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・身分、性格、容貌の解説
※家系図あり
・登場巻とあらすじ
・出家の理由と死因
・有名な和歌の解釈
・どこが魅力だったのか?
藤壺の宮(藤壺の中宮)は、
光源氏にとって初恋の女性であり、
理想の女性像でした。
光源氏は、様々な女性と恋愛遍歴を
繰り広げますが、すべて藤壺の宮の
面影を求めての行動だったのです。
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この記事では、
源氏物語を理解する上で最重要人物とも言える
藤壺の宮について詳しく解説します。
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藤壺の宮はどんな人?身分や性格を解説!
まずは、藤壺の宮の周辺の家系図と身分、
性格や年齢、容貌を解説していきますね!
藤壺の宮の家系図
下記は、藤壺の宮を中心に
クローズアップした相関図です。
![藤壺の宮の相関図](https://ryoutei-senryu.jp/wp-content/uploads/2024/01/fujitsubo-familytree.webp)
![藤壺の宮の相関図](https://ryoutei-senryu.jp/wp-content/uploads/2024/01/fujitsubo-familytree.webp)
全体の相関図は、こちらを
参考にしてください。
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先帝:前の帝。物語には出てこない。
兵部卿宮:藤壺の宮の兄であり、
紫の上の父親。後に式部卿宮となる。
紫の上:兵部卿宮の娘。
藤壺の宮の姪。
光源氏の妻の一人となる。
冷泉帝:光源氏と藤壺の密通の子。
表向きは桐壺帝と藤壺の子どもとされている。
藤壺の宮は、先帝の后腹の第四皇女(内親王)でした。
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藤壺の宮は桐壺帝のもとに入内しますが、
光源氏と密通し、後の冷泉帝を出産します。
身分は高かった?
藤壺の宮は、
先帝の后腹の内親王なので身分が高く、
冷泉帝の出産後には中宮の座につきます。
![住吉具慶「源氏物語絵巻 賢木」藤壺の宮](https://ryoutei-senryu.jp/wp-content/uploads/2023/11/fujitsubo-introduction.webp)
![住吉具慶「源氏物語絵巻 賢木」藤壺の宮](https://ryoutei-senryu.jp/wp-content/uploads/2023/11/fujitsubo-introduction.webp)
冷泉帝の后の一人である弘徽殿女御も
朱雀帝を出産していますが、
中宮になったのは弘徽殿女御ではなく藤壺の宮でした。
弘徽殿女御は右大臣の娘でしたから、
先帝の娘の藤壺のほうがずっと身分が上だったのです。
どんな性格だった?
藤壺の宮は、光源氏の心の中で理想化されて、
本当の性格がベールに包まれているようにも感じられます。
源氏物語本文からわかる
藤壺の宮の性格を探ってみましょう。
優しくて気品がある
光源氏は、藤壺の宮のことを
優しく、物腰柔らかく、気品がある女性と絶賛しています。
いみじき御気色なるものから、なつかしうらうたげに、 さりとてうちとけず、心深う恥づかしげなる御もてなしなどの、 なほ人に似させたまはぬ
源氏物語「若紫」より引用
【現代語訳】
ひどく辛そうなご様子でありながらも、優しく可愛らしくて、そうかといって馴れ馴れしくはせず、気品がある御物腰などは、やはり他の女性とは違っていらっしゃる
光源氏が強引に
藤壺の宮の寝室に忍び込み
逢瀬を果たしたシーンの一節です。
藤壺の宮は人柄や雰囲気が柔らかく、
優しくて、かといって打ち解けすぎず、
奥ゆかしい気品がある女性でした。
慎重で隙がない
藤壺の宮は、非常に警戒心が強く、
光源氏に対して隙を見せない女性でした。
かうやうなるにつけても、まづ、「 かのわたりのありさまの、こよなう奥まりたるはや」と、ありがたう思ひ比べられたまふ。
源氏物語「花宴」より引用
【現代語訳】
このようなこと(朧月夜の君との逢瀬)につけても、まずは、「あの周辺(藤壺の宮)の様子が、どこよりも隙がないものだ」と、世にも珍しくご比較せずにいられない。
もて離れつれなき人の御心を、かつはめでたしと思ひきこえたまふものから、わが心の引くかたにては、なほつらう心憂し、とおぼえたまふ折多かり。
源氏物語「賢木」の巻より引用
【現代語訳】
