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撫子
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30代後半の主婦。
高校生の頃から源氏物語に興味を持ち始めました。大学では源氏物語を研究し、日本語日本文学科を首席卒業しました。
30代になり、源氏物語を改めて学びなおしています。
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平安京の内裏図と清涼殿の平面図を紹介【源氏物語の理解に役立つ!】

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平安京の内裏図と清涼殿の平面図を紹介!

この記事では、
平安京の内裏図を掲載し、
代表的な殿舎をわかりやすく解説しています。

この記事でわかること

・平安京の内裏図
・清涼殿の平面図
・源氏物語に出てくる殿舎の解説

内裏図により「源氏物語」が
より深く理解できます😊

ぜひ最後までお読みください。

目次

平安京 内裏図

平安京の内裏図
平安京の内裏図

内裏とは、天皇が居住する御殿であり、
皇居です。

  • 正殿である紫宸殿
  • 天皇の住む清涼殿
  • 後宮を形成する七殿と五舎
  • 神鏡を置く賢所
  • 入浴と斎服を着る綾綺殿
  • 宝物を収める宜陽殿
  • 武具を置く春興殿
  • 文殿ともいう校書殿
  • 薬殿ともいう安福殿

などで構成されています。

ピンクで示した建物が後宮であり、
天皇の后が生活するエリアです。

以下、詳しく各建物について説明します。



飛香舎(藤壺)

読み方:ひぎょうしゃ(ふじつぼ)

飛香舎は、南面の壺(中庭)に
藤が植えられていたので、「藤壺」と呼ばれました。

母屋は東西五間、南北二間。
西側の二間は塗籠となっています。

「源氏物語」では3人が藤壺に住みました。

  • 桐壺帝の藤壺の宮(中宮)
  • 朱雀帝の女御(藤壺の宮の異母妹)
  • 今上帝の女御

今上帝の女御は、薫と結婚した
女二の宮の母親です。

藤壺は、清涼殿に近いため、
身分の高い后が住みます。


「うつほ物語」では貴宮が入内して
藤壺に住んでいます。

弘徽殿

読み方:こきでん

飛香舎と同様に清涼殿に近いため、
身分の高い后が住みます。


南北七間、東西二間の母屋の中央に
馬道(めどう)が東西に通り、
北の母屋には塗籠があります。

「源氏物語」では、
光源氏と敵対関係にあった女性
(右大臣の娘)が住み、
「弘徽殿女御・弘徽殿大后」と呼ばれています。

筆者
弘徽殿女御は、光源氏の母・桐壺の更衣をいじめていたお妃です。

後には弘徽殿女御の妹・朧月夜も、
尚侍として弘徽殿に住みました。

朧月夜と光源氏の出会いの場所も
弘徽殿でした。

以下は「花宴」の巻にて
光源氏が弘徽殿に忍び入るときの
記述です。

【原文】
弘徽殿の細殿に立ち寄りたまへれば、三の口あきたり

【現代語訳】
(光源氏が)弘徽殿の細殿に立ち寄りなさると、三番目の戸が開いていた。

源氏物語「花宴」より引用

ここでいう細殿は西廂のことです。

光源氏は北側から3番目の
部屋の戸から細殿に入りました。

母屋に通じる「奥の枢戸(くるるど)」も
開いていて、そこにやってきた
朧月夜と恋に落ちて一夜を過ごすのです。

淑景舎(桐壺)

読み方:しげいしゃ(きりつぼ)
淑景舎は、壺(中庭)に
桐が植えられていたので、
「桐壺」と呼ばれます。

母屋は東西五間、南北二間。
南北に二舎があり、南側が正舎。
清涼殿から最も遠く、
後宮の隅に位置します。

「源氏物語」では
光源氏の母・桐壺の更衣が桐壺に住みました。
母亡き後に元服した光源氏は、
桐壺を宿直所として使用していました。

光源氏の娘、明石の姫君は
東宮に入内し、女御として桐壺に住みました。
(東宮は隣の梨壺にいたので、最も近い殿舎)

