野山雪「源氏物語図屏風」
生まれたばかりの光源氏を抱く桐壺の更衣 狩野山雪「源氏物語図屏風」

また、桐壺の更衣は桐壺帝に対して
とても従順でした。

桐壺の更衣は帝の側用をつとめるほど
軽い身分ではなかったのに、
桐壺帝に愛されすぎて
身分の低い女房のように

いつも側に置いておかれたのです。

桐壺の更衣は、
プライドの高い女性では
ありませんでした。
強い意志や自己主張はなく、
帝に対しておっとりと従うタイプでした。

桐壺の更衣の容貌や人柄は、
光源氏が17歳の夏に恋に落ちる
夕顔によく似ていますね。

光源氏は、自分でも不思議に思うくらい
儚くおっとりした夕顔にぞっこんになります。

光源氏はマザコンですから、
実母に似ている夕顔を、無意識に
愛してしまったのでしょうね。

桐壺の更衣の身分

源氏物語 初心者
桐壺の更衣って身分の低い人だったの?


桐壺の更衣の父親は、
按察使大納言であり、上流貴族でした。


母親も古い家柄出身の人であり、
桐壺の更衣はかなり高貴な姫君だったのです。

按察使大納言とは、
按察(按察使)と大納言を兼務する官職名です。

按察(按察使)
地方行政を監督する令外官。

大納言
太政官の官職の一つで大臣に次ぐ立場。
官位相当は正三位。

なぜ桐壺の更衣は女御ではなかったか?

源氏物語 初心者
身分の高い姫君は女御になるんでしょ?なぜ桐壺の更衣は大納言の娘なのに更衣なの?


天皇の后は、女御・更衣に大別されましたが、
その区分けは身分の高さによります。

スクロールできます
后の区分身分の高さ
女御大臣家や皇族の娘。
更衣大納言以下の娘。
女御・更衣の区分

原則として女御は大臣や皇族の娘など
非常に身分の高い娘がなるものでした。

桐壺の更衣の父は按察使大納言だったので、
更衣として入内したのです。


さらに、父が既に亡くなっており、
後ろ盾がないため、周囲からは軽んじられていました。

弘徽殿女御は
父親が右大臣だったので、
一段高い身分として女御でした。

桐壺帝は、桐壺の更衣を愛するあまり、
女御に昇格させることを考えていましたが、
実現しないまま桐壺の更衣は亡くなってしまいました。

桐壺の更衣の年齢

桐壺の更衣の年齢は不明です。

ただ、桐壺の更衣亡き後に、
藤壺の宮は14歳もしくは15歳にて
入内しています。

史実としては、
紫式部と同時代を生きた
藤原定子も数え14歳で女御として
一条天皇に入内しています。

当時は10代半ばで入内することが
多かったので、
桐壺の更衣も、入内して光源氏を出産した
時の年齢は10代半ばが想定されていると考えられます。

筆者
光源氏が3歳の頃に亡くなったので、亡くなった年齢もまだ10代だったかも知れませんね。


源氏物語 初心者
そんなに若くして亡くなったの?かわいそう…。


桐壺の更衣の死因は何だった?

源氏物語 初心者
桐壺の更衣はどうして亡くなったの?病気?


桐壺の更衣は、
他の女御・更衣からの嫉妬といじめにより
病気がちとなり、ついに亡くなってしまいます。

【原文】
人の心をのみ動かし、 恨みを負ふ積もり にやありけむ、いと 篤(あつ)しくなりゆき、もの心細げに里がちなるを

【現代語訳】
他の妃たちの気持ちを不快にさせ、嫉妬を受けることが積もりに積もったせいか、たいへん病気がちになってゆき、何となく心細く里に下がっていることが多いのを

源氏物語「桐壺」の巻より引用

桐壺の更衣は、
精神的に強い女性ではありませんでした。

周囲からの嫉妬のこもった陰口などに
大きなストレスを感じ、免疫力が低下して
病気になりやすい状態になっていたのでしょう。

さらに、桐壺の更衣は陰口以外に
直接的ないじめも受けており、
心身に大きなダメージが積もっていきました。

筆者
ストレス性の病気は少しずつ体をむしばみ、桐壺の更衣は亡くなってしまいました。


亡くなる直前の桐壺の更衣は、
ひどく顔がやつれて、目もだるそうで、
息も絶え絶えな様子で臥せっていました。



桐壺の更衣いじめの内容

源氏物語 初心者
桐壺の更衣はどんないじめを受けていたの?