よそよそしくて隙を見せない方のお心を、一方では立派であるとお認めしながら、自分勝手な気持ちからは、やはり恨めしく悲しいと、お思いになることが多い。
この引用文は、どちらも
光源氏が心の中で
朧月夜の君と藤壺の宮を比較したときのものです。
光源氏にとって政敵である右大臣の娘。
光源氏と恋人関係になる。
奔放な性格で、何度も光源氏と逢瀬を重ねた。
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光源氏は、
隙だらけの尻軽な女を軽蔑する
傾向にありますから、逢瀬を続けながらも、
ガードの甘い朧月夜の君を見下していたのです。
![源氏物語画帖 花宴](https://ryoutei-senryu.jp/wp-content/uploads/2023/09/oborozukiyo.webp)
![源氏物語画帖 花宴](https://ryoutei-senryu.jp/wp-content/uploads/2023/09/oborozukiyo.webp)
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軽々しい性格の朧月夜と比べて、
藤壺の宮は隙のない、慎重な女性だったので、
光源氏は高く評価していました。
センスが良い
藤壺の宮は、非常にセンスの優れた女性でした。
袖口など、 踏歌の折おぼえて、ことさらめきもて出でたるを、 ふさはしからずと、まづ藤壺わたり思し出でらる。
源氏物語「花宴」より引用
【現代語訳】
(右大臣家の寝殿では)袖口などを、踏歌の時を思い出して、わざとらしく出しているのを、ふさわしくないと、趣味の洗練された藤壷周辺を思い出さずにはいらっしゃれない。
この一文は、
朧月夜など右大臣家の女性たちが
住む寝殿の様子と
藤壺の宮の住む寝殿の様子を比較したものです。
右大臣家の女たちは、
踏歌の夜の見物席のように、
大げさに袖を出していたが、
藤壺の宮はもっとセンスがいいと比較しているのです。
藤壺の宮は、洗練された上品な趣味の持ち主
だったことがわかりますね。
プライドが高い
藤壺の宮は、先帝の内親王として、
そして桐壺帝の后としての高いプライドを持っていました。
光源氏との密通、
そして罪の子について帝にひた隠しにしたのです。
優しく気品のある女性でしたが、
桐壺帝に嘘をついてまで、
自身のプライドを守り通したかったのです。
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容貌は?美人だった?
藤壺の宮の容貌について
具体的に語られている部分はありませんが、
「紫の上にそっくりである」と強調されています。
髪ざし、頭つき、御髪のかかりたるさま、限りなき匂はしさなど、ただ、かの対の姫君に違ふところなし。 年ごろ、すこし思ひ忘れたまへりつるを、「 あさましきまでおぼえたまへるかな 」と見たまふ
源氏物語「賢木」より引用
【現代語訳】
髪の生え際や頭の形、御髪が顔にかかっている様子、この上ない美貌など、あの対の姫君(紫の上)とそっくりである。ここ数年来、少し忘れていらっしゃったが、「驚きあきれるほどよく似ていらっしゃることよ」とご覧になる
![Fujitsubo receives Prince Genji etc.](https://ryoutei-senryu.jp/wp-content/uploads/2023/09/sakaki.webp)
![Fujitsubo receives Prince Genji etc.](https://ryoutei-senryu.jp/wp-content/uploads/2023/09/sakaki.webp)
その紫の上は、
咲き誇る桜に例えられるほど、
匂うように美しい美女でした。
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藤壺の宮も、絶世の美女だったことには
間違いありません。
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また、藤壺の宮は、
光源氏の実母・桐壺の更衣にもよく似ていました。
![源氏物語図屏風「桐壺」 光源氏を抱く桐壺の更衣](https://ryoutei-senryu.jp/wp-content/uploads/2023/11/kiritsubo-lady.webp)
![源氏物語図屏風「桐壺」 光源氏を抱く桐壺の更衣](https://ryoutei-senryu.jp/wp-content/uploads/2023/11/kiritsubo-lady.webp)
桐壺の更衣も、
いとにほひやかにうつくしげなる人
源氏物語「桐壺」より引用
(たいへん華やかに美しい人)
であり、似ている藤壺の宮も
美人であることがわかります。
年齢は?