明石の姫君は入内後に
「桐壺の御方」「淑景舎」などと呼ばれています。

登花殿

読み方:とうかでん

母屋は南北七間、東西二間。

朧月夜は尚侍として朱雀帝のもとに入内し、
最初は登花殿に住んでいました。

姉の弘徽殿大后は自分の住んでいる
弘徽殿を朧月夜に譲ります。

【原文】
登花殿の埋れたりつるに、晴れ晴れしうなりて、女房なども数知らず集ひ参りて、 今めかしう花やぎたまへど、

【現代語訳】
登花殿は陰気であったが、(弘徽殿に移ってからは)晴ればれしくなって、女房などもたくさん参集して、当世風に華やかにおなりになったが

源氏物語「賢木」より引用

登花殿は清涼殿から離れているので、
「埋もれたりつる」と表現されています。

朧月夜は清涼殿に近い弘徽殿に移ったことで、
帝など人の訪れも活発になり、
華やかに晴れ晴れと生活ができたのです。

凝花舎(梅壺)

読み方:ぎょうかしゃ(うめつぼ)

南の壺(中庭)に紅白の梅が
植えられていたので、「梅壺」と呼ばれます。
母屋は南北二間、東西五間。

弘徽殿大后は桐壺院が崩御した後は、
弘徽殿から梅壺に移って生活していました。

筆者
弘徽殿を妹の朧月夜に譲った形です。


秋好中宮は、冷泉帝に入内してから
梅壺に住み、「梅壺」「梅壺の御方」
と呼ばれました。


今上帝の第二皇子であり、
匂宮の兄である二の宮も、
梅壺を御曹司(宿直所)としていました。

昭陽舎(梨壺)

読み方:しょうようしゃ(なしつぼ)

南の壺(中庭)に
梨が植えられていたので、
「梨壺」とも呼ばれます。

南北に二舎があり、南側が正舎。
母屋は東西五間、南北二間。

温陽殿の北にあるため、
女官の詰所として使われましたが、
東宮の御在所にもなりました。


村上天皇の時代には、
和歌書が置かれており、「梨壺の5人」
「後撰集」の編纂および「万葉集」に
訓点を施す作業
にあたっていました。

【梨壺の5人とは?】
 坂上望城・紀時文・大中臣能宣・清原元輔・源順

「源氏物語」では
今上帝が東宮の頃に梨壺に住んでいました。

桐壺を宿直所としていた光源氏が、
隣の壺の東宮の後見をしていたのです。

麗景殿

読み方:れいけいでん

母屋は南北七間、東西二間。

「源氏物語」では花散里の姉
桐壺帝の麗景殿女御でした。

西廂と西孫廂にて、
親王の元服や、皇女の袴着(はかまぎ)などの
儀式が行われたこともあります。

承香殿

読み方:じょうきょうでん/しょうきょうでん

母屋は東西7間、南北2間の南向きの建物。

中央を通る馬道により、
東西に分けられています。

北廂の東の片廂廊(かたびさしろう)には、
天皇の書物などを管理する
内御書所(うちのごしょどころ)があり、
「古今和歌集」もここで編纂されました。

宣耀殿

読み方:せんようでん

母屋は南北七間、東西二間。

「源氏物語」には登場しないが、
後宮として女御が住みました。

常寧殿

読み方:じょうねいでん

母屋は東西七間、南北二間。

奈良時代においては後宮の
中心的殿舎とされていましたが、
平安時代には后は弘徽殿や飛香舎など清涼殿に
近い殿舎に住まうようになっており
常寧殿は儀式的役割を担うようになりました。

五節舞姫の帳台試が行われることから、
五節殿とも呼ばれていました。

貞観殿

読み方:じょうがんでん

母屋は東西7間、南北2間。

衣服を調える御匣殿があったため
「みくしげどの」とも呼ばれていた。


御匣殿長官である御匣殿別当
女御や東宮妃に進んだ例もあります。

「源氏物語」でも、
朧月夜は尚侍になる前に
御匣殿別当になっています。

襲芳舎(雷鳴壺)