桐壺の更衣は、
弘徽殿女御をはじめとする
后たちに陰湿ないじめ被害を受けていました。

通路に汚物をばらまく

桐壺の更衣は、帝から深い寵愛を受けており、
毎晩のように帝から呼ばれていました。

桐壺の更衣が局としている部屋「桐壺」は、
後宮の隅にありました。

天皇の住む清涼殿からは遠く、
帝からの呼び出しがあった場合、
長い渡殿や打橋などの通路を歩く必要がありました。

清涼殿と桐壺
平安京内裏図
清涼殿と桐壺は遠く離れていた

通り道になっている局の后たちは、
桐壺の更衣に嫉妬して、通路に汚物をまき、
本人やお付きの女房の着物の裾を汚し、
帝への参上を妨害したのです。

源氏物語 初心者
最低!着物のすそが汚れたら、臭いし、帝のところに行けないじゃん。

通路の戸に鍵をさして閉じ込める

また、桐壺の更衣の清涼殿への参上を邪魔
するために、通路となっている
馬道の戸に鍵をさして、
行くことも進むこともできない状態で
閉じ込めてしまうこともありました。

馬道(めどう)とは、
内裏の殿舎の中を貫いている、
板敷きの長廊下のことです。

いじめの首謀者は弘徽殿女御?

桐壺の更衣いじめの首謀者は
弘徽殿女御であった可能性が高いです。

根拠①

弘徽殿女御は、
桐壺の更衣が死去した後に
帝が深く悲しんでいるのを知って
次のような言葉を吐いているのです。

【源氏物語 原文】
「 亡きあとまで、人の胸あくまじかりける人の御おぼえかな」

【現代語訳】
「亡くなった後まで、人の気を悪くする帝の御寵愛ぶりね」

源氏物語「桐壺」の巻より引用

弘徽殿女御はとても気の強い女性であり、
桐壺の更衣の死を悲しみ悼む気持ちが
全くなかったことが読み取れますね。

証拠②

帝が悲しみに沈んでいる一方で、
弘徽殿女御は、優雅に月見をしながら
音楽を楽しんでいました。

筆者
周りの女房もハラハラしていました。


弘徽殿女御の自分中心で
冷たい性格がよく分かりますね。

証拠③

桐壺の更衣が馬道に閉じ込められた
と先述しましたが、
弘徽殿には中央東西に馬道が通っていたことが
明らかになっています。

桐壺の更衣は、
弘徽殿の馬道で閉じ込められた可能性が高いです。

これらの状況から推測するに、
いじめの中心人物は弘徽殿女御だった可能性が高いです。

桐壺の更衣と光源氏の関係について(母子関係)

桐壺の更衣と光源氏は、
実の母子の関係でした。

しかし、光源氏と桐壺の更衣は
3歳の頃に死別しており、
光源氏は母の顔をまったく覚えていません。

幼い頃の光源氏が、
母のように慕っていたのは藤壺の宮です。

藤壺の宮は桐壺の更衣亡き後に
桐壺帝のもとに入内しました。
光源氏にとっては義母のような存在です。

住吉具慶「源氏物語絵巻 賢木」
住吉具慶「源氏物語絵巻 賢木」

光源氏は、女房に
「藤壺の宮と桐壺の更衣は大変よく似ている」
と聞いて、藤壺の宮に実母の姿を想像して
見るようになったのです。

そして、光源氏は、
藤壺の宮に女性としての魅力を

感じるようになり、
禁断の恋に落ちていくのです…。

桐壺の更衣はなぜ桐壺帝に愛されたのか?