藤壺の宮の年齢がわかる記載は、
彼女が亡くなる「薄雲」の巻です。
三十七にぞおはしましける 。されど、いと若く盛りにおはしますさまを、惜しく悲しと見たてまつらせたまふ。
源氏物語「薄雲」より引用
【現代語訳】
37歳でいらっしゃる。けれども、たいへんお若い盛りでいらっしゃるご様子を、勿体ない、悲しいとお見上げあそばす。
藤壺の宮は、厄年である
37歳で亡くなったと書かれています。
この年から逆算すると、
藤壺の宮が桐壺帝のもとに入内したのは
14歳~15歳となります。
光源氏との年齢差は、こちらの記事で
詳しく解説しました。
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登場巻と年齢については、
次の項目で年表として解説しています。
藤壺の宮の登場巻とあらすじ
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藤壺の宮の「源氏物語」登場巻と
簡単なあらすじ、年齢を表にまとめました。
登場巻名 | あらすじ | 藤壺の年齢 |
---|---|---|
桐壺 | 藤壺の宮、桐壺帝に依頼を受け入内する。 幼い光源氏、父帝について御簾の中に入り、藤壺の宮の姿を見る。 光源氏、藤壺の宮を慕う。 「光る君」「輝く日の宮」と並び称される。 | 14歳~15歳 |
桐壺 | 光源氏元服後、御簾の中に入れなくなる。 | 17歳 |
該当巻なし | 「桐壺」と「帚木」巻の間に、 光源氏と藤壺の宮の1回目の密通あり。 | 不明 |
若紫 | 光源氏と藤壺の宮、2回目の密通を果たす。 藤壺の宮、妊娠する。 | 23歳 |
紅葉賀 | 光源氏、藤壺の宮の前で青海波を舞う。 翌日、和歌を贈答。 光源氏、藤壺の自邸三条の宮に参上して藤壺の宮に挨拶。 光源氏、藤壺の宮の兄、兵部卿の宮に会う。 | 23歳 |
紅葉賀 | 藤壺の宮、男皇子を出産。 藤壺の宮、中宮となる。 | 24歳 |
花宴 | 藤壺の宮、紫宸殿の桜花の宴に出席。 光源氏が春鶯囀の一節を舞うのを見る。 光源氏、藤壺の宮に逢いたいと思うが、隙がなく会えない。 | 25歳 |
葵 | 朱雀帝が即位し、代替わり。 桐壺院と藤壺の宮、普通の夫婦のように暮らす。 光源氏の正妻・葵の上が亡くなり、 藤壺の宮、光源氏に弔問の和歌を贈る。 | 27歳~28歳 |
賢木 | 桐壺院が崩御。藤壺の宮、悲しむ。 自邸である三条の宮に退去。 藤壺の宮、光源氏の自分への愛着を封じるために祈祷をする。 光源氏、藤壺の宮の寝所に忍び込むが、 藤壺の宮、突然、発病する。 藤壺の宮の周りに介抱の人が増えたため 光源氏、塗籠に押し込められる。(塗籠事件) 藤壺の宮、出家する。 | 28歳~30歳 |
須磨 | 春、光源氏、須磨に退去を決意。 藤壺の宮に挨拶に訪れ、和歌を贈答。 東宮(光源氏と藤壺の子)の御代の安泰を願う。 夏、須磨から藤壺の中宮と和歌を贈答。 藤壺、光源氏にいつもより情愛のある手紙を送る。 | 31歳~32歳 |
明石 | 光源氏、藤壺の宮に帰京の挨拶をする。 | 33歳 |
澪標 | 光源氏と藤壺の宮の子供が、冷泉帝として即位。 藤壺の宮、「女院」となる。 光源氏、冷泉帝の后について藤壺の宮に相談する。 | 33歳~34歳 |
絵合 | 藤壺の宮の前で、絵合が行われる。 「竹取物語」対「宇津保物語」 「伊勢物語」対「正三位」 | 36歳 |
薄雲 | 春、病が重くなり、藤壺の宮、亡くなる。 | 37歳 |
藤壺の宮は、結果的には2度、
光源氏と密通しましたが、
基本的には光源氏を拒絶し続ける人生でした。
光源氏と藤壺の宮の関係については、
こちらの記事で詳しく説明しています。
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光源氏との罪の子を出産してからは、
重い罪の意識にさいなまれつつも、
我が子の将来の安寧を願っていました。
藤壺の宮 出家の理由は
藤壺の宮は、
「賢木」の巻において突如、出家します。
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「賢木」の巻では、2つの大きな出来事が起き、
藤壺の宮は、その後で出家を決意するのです。
藤壺の夫・桐壺院が重体となり、
そのまま崩御してしまいます。
藤壺の宮は、深い悲しみに沈んだのです。
桐壺帝崩御後、
光源氏は藤壺の宮との
三度目の逢瀬を遂げようとします。
しかし、急に藤壺の宮が体調を崩し、
密通の計画は失敗。