読み方:しゅうほうしゃ(かんなりのつぼ)
5間4面の殿舎。

雷が鳴ったの時に天皇がこの舎に避難して
滝口武者に弓を鳴らせたといわれており、
雷鳴壺(かんなりのつぼ)とも呼ばれています。

清涼殿

読み方:せいりょうでん/せいろうでん

天皇が日常生活をする建物。

⇒清涼殿の図面と解説。

後涼殿

読み方:こうりょうでん/こうろうでん

清涼殿に付随する建物。

⇒後涼殿の図面と解説。

紫宸殿

読み方:ししんでん

内裏の正殿になる紫宸殿は、
「南殿」「前殿」とも呼ばれていました。

九間四面の総木造り、
屋根は檜皮葺の切妻形の下に
廂屋根を持つ入母屋造
という和風造りとなっています。

母屋中央に天皇の御座になる
高御座が据えられています。

平安中期以降は、紫宸殿が
儀式・公事の中心的な場所となりました。

「源氏物語」では、
「桐壺」巻で朱雀帝の元服が行われ、
「花宴」巻は桜花の宴が催されている。

仁寿殿

読み方:じじゅうでん

紫宸殿の北側にあることから、
「後殿」とも呼ばれていました。

光孝天皇(在位:884年~887年)
の頃までは常の御殿として
使用されていたが、
平安中期、一条天皇の時代には
無人の建物になっていたようです。

相撲などの行事や
灌仏会などの仏事が行われていた。

校書殿

読み方:きょうしょでん

文書の管理を行ったり、
調度品を収めておいたりする建物。
「納殿」、「文殿」とも呼ばれました。

母屋は南北九間、東西二間で、
北と南に塗籠があります。

西廂には蔵人所、
書籍・文書を整理する校書所が置かれていました。

東廂には右近衛府の職員の詰め所である
右近陣座(うこんのじんのざ)が置かれました。

綾綺殿

読み方:りょうきでん

母屋は南北九間、東西二間。

天皇・院の一時的な居所となったり、
正月の内宴の際には舞妓の控えの間
ともなりました。

温明殿・賢所

読み方:うんめいでん・かしこどころ

温明殿の母屋は東西九間、南北四間。

後宮ではありませんが、
8世紀半ばには清和天皇の女御源厳子が
住居として使用していました。
(温明殿女御と呼ばれていた)

