





・『源氏物語』ドロドロな内容の紹介
・『源氏物語』大批判された過去の紹介
この記事を読むことで、
『源氏物語』がどのような「やばさ」を
持っていて、どういう時代に大批判されたかが
よくわかります。
源氏物語がやばい!ドロドロの内容を紹介
『源氏物語』のストーリーは、
非常にドロドロしていて、
かなりヤバい内容となっています。



無理やり男女の契りを結ぶシーンが多い
『源氏物語』では、
男性が、女性の同意を得ずに
無理やり男女の関係を
結ぶシーンが多く登場します。
そのようなシーンは10回もあります。
一覧表にまとめてみました。
| 巻名 | 男性 | 女性 | 状況 |
|---|---|---|---|
| 帚木 | 光源氏 | 空蝉 | 寝静まった頃にこっそり空蝉の寝所に忍び込み強引に契る。 |
| 若紫 | 光源氏 | 藤壺の宮 | 病気で里下がりしている藤壺の邸に忍び込み強引に契る。 |
| 末摘花 | 光源氏 | 末摘花 | 障子ごしに口説いていたが、相手(末摘花)が応答しないので我慢ができず押し入って契る。 |
| 葵 | 光源氏 | 紫の上 | 美しく成長した紫の上に我慢できなくなってある日強引に契る。 |
| 明石 | 光源氏 | 明石の君 | 父入道の手引きで明石の君の家を訪問。戸締まりして拒否されていたが、無理に押し言って契る。 |
| 真木柱 | 髭黒大将 | 玉鬘 | 女房に手引きを依頼し、出仕を控えた玉鬘の寝所に忍び込み強引に契る。 |
| 若菜下 | 柏木 | 女三の宮 | 小侍従の手引きで寝所に忍び込み、恋心を打ち明け強引に契る。 |
| 夕霧 | 夕霧 | 落葉の宮 | 塗籠にこもって拒否されていたが、押し入って落葉の宮を宥める。結局は強引に契る。 |
| 総角 | 匂宮 | 中君 | 薫のお膳立てにより、中君の寝所に忍び込み契る。 |
| 浮舟 | 匂宮 | 浮舟 | 薫の声真似をして浮舟の寝所に忍び込み強引に契る。 |


気配に気づいた空蝉は、衣を脱ぎ捨てて急場を逃れる。「源氏物語手鑑 空蝉」



契りのシーンは
抽象的な表現でぼやかした箇所ばかりで
具体的な表現はほとんど見られませんが、
想像力をかき立てられる内容となっています。



『源氏物語』全体を通して
強引に男女の関係になるシーンが
ちりばめられていますが、
特に第一部の前半における
光源氏の振る舞いは非常に奔放です。



その中でも、光源氏が
10歳の紫の上を自邸に連れ去り
自分の好みの女性に教育して、
14歳になったときに性的関係を持つ
ストーリーは読者に強い衝撃を与えています。
また、
そのように自由奔放に振る舞っていた
光源氏が40歳を過ぎて中年になった頃、
正室・女三の宮が柏木と密通するシーンは、
『源氏物語』の真骨頂でもありますが、
ドロドロの極みであり、読者の心にも言い知れぬ緊張感が走ります。







光源氏が父天皇の妻と密通し皇統を乱す
光源氏の恋愛遍歴の中で、
もっとも深い恋でありながら
もっともヤバい恋なのが、
藤壺の宮との禁断の恋です。
藤壺の宮は、光源氏の父(桐壺帝)の妃です。
光源氏は、藤壺の宮の顔が
亡くなった実母(桐壺の更衣)に
似ていると知り、
藤壺の宮に執着にも近い
恋愛感情を抱くようになるのです。






「若紫」の巻で強引な形で2人は結ばれ、
「紅葉賀」の巻で2人の間には
なんと子どもが生まれてしまいます。





この子どもは、
実際は光源氏と藤壺の宮の子ですが、
桐壺帝と藤壺の宮の子(東宮)として育てられていくのです。
やがて、東宮は冷泉帝として即位してしまいます。
実際には天皇の子ではない人物が、
天皇の皇子として即位してしまうのというのは
万世一系の天皇制にとって重大事件です。
この皇統の乱れは、
江戸時代から「もののまぎれ」と呼ばれ議論されてきました。



もちろん光源氏自身も天皇の皇子であるから、
冷泉帝は男系男子であり、
即位の資格がない者が
即位しているわけではありません。
ですが、天皇を蔑ろにしており、
世間をあざむいているという点では、
大きな罪には違いありません。






こちらの記事では、光源氏のクズエピソードを
もう少し詳しく解説しているので参考にしてください!