光源氏は塗籠という個室に押し込められてしまいました。
藤壺の宮は、光源氏とのことが世間にバレたら、
さぞや嘲笑されるだろうと心配します。
桐壺院も崩御し、世の無常も感じていた
藤壺の宮は、中宮の地位を捨てて出家し
尼になることを決意するのです。
![源氏物語画帖「賢木」 塗籠事件:塗籠を抜け出した光源氏は、藤壺を垣間見する。](https://ryoutei-senryu.jp/wp-content/uploads/2023/11/fujitsubo-nurigome.webp)
![源氏物語画帖「賢木」 塗籠事件:塗籠を抜け出した光源氏は、藤壺を垣間見する。](https://ryoutei-senryu.jp/wp-content/uploads/2023/11/fujitsubo-nurigome.webp)
藤壺の宮の出家への思いは、
はっきりと語られています。
かかること絶えずは、いとどしき世に、憂き名さへ漏り出でなむ。大后の、あるまじきことに のたまふなる位をも去りなむ」と、やうやう思しなる。
源氏物語「賢木」より引用
(中略)
「 よろづのこと、ありしにもあらず、変はりゆく世にこそあめれ。 戚夫人の見けむ目のやうにはあらずとも、かならず、人笑へなることは、ありぬべき身にこそあめれ」など、世の疎ましく、過ぐしがたう思さるれば、背きなむことを思し取る
【現代語訳】
このようなこと(光源氏の求愛)が止まなかったら、ただでさえ辛いこの世に、悪い噂まで立つだろう。弘徽殿の大后が、良くないとおっしゃっる地位(中宮)も退いてしまおう」と、次第にお思いになる。
(中略)
「すべてのことが、以前とは異なり、変わって行く世の中のようだ。戚夫人が受けたような屈辱ではなくても、絶対に、世間に嘲笑されることが、私の身に起こるだろう」などと、世の中を生きづらく感じられずにはいられないので、出家してしまおうとお思いになる
光源氏との二度の密通、そして罪の子。
藤壺の宮は世間の目が怖くなり、
尼になって仏に仕え、桐壺院の後世を祈りながら
ひっそり暮らすことを望んだのです。
![「源氏物語図色紙」絵合 出家した藤壺と光源氏](https://ryoutei-senryu.jp/wp-content/uploads/2023/10/eawase.webp)
![「源氏物語図色紙」絵合 出家した藤壺と光源氏](https://ryoutei-senryu.jp/wp-content/uploads/2023/10/eawase.webp)
出家をして、尼になれば、
さすがの光源氏も藤壺の宮の寝所に
忍び込むことはなくなるだろうという
期待もあったことでしょう。
実際、藤壺の宮が出家してからは、
光源氏は今までのように密通を企てることは無くなりました。
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藤壺の宮の死因は?
藤壺の宮は37歳という若さで崩御します。
死因は不明ですが、
病状に関する記述を抜き出してみましょう。
「賢木」の巻で胸を病む
藤壺の宮が初めて発病したのは、
「賢木」の巻で、30歳のとき。
光源氏が三度目の密通を図った夜のことです。
果て果ては、御胸をいたう悩みたまへば、
源氏物語「賢木」より引用
(遂には、お胸をひどくお苦しみなさったので)
光源氏が饒舌に愛を語るのに
ショックを受けて、胸が痛み始めます。
翌日、日が暮れる頃に
ようやく発作が収まったと記載されています。
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以降、病気がちとなる
「澪標」の巻(34歳)では、
藤壺の宮が病気がちであると書かれています。
いとあつしくのみおはしませば、参りなどしたまひても、 心やすくさぶらひたまふこともかたきを
源氏物語「澪標」の巻より引用
【現代語訳】
いつもご病気がちでいらっしゃるので、参内をなさっても、長く(冷泉帝の)側に付いていることが難しい
どのように病気がちだったかは、
述べられていません。
衰弱が進み、亡くなる
そして「薄雲」の巻で、
病気が重くなり、亡くなってしまうのです。
(享年37歳)
親しい女房は、光源氏に
次のように説明しています。
月ごろ悩ませたまへる御心地に、御行なひを時の間もたゆませたまはずせさせたまふ積もりの、いとどいたう くづほれさせたまふに、このころとなりては、柑子などをだに、触れさせたまはずなりにたれば、頼みどころなくならせたまひにたること。
源氏物語「薄雲」より引用