宇多天皇の時代には、
温明殿の南に賢所がおかれ、
三種の神器の一つの神鏡が安置されました。

大刀、節刀、関契、駅鈴などの貴重品も
保管されました。

賢所の北の温明殿には、
賢所に奉仕する女官の詰所(内侍所)が
置かれました。


「源氏物語」では、
好色な老女・典侍が内侍司の次官を務めていました。

「紅葉賀」の巻では、
温明殿の一室で典侍が琴をひいているのを
光源氏が目撃して一夜を過ごします。

宜陽殿

読み方:ぎようでん

母屋は南北九間、東西二間。
書物、楽器などが納められていた。

春興殿

読み方:しゅんきょうでん

東西2間、南北7間。
武具などを置いた場所。

安福殿

読み方:あんぷくでん

母屋は南北7間、東西2間
侍医・薬生が伺候(しこう)する薬殿が置かれていた。

蘭林坊

読み方:らんりんぼう

宮中の御物、御書などを納める建物です。
御書所・絵所が置かれていました。

桂芳坊

読み方:けいほうぼう

雅楽をつかさどったところです。


清涼殿の平面図

清涼殿と後涼殿は隣接していました。

清涼殿は天皇が日常生活をする場所です。
平面図の右側です。

切馬道と簀子を挟んだ左の
後涼殿は女房の曹司および納戸
厨子(仏像などを納める)から
構成されています。

以下、詳しく解説していきますね。

清涼殿

清涼殿は、天皇が日常生活を送る建物です。

母屋の南側と東廂が「昼の御座(おまし)」
天皇はここで政務を聞きました。

母屋には御帳台や大床子(腰かけの台)が
置かれ、東廂の南には伊勢神宮や内侍所を
遥拝するための石灰壇が置かれていました。

「源氏物語」では、
光源氏の元服が清涼殿の東廂で行われています。

【原文】 
おはします殿の東の廂、東向きに椅子立てて、 冠者の御座、 引入の大臣の御座、 御前にあり。

【現代語訳】
帝がおいでになる清涼殿の東廂に、東向きに椅子を立てて、元服なさる光る君のお席と 加冠役の左大臣のお席とが、帝の御前に設けられている。

源氏物語「桐壺」の巻より引用

母屋の北側は塗籠があり、
寝室(夜御殿)となっており、
その隣の二間は仏間です。

「弘徽殿上御局」「藤壺上御局」「萩戸」
は、后の控えの間として使用されました。

「源氏物語」では、
桐壺の更衣を亡くして悲しむ帝に
気を悪くした弘徽殿女御は、
久しく「上の御局」に参上しないと
記載されています。

筆者
この「上の御局」とは「弘徽殿上御局」を指します。


その他、部屋の解説は以下の通りです。

スクロールできます
部屋の名前解説
鬼の間御厨子や御膳の具が置かれます。
厨子:仏像や経典などを置く収納家具
台盤所食物を盛った盤を載せる台を置く場所。
朝餉の間天皇が朝食をとり装束を切る場所。
御手水の間天皇が朝、髪を整え手を洗う場所。
御湯殿天皇の食事を作り、湯を沸かす場所。
清涼殿の解説
奥が清涼殿。御簾の中の人物は村上天皇。
坪庭を挟んで手前が後涼殿。
「天徳内裏歌合図」
奥が清涼殿。御簾の中の人物は村上天皇。
坪庭を挟んで手前が後涼殿。
「天徳内裏歌合図」

後涼殿

清涼殿に付随する建物。

納殿になる母屋の中央には
東西に通る馬道が通っていました。

納殿とは、収納のこと。
衣装や調度品などを納めておく場所。

東廂は女房の曹司(部屋)にもなりました。

「源氏物語」には
后の一人である更衣が住んでいたのを
他の部屋に移させて、
桐壺の更衣に休憩場所として使わせたと
記載されています。

【原文】
後涼殿にもとよりさぶらひたまふ更衣の曹司を他に移させたまひて、上局に賜はす。

【現代語訳】
後凉殿に以前から住んでいらっしゃった更衣の部屋を他に移させなさって、上局として(桐壺の更衣に)与えなさる。

源氏物語「桐壺」より引用

源氏物語に出てくる内裏の建物名

「源氏物語」を読む上で、
おさえておくべき内裏の建物名を表にしました。

スクロールできます
建物名解説
飛香舎(藤壺)藤壺の宮、朱雀帝の女御、今上帝の女御が住んだ殿舎。
弘徽殿弘徽殿女御、妹・朧月夜が住んだ殿舎。
淑景舎(桐壺)桐壺の更衣が住んだ殿舎。光源氏が宿直所とした。明石の姫君もここに住んだ。
登花殿朧月夜が最初に住んだ殿舎。
凝花舎(梅壺)桐壺院崩御後に弘徽殿女御が住んだ殿舎。秋好中宮もここに住んだ。
昭陽舎(梨壺)今上帝が東宮の頃に住んだ。
麗景殿花散里の姉が住んだ殿舎。
温明殿光源氏と典侍の逢瀬の場所。
清涼殿帝の生活場所。光源氏はここで元服の儀式をした。
後涼殿桐壺の更衣はここを上局として使っていた。
紫宸殿朱雀帝の元服、桜花の宴が開催された場所。
「源氏物語」に登場する内裏の建物名

この記事では、
平安時代の内裏図とその解説を紹介しました。

当時の内裏のイメージが湧くと、
「源氏物語」の理解も深まりますね。

どの殿舎が内裏のどの辺にあったか
思い浮かべつつ、「源氏物語」を読んでみてください。

「源氏物語図典」では、
建築物や家具、乗り物、衣服、
音楽や通過儀礼など
平安時代の貴族の生活や習俗が
わかりやすくまとめられています。

「源氏物語」を学ぶ上でおすすめの副読本です。
大学で研究しようとする方などは特に、
読んでおいたほうがよいでしょう。

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