戦時下において源氏物語は「大不敬の書」と呼ばれていた
これまでざっくり解説しましたが、
『源氏物語』がかなりヤバい内容であることは
おわかりいただけたでしょう。
実は戦時中において
『源氏物語』はその内容のヤバさから
「大不敬の書」と呼ばれ
猛批判されていたのです。
橘純一による『源氏物語』批判
橘純一という国文学者は、
1938年(昭和13年)
『源氏物語』への批判を繰り返しています。
最初は小学校の教科書に掲載されていた
『源氏物語』を素材とした教材についての
批判でしたが、すぐに『源氏物語』そのものの
批判しようとする態度を明確にしています。
橘純一は『源氏物語』の内容の
以下の4点について、
「大不敬の構想である」と論じています。
- 光源氏と藤壺の宮の関係
- 冷泉帝の即位
- 光源氏が准太上天皇になったこと
- 光源氏と朧月夜との関係
これらの要素はすべて
天皇を蔑ろにすることになるため、
「大不敬である」と橘氏に断罪されたのです。
不敬とは、皇室に対して敬意を示さないことをいいます。
①は、光源氏が桐壺帝の后を
寝取ったエピソードです。
これは、桐壺帝を軽んじていることになります。
②は、密通によってできた光源氏の子が
桐壺帝の皇子として即位したわけだから、
これも桐壺帝を軽んじています。
③は臣下である光源氏が上皇(引退した天皇)
と同じ待遇を受けるわけだから、
皇統の唯一性が曖昧になって
天皇を軽んじていることになります。
④は、光源氏が朱雀帝の后を
寝取ったエピソードです。
朱雀帝を軽んじています。
さらに、橘氏は
『源氏物語』は「淫靡」であり
「不健全」であり、
平安貴族が滅亡したのも
そういう風潮のせいだと全否定しています。






この頃は日中戦争が長期化していることを背景に、
国家総動員法が公布・施行され
戦争体制が強化されていた時期です。
昭和天皇は日本軍の最高責任者であると同時に
現人神であり、神聖な存在として
国民から崇拝されなければならなかったのです。


そのような時勢の中で、
「大不敬の構想」が含まれる『源氏物語』は
けしからん…
という主張がなされたというわけです。






『源氏物語』が小学校の教科書に載っていた時期と
理由については、こちらの記事で解説しました。


演劇「源氏物語」の上演禁止
数年さかのぼりますが、
1933年(昭和8年)には
劇化された『源氏物語』が
当局により上演中止となっています。
この劇は、11月27日から四日間、
新歌舞伎座において
劇団新劇場(坂東蓑助主催)により
紫式部学会の後援で
上演される予定となっていました。
脚色・番匠英一、演出・青柳信雄、
顧問には坪内逍遥と藤村作が名を連ね、
国文学者である久松潜一や池田亀鑑の指導も受けていました。
配役は光源氏が歌舞伎役者の坂東蓑助、
夕顔が伊藤智子で、
前売り券一万枚が売りつくされていたとのことです。
11月18日に警視庁保安部からの
上演不許可の通達が
内々に知らされ、22日に公式発表されました。
上演禁止の理由としては、
高貴な人が主要登場人物であることと、
連続的な恋愛生活を取り扱っていることが
当時の社会情勢の下では悪影響を及ぼすというのが主なものでした。
1933年といえば、
2年前に起きた満州事変をきっかけとして
日本が国際連盟からの脱退を通告した年です。
日本は国際社会から孤立し、
戦争の機運が醸成されていきました。
プロレタリア作家・小林多喜二が
虐殺されたりなど、
思想や言論の自由が圧迫
されていく中、演劇『源氏物語』の上演も禁止されたのです。








明治時代の『源氏物語』批判
さらに時代は遡って、
明治時代にも『源氏物語』嫌いはいました。
キリスト教思想家の内村鑑三です。



内村は、日清戦争が開戦した
1894年(明治27年)に、
講演「後世への最大遺物」の中で、
「『源氏物語』が日本の士気を
鼓舞することのために何をしたか。
何もしないばかりでなくわれわれを
女らしき意気地なしになした。
あのような文学はわれわれのなかから
根コソギに絶やしたい」
と叫んで、大喝采を受けたといいます。



明治時代は、明治維新に伴う
富国強兵思想の確立により
『源氏物語』批判が多かったのです。
評価した文学者はといえば、
尾崎紅葉・樋口一葉・与謝野晶子
くらいだそうです。
『源氏物語』の内容は
「大不敬」のエピソードを含んでいる上に、
連続した恋愛譚であり
主人公はうじうじなよなよと
悩んでいるシーンが多いです。
幾度も戦争に関与・参戦している近代日本とは、
相性が悪かったのでしょう。
江戸時代の『源氏物語』批判
後光明天皇は『源氏物語』嫌いだった
江戸時代にも
『源氏物語』を強く憎んだ
多くの知識人がいました。
たとえば、1633年(寛永10年)に生まれ、
22歳で崩御した後光明天皇は、
そのような知識人の筆頭格でした。