桐壺の更衣は、たくさんの后がいた中で、
桐壺帝から特別な寵愛を得ていました。

桐壺の更衣と帝は、
中国の楊貴妃と玄宗皇帝の関係に
喩えられるほどでした。

楊貴妃(719年生-756年没)は
中国唐代玄宗皇帝の后であり
深い寵愛を得ていた。

しかし楊貴妃に気に入られて
権力を持った安禄山が反乱を起こし、
洛陽が陥落。
楊貴妃は自らの命を絶ち、
玄宗皇帝は軟禁状態で生涯を終えた。

「楊貴妃図」高久靄厓筆 
「楊貴妃図」高久靄厓筆 

帝の過剰な寵愛により、
楊貴妃の例のように
国が乱れるのではないか?と
周囲は心配していたのです。

源氏物語 初心者
なぜ、桐壺の更衣はそこまで帝から愛されたの?

容姿の美しさと嗜みの深さ

桐壺の更衣は、先述したように、
花のように美しく可憐な女性でした。

⇒桐壺の更衣の容姿

さらに、母君が古い家柄の教養のある人
だったため、桐壺の更衣は、
琴や和歌などの嗜みも深かったことでしょう。

帝は美しく趣味も良い、
桐壺の更衣に夢中になってしまったのです。

歌川広重「源氏物語54帖 桐壺」

守ってあげたくなる弱々しさ

桐壺の更衣は、
単に容貌がよくて趣味が良いだけでなく、
男が守ってあげたくなるような
弱々しい女性
でした。

嫉妬した他の后からの陰口やいじめに
耐えられず、実家に下がっていたこともあります。

桐壺帝は、可憐で気が弱い桐壺の更衣を
可哀想に思い、ますます寵愛が深まっていったのです。


弘徽殿女御のように、
気が強くて、とげとげしい性格ならば
どれだけ美しく教養があっても、
特別な寵愛は得られなかったでしょう。

桐壺の更衣は、
気が弱く、なよなよとして
はかなく可憐な様子で
帝の心をしっかりとらえて離さなかったのです。

桐壺の更衣のモデルは定子?

桐壺の更衣のモデルが
藤原定子だったという説があります。

定子は一条天皇に格別な寵愛を受け、
第一皇子・敦康親王を
出産しますが、敦康親王が1歳の頃に
亡くなってしまうのです。

桐壺の更衣も、帝に寵愛を受けた末、
光源氏を出産しますが、
光源氏3歳の頃に亡くなります。

定子 = 桐壺の更衣
敦康親王 = 光源氏

紫式部は、「源氏物語」の冒頭
「桐壺」巻を執筆するにあたって、
定子と敦康親王の関係が
念頭にあったかも知れません。


それでは、敦康親王が
光源氏のモデルなのか?というと
そう単純な話ではありません。

こちらの記事で詳しく説明しています。


よくある質問

桐壺の更衣の呼び名の根拠は?

「源氏物語」の原文中では、
「桐壺の更衣」と呼ばれている箇所はありません。
「御息所」「女」などの呼称で呼ばれています。

「桐壺の更衣」というのは後世の人がつけた呼び名です。
「桐壺」の局としており、后としての位が
「更衣」であったことから「桐壺の更衣」と呼ばれるようになりました。

桐壺の更衣はなぜ桐壺に住んでいたのか?

桐壺は、帝が生活している清涼殿から
遠い場所にあります。

平安京 内裏図


逆に弘徽殿や藤壺は、清涼殿に
直結した場所にあります。

清涼殿からの近さは、
后の身分のランクを表しています。


桐壺の更衣の父は按察使大納言。
大臣ではなかった上に、
既に亡くなっていました。

桐壺の更衣は後ろ盾が強くないので
后としてのランクは低く、
清涼殿から遠い「桐壺」を局としていたのです。

逆に弘徽殿女御の父は右大臣で健在でしたし、藤壺の宮の父は先帝で身分が高かったので
清涼殿に近い弘徽殿・藤壺を局としていたのです。

桐壺の更衣は実在する人物か?

いいえ、「源氏物語」自体がフィクション(作り物語)
なので、桐壺の更衣は実在する人物ではありません。

しかし、藤原定子が桐壺の更衣のモデル
だったのではないかと言われています。

この記事では、
「源氏物語」の桐壺の更衣について
詳しく解説しました。

源氏物語の現代語訳にまだ
挑戦したことがない方は、
ぜひこちらの記事を参考にチャレンジしてみてください!

当ブログでは、桐壺の更衣の他にも、
「源氏物語」の登場人物の解説をしています。

ぜひ色々読んでみてください😊

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