【現代語訳】
数か月間気分が優れずにいらっしゃったのに、仏のお勤めを少しも怠らずになさいました疲労が積もり、ますますご衰弱なさった。最近では、柑子(みかん)さえ、お召し上がりにならず、回復の見込みもなくなったのです。
衰弱がひどく、食欲もなくなってしまったとのこと。
当時の貴族は、
形式的で偏った食事をとっていたため、
栄養失調になりやすかったのです。
藤壺の宮も37歳という若さで、
栄養失調による衰弱で亡くなったのかも知れませんね。
藤壺の宮 有名な和歌の解釈について
藤壺の宮が詠んだ和歌には
有名かつ、論争を生んでいるものがあります。
袖濡るる 露のゆかりと 思ふにも
なほ疎まれぬ 大和撫子
この和歌には2種類の解釈が存在するのです。
解釈1
【1つめの解釈】
あなたのお袖を濡らす露に縁のあるもの
(悲しむあなたのお子)と思うにつけても、
やはり大和撫子(このお子)を疎ましく思うのです
「光源氏との子だと思うと、
息子のことを愛せない」という解釈です。
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これは、「なほ疎(うと)まれぬ」の
「ぬ」を完了の意味にとらえた解釈です。
解釈2
【2つめの解釈】
あなたのお袖を濡らす露に縁のあるもの
(悲しむあなたのお子)と思うにつけても、
やはり大和撫子(このお子)を疎むことができないのです
「光源氏の子だと思うと、
やはり息子のことを疎むことはできない」
という解釈です。
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これは「なほ疎まれぬ」の
「ぬ」を否定の意味にとらえた解釈です。
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二重の意味になっている?
それでは、どちらの解釈が正しいかというと、
どちらでもないと思います。
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【筆者の解釈】
あなたのお袖を濡らす露に縁のあるもの
(悲しむあなたのお子)と思うにつけても、
あなたのことは疎ましいと感じますが、
やはり大和撫子(我が子)を疎むことができません。
この和歌は二重の意味になっており、
「疎まれぬ」の「ぬ」は完了とも否定とも受け取れます。
完了の「ぬ」は光源氏に対してのもので、
否定の「ぬ」は我が子に対するものなのではないでしょうか?
光源氏を拒否しつつ、
我が子を慈しむ藤壺の宮の行動と
照らし合わせれば、
この解釈が最も妥当だと感じます。
藤壺の宮の魅力とは?
光源氏にとって、
藤壺の宮はたった一人の理想の女性です。
源氏は、生涯にわたって
藤壺の宮の面影を追いながら
恋愛遍歴を重ねたのです。
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- 実母に似た美しい容貌
- 光源氏に隙を見せない慎重さ
- 気品と嗜み
実母・桐壺の更衣に似た美しい容貌
藤壺の宮は、
光源氏の実母・桐壺の更衣に
顔がそっくりでした。
光源氏は、
早くに亡くなった実母の顔を
覚えていませんでしたが、
実母に似ていると周りから言われ、
藤壺の宮の容貌に強い魅力を感じるようになったのです。
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光源氏に隙を見せない慎重さ
先述しましたが、
藤壺の宮は、ガードがしっかりしており、
なかなか光源氏に隙を与えませんでした。
⇒藤壺の宮の性格を解説
光源氏が女房に手引きを頼んでしまい、
強引な形で2回密通しますが、
基本的にはガッチリ身を守っていたのです。
光源氏は尻軽な女が嫌いですから、
身持ちの固い貞潔な藤壺の宮を高く評価していたのです。
気品が高く嗜みがある
光源氏は、朝顔の巻にて
紫の上に、亡くなった藤壺の宮のことを
次のように語っています。
やはらかにおびれたるものから、深うよしづきたるところの、並びなくものしたまひし
源氏物語「朝顔」の巻
【現代語訳】
しとやかで弱弱しくいらっしゃる一面、奥深い嗜みのあるところは、格別でいらっしゃった
藤壺の宮は、
表面的には才能がある様子を見せず、
おしとやかで気品があるのに、
見識があり、和歌や琴などの奥深い嗜みもあったと絶賛されています。
私たちが、「大和撫子」と
聞いて思い浮かべる完璧な日本人女性を
そのまま体現したような美女。
それが、藤壺の宮だったのです。