当時の宮中では、後光明天皇の父・
後水尾天皇の命により『源氏物語』の講義が
さかんに行われていました。
にもかかわらず、後光明天皇は、
『源氏物語』嫌いを公言していたのです。
常の聖話に、皇朝のおとろへし其本は、和歌を吾国の第一のやうに覚へ、源氏・伊勢物語等の書専ら行はるるによりして、衰のおこりとはなりぬ、古の聖学に志あるものは、いかで和歌を専とせむや、まして源氏物語の類は究而浮華淫乱の書なるぞとて、御前ちかくばかりにも置かせ給はざりしとなん、
『後光明天皇実録』所引『正保遺事』
ようするに、
「和歌などを尊重するから、
また『源氏物語』や『伊勢物語』などが
流布するから、朝廷が衰えたのだ」と
後光明天皇は常々語っていた、
ということです。
特に『源氏物語』は
「究めて浮華淫乱の書」であるとして、
近くに置きもしなかったということです。



朱子学と『源氏物語』は相性が悪い
このような『源氏物語』嫌いは、
個人的な趣味の問題ではなく、
後光明天皇が、当時の多くの若者と同じく
朱子学に傾倒していたためであると考えられます。
儒教の新しい学問体系。
宇宙のルール(理)に従って、
欲望を抑え、勉強と修養によって
立派な人間(聖人)を目指すための、
真面目な学問。
江戸幕府によって
幕府の教学(官学)とされ、
徳川家の支配体制を支える
思想的柱となった。
江戸時代初期、学問を志す多くの若者は、
この朱子学という新しい儒学に出会い、
心を奪われていました。
後光明天皇も内裏に
儒者朝山意林庵を招いて講義を受け、
朱子学を学んでいたのです。
朱子学で重んじる経典、
いわゆる四書の一つの『大学』の最初の
「治国平天下」の章には、
古代の明徳を天下に対して明らかにして
太平を実現するためには、
まず国を治め、家族を斉え、
そして我が身の徳を修め、心を正し、
意志を誠実にし、本質を理解し、
六芸を習得しなければなければならないと説かれています。
古の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、先ずその国を治む。その国を治めんと欲する者は、先ずその家を斉う。その家を斉えんと欲する者は、先ずその身を修む。その身を修めんと欲する者は、先ずその心を正しくす。その心を正しくせんと欲する者は、先ずその意を誠にす。その意を誠にせんと欲する者は、先ずその知を致す。知を致すは物に格るに在り。
「身を修む」「心を正す」とは
朱子学的な考え方によれば、
己の欲望を少なくし、
ついには無欲になることを目指すことになります。
無欲になって、天から与えられた
完全な善を行える人は聖人となることができて、
天下の太平を実現することができる
というわけです。
そのような朱子学の理想に共鳴した
後光明天皇は、欲望のおもむくままに
強引な恋愛を展開していく光源氏に強い嫌悪を感じたのです。



和歌を詠み、源氏物語の講義を行い、
文化の伝統を守るのが皇室の仕事ですが、
後光明天皇は家業を放棄し、
『源氏物語』を忌避し、
朱子学に染まっていったのです。
まとめ
この記事では、『源氏物語』のストーリーが
どのようにヤバいかを解説し、
そのヤバさゆえに知識人たちの一部から
強い批判を受けた歴史を解説しました。



そもそも『源氏物語』というものは、
(本居宣長の言葉を借りて言うと)
教訓のための書ではなく、
ただただ「もののあはれ」を感じるための物語なのです。


現代日本でも浮気や不倫には
世間的に厳しい目が向けられ
芸能人や政治家たちが
大バッシングされたりもしていますが、
『源氏物語』を楽しむ人々は
そういう批判的な視点では読んでいないでしょう。
ただただ、面白い、興味深い、情緒深い
といって古典文学の最高峰である『源氏物語』
から感じ取れる平安貴族の感性を求めているのです。



現在、私たちは『源氏物語』を自由に読み、
研究することができます。
それどころか公共放送であるNHKが解説したり
紫式部の人生を大河ドラマにしたりもしました。
『源氏物語』好きを公言したとて、
「けしからん」「不敬である」と言う人などいないでしょう。
それは、現在の日本が平和であり
言論弾圧がなされていないがゆえの
自由なのだと思います。
自由に『源氏物語』を読み、発信できる
時代に感謝をし、
幸福を感じながら生きていきたいですね。
当ブログでは、『源氏物語』について
様々な観点から解説する記事を作成しています。
もし興味があれば、他の記事も
読んでみてください